入学の日 【3】
ちょっと短め
夕日が窓から差し込んで来る部屋の中に映画のテーマソングが流れ始め、テレビにはスタッフロールが映り、それを見ていた三人はふぃーと息を吐いた。
「いやぁ、やっぱり面白いねぇ、この映画。シリアスとギャグシーンが一緒に入ってると満足感があるってものです」
「ハルも悠奈も好きだよな、パイレーツ。海賊ものシリーズ全部が賞を取れるってのもまあ、凄いと思うけど」
「俳優がいいんだって。はー、ブルーさん最高だわ」
各々が感想を述べていると、下の階から三人を呼ぶ声が聞こえてきた。丁度夕飯の時間らしく、ドアを開けるといい匂いが漂ってくる。陽菜がだらしない顔をしながらふらふらと先に歩いていき、それを見て呆れながら悠奈がついて行き、苦笑いしつつ行人も続く。
居間に着くと、莉子がエプロンを外しており、テレビを見つつビールの蓋を開けている、関家の大黒柱こと関大輔が待っていた。
「おぉ、父さんおかえり」
「ただいま。というか気付いてなかったのかい」
「とーさんおかえり」
「パパさんお邪魔してまーす」
「お、陽菜ちゃんもいたのか。今日はいつもより賑やかになりそうだな」
からからと笑う大輔からビールをもらって、莉子がコップにビールを注ぐ。三人も席につき、全員で手を合わせた。
「いただきます」
『いただきます』
食事の挨拶をして箸を取る。陽菜は目をキラキラさせながら中央の皿を見た。
「回鍋肉ですかぁ、いいですねぇ」
「んむ、ぃぃな」
「兄ちゃん口に詰め込んで喋らない方がいいって。もごもごしてるぞ」
「ふぁー……回鍋肉にビールはいいな。行人、俺の分は残してくれよ」
「みんな凄い食べっぷりだこと。あ、ハルちゃん。裕美ちゃんそろそろ来ると思うわ」
「わ、やった。今日は何でしょうかね」
陽菜が関家に来ている場合、基本的に夕飯に橋本家がお邪魔するのが恒例となっている。その時は必ず裕美がおかずを一品作って持ってくるのが基本の流れである。裕美の日々の楽しみが料理とそれを食べる陽菜と悠奈、行人の反応なので、とても美味しいものを作ってきてくれるのだ。
そうこう話している内にチャイムが鳴った。莉子がささっと出ていき、裕美を迎えた。
「お邪魔しまーす」
「お母さん、今日はちょっぴり遅かったね」
「お肉煮込むのに時間かかっちゃってねー。ゆーなちゃんもユキくんもこんばんはー」
「こんばんは裕美さん」
「ばんはー、裕美さん。今日のおかずはなんでしょーか」
「うふふ、今日は豚の角煮よ。はいどうぞ」
持っていた鍋をテーブルに置いてふたを開けると、じっくり煮込まれてつやつやした豚の肉が入っていた。覗き込んでいた陽菜と行人はおぉと言って目を輝かせた。それを見て裕美は嬉しそうに笑う。
「ほら、行人お皿」
「ん、ありがと。とりわけんべ」
「やったぁ。ユキ兄、私の先にぃ」
「あいあい。ほら」
「えへへ……んむぅ! んまんま!」
「はい、取り分け終了。……んまー。んーむ」
取り分けてもらった肉を食べて幸せそうにする陽菜と行人は、この家では日常的な風景である。この二人はとにかく食べ物をうんうん唸りながら幸せそうに食べるため、彼らが食べているのを見るのが、二人の母の楽しみなのだ。
「裕美ちゃん、いつもありがとうね」
「いえいえー、私もお世話になってますもの。私もいただきますね」
母二人は楽しそうに会話しながらご飯を食べ、娘や息子は夢中になってご飯を食べる。その風景を見ていた大輔は、何となくほっこりとした気持ちになり、ふっと笑ってビールを飲んだ。
「あ、父さん。注ぐよ」
「おぅ、かたじけのうござる」
「お代官様に手酌など、おほほ」
「何してんだ兄ちゃんもお父さんも……」
馬鹿っぽい会話もまた、日常なのである。
◆
「ふー、さっぱりした。ほい、アイス」
「ありがとおかえりぃ」
「毎回思うんだけど、風呂上がりで俺の部屋に集合するのは何故なんだ」
「なんでだろうねぇ。あーむ」
夕飯を食べ終えてお風呂に入った陽菜と悠奈は、行人の部屋でくつろいでいた。毎回のように彼の部屋にいつくのは、ひとえにゲームがたくさんあるからである。寝るまで国民的すごろくゲームをやるためにいつも集合している。
「じゃあ俺も風呂入ってくるから、適当に遊んどいて」
「はいはーい」
「うーい」
行人が着替えを持って出ていくと、陽菜と悠奈が怪しく目を光らせた。
「本日の物色たーいむ」
「いえー」
両手を掲げた陽菜にパチパチと拍手する悠奈。彼の部屋に入ると毎回やっている、お宝探しのコーナーである。彼女たちが中学に入り始めてからやっていることだが、未だに秘蔵のナニかは見つかっていない。
「前回はユキ兄の卒業アルバム見て盛り上がっちゃったから、今回こそ探し出すよ!」
「兄ちゃんの秘蔵本は本当にあるのか分からないんだけど」
「何をおっしゃるゆーなさん! 見つかるまでさがすのです!」
「自分で言うのもなんだけど、非常に質が悪いよね、コレ」
やる気満々の陽菜はベッドの下を覗きこみ、悠奈も苦笑いしつつ本棚の後ろを覗いた。
「んー、やっぱりベッドの下はないかぁ」
「収納ボックス付きのベッドだし隠しやすいとは思うんだけどね。本棚の裏もないなー」
「タンスは見ちゃう?」
「前にやって兄ちゃんのパンツで大騒ぎしたからなー……」
一度初めて見る男のパンツを見ておぉーと興奮し、二人で盛り上がっていた所にパンツを忘れた行人が戻ってきて、それはもうタンスに足の指を全てぶつける並の痛々しい言い訳をするという事件があったため、とても慎重になっている。因みに事件の時は中学一年だったため、思春期なら仕方ないということで行人から許されている。
「あの時の言い訳は凄かったねぇ」
「『思春期が集中して保険体育の勉強を!』とか言ってたなー……。まさか男物のパンツであんなに盛り上がってしまうとは思わなかったけど」
「ユキ兄のパンツが悪いんだよ。無駄にお尻になんかペイントみたいなのあるんだもん」
「確かにあれは卑怯だったよなー! 女のやつなんてそういうのないし」
「漫画でよくある、縦の縞々のヤツだと思ってたよねぇ」
一通りパンツ談義をしていると、テレビで次の番組が始まり二人はハッとした。
「しまった! また時間を無駄にしてしまったぁ!」
「うーん……時間無いし、どこか一つだけあさっちゃおう」
「そだね。どこがいいかなぁ……」
二人でキョロキョロしながら部屋を見ていると、悠奈がああっと大きい声を出した。陽菜が何事かと振り向くと、パソコンを指差していた。
「そういえばパソコン調べてないじゃん! 部屋にないなら絶対ここっしょ!」
「確かに! ゆーなん天才だぁー!」
二人でウキウキとパソコンを起動させると、ホーム画面ではなくパスワードを入力する画面が出てきた。それを見た二人はピタッと固まった。
「……これ、パスワードわかる?」
「知らない。ゆーなんもだめ?」
「うん。聞いたときない」
「………」
「………」
どちらも黙りこくってしまうが、時間が無かったのでとりあえず適当に突っ込むことにしたようで、誕生日やら何やらをカタカタと打ち込み始めた。
しかし、二人の表情はとても固かった。それは、今持っている携帯電話がパスコード式で、何回か入力をミスすると使えなくなる仕様だからである。このパソコンも最近のだからそういうのだと思っているため、緊張しているのである。
「とりあえず誕生日っしょ……えーと、ぜろ、はち、いち、きゅう?」
「あってる? ……あ、違うって出た」
「じゃあ、陽菜の誕生日を入れようか」
「それでダメならゆーなんね」
「うん」
春先にもかかわらず、爆弾を解除している処理班のように慎重に真剣に入力しているため、顔に汗がにじんでいる。最早、二人は行人の秘蔵のモノを探すという目的を忘れているようである。
「全部ダメかー! もうチャンス少ないかなー?」
「これ以上やっちゃうとロックされるかもだし……やめとく?」
「うーん……でも気になるよなー」
「でもでも、パソコンっていう重要なアイテムを見つけたのは新しい一歩だよゆーなん!」
「んー、うん、それもそっか。よし、じゃあまた今度頑張ろう!」
「おー!」
「何を頑張るってぇ?」
誰かが手を上げた陽菜と悠奈に声を掛け、二人はビシリと固まる。ギギギと油をさしていないロボットのような動きで声がした方に顔を向けると、そこには風呂上がりでアイスを持った行人がいた。少し呆れ顔である。
「あ、えと、ユキ兄、おかえりぃ」
「お、おかえり、兄ちゃん」
「おう、ただいま」
何もなかったように部屋に入り、座椅子に座ってアイスを食べ始めた。陽菜は分かりやすく動揺してキョロキョロし、悠奈はかなりビビっている。普段怒らない行人がパンツ事件でちょっと怒ったからで、それを思い出して俯いていた。
アイスを食べつつゲームの用意をしていた彼が、ふいっと彼女らを見た。
「二人ともパソコンやってたのか?」
「んふぅ。……あ、う、うん」
「はい……」
「何でそんなにビビってんだ……? というか、二人ともパスワード知らないよな? 使えたのか?」
「え? あ、うん、使えなかったケド……」
「何だ、言ってくれればよかったのに。後で教えるわ」
「んえ?」
「ん?」
陽菜と悠奈が思っていた話の流れと違って、二人は困惑していた。行人は何故この子らはこんなにもビクビクしているのか分からず、困惑していた。奇妙な錯綜が始まっていたのである。
「ほら、やるんじゃなかったのか、スーパーすごろく対戦」
「あ、うん、やる、やるよっ」
「う、うんうん、やるやるっ」
「何か今日は変だなお前ら。入学式でテンションがふっとんでたりするのか?」
「うん、そう、そうなの」
「そかそか。まぁ、高校入学は盛り上がるもんなー」
蓋を開けてディスクを入れ替える行人を見て、二人はふぅと息を吐いた。
「やっぱりユキ兄だなぁ」
「うん、兄ちゃんだな」
二人でうんうん頷きながら行人の評価を上げている姿を見て、また首を傾げる行人であった。