10.冒険者登録
冒険者ギルド。
石造りの建物の中には、相応の装備をしている者達で溢れていた。全身に鎧をまとっているせいで顔が見えない者までいるが、その多くは街の人間達とはどこか雰囲気が違っていた。
身体のどこかに戦いの傷跡がついていたり、眼差しが厳しかったりする者が多い。死線を何度もくぐってきたオーラを発している。それなのに、
「うわー、マジで市役所っぽいなー」
どこか間の抜けた空気の読めていない声を発するのは、異世界人の楠男。
受付する場所があって、それに人々が一列に並んでいる。壁には報酬金の書かれたミッションの紙や、手配書がまんべんなく貼られていた。
「受付はあっちですね」
シルフィの案内で列に並ぶ。
列を整理するための番号札が欲しいが、そんなものはなかった。ここでなあ、ちょっといいか? このままじゃ列は全然進まないよな? とか提案すれば、そ、そんなこと思いつかなかった! て、天才だぁぁ! あ、あれ? 俺、またなんかやっちゃいました? という一連の流れを一瞬だけ楠男は痛い妄想したが、やめておいた。
異世界人であることがバレないように行動するべきなのは、散々忠告されたことだからだ。前の人達がいなくなって、ようやく受付嬢とご対面する。
「すいません。俺と、こいつ二人を冒険者登録して欲しいんですけど」
「はい。それでは、新規登録でお間違いないですか?」
「はい。それでお願いします」
ハキハキとしたよく通る声の受付嬢は、紙と羽ペンを取り出すと、
「では、冒険者登録の前に、どうして登録したいのかを聴かせてもらっていいですか?」
「えっ? そんなこと訊くの?」
楠男は思わず敬語を忘れてしまい、素で訊き返す。が、受付嬢はよく質問されることならしく特に不快感を表に出すことなく、事務的に返答する。
「はい。手続きには必要なことなので」
「ああ。俺もこいつも、ダンジョンへ潜りたいからです。あと、身分証代わりになるって聴いたんで」
「ん? お二人はもしかして別の街からここへ来たのですか?」
「……まあ、そんなところです」
「なるほど、分かりました」
異世界から来ましたとは口が裂けても言えなかった。
「(さっきから、勝手に羽ペンが動いてるけど、あれってスキルか?)」
楠男は鼻がシルフィの猫耳にくっつきそうなぐらい接近して、ひそひそ声で話しかける。
「(いいえ。きっと、あれはダンジョンアイテムですね)」
「(ダンジョンアイテムっていうのは、ああいうのもあるのか……)」
羽ペンはまるで自分の意志を持つかのように、流れるような動きをしている。紙になにやら必要事項を書いていっているようだが、かなり便利そうだった。インクが足りなかったら自動的に、足湯のようにインクへ必要な分だけ浸かっている。
ペンタブを使わないアナログな漫画家なら、重宝しそうなダンジョンアイテムだった。
「それでは、こちらにお名前をお書きください」
「……名前。それってここの言葉と違う漢字――いや、文字で書いてもいいんですか?」
「ええ。どんな文字でも登録されます。ただ、書き間違いをしないようにお願いします。再発行には時間がかかりますし、場合によっては適正審査を行うこともありえます。最悪の場合、半永久的な冒険者登録の権利剥奪もあり得ます」
「ええっ? 名前を間違えただけで!?」
「それだけではなりませんが、最近、冒険者登録の際に渡しているギルドカードを売買する方々が増えているんですよ。カードは身分証明書代わりなんですが、それを、裏でかなりの額で取引されているらしいのです。だから、再発行はなるべくギルドカードでもやりたくないんです」
「売買って……身分証明書を売って商売になるのか?」
「他人の身分証明書を使って犯罪行為をすれば足がつき辛いからじゃないでしょうか。今、大変なんですよ。最近の犯罪の流行といいますか……」
「へぇ、最近?」
「ええ。――噂によると異世界人がその犯罪方法を教えたらしいんです」
「い、異世界人が!?」
「異世界人の方の知識は私達の世界とは別発想のものが多いので、犯罪に使われることも少なくないんです。――正直言って、私は異世界人の方は嫌いですね……」
「そ、そうですか……」
さっきは調子乗らなくて良かったと、本気で安堵する。
「す、すいせん。私の話はどうでもいいですね。――とにかく、私達ギルド職員は、慎重に記入なさることを推奨しています。ですが、安心してください。初回は手数料、発行料はいただきませんので」
「……ごめん、なさい。ちょっと待ってくれますか」
「はい」
受付嬢を待たせ、ちょ、ちょっとと嫌がるアリスと、無言のまま従うシルフィをつかまえて、ちょっとばかり距離を取る。
後ろにも他の冒険者が列をなして待っていたが、そんなものは無視する。
「(なあ、シルフィ、ちょっと質問があるんだけど……)」
「(どうしたんですか?)」
「(これって偽名使っちゃだめなのか?)」
「えっ、偽名!?」
「(わっ、馬鹿っ! アリス、大きな声出さないでくれっ! 聴こえるだろっ!)」
「(――どうして、そんなことを?)」
「(俺達はちゃんとした名前を記入することで窮地に陥ったんだ。忘れたわけじゃないだろ?)」
「(あ、そうか……。『束縛の審判』は実名を記入することによって発動したスキル……。でもそれは――)」
「(あくまでたまたまですよ。発動条件が同じスキルと再び出会うなんて可能性はほとんど皆無だと思いますが……)」
「(それでも偽名は使ったほうがいい。――なんかRPGっぽいし……)」
「(それ、絶対に後者が本音でしょ!? あんなにこの世界は現実――みたいな中二台詞吐いてなかった!?)」
「(あくまで、ここにいる人たちのことは現実の人間と変わらないって言ったんだ。リスク回避のためにも、ちょっと名前変えて面白くするためにも、とにかく俺は別名義を書く。アリスは?)」
「(…………私は別に。自分の名前は気に入っているし、このままでいい)」
「(分かった)」
内緒話を終えると、楠男は再び受付のカウンターまで行く。
「すいません。お待たせしました」
「はい、どうぞ」
羽ペンを渡され、楠男とアリスはお互いに名前を書く。宣言通り、楠男は偽名として『シックス』と書く。
それが、楠男の新しい名前。
この世界での真なる名。
書き終えると、パァァ! と虹色の光芒が散ると、カードが虚空から出現した。それは、冒険者のギルドカード。証明書と同時に、ダンジョンへの通行書でもある。全てが始まるための鍵。
高揚しないはずがなく、ドクンドクン、とシックスの心臓は早鐘をうつ。
予約していたゲームを購入した時の数倍の喜びに浸る。シックスと、それからアリスが自分自身のギルドカードを受け取る。それからすぐに、シックスは冒険者ギルドから飛び出す。ギルドの中にはテーブルもあったが、他の人間にこれからのことを、万が一でも聴かれたくない。異世界人であることを隠すためにも、歩きながら話す。
「ねぇ、なんであの名前にしたの? 数字の6? あんまり縁起良くないでしょ? どうして、魔人探偵と戦う新しい血族を率いる『絶対悪』みたいな名前にしたの?」
「いや、適当な名前にしたんだけど……。江藤のさんずいの部分をカタカタの『シ』に見立てて、楠男の『クス』。それらを合わせて『シックス』。憶えやすいし、分かりやすいだろ?」
「うわー、安易。――っていうか、これどこに向かって歩いているの? 酒場へ帰るなら逆方向だし、こっちの道、おにいちゃん知らないでしょ?」
「いや、適当。ギルドじゃ、大声で話せないから適当に歩いていただけ」
立ち止まる。
ここからは目的地を決めてから動かなければならない。
それにはここにいる全員の総意によって、歩く方向が変わってしまう。
「これでダンジョンへ行くことができるようになりましたね。どうしますか? どうせだったら、今からどこか手頃なダンジョンに挑戦しますか?」
「そう、ですね。それがいいかも……。そのために来たみたいなものだけど、どうする? いつ行く?」
「どこかで装備を整えれば、すぐにダンジョンへ行けますよ。街のすぐ近くどころか、町の中にだって、ダンジョンの入口はありますから」
「…………」
キャサリンがシルフィを連れて行くように命じたのは、これからダンジョンへすぐに行くことも想定したためのはず。だったら、今から行くべき目的地は決まっている。
「そうか。だったら、今すぐ行こう! ダンジョンへ!」