14.シブキダンジョン 4
「それじゃあ、ベッドでお休みになりますか? それとも夕食になさいますか? それともシャワーを浴びますか?」
シルフィの宿屋で一晩を過ごすことになった。ここならばモンスターに襲われる心配がないので、見張りも必要なく、ストレスなく夜を明かすことができることになった。戦闘能力はないものの、一日、二日で攻略できないダンジョンにおいてはかなりのチートスキルだ。
「私はお風呂に――ていうか、シャワーって、シャワーヘッドがあるんですか?」
「はい」
「あの、そもそもどうやって? 動力源とかは? だって、確かに私、この世界に来てからお風呂入りましたけど、その水って井戸からくみ上げてましたよね? いきなり文明レベル跳ね上がってますけど」
「全てはダンジョンアイテムのおかげです。あまりに貴重なものなので、スティエラには置いていません。もしあったら、争奪戦が始まりそうですから」
「だ、だんじょんあいてむって、すげー」
ダンジョンアイテムの便利さに、小並感あふれる回答しかできなかった、
「それじゃあ、誰から入るの?」
「私は最後で大丈夫です」
「俺も後でいい」
「そ、そう? それじゃあ入るけど――のぞかないでね、おにいちゃん」
「あほか。同じ家に住んでいて、いままでのぞいたことなんてないだろ?」
「そ、そうだよね。それじゃあ、お言葉に甘えて、先に入らせてもらうね。あー、体中土埃だから助かります、ありがとうございます、シルフィさん」
アリスは、アイテムポーチから取り出したスマホを置く。
「あっ、スマホあったんだ?」
「まあね。おにいちゃんももってるでしょ?」
「あー、うん。でも使わないだろうからと思って、酒場に置いてきた」
「そうなんだ。私も普段は電源切って部屋に置いてるんだけど、何かに使えないかと思って。数少ない、私達の世界から持ち込んできたものだから、大切しないと」
「そう、だな。あとはチョコレートぐらいしか持ち込んでないな、この世界には」
「あっ、チョコレートって、私の? ほんとに!? 食べてくれた!?」
「ああ、おいしかったよ……」
面と向かって言うのはちょっと恥ずかしいので小声で言うが、それでもアリスには声が届いたようだ。
「……そっか。ありがと! 良かった。えへへ」
嬉しそうに笑うとアリスはシャワーを浴びに行った。チョコレートやスマホはポケットに入れていたから、シックスもこの異世界に持ち込むことができた。しかし、それだけだ。せめて筆記用具さえ持ってきてさえいれば、キャサリンとの戦いにおいて血文字を使わなくてすんだと思うと悔やまれる。
(だけど、異世界転移するタイミングなんて分かるはずもないしな……)
もしも、転移する時と場所が分かっていれば、サバイバルナイフやライターとかがあればかなり楽だった気がする。もしくはスキルが『ネットスーパー』とかならばどんなものでも仕入れることができたが、全ては過ぎたことだ。
「……ふーん。やっぱり、女って汚れとか気にするのか……。だったら、ダンジョンの途中でシャワー浴びられるスキルって最高かもな」
アリスが風呂に入ると聴いたせいか、服についている土埃が気になってきた。ドア付近で装備を外してから、汚れているところを手で払おうとした。
「あっ、私がやります、やらせてください」
と、シルフィが代わりに優しく、ついた泥を払ってくれる。雨が降り続けているせいで、泥だらけだ。それに、装備を外すのも手伝ってくれた。つける時もやってもらったのだが、何度されても慣れるものじゃない。本来なら、高校生にもなる年齢のシックスには耐えられない羞恥。だけど――
(なんか……母親にやられているみたいだ)
振り払うことはできなかった。義理の両親は別に悪い人じゃない。むしろ、とてもよくしてくれている。だけど、やっぱり距離はある。父さん、母さん呼びにはまだ抵抗があった。
だから、こんなこともされなかった。
本物の両親には子どもの頃された。だけど、健在だったときは面倒だった。家から出る時に、毎回ハンカチを持ったかとか訊いてくる親に嫌気が差していた。だけど、こんなどうでもないただの気遣いが、距離の詰め方が、シックスにとってはもう失ってしまった大切なものだった。
たとえこれが、家族の情愛ではなく、ただの奴隷と奴隷主との関係性によるものだったとしても。それでも、シックスにとって、二度と手に入れることはないと思ったかけがえのないもののような気がした。
「もちろん。ここの空間に干渉できるのは私だけのはずです。――もしかしたら、空間を飛び越えるスキルを持っている人間がいるかもしれませんが、少なくとも私は会ったことはありませんね」
「なるほどね。ダンジョンアイテムとスキル、やっぱりどっちもチートなんだな……」
土埃や泥など、ひとしきりの汚れは落とした。風呂に入れるのは独りだけで、このままぐっすり寝てしまいたい気もするが、手で払えない汚れがまだ身体にはこびりついている。せめてシャワーを浴びてから寝たかった。ということで、すぐに手持無沙汰になる。
「………………」
「………………」
二人して無言。
思えば、二人きりになったのはこれが初めてだった。酒場だと、いつも誰かがいるし、このダンジョン探索もアリスがいた。だからこそ、意識してしまう。別に、小学生並みの早さで惚れたわけじゃない。誰が相手でも、シックスは緊張していただろう。
裸になっている義理の妹がすぐ傍にいるということも、静寂の中響くシャワーの音でどうしても気になってしまう。
シックスの眼前にいるのは、シックスだけの奴隷だ。だから、どんなことをしても怒らないかもしれない。そう、どんなことでも――。
(いやいや、何考えているんだ、俺は? そんな、アリスにエッチなことなんて――)
「あの――」
「は、はいっ!」
シックスの声が裏返る。あと、何故か敬語になる。
「どうかしましたか? 凄い汗かいてますけど」
「いや、なんでもない、よ?」
「なんで疑問形なんですか? 大丈夫ですか? 本当に? 何かあるなら言ってください。私にできることだったらなんでもし――」
「え? 今、何でもするって言ったよね?」
「全部言い切る前に、喰い気味に!? そこまでして何か私にやって欲しいことが!?」
「ご、ごめん。ほんと、女の子と話したこともあんまりないものだから、数少ないチャンスをものにしないといけないって焦って――って、なんか自分で言ってて悲しくなってきた……」
「そ、そんなことありません! 楠男様は確かに女の子と話す時に目を逸らしたり、手が忙しなく動いたり、緊張のあまり汗をかいたりと、色んなところで女性に慣れていない感がみえみえで、観ているこっちが恥ずかしくなりますが、いいところだってたくさんあります! 具体的に言えば――――すぐには思いつか――あっ、そうです! 奴隷にでも優しく、普通に接してくれるところとか!」
「いや、あのとどめ刺してません? ものすごい背中から援護射撃してません?」
「すいません! 悪気はないんです! 悪気は! だけど、ほんとう、なんですよ?」
小首を傾げて上目遣い。メイド服の裾をつかんで、これから話すことに対して勇気を出すように、すー、はー、と呼吸を整えて、そして、
「私、楠男様のこと、本当に尊敬しているんです。違う世界から来たのに、こんなに早く私達の世界に適応して、あんなにスキルを使いこなして! キャサリン様とゲームで打ち克つ頭の良さもあって! だから、だから私……べ、別に誰にでもこんなこと言うんじゃありません……。他の誰かじゃなくて、楠男様だから言いますが――」
紅潮させながら宣言する。
「エ、エッチなことだって、経験なくても私――できますっ!!」
ゴォンッ!! と風呂場から大きな音が響く。
「なん、だ? アリスの奴なにかぶつけたのか?」
タイミング的に話を聴かれていたようだったが、水を流しているみたいだし、壁ごしだし、聴こえるはずがない。――と、スマホがチカチカ光っているのを、シックスは目視する。
(なんで、電源ついてるんだ? 手元にないなら電源消せばいいのに……バッテリーがもったいないな)
一瞬、スマホを二台使ってアリスが盗み聞きしているんじゃないかってあらぬことを想像してしまう。が、流石にそんなことはありえない、とシックスは胸中で断言できた。
(だって、わざわざ俺のスマホを勝手に持ってきて、貴重なバッテリーを消費し、俺を騙してまでシルフィとの話を盗み聞きする必要なんて、どこにもないもんな……。そんな手の込んだ……エ○マンガ先生のファッションビッチみたいなことするメリットがない。白鯨攻略できたのだって、ある意味スマホのおかげなのに、そんな重要アイテムをこんなどうしようもないことに、頭のいいアリスが使う訳がない)
「あ、あの、すいません、今、私何か変なこと口走りましたか?」
「いや、まあ、そうだな」
「わ、忘れてください! ちょっと本心が――あんなこというつもりじゃなかったんです」
「えっ……」
なんだか助かったような、ほんのちょっぴり惜しかったような複雑な感情になりながらも、それ以上は言及できなかった。何故なら、シックスはムッツリでヘタレだったからである。
「そ、それじゃあ、私は料理を作りますね」
「あっ! 俺も、何か手伝うよ」
どうにかして、普段通りに話そうと平常心を保つが、二人とも顔が赤いままだった。とにかく、手を動かしていないと、シックスはどうにかなりそうだったので、料理を作るという話は渡りに船だった。
「そう、ですか? 料理といっても、作り置きチャーハンを炒めなおすのと、あとはラーメンを作ろうかと思ってるんですけど?」
「ラーメン!? 嘘、この世界ってラーメンとかあるの?」
「はい、もちろん!」
「いいなあ。俺好物なんだよねぇ!」
「それはよかったです」
台所まで移動する。
ついでにアリスのスマホの電源がついてるかどうか確認したいが、本人のいない時に操作するわけにもいかない。もしも電源がついていて通話状態になっていたら、台所から近い位置にスマホが置いているため、盗み聞き続行されてしまうかもしれない。が、やはりシックスには何も手出しができなかった。
「ほんとうに手伝ってくださるんですか?」
「もちろん」
「それじゃあ、ラーメンの具材を切ってもらえますか?」
「ああ、分かった」
桶にある水で手を洗うと、既に用意してあった野菜や肉を包丁で切っていく。
「キャサリン様も変わってますが、楠男様も相当変わっていますね?」
「そう? っていうか、さっきから言おうと思ってたんだけど、俺のことはシックスでいいよ。名前変えちゃったし」
「すいません。ご主人様。それではこれからは、シックス様とこれからは呼びますね」
「謝らなくてもいいけど、そうしてくれると嬉しい。――というか、どこらへんが変わってるの?」
「そーですね。具体的に例を挙げると、奴隷と一緒に食事を作るというのが、ですよ。一緒の卓で食事をすること自体珍しいので」
「ああ、そんなもんか。まっ、日本には社畜はいても奴隷はいないからそこらへんの差別意識は皆無だな」
異世界転移してきた者の達の中には、きっと豹変して奴隷に鞭打つものもいるだろうが、その考えは口にしない方がいいだろう。
「……あの、やはり料理を作ることまで手伝ってもらうというのは……」
「いやー、俺が作りたいんだよ。それに、家じゃ料理あんまりしないし、今日話してたらたまには料理手伝った方がいいかなって思っただけ。きまぐれだよ。明日はもう手伝わないかも。アリスの方が断然料理うまいし」
「十分ですよ。喋りながら、それだけ食材を切れるんですから」
「そ、そう? そこまでいってもらえると嬉しいけど」
均一な長さに切らないと熱の通りが違ってしまう。喋りながら切っていたせいで、野菜の大きさが微妙に変わってしまっているが、シルフィにそう言ってもらえると気が楽になる。
「あの、」
「どうしたの?」
「すいません。あの、少し変な質問をしていいですか? その、同じような境遇の人間とばかり暮らしているので、他の方の意見を訊きたいんです」
「あ、ああ。いいよ。なら、異世界人代表として、色々答えられるかもな」
「そう、ですか。ならお聴きしたいんですけど――ご主人様にとって、妹ってどういう存在ですか?」
「妹? アリスのこと? なんだ、異世界とか関係ない質問だな」
「え、ええ」
「そ、そりゃあ、可愛いと思うけど――」
ゴン、ゴンッ! と風呂場から音がする。まるで壁ドンをしているかのような音だった。
「な、なんだ また風呂場から音が?」
「さあ? ぶつけたんでしょうか? やっぱり慣れないお風呂だから」
「そう、かもな」
風呂場から意識を外す。
「アリスのことは大好きだよ。世界で一番大切だ」
ドンッ! ドンッ! ドンッ! と、さきほどよりも一際大きい音がする。いくらなんでも誤って肩をぶつけた音ではない。故意に拳を壁にぶつけているような音が響く。
「なんか、叩き付けているような音がするけど」
「そ、そうですね。虫とかの類はいないはずですけど――」
「まあ、あいつは俺の家族で、妹だからな。だから大切なんだ。あいつがここにいるから、俺だってこの世界で頑張れるんだ。あいつのために、異世界へ帰る方法を見つけてやりたいって思うよ」
「そんなに、大切なものですか? 異世界人にとって、家族って?」
「うーん。俺は特別かも。両親は事故で死んで家族がいなくなったから。だから、俺の新しい家族になってくれたアリスのことは本当に大切にしたいって思えるんだ。一度失ったからこそ、その価値が分かってしまうなんて悲しいけどね」
「そうなんですね。私の両親も死んだって言いましたか? 私の両親はダンジョンのモンスターに殺されたんです」
「――そう、なんだ」
複雑な家庭環境だということは分かってはいた。だけど、モンスターに殺されたなんて無残な死に方をしたなど聞いていなかったので、シックスは言いよどむ。
「じゃあ、家族は?」
「他には兄がいたんですが、行方知らずです」
「――もしかして、両親に同行していて、行方不明になったのか?」
「いいえ、そうじゃないんです。私の兄は――――逃げたんです」
「に、げ、た?」
「はい。私の兄は健在でした。事故に巻き込まれず、私とずっと一緒にいました。両親がいなくなって、私達兄妹で生きていくしかないと分かって、兄がとった行動は信じられない行動でした。兄は全ての責任を放棄して一人だけ逃げたんです。財産全てをぶんどって――」
「そ、そんな、そんなことをするなんて――」
「私も当時同じことを思いました。何かの間違いじゃないかって。もしかしたら、いつの日か迎えに着てくるんじゃないかって思ったんですけど、兄は来てくれませんでした。捨てられたんです、私は。兄はとても優秀で周りから尊敬されていました。友人もたくさんいて、全てにおいて恵まれていた兄を、他ならぬ私も尊敬していた――だけど――優秀過ぎて、きっと、他人の傷みに鈍感だったんです、兄は」
「鈍感?」
「ええ。なんでもできるから、できない人間の気持ちが分からない。辛い想いをしたことがないから傷つきやすくて、そして、自分の手に負えないものにはすぐに見切りをつけて逃げてしまう。家族の情なんて気にせず、合理的に切り捨てられるほど、兄は優秀でした。そうして、私は奴隷になった。こんな何もできない私は、きっと、捨てられて当然なんです」
「――当然なんかじゃない」
「えっ?」
ギリッ、と奥歯を噛みしめる。
諦観すらしているようなシルフィの声色に、何故かシックスは怒りを覚えた。自分自身をないがしろにしてしまうのは、境遇のせいもあるかもしれない。
「そんなの優秀なんかじゃない。本当に優秀だったら、自分のことだけじゃなくて、妹もまとめて生活できるようにできたはずだ。お前の兄を貶すことになるけど、それでも言わせてもらえば、ただ臆病なだけだ。ただのダメ人間だ。そんな奴より、一人きりになっても野垂れ死にせずにここまで生きてきたシルフィの方が、よっぽどすごいだろっ!」
「…………………あ、ありが――あれ? なんで、でしょう?」
シルフィは辛いことがあっても、辛いとは言えない性分。だからずっと我慢してきたのかもしれない。ずっと同じような状況が続いたから我慢できていた。変わらないでいられた。だけど、日本から来たシックスという新しい存在によって、せき止められていたものが決壊した。変わってしまったのだ。
涙を、流していた。自分の両親が死んでから一度も流していない涙を。
「別に、辛くないのに。もう、泣かないって決めたのに。それなのに、なんで――なんで涙が止まらない……」
「……ほっとしたのかもな。他人に、あんまり話したことないんじゃないのか?」
「そう、かもしれないです。あの、すいません。ご主人様。お願いがあります。少しの間だけ、でいいですから」
「えっ? おい」
「少しの間だけでいいですから、こうやってていいですか?」
ふわっ、とした身のこなしで、シルフィは抱きついてくる。泣いている姿を見られたくないのと、それから、誰かに縋りつきたいのだろう。
(誰でもいいから抱きつきたくて、そしてたまたま俺がいたからそうしたんだろうな……)
シックスは両親のことを思い出す。死んでしまって、ショックで一年間ずっと部屋に閉じこもっていた。ひきこもりニートになっていた。学校に通うことも、外に出ることさえもできなくなってしまった。
(両親を失うっていう同じ境遇にいるシルフィも、もしかしたら俺と同じように苦しんだのかもしれない)
縋りたい相手を必要としているのはシルフィだけじゃなく、きっと、シックスもだ。家族を失って、自分の居場所がどこにも無くなった気がした。だけど、お互いに今、必要としている。それは、自分がいてもいい居場所を見つけたのと同じことなのかもしれない。そんな風に、シックスは一瞬で考えた。だから、シックスは腕を回して抱きつき返す。
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます」
シャワーの音がいつの間にか聴こえなくなっている。もう、アリスがいつ風呂から上がってもおかしくないとは思いつつも、どちらも背中に回した手を下すことはなかった。まるで気を遣って風呂から上がるのを待ってくれているかのようにそのまま沈黙の時間が流れていった。