喪失者 白鳥 恵子 Lv.3
「……酷いこと?」
再び聞いた。本気で意味がわからなかったから。
その勇ましい、剣さえ握れればなんでも倒せると思ってそうな男の子は、震えながら口を開いた。
「そんなことしなくたっていいだろッ!? ゴブリンだって生きてるんだぞ!」
ゴブリンは生きてる。
生きてるから攻撃しちゃダメ。
は、なんだそれ。まさしく子供が思い付きそうな理論だ。
さて、何て言って逃げるか。……いや、それとも──。
「君は、ゴブリンに捕まった人の末路を見たことがある?」
「今そんな話をしてるんじゃない!」
「私は見たことがあるよ。私はそうなりたくないから、ゴブリンを必死に、頑張って倒してるところなの」
「だからって目を!」
「そうしないと、お姉さんじゃ勝てないんだもん。ゴブリンって意外と強いね」
目潰しを見たのは初めてなんだろう。いや、ゴブリンの目潰しを見たのは初めてなだけで、きっとドラゴンの目潰しなら聞いたことくらいあるだろう、英雄譚とかでよく剣を突き刺してるのを見るし。
ゴブリンとドラゴン。一般人と英雄。剣と素手。
対象や一部分が変わってしまえば、同じことをしても結び付かないものだ。人間って都合よく考えるところあるよね。
言いたいことがあるんだろう。男の子は口を開いては、閉じ。それでもまた開いた。
「……ゴブリンだって、生きてるんだぞ?」
え、うん、それが?
そうだね、魔物たちも生きてるね。だから殺しちゃダメなの? なら私は何を倒してレベル上げれば良いの? なにもしないで死ねってこと? 三回目の死だけは嫌なのに、こんなところで死ぬわけにはいかないのに、嫌で嫌でもうあんな思いしたくなくてだからここまで必死に頑張って考えて考えてやってきてるのに相手のことを思いやってる暇がないことも楽観視しただけでぽっくり死ぬような世界だっていうのになんでなんでなんでなんでなんで。
…………落ち着こう。
目の前のコイツは、私の事情を全く知らない。私もコイツの生まれ育ちなんて全く知らない。
関わらない方がいい。向こうがそれをわかってないのが問題だけれど。
両目を押さえることもせず、小さく痙攣していたゴブリンを掴む。そのまま男の子の前へと投げ捨てる。
どちゃりと、地面にぶつかったせいで目が覚めたのか両目の痛みでのたうち回る。
「……可哀想なゴブリンを、その剣で救ってあげたら? それとも、生き物を殺したことは無いのかな?」
私は、今どんな顔をしているのだろう。
頬に触れてみても、ゴブリンの返り血が固まりかけていたことしかわからない。
一方、男の子はわかりやすい。剣を私に向けていたというのに、ゴブリンを殺せと言われた瞬間に後ずさった。
自分の手元の剣を見て、瀕死のゴブリンを見る。もう一度剣を見てから、私の方を見てきた。思った通り、殺しをしたことはないのだろう。
はぁ、萎えた。
とりあえず武器は回収したし場所を変えよう。川か湖か……とりあえず返り血を洗い流したい。
男の子に背を向けて、歩き出す。
「ま、待て……!」
待つわけがない。私の少ない寿命を、こんな奴に使ってる暇はないのだから。
「絶対に、お前を止めてやる……っ!」
「……止める?」
レベル3の私と同等、もしくは多少向こうの方がレベルが高いはずなのに、随分と甘ったれたことを言う子供だ。
そして、『お前』と呼ばれるのは嫌いだった。
「私は恵子だよ」
「お、俺……は……アジュール」
アジュール君、ね。よし、覚えた。
ポケットから槍を取り出すと、クルリ。手元で回す。
たったそれだけで思考が戦闘モードへと切り替わる。槍を回すのをルーチンとして、戦闘前にこまめにやっていたのは、このためだ。
咄嗟の時でも、すぐに思考を切り替えるため。
再び、クルリ。クルリと回し、穂先をアジュール君へと向ける。
「次に余計なことをしたら殺すから。……もう会わないことを願うよ」
「ぁ……」
腰を抜かした様子で、アジュール君がへたり込んでいる。
一瞬、放置して大丈夫だろうかと考えたが、そのまま死ぬようならばそれはそれ、だ。
てくてく。森をまっすぐに進む。
特に目的地があるわけではないけれど、逃げるように前へと進む。
「……ん、これ、薬草だったかな?」
少し開けた場所に、薬草の群生地を見つけた。
たしか、ギルドランクを上げるために必要なんだっけ?
生えているのは10本ほど、しかし、全部取っていいものか……。依頼に必要なのは……5本だったかな。なら、5本だけ採取しよう。
採取した薬草をポケットに入れようとするものの、入らない。
あれ、おっかしいなぁ。13種類目のスピアーが入ったから拡張されたっぽいのに、入らない。
ステータスを開いて数を数えてみると……うん、確かに13種類。槍を取り出してから薬草を入れてみると入る。5束の薬草がポケットに消えた。
つまり、あれかな。
アイテムボックスにもレベルがあって、なんらかの条件で拡張される……。今回の拡張は1種類入る分の拡張。
なんか、ソシャゲを思い出すね、こういうレベルで少しずつ機能が拡張していくの。
拡張されてないか確認するのもめんどくさい、どこまで拡張されたかも確認しないといけないから機能拡張したときにでもポップアップして教えてくれないかな……。
さて、薬草も採ったし、そろそろ戻ろうかな?
薬草をギルドに渡して、ゴブリン討伐の報告をして……。後は宿屋とかに部屋を借りて、そこに必要ない荷物を置いておきたいね。
ギルドランクを上げるには、確かダンジョンの1階層の突破が必要なんだっけ?
ふらふらと歩いていたら、ゴブリンの目の前を横切ったようだった。いきなり木の影から出てくるそっちが悪いよね。
叫ばれる前に蹴りを叩き込み、槍をクルリと回す。
……だめ、まだ気持ちを持ち直さない。
クルリ、クルリ、クルリ。手元で回し、背中を通して左腕へと回し、さらに左腕でも回してから構える。そのままゴブリンへと突き。
「ギャアア!?」
断末魔の声をあげて、ゴブリンは死んだみたいだ。けれど、断末魔が聞こえたらしい。
追加でゴブリンとゴブリンリーダーが1体ずつ現れた。
コイツら、群れでも作って行動してるのかってレベルで一緒にいるな……まあ、経験値的に美味しいからありがたい。
飛びかかってきたリーダーの剣を払い、遅れて攻撃してきたゴブリンの腕へと蹴り。
蹴りの勢いで回転しつつ槍を振りかぶり、スイング。ひゅーんと飛んだ打球は木にぶつかって止まった。
……仕留められなかったか。
バックステップ、リーダーの振るう剣はギリギリで私を捉えた。前腕部にうっすらと線が入り、玉のような出血が数ヵ所できる。次は半身になって降り下ろしを避ける。
振りかぶって、槍へと魔力を注ぐ。……いけるか?
「刺突ッ」
「グギャァァ」
うっすらと、それでも赤い螺旋エフェクトがかかった突きがゴブリンの胸部を捉える。
代わりとばかりに、リーダーの剣は私のお腹を強かに打った。斬れはしなかったが、その衝撃で中身を掻き回されたようだ。
不快感が込み上げるが、倒れるわけにはいかない。
穂先が刺さったままのリーダーを持ち上げ、近くの木へと叩きつける。グチャリと右腕を潰し、体力を削りきった。
「ふぅぅぅ…… まだ、やれる……」
残るはゴブリン1体、それも瀕死だ。
相手の振るうこん棒をひらりとかわし、その首を掴み、引き倒す。そのまま後頭部を踏みつけて背中へと三回の突き。
一回目で断末魔をあげた。
二回目で大きく痙攣し、動かなくなった。
三回目ではもはや何も反応を示さない。
ゴブリンを圧倒できるようになってきた、かな。
そろそろ場所を変えることを考えてもいいかもしれないね。寿命と経験値、それからリスクを総合するとレベル5か6あたりまでが限度だろうか。
ポケットから低級の回復薬を3本取り出す。
1本を腹部にぶっかけ、2本目を飲み、3本目は頭からかぶる。
不思議パワー的な何かで、普通の水と比べると、早く乾くんだけど、どうにも慣れないというか、臭くなりそうで嫌というか。
ああ、お風呂入りたい……。
「ん、ドロップアイテムかな?」
ゴブリンたちの落としたお金を拾っていたら、あのリーダーの使っていたボロボロの鉄剣が地面に転がって、消えずにいた。
……新品同様だったら迷わずに持って変えるんだけど、ボロボロだからどうしようかな。アイテムボックスは満杯だし、鞘がないから鞄に入れるのは嫌だし……。
いや、でも売ったら多少なりとお金にはなるかな。回復薬を鞄に移せば一枠くらい空くはず。
アイテムボックスの整理をしてみると、予想通りに枠を空けることができた。
けれど、鞄のなかでガラスの擦れる音がするのが、とても怖い。鞄もほぼ満杯だ、入っても回復薬あと1つだろう。
さっさと街へと戻ろう。少し休憩もしたい。
ふらふらと歩いていると、ようやく森を抜けたようだ。
遠目に門が見えるから、そっちに向かおうとするけれど、道中にゴブリンが2体だけいた。
2体なら、倒しちゃおうか。そう思って鞄を下ろし、槍を構える。
ゴブリンたちもこちらに気づいたようで、こん棒をぶんぶんと振り回しながら近づいてきた。
こん棒を左腕で防ぎ、足払い。仰向けに倒れたゴブリンの胸部へと槍を突き刺しす、同時に右腕を踏みつけておく。
もう一体のゴブリンの攻撃を槍で受け止め、弾くように押し返す。たたらを踏んだゴブリンが戻ってくる前にコイツに止めを刺そう。
足の下でじたばたと暴れるゴブリンの頭へと石突きを叩き込むと、骨を砕く乾いた音と血肉の溢れる水音。それから──ファンファーレ。
「……えっ」
『残り時間2時間41分27秒……』
やっちゃった。
『現在のレベル4。次のレベルまで残り392EXP』
『残り時間3時間59分58秒』
2時間くらい寿命あったのに無駄にした──!




