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カーテンの向こう側

作者: 七草せり

病院には様々なドラマがある。

自分が入院して初めて分かること。


四人部屋の隣の患者さん。私が入院する前から居た人。

ご高齢のその人は、独身で身寄りは弟二人。その姉弟の長女のおばあさんは、口をきく事も、自分でトイレに行く事も、ご飯を食べる事もできない。

1日数回のお腹に直接入れる栄養が生きる上で欠かせない生命線。


今回私も手術を受けたけれど、そのおばあさんに比べたら、多少のリスクはあっても元通りの生活に戻れるのだから、何とも言えない気持ちになった。


カーテンの向こう側。開く事はあるけれど、私からは見えない。

会話も看護士さんや、主治医、面会の人が一方的に話し、それを聞く。唯一動かせる右手でノートかホワイトボードに文字を書いて意思の疎通をはかる。


度々自分が鳴らすナースコール。看護士が来る度に申し訳ない。有難うと書いているらしい。


時々凄く待たされるけれど、再度押す事は滅多にしない。ただじっと来るのを待っている。


面会に来る下の弟さんと同居していて、退院後の心配をしきりにしている様子だった。


弟さんは仕事をしているのかしていないのか分からないけれど、ふらりと現れては飼い猫の話をしきりにしたり、他愛ない会話をしたり。


私はご飯が食べられる。他の同部屋の患者さんも食事ができる。


「今日は○○ですね。 美味しそう!しっかり食べて下さいね」


何て会話をどんな気持ちで聞いているのか。私には当然分からない。



私の手術当日、不安と緊張で涙が溢れた。

怖い。やめたい。逃げたい。


ふと隣を見る。閉じられたカーテンの中、私や家族、患者さんの会話を聞いているのだろう。いやでも聞こえる。

けれどその時は申し訳ない。騒がしくしてしまった。


初めて受ける手術。止まらない涙。家族に見送られ手術室に入った。


数時間後、目が覚めたのは集中治療室。無事に終わった。良かった……。

けれど、息が苦しい。

鼻から入れる内視鏡の手術。当然口呼吸になる。


家族の面会後、身体の暑さ、鼻の苦しさ、点滴の入った左手。唯一動く右手で鼻から漏れる物を拭いたり。


とにかく苦しくて。口が渇くし何度もうがいを患者さんに頼んだ。カラカラにかわいた口に水を含むが潤う事はない。一体どうして?あまり動かない身体の向きを変えてみても、眠れる点滴をされても、身体が暑くて。隣のカーテンの向こう側からはテレビの音が聴こえてくる。耳をすませテレビの音をひろう。

お隣はおばあさん。多分、いや確実に自分の居る場所が分からないみたい。それでも運ばれる食事を有り難く食べている様子。

私は水さえ飲めないのに……。

こんなに苦しいのに……。


眠れぬ夜を過ごす。後どれ位で朝になるの?閉じたカーテンからは時計が見えない。


申し訳ないけれど何度も押すナースコール。渇いた口を潤して、ひたすら耐える。暑い。水が欲しい。身体が怠い。いつまで続くのだろう。


長い夜を過ごして、時々点滴や、身体のチェックをされて。



やっと迎えた朝。それでもしんどい。苦しい。

病室へ戻る為の準備やら検査やらを、動かない身体でされて……。


ああ、隣のおばあさんはこんな感じなのかな?なんてふと思ってみたり。


病室へ戻っても寝たまま。起きられる気がしない。

食事なんてもっての他。ただ、水を飲んだ時、有り難く思えた。

自由に動かせない身体。暫くうとうとする……。相変わらず隣をカーテンの向こう側はナースコールが鳴ってる。

えいっと思い切って起き上がる。なんだ起きれるじゃない。ふらふらするけど大丈夫だ。


隣のおばあさんはリハビリのため、時々車椅子に乗るらしい。それも一苦労なのだろう。きっと疲れるに決まってる。

車椅子には乗れるけれど、右手以外不自由。言葉も発する事ができない。

私はたった一晩でさえあの苦しみをすんなりやり過ごせなかったのに。


「苦しい。 辛い。 暑い……」

言葉で訴えてうがいの為に水を口に含んで、しのいで……。

どういう病気で、いつ言葉を話せなくなったのか、お腹に栄養をいつ入れる様になったのか分からないけれど、たった一人我慢して、枕の位置を直すのも、身体の位置を変えるのも、トイレも何もかも一人ではできず誰かに頼り、申し訳ないと謝ったりお礼を文字にしたり……。これから先もそんな風に生きていくのだろうか。


隣のベッドでそんな事を考えた。

退院後不安なのだろう。しきりにケアマネージャーさんに連絡してと弟さんに訴えていた。

弟さんは「大丈夫。 心配いらないって!連絡ちゃんとするから」


そう言った後直ぐに猫の話をしていた。

飼い猫が何処かの猫と喧嘩したとか、もうボケてきたとか、ねーさんが帰らないから寂しいだとか。

帰ったとしても、猫はおろか自分の世話さえできない。可愛い猫を抱きあげ、餌をあげ……。当たり前の日常が当たり前ではなくなって、自分一人では生きていけなくなって。

物を食べて美味しいとか、街を歩いて楽しいとか。そんな風に思う事もできないのだろう……。


病室の窓から見える景色の下で、色んなひとが自由に歩いている。

何を思い、考えているのだろうか。そんな事に思考を巡らせた。


自分の退院が決まって、嬉しくていそいそと帰り支度に取り掛かってはっとする。

退院が未確定で、尚且つケアマネージャーさんと家族とこれからの事を考え決めていかなければならないだろう。

他人事。いや、違うかも知れない。

自分は子供がいるけれどあてにならないなぁ。何て考えたり、もしも自分だったら。それも思ってみたり。

病気にならない保証はない。そして歳を重ね、老いていく。それも止められない……。

どんな風に老後を迎えるのだろうか。

自分の将来に不安を覚える。本当に決して他人事ではなく、いつどの様に自分に降りかかるか分からない。

違う形で何かがあるかも知れない。今回の入院手術も全くの予想外の出来事で。やっぱり人間何があるか分からないと思った。


カーテンの向こう側には人の人生があって現実があって、生活があって。皆それぞれに抱える物は違うけれど、それぞれに多くを抱え生きていて。様々な事を思い考えていて。

病室を後にする時にふと隣を見て、これからどうなるのだろうか。ちゃんと退院できるのだろうか。

そんな事が頭を過ぎり、そして荷物を持って家路に着いた。


「ただいま」 その言葉を発する自分は幸せなんだと改めて感じた瞬間。やっぱり我が家が1番だって心から思えた。


願わくば、カーテンの向こう側の現実が少しでもより良い物にと、まったくの他人のこれからを案じた。

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