17.シブキダンジョン 7
「いくぞっ! アリスっ!」
「うんっ!」
寝ぼけ眼をこすって、シックスは駆ける。あまり寝られずに、夜は明け、宿屋を後にした。早朝から行動を開始し、シブキダンジョンの第三階層へと至った。三回目の戦闘。今回はシックスとアリスの二人がかりで一匹のモンスターの相手をすることになった。サーチグラスで得た情報によると、そのモンスターの正体は――
【名前: オーク レベル: 4】
まるでゾンビのように肌色の悪い人型のモンスター。巨大な石を削った斧で攻撃をしかけてくるそいつは、豚のような顔をしている。だが、決して移動速度が遅いわけではない。むしろ直線の動きは猪のような突進力があり、その速さはゴブリンの比ではなかった。
初めてのゴブリン以外の敵。そして、今までエンカウントした中で最もレベルの高いモンスター。戸惑いはしたが、戦っていくうちにそれも霧散した。
「この個体は右手の斧が外れると、必ず右に視線をやる癖があるっ! きっと攻撃で生じた死角を気にしているからだ! だが、そのせいで左側に一瞬死角ができるっ! それを狙うぞっ!! アリスッ!!」
「分かってるってっ!! おにいちゃんっ!!」
初めての協力タッグ。二対一だから必ずしも有利になるわけではなく、息があってなければお互いが邪魔になってしまう。しかし、二人は兄と妹による阿吽の呼吸で、ジリジリとオークを追いつめていった。
シックスの足は羽のように軽かった。寝不足だと言うのに頭はスッキリしていて、巨体のオークと相対しても気圧されなかった。それどころか、負ける気などしなかった。隣に並び立ち一緒に戦ってくれるアリスがいるだけで、力が無限に湧いてきた。
「――これで終わりだ」
オークによる乾坤一擲な斧の一撃を、アリスが『冒険の記録』によって完全に無効化する。いきなり斧の衝撃がなくなって動揺したオークの無防備になったどてっ腹に、手を添える。それだけで全てが終わる。防御力を無視した内側からの即死攻撃によってオーク討伐に成功した。
「――だいぶ戦闘にも慣れてきましたね。たった一日二日で、連携がとれるようなれたのはかなりすごいことですよ」
「まだたまに乱れることがあるけど、それは鍛錬次第かな?」
「きっと、すぐにもっと精度の高い連携がとれるようになりますよ。お二人とも寝食を共にしていたこともあって、息ピッタリですから」
強敵であるオークを難なく倒したこともあって、自信をつけながらずんずん進んでいく。昨日の敵に怯えながら物陰に隠れていたが、今は角を曲がる時に、最低限注意するぐらい。通常時は道の真ん中を歩くぐらいに、シブキダンジョンには慣れた。
そして、ついに、ついに――出口へと辿りついた。
カビの生えている古い扉が眼前にあった。長いようで短かったダンジョン探索だが、終わりが見えてきたせいで足が重くなる。冷静になったせいで今までの疲労を思い出したようだった。ふるふると、頭を振ってシックスは踏ん張る。
先ほどまでの狭苦しい通路は終わり、後はぽっかりと広い空間。その先には光の漏れている扉がある。常に空に在中していた雨雲のせいで、より光り輝いている扉の前に――一つの宝箱が置いてあった。宝箱の外側には宝石がちりばめられていて、宝箱だけでも売れば相応の価値があるものだった。つまり、宝箱の中にはより価値のあるものが入っているということだった。
周りにはモンスターや他の冒険者の気配などはない。ダンジョン攻略成功の前祝だとしても、一体誰が宝箱を置いているのか。
「出口――の前に、これ見よがしに宝箱が置いてあるね……」
「ダンジョン攻略のボーナスってことかな? あれって絶対にあるものなのか? シルフィ」
「いいえ。宝箱の出現率は完全にランダムです。ダンジョンの構造が入る度に変わるのだって、中で他の冒険者とほとんど出会わないのだって、『創造主』の意図するところだと聴いたことがあります」
「創造主って?」
「ああ――ダンジョンを作った人間ってことですよ」
「ダンジョンを――作った? まさか、ダンジョンを創造できるスキル持ちか?」
「ええ、噂では。こんなダンジョン、スキルもなければ作れないですよ。個人ではなく、もしかたら複数の人間のスキルで造られているかもしれませんが……」
「確かに、ピラミッドとか城とかも人間が作ったっていって信じられないけど、入る度に構造が違うってなると……。単純に穴を掘って造ったダンジョンじゃないことは確かだよな。しっかし、ダンジョン創造主ってどこのマギだよ……」
ダンジョンを造り上げるスキルなんて、使い勝手が悪そうだが強力なスキルであるに違いない。使い方次第では地割れなんかも起こせそうだ。
「ダンジョンを作って、モンスターと戦わせて、ダンジョンアイテムをばら撒くようなこと、なんで創造主はしているんだ? 独り占めすればいいのに、まるで冒険者に力を与えるようなこと?」
「さあ、私には分かりません。ですが、少なくともダンジョン創造主はこの世にいないです。だって数百年前からダンジョンは存在したと言われていますから。仮に創造主がいたとしても、もう死んでいるとしたらその真相は藪の中です」
「ふーん、そうなのか……。なんだかこのダンジョン、ただの勘だけど異世界人が作ったような気がしたんだけどな。こういうダンジョン、異世界人好きそうだし。だけど、百年前じゃ、違うか? こんなダンジョンのゲーム、日本じゃ発売されていないだろうし」
再び、宝箱に視線をやる。光り輝いていて、今すぐにでも開けて中身を調べてみたい衝動にかられる。
「宝箱、どうする? 明らかに罠ですみたいな感じだけど、ミミックの可能性とかないのか?」
「ありえますね。ミミックは強力なモンスターです。危険ですので私が開けます」
「待て。俺のスキルだったら、どんな不意打ちで大ダメージを与えられても治癒できる。まっ、即死になりさえしなければ、の話だけどな」
「ですが――」
「大丈夫だって! もしも本当に危険だったら、シルフィのスキルで宿屋へ退散すればいいだけの話なんだから!」
「――分かりました、お願いします」
宝箱の前まで歩いていき、立ち止まる。どうやら罠の類はないらしい。こういう時は体外、今までの努力を根底から覆すための、落とし穴とかがあるものだったが、ないらしい。宝箱の縁に手を掛けるが、今のところ何の妨害もなかった。
宝箱が実は擬態していたモンスターで牙を剥く! といった展開もない。
「こいっ!!」
恐怖をかき消すように、大声で鼓舞しながら宝箱を一気に開くと――
「………………空っぽだ」
宝箱の中身は一切何も入っていなかった。あれだけ不安や期待を煽って、中に何も入っていなかった。体中の力が抜ける。
「既に誰かに獲られていたみたいですね」
「……なんだ、そういうことね。拍子抜けだな……」
宝箱獲得は早い者勝ちだから、こんな時だってある。
「それじゃあ、さっさとこのダンジョンから出よう――え?」
空の宝箱に気をとられていると、
いつの間にかモンスターに囲まれていた。
狭い空間の岩肌の影に隠れていたようだった。後ろの通路からもドッと押し寄せ、逃げないように出口を固められる。
それはゴブリンの大群。
ざっと見ても三十匹ぐらいはいて、その全員が敵意を持って睨み付けてくる。そして、今まで出会ったゴブリンと違うのは数だけじゃなく、何故かすぐには襲い掛かってはこなかった。
こちらの動きに合わせてあちらも動き、突発的に攻撃はしてこずに、手に持った棍棒で牽制していた。逃げ場をなくしつつ、こちらの出方を窺っているようだった。ゴブリンの方が圧倒的に数では有利だというのに、随分と慎重で、そして集団であるゴブリンが一つの個体となっているかのように、統率された動きをみせていた。それが、シックスにとってあまりにも不気味だった。
「なんだ、これは?」
「もしかしたら昨日、ご主人様が倒したレベル1のゴブリンが原因かもしれません」
「ゴブリンって、最初のあのゴブリンか?」
「あの断末魔の叫び――あれはきっと仲間を呼ぶためのものだったんじゃないでしょうか? ゴブリンにはピンチになった時に仲間を呼ぶ習性があります」
「最初に戦ったあのゴブリンが呼び寄せたっていうのか? だったら、この事態を」
「そうかもしれません。そして確実に私達を殺すために、こうやって待ち伏せしていたかもしれません」
「――計画的犯行ってやつか」
ダンジョンは出るたびに、迷路じみた行路はランダムに変化する。しかし、どれだけ変化しても、入り口と、出口があることだけは変わらない。その付近で待ち伏せしていれば、必ずゴブリン達は標的に会える。そう、同胞殺しのシックス達に――。
「ぐっ――アリスっ!」
「分かってるっ!!」
ただの一言だけ言葉を交わしただけで、意図は伝わる。これだけの人数、バラバラに戦っていては蹂躙されるだけだ。周りは囲まれ、退路はなし。ならば、背中合わせで戦うしかない。
長期戦はあり得ない。長引けば長引くほど人数が少ない方が不利になる。一人、十匹以上のモンスターを倒せばいいだけの話。お互いを信用して、後ろを振り向かずに眼前の敵を倒せ! そうすれば勝利は転がり込んでくる。
「行くぞっ!」
「うんっ!!」
サーチグラスでゴブリン達のレベルを把握すると、1、5、2、4、とバラバラだが、相手がどれだけ強かろうが関係ない。即死攻撃を持っているシックスにとってはレベルなんて無視して一撃で殺せる。
だけど、一気に掃討――という訳にはいかなかった。数が多いし、それに、一撃必殺の一撃を与えることがうまくできなかった。攻撃が休みなく続くし、死角から攻撃されるし、こちらが手を伸ばそうとすると退いてしまう。
何かが、おかしかった。だが、その何かおかしな点を、シックスはすぐに洗い出すことができない。
「――ちっ、シルフィはひょいひょい避けてるだけかよっ」
シルフィは相も変わらず、余計な手出しはしない。避けているだけじゃいずれ捕まるかと思いきや、未だに無傷。ゴブリン達も、戦闘意欲のないシルフィならすぐに倒せるかと高をくくっているのが、シルフィには人員を割かない。その代わり、他の二人の負担が多くなっている。
「だめだ……数が多すぎる……っ」
「ごめん。私のスキルは一度に一枚の写真しか使えない。だから、多人数の戦闘には向いていないの。だから――」
「だったら、俺がやればいいだろっ!!」
シックスが地面に手を当てると、ひび割れを起こす。いきなり出来上がった溝の中に吸い込まれるようにゴブリン達は堕ちて、そして再び地割れを元に戻す。まるで拷問具のアイアンメイデンのように塞がった地面からは、大量の血が噴き出す。
「地面を割っても通りにして――」
この、常に雨が降っているダンジョンだからこそ、柔らかくなっている地面をすぐに悪ことができた。ともかく、地割れに巻き込まれた複数のゴブリン達は死亡した。運よく生きていたとしても、生き埋めになって二度と出ることはできないはずだ。
「もう一丁!」
地面に手をやって再び同じことをするが、ゴブリン達は読まれていた。横っ飛びに避けられる。
「くっ――やっぱり、避けられたかっ!!」
避ける時の動きが俊敏だった。それに、避ける前に一匹のゴブリンが叫んでいた。後方に控えているそのゴブリンのレベルは10。二桁台はその一匹だけなので、眼についていたが、唯一そのゴブリンは戦闘に参加していない。さっきから鳴き声を響かせているだけだった。
「ちっ――」
もう一度地面を割ろうとするが、今度は試させてもくれない。頬を棍棒で横殴りにされる。そして、それを指示したのは恐らく、レベル10のゴブリンだった。鳴くタイミングで分かる。傷が痛むが、しかし、これで確証を得た。
「間違いない。指示を出している奴がいる。まじかよ……。ゴブリンに指揮をする奴が?」
「統率された軍団は戦闘能力が跳ねあがるのを、ゴブリンは知っているんです。一匹一匹は弱いゴブリンでも、最弱のモンスターだからこそ結束する必要性を知っています! まずは、司令塔を叩くのが先決ですっ!!」
「そ、そうはいっても――」
シルフィは簡単に言ってくれるが、アリスはたじろぐ。
「やらせてくれないよな、簡単には」
狙いを決めて、司令塔へと進んでいくが、そんなことゴブリンがさせるはずもない。レベル、8、9と、集団の中でも一番強い連中が侵攻を阻む。手痛いしっぺ返しをもらうせいで、もはや全身は傷だらけだ。
戦闘が開始してから、三十分以上経過――。
たったそれだけの時間しか戦闘していないのに、シックス達は憔悴しきっていた。頭を殴られ、流血もかなりしている。視界がぼやけ始めた。
「だめだ……勝てない……」
殴り合いの喧嘩ですらまともに経験したことがない人間が、命のやり取りを三十分も続ければ身体よりも先に精神がやられる。身体を本気で酷使するという経験も、シックスにはない。
(なにか、部活でもやっていればよかったかな)
陸上部で長距離選手になっていれば、もっと体力があったかもしれない。だけど、もう、傷だらけの腕をあげることすらしんどい。治癒の速度よりも、ゴブリンから喰らうダメージの方が大きい。傷の修復が間に合わない。
「――しかたないですねっ! 私が合図した瞬間、伏せてくださいっ!!」
「――! な、んだ? 一体何をするつもりだ!? シルフィッッ!!」
今まで静観を決め込んでいたシルフィがようやく動き出すようだった。ようやく宿屋に撤退をするのか? と、そうシックスが思い込んでいたら、
「私がここにいるゴブリンを一撃で殲滅します」
「は、はぁ!?」
「今ですっ!!」
「くっ! こんなことしたからって、一体何を――」
一応、シックスとアリスは言うとおりに伏せる。だが、シルフィの言葉を信じたからではない。他に選択肢がなかったから、藁にもすがる思いで言うとおりにしただけだ。むしろ、勝ち目のない戦闘に混乱してしまったのかと疑念を抱くほどだった。それなのに――
視界に入るゴブリン達の上半身は、全て一瞬で消滅した。
「なっ――!」
半分になってしまったゴブリンは、まるで壊れた噴水のように血を辺りに撒き散らす。レベル10の、あれだけ手こずっていたゴブリンもやられている。ゴブリン達が死ぬ直前にシルフィがやっていたことといえば、ただ手を振るっただけだった。
その時、空間が歪んだ。
一直線に歪んだ空間に吸い込まれるように、モンスターの姿は消失した。それは、明らかにスキルの応用だ。
「私のスキルは空間を作り出すスキル。私の空間を作り出す過程で生まれた空間の歪みを固定させることによって、世界を断絶することができる。つまり、『秘密の宿屋』は、相手の防御力を完全に無視することができる、絶対即死のスキルなんですよ」
「ぜ、全体攻撃で即死攻撃とか……そんなのただのチートじゃない……ラスボス級のチートスキルじゃないか……。今まで爪を隠していたのか?」
「私はただ、ご主人様達が戦闘慣れしてくれるのを待っていただけですよ」
元々はキャサリンの奴隷メイド。ゲームでのディーラー。そんな印象しか持っていなかったのに、ここまで戦闘に特化しているスキル保持者だとは想像していなかった。
「はっ! 喰えないなー。――っていうか、結局、全部いいところシルフィに持っていかれたな。俺のスキルも、シルフィと比較したら全然弱っちいしなー」
「まっ、いいじゃない。おにいちゃんに、回復役は任せるから」
「回復役って、だいたい後方支援になるじゃん! それが嫌だからこうして冒険しているのに! 結局は同じ道に進むのか!? 最悪だっ!! ああ、いいよ、もう! バーサクヒーラーとして名をあげるから!!」
ぐだぐだになりつつも、最後の障がいを突破した。だが、元の世界へ帰還するためのめぼしいダンジョンアイテムを得ることができなかった。それでも、貴重な戦闘経験を積みことができたし、たった一度の挑戦でシブキダンジョンを攻略できた。その経験こそが、今回一番の収穫であり、宝物となった。シックス達にとって大切なものとなった。
たとえそれが、全て他人の手のひらで転がされて得た偽物の宝物だったとしても。