18.ラブプリズン 1
酒場の前を清掃する。店の前は店の顔そのもの。綺麗じゃなきゃお客さんは来ない――と、キャサリンがいつも口を酸っぱくしていうので、シックスが綺麗にした。他の奴隷メイドがやるといったが、首を横に振って掃除した。
別に、親切心からやったからではない。暇で暇でしかたがなかったからだった。
「ひまー」
ぐでー、と酒場のテーブルに頬をおしつけて、だらー、と身体を弛緩させる。
統率されたゴブリンの集団を掃討した後、燃え尽きて灰になった気分だった。あれから数十日も経った今でも、やる気が復活する兆候は見られない。暇のある時間を堕落で消費する毎日だ。
まだ、時間帯は昼間。酒場は夜しかやっていなかった。客はおらず、そして、店員も買い出しやらダンジョン探索のせいで少なかった。いるのは、シルフィと、それから――
「顔がスライムみたいになってるけど……」
呆れたような半眼をしているアリスだけだった。労働している時には、全員メイド服と首輪をしている恰好に、シックスは慣れてしまった。
「だってさー、やることないんだもん……」
「異世界に来たんだから、もっと働いたら?」
「ええっ……。逆だろ。異世界に来たら勉強も労働もしなくていいんじゃないの? 一応、ダンジョンで何度か金目の物が入っている宝箱見つけて稼いでいる訳だし」
「でも、酒場はどうするの? おにいちゃんが権利を持っているんだから、どうにしかしないと……」
布巾でテーブルを拭いてくる。テーブルに顔をつけているシックスに布巾を近づけてくるので、背筋を伸ばして布巾攻撃を回避する。
「酒場の経営はキャサリンにやってもらっているから、俺がしていることといえばみんなの仕事の確認作業ぐらいだから楽なんだよ。でも、だからこそ、あんまりやることないからさ」
「人手は十分に足りているからね。どうせだったら鍛冶合成屋の店でも作っちゃえば? 今は注文受けたら、預かるってスタンスでしょ? 宣伝をもっとやれば、絶対に儲かると思うけど?」
「それだったら、ダンジョンに行く時間が少なくなるだろ? ほんとうだったら夜は酒場、昼間は鍛冶合成屋をやった方がいいんだろうけどさー、それだと金は稼げても、ダンジョンアイテムは収拾できないんだよなー」
さっきまで、またダンジョン探索にいってきた。スキルについて試したいこともあったので、シブキダンジョンへ。単独で潜れるほど実力はついたと自負しているが、やはり危険なので、シルフィという同伴者付きで潜った。今のところほとんど毎日ダンジョンへ潜っている。
シブキダンジョン以外のダンジョンにも行きたいところだが、キャサリンからNGをもらっていた。まだ経験値が足りないらしい。ダンジョンがいくたびに構造が変わっているし、たまに大粒の雨を降らすこともあったから飽きはしなかった。だが、手がかりが一つもつかめないのなら、他のダンジョンへ挑戦したい。一ヶ月も経ったのだから、そろそろいいんじゃないかとシックスが思ってしまうのは、当然のことだった。
「もう、俺がこの世界に来てから一ヶ月以上か……。早いもんだな」
「めぼしいダンジョンアイテムどころか、情報も入ってこないって、正直ここまで難航するとは思ってなかったかも」
「確かにな……」
打つ手なし、といったところだが、キャサリンに力を認められて他のダンジョンへ行くことさえできれば突破口は開けるはずだ。無断で行くことも一考したが、この世界の住人であるキャサリンの忠告をむげにするのは憚られた。
(報告役のシルフィにもっと強いところを見せればいいんだろうけど、まだだめなのか……)
そのシルフィは、コトッとコップをテーブルに置く。
「どうぞ。シックス様は冷たい飲み物がいいのですよね?」
「ああ、ありがと。シルフィも一緒に飲もうか」
「えっ、でも、私は奴隷メイドですので――」
「じゃあ、命令。一緒に楽しく飲もうよ。もう開店の準備はあらかたできてるだろ? だったらさ、付き合ってくれてもいいだろ?」
「分かりました、ご一緒させてもらいます」
シルフィの猫耳が嬉しそうにピクピクしていた。
「アリスも一緒に飲もうよ」
「まあ、いいけど?」
アリスはアリスでちらちらとシックスの方を観て、掃除する手を止めていた。まさか、シルフィを誘って自分は誘わないなんてことはしないよね? と、口に出していないのに心の声が聴こえた気がした。無視をしたら後が怖そうだったので、すかさず誘ってみたが当たりだったらしい。微かに鼻歌を歌うほど嬉しかったようだから。
「なあ、その首輪外さないのか?」
「私だって外したいけど、ただの奴隷メイドとしてここにいる方が安全でしょ? 異世界人だとバレたら狙われそうだし……。いや、ほとんど意味ないかもね。だって、私達のことを付け狙う人達が既にいるんでしょ?」
「ああ、ストーキングしている奴がいるってやつか? でもほんの少しなんじゃないのか? 知っているのって。だって、今のところ接触してくる奴もいないし」
シルフィはくっ、とグラスに入っていたミルクを口に含む。
「もしかしたら、シックス様達が異世界人であるという確証がなくて、その証拠を集めているのかもしれませんね。ここにいる限り、おいそれと手出してくる人はいませんよ。キャサリン様がいますからね」
「それもそうか」
「ええ。だからだいじょ――」
言葉足らずに、シルフィはくらり、と酔っぱらったように頭を振る。
「あっ、え?」
シルフィは疑問の声をあげながら、コップを取りこぼして割ってしまう。そして、シルフィは派手な音を立てて倒れた。
「――えっ?」
「おいっ! シルフィっ!?」
幸い、割れたコップのガラスの破片は身体に刺さってはいないが、自分の意志とは関係なしに倒れたせいで頭を打ってしまっている。抱き起して首や手の脈を確認するが、何の異常もない。むしろ、ただ寝ているだけのように見えた。
「まさか、睡眠薬か?」
飲み物に口をつけたのは、シルフィただ一人だけだ。この世界に睡眠薬というものがあるのかシックスは知らないが、それに近いものはあるのかもしれないと瞬時に判断する。飲み物の中に睡眠作用のある薬を盛られていたと考えるのが自然だからだ。
(だけど、一体どうやって混入させたんだ?)
この酒場に保存されていた飲み物に薬を混入させることができるのは内部の人間だけだ。料理の材料や酒を発注かけてここに運んでもらうこともあるが、決して奥のキッチンまで入れることはない。
(ここで働いているみんななら可能。つまり――内部犯か? だけど、眠らせる人物の指定はできないはず)
何故なら、飲み物を選んで運んできたのはシルフィだけだ。それに、シルフィに飲むように提案したのはシックス自身だった。シルフィがミルクを飲むことを予想できたはずがない。
(だとしたら、これは酒屋の人間全員に恨みを持っているための、無差別攻撃か?)
だったら、睡眠作用のある薬ではなく、即効性の毒でも盛った方がいいはずだ。それなのに眠らせたのはきっと他の理由があるはず。その答えを導き出す前に――
ガリッ、と鉤爪で目蓋を切られる。
「いっ――」
シックスの目を瞑ったのが早く、咄嗟に後ろに飛んだのが幸いして、ただの傷ですんだ。だが、失明してもおかしくないほど、躊躇いのない一撃だった。
人間によるものではなく、モンスターによる一撃だった。
「いってえええええぇ!」
スッ、と目蓋の傷口にソッと指をなぞって、治癒させる。括目したその瞳に写った光景は――――――シルフィが独りでに空を浮かんでいるところだった。
「なっ!!」
手を伸ばすが、急激に上昇して窓からシルフィは出て行った。寝ている状態から、誰かに連れ去られた――のだが、その相手、モンスターの姿を視認することができなかった。透明のモンスターにシルフィがまんまと誘拐されてしまったのだ。
「は?」
「さ、さらわれた! 追いかけるぞ! アリス!!」
「う、うんっ!!」
店番がいなくなるが、関係ない。他の人間に助けを呼ぶ暇もなく、シルフィを追いかける。姿を見ることはできないが、バサバサと羽ばたく音がする。獣人一人を持ちながら飛び去っているにしては、かなりの速さだ。追いつくことができない。徐々に距離を離されている。
「モンスターにさわらわれたのか? いったい、どんな?」
「こんな時こそ、サーチグラスでしょ!?」
両者ともサーチグラスを取り出してかける。だけど――
「反応しない? サーチグラスを無効化できるモンスターってこと!?」
「ああ、きっとそうだ。だけど、空を飛べるモンスターじゃないのか? 羽をはばたかせる音も聴こえるし……」
ひとけのないところにどんどんシルフィが消えていって、やがて辿りついたのは町の外れ。お世辞にも綺麗とはいえない濁った小さな湖。橋やボートといった気の利いたものはなく、いつもは人っ子一人いない場所。だけど、湖の先には一人の見知らぬ男が立っていた。
「…………お、お前ら」
ガリガリに痩せ細ったごぼうみたいな見た目をしている長身痩躯の男。髭は伸ばし放題で、顔色が青白いため大根のような顔貌だった。ボロボロの服を着こんでいて浮浪者のような印象を周りに与える。
男の名前はリーヴ。
水浴びを数週間していないせいで悪臭が漂うその男に、見えざるモンスターが近づいていく。浮いているシルフィがいるというのに、驚きもせずに腕をひろげて受け入れ体勢をしている。
「あいつ、誰だ?」
「さあ、でもいい奴じゃなさそうね」
シックスも、アリスもリーヴに対して面識はまるでなかった。だが、初対面のはずなのに、ぼそぼそと何やらシックス達に対して呟いた言葉。――それに、敵意に満ちた視線は一方的に情報を得ているような気が、シックスにはした。
「来るなっ!! 来るんじゃないっ!!」
「誰が言うとおりにするかっ!!」
他人とあまり喋らないせいで、大声を出すといつも裏返るリーヴ。見た目や言動からしてあまり強くない奴だと判断すると、自信を持ってシックスは湖面に足を突けようとした。だがその瞬間、凶悪な笑みを浮かべるリーヴを見やって、足を止めた。瞬間的に嫌な予感が脳内を駆け巡ったからだ。
グワッ、と大量の魚が足にかぶりついてきた。
「うあっ!!」
牙を剥き出しにした魚が餌に喰いつくようにして、シックスの靴に群がる。濁った湖水のせいで、接敵を許してしまった。急いで足を引きずって湖面から離れるが、足の肉に食らいついた魚達は離れてくれない。牙は骨にまで達しようとしている。
「くそっ!」
魚達に手で触れると、内側から破壊する。即死させることはできたが、傷はかなり追ってしまったので、回復させる。湖面には未だにガチン、ガチン、とギザギザの鋸のような歯を合わせた肉食の魚がたくさんいた。
「なんだ、こいつら……」
サーチグラスを通してスターテスを確認する。
【名前:ブラッドファング レベル:8】
平べったい顔をしているブラッドファングは、扇形の尖った鱗をしていて触っただけで血がでる。大きな瞳はギョロギョロと常に動いていて、動きはバシャバシャと常に波打つぐらいには機敏、というよりは忙しない。今まで静寂を保ちなら、ひっそりと湖面に隠れていたのが不思議なぐらいだった。人間の血の匂いを嗅いたせいで、興奮ぎみになっている。早く人間という餌が落ちてこないかと、数十匹のブラッドファングが口を開けてまっていた。
「ふはははは! 俺のブラッドファングはどんなに遠くに逃げようが、どれだけ水に薄まれろうが、好物である人間の血を嗅ぎ分け、すぐに襲い掛かる獰猛なモンスターだ。鉄をも噛み砕く牙の味はどうだ?」
陸上にあがったらさすがに動きは鈍ったが、ブラッドファングは血の匂いに敏感なようだ。シックスが出血している最中は、ずっと怪我の部分を凝視していた。
「ねえ。シルフィを運んだモンスターも、この湖の中にいるモンスターもなんだけど、おかしくない?」
「なにが?」
「モンスターって、普通ダンジョン内にしかいないんじゃないの?」
「あっ」
「なんで、こんなところにいるの? モンスター」
「そうか、だったらスキルじゃないのか? 普通の手段じゃ、モンスターをダンジョンから連れ出すことはできないはず……。あいつか……。あいつが全部やっていることなんだ……。恐らくあいつは――――――モンスターテイマーだ」
「モンスターテイマー?」
「モンスターを操って、自分の思い通りに動かる奴のことだよ。RPGでもそういう職業を持っている奴いるだろ、たまに……」
モンスターテイマー。別名を猛獣使いや調教師と言われる、モンスターを操ることができる者のことをいう。
アリスの指摘通り、モンスターはダンジョンという箱庭から決して出ることはできない。ただし、一部の例外を除いて――。その内の一つの例外が、リーヴのスキルだった。
「なんであいつ逃げないんだ?」
「もしかしたら、逃げるつもりがないのかも……」
「なんでだよ? 目的はシルフィの誘拐だろ? だったら俺達のことを無視してさっさと逃げればいいだけだろ?」
「……ちょっと安心した」
「は、はあ?」
「こっちにきてから頭が冴えていて、どこにでもいる普通の劣等生で落第生だったおにいちゃんとはまるで別人みたいだった。『環境は人を変える』っていうけどそれって本当なんだなって思った。だけど、まだまだこっち系の話になると途端に、元の世界のおにいちゃんの鈍感さに戻るね」
「……どういうことだ?」
釈然としないが、話が進まないので水を向ける。
「そうだね、どこから話せばいいのかな? とりあえず、確かなことは私達をずっと尾行していた人がいるってことかな」
「……それって、俺達が異世界人だから監視してるってやつだろ? シルフィが言うには毎日いたるところでされているらしいけど、その内の一人ってことか? あいつが?」
「うん、多分私達も監視されていたんだよね」
「私達……も……? まさか――でも、なんで?」
「うん、だからさ、試してみてよ。私もこの推論にそこまで確証があるわけじゃないから、とりあえずは」
「試すって、どうやって?」
「うーん、と、シルフィさんと、おにいちゃんとの関係であることないこと言ってみて。どれだけラブラブかってことを――って言ってて辛くなってきた……」
「だ、大丈夫か? そんな、倒れるほど辛いって、いきなりどうした?」
「大丈夫じゃないけど! とりあえず、愛を叫んでみて!」
「お、おう……。正直話の半分も理解できていないと思うけど、お前の犠牲を無駄にはしない」
ガッツリ作戦会議したおかげで、今後の方針もある程度固まった。準備はできたので対岸にいるリーヴに向かって叫ぶ。
「待たせたな!」
「お前ら! いつまで喋ってんだっ!!」
「……あっ、悪い! 忘れてた! 俺達のために……悪いな!」
「ふざけんな! お前らのためなんかに待ってねぇから!」
意外にいい奴なのかもしれないってシックスは思ってしまったが、敵は敵。向こう岸へ辿りつくのが至難の業でも、声なら届く。
「おーい! いいか! 俺はシルフィの奴隷主だ!」
「ちっ! んなもんとっくに知ってるわ!!」
「ああ、知っているのか。だけどな、これは知っているか? シルフィと毎晩一緒の風呂に入っていることを! そして同じベッドに寝ていることを! 最後まで言わずとも、これがどういう意味を持つか――分かるな?」
「き、貴様あああああああ!! な、なにを、俺のシルフィちゃんに一体何をしたあああああああ!!」
「ちょっと! おにいちゃん!? なにやってるの!? ねえ、私に隠れてなんで浮気告白しているの? ナイスボート展開にして欲しいの?」
「そうじゃないだろ!! お前が演技しろって言ったからそうしたんだろうが! なんでナチュラルにあっち側に寝返ってんだ!?」
演技を忘れてアリスに思わずつっこんだせいで、リーヴに冷静さが戻る。
「なんだ……ハッタリか……。そうだよなあ。俺のシルフィちゃんがあんな何のとりえもないような異世界人にいいようにされるはずがないよ。そうだよね、俺のシルフィちゃん。シルフィちゃんは俺だけをいつも見つめてるんだ……」
「き、きもちわるっ……」
「やっぱり、この人間違いない。私の推理通り――シルフィさんのストーカーだ」
「な、なにぃ!?」
今のリーヴの反応。少なからずシルフィのことを想っていることは確かなようだった。
「ストーカー!? 違う、違う、違う! 俺はシルフィちゃんと相思相愛なんだよ! それなのに、俺達の愛を引き裂こうとしているのはお前らの方さ。奴隷と奴隷主との関係なんて俺が断ちきってあげるんだ! 俺はどんな障がいがあろうと、シルフィちゃんを自由にしてみせるんだ!」
「……何言ってるんだ、こいつ?」
「妄想と現実の区別がついていないタイプみたいだね……。本当に相思相愛だったら、わざわざ眠らせてから拉致しなくてもいいはずだから。そんな一方的な愛なんて、本当の恋愛じゃない……。誰かを思いやることができないのなら、それはストーカーの偏った愛だよ」
リーヴは眠っているシルフィの肩を抱いていたが、つかんでいた服の皺がより深くなる。
「んん? 何言ってるの? 君達。愛は、最初は一方的でもいいんだよ。愛さえ注いでいれば、彼女だって俺のことを好きになってくれるんだ。他の人達でそうだったんだ。最初は俺のこと嫌いでも、俺が素直になってくれるように身体に聴いてみたらさ、何日目かには俺のことを好きって言ってくれたんだよ! だから俺とシルフィちゃんは今は心がすれちがっているかもしれない! だけど俺達はいずれ分かり合えるんだ!」
「ま――さか、お前、他にも女の人を拉致したのか?」
「拉致っていうよりか、俺の家に招待したんだよ。そしたらね、早く家に帰してってみんな言うんだ。でもね、俺がダガーでちょっと身体をほじったらね、みんーな、俺のことを好きって言ってくれたんだ。だけど、逃げ出そうとするから、みんな最終的には死んじゃうんだ。でもね、寂しくないんだ! だって、死んだら永久にみんな俺のものなんだ! 俺が恋人であるみんなのことを忘れてなければ、永遠にみんな俺の心に生き続ける! それって、凄い幸せなことなんだよ!!」
「………………」
サアー、と血の気が引いていく。拉致した後に、一目につかないように監禁。それから毎日のように傷つけられていたら、それはもう、心が折れる。助かりたいがために、嘘をつくしかない。それでもきっと、リーヴから逃げられた人間はいないのだろう。いなくなった人間を補填するために人材を、また攫っているのだから。
「とんでもなく偏った恋愛観を持って語っているようだけど、結局やっていることと言えば拉致監禁と大量殺人ってところか? 随分、美化しているみたいだな、自分の過ちを」
「心外だな。やっぱり分かってくれないか……。まあ、君らごときじゃ俺のことを理解できないのは当然か? 一握りの人間だけが俺のことを分かってくれればそれでいいんだけど、これだけは言えるよ。――過ちか、正しいか。それを決めるのは他の誰でもない自分なんだ。頭の悪い大衆の意見に流されない『自分自身』を持っている俺はきっと、誰よりも特別な存在なんだよ。俺は、どこにでもいない普通じゃない優秀で特別な人間なんだ」
自分は特別な存在だと、リーヴは本気で思いこんでいた。
(言っちゃ悪いが、物凄いたちの悪い『意識高い系』みたいな奴だな……)
今すぐぶん殴りたいところだが、湖のブラッドファングのせいで近づくことができない。
「肉食系の魚か……やっぱりこいつは俺達を始末するために、待ちかまえているんだな」
「………………」
「迂回できる道を探すしかないよ、おにいちゃん!」
「いや――」
後ろの草むらがガサッと音を立てる。
「どうやら、そんな隙を与えてくれるような相手じゃないらしい……」
背後にいたのは、牛の頭をして、それ以外は人間の身体に近いモンスターだった。鎖を鎧のように身に纏い、手に持っている斧へと繋がっていた。斧を投擲したり、投げまわしたりしても、手元に返ってくるようにしている。
【名前:ミノタウロス レベル:11】
シックス達の身長よりも1.5倍以上の体躯。体つきも尋常ではなく、筋肉の塊といったところ。まだ攻撃をしかけられていないというのに、圧倒される。上から斧を打ち下ろされる威力がどれほどか、皮肉にも、シックス達がダンジョンで鍛え上げた観察力がそうさせていた。
「君達のことは調べ上げている。確かにちょっと厄介なスキルを持っているようだが、弱点がある。――それは、二人とも有効的な遠距離攻撃を持っていないということだ。ここにいる俺に辿りつくことなく、君達は複数のモンスターに嬲り殺されることになるね」
「――やっぱり、湖の中の魚も、それからこの牛頭も、こいつの支配下にあるのか?」
複数のモンスターを同時に操ることができるスキル。その名は――
「『愛とはつまり支配欲』」
逃げ場は塞がれてしまった。
「俺のスキルはレベル24以下のモンスターを支配下に置くこと。ただし発動条件は24時間、24メートル以内にいなければならないこと。どんな強者でも、数の暴力には決して勝てない。勝てるのは、俺のシルフィちゃんのようなチートスキルを持っている奴だけなんだよ」
ミノタウロスを、シックスとアリスで協力して倒す。それから迂回する道は見当たらないが、なんとか探して時間をかけてでもリーヴのもとへ辿りつく。それこそが最善策。
あいつの目的の一つは、愛の障がいとなる邪魔者を排除することも含まれる。だから、シルフィを攫ったまま逃げないはずだ。だけど、
「んー、綺麗な髪だー。いいよ、二人で協力して倒しても。でもさー、その間に俺が何をするかわからないよ? 寝ていて何の抵抗もできないシルフィちゃんの至る所を舐めちゃおうかな。髪の毛から、胸、それに! やっぱり足首もいいよねぇー。ペロペロしたいよぉー、ずっとしゃぶりついていたいよぉー」
ハープを演奏するように髪の毛を触りながら、あからさまに挑発される。自制心の効かないリーヴは、ハッ、ハッ、ハッ、とまるで発情期の犬のように舌を出しながら呼吸を荒げている。いつ、シルフィの艶やかな髪を口に含んだり、柔肌を順々に口づけしたりするか分からない。
(そんなの、許せるか――)
はらわたがグツグツと煮えたぎりそうだった。
「背中は預ける」
「どうするつもり?」
「この湖を渡るんだよ」
「何言っているの? この湖を泳いでいったら、一瞬で食い千切られる! 迂回する道を探さなきゃ!」
「……そしたら、シルフィにどんなことをするか、分からない! 今がチャンスなんだ!」
「だからって、おにいちゃんが死んだら意味ないじゃない!」
「――死なないための策ならある。だけど、後ろを守ってくれる奴がいないと話にならない。だから――頼むよ、アリス」
「…………言い出したら、自分のことは曲げないんだから」
フッ、と諦めたように、アリスは嘆息をつく。
「行ってらっしゃい! おにいちゃん!」
「行ってきます! 義理の妹!」
強めに肩を叩かれる。
そして。
死の匂いが充満している湖へ足をつける。