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IF たとえ誰になんと言われようとも

一周年記念

振りかぶり。

振り下ろす。

たったそれっぽっちの動作に、力む必要はない。


棒や、槍、盾といった『殴る』ことを主体にした武器ならば、確かにインパクトは必要だろう。

だが、今回扱っているのは斧。

戦斧と呼ばれる、バトルアックスではない。木こりが使うような質素な斧の方だ。


刃が付いているのだから、遠心力と得物を支えうるだけの力があればいい。

あとは武器が全てやってくれる。


振りかぶり。

振り下ろす。

スコーン、と間抜けな。それでいて気持ちのいい音がして、丸太が割れた。

薪として最適な、4分の1カットだ。


再び切り株の上に丸太をセットし、割る。

もいっちょ割る。


俺は筋力が強化され過ぎているため、力むと斧が壊れる。下手すると切り株まで割ってしまう。この切り株は平らな状態を維持するために、きちんと手入れしているというのに。

かといってまったく力を込めなければ斧が手のひらから抜け、どこかへ飛んでいくだろう。


最初こそ加減に失敗したものの、今ではほとんどやり過ぎることはない。無意識下で制御できるようになるまで、一ヶ月はかかっただろうか。


   ふう、これくらいでいいだろう……


今日の薪割り終わり!

あとは家の中の掃除をして夕食の準備をして……。

そうだ、今日は愛しの妻の迎えにでも行ってやろうかな。

そろそろギルドに顔を出すだけ出しておかないと、いろいろとうるさくていけないしなぁ。


太陽へと手をかざし、空を見上げた。


俺、吉川学は、命からがらレベル100にたどり着き、こうして余生を謳歌しています。

今日はたった一日ではあるけれど、俺の日常を、見てほしい。






日の出と共に目が覚める。

空が明るくなり始めた時間に起きてしまうのはもはや習慣であり、自分で望んだことだ。

この家の家事をほぼ全て俺がしているために、朝御飯の準備から中庭にある家庭菜園の手入れまで……やることがたくさんあるから。


決まった時間に寝て、決まった時間に起きる。

そんな規則正しい生活が、俺にはとても幸福に思えた。


そぅっとベッドから抜け出す。

両脇から抱きついてきてくれていた妻と、奴隷はどちらも衣服の類いは身に纏っていない。

それはベッドから抜け出した俺も同じこと。

自分の体を見下ろすと、筋肉質な上半身越しに尿意を覚えたムスコが元気になっているのが見えた。誰にも見られていないとはいえ、まったく隠しもしないと恥ずかしいものだ。


妻『ルルベーニャ・ヨシカワ』と奴隷『アイリス・ヨシカワ』の髪を撫でる。

起こさないように、そっと。


   おはよう、二人とも



   にゃん太も、おはよう


俺が起きたことに気がついたのだろう。丸まった状態から首だけを伸ばしこちらを見つめていた猫の、その頭を撫でてやる。

にゃ~と一鳴きして、再び眠り始めてしまったこの子は、ルルベーニャ……ルルの従魔のにゃん太。

出会ったときはベルキャットというか弱い猫だったが、今では進化して、ビブリオマンシーという種族になっている。


超気まぐれな奴だが、妻を守ってくれる素晴らしい仲間だ。

今日も十全の力を発揮してもらうために今は寝かせておこう。


ささっと適当な服に着替える。

音を立てずに、それでいて素早く。強化されたステータスと、鍛えたスキルをふんだんに使った早着替え。

まったくもって無駄な、そして平和なスキルの使い方をする。


服を着たあとは、昨晩脱がせ、脱ぎ散らかした衣服を畳み始める。一晩放置しておいて、今更だと思う。

けれど、シワにならないようにきちんと畳み、纏める。

彼女たちを美しく飾る服だから、できるだけ丁寧に扱いたい。


昨晩の後始末が終わると、今度は彼女たちが着るであろう服を用意する。

正直ここまでする必要はないと思うが……俺がやりたいんだ、こういう平和な時間が一番好きだから。



ゆったりとした歩調を心がけて、キッチンへと向かう。

中庭を通ってみると、サイクロプスのギョロ目ちゃんが素振りをしていた。

彼の毎朝の日課がこの素振りであり、少しでも高みへ目指そうとする挑戦者の鍛練だった。

軽く手を上げて挨拶するが、ちらりとこちらを見るだけで何もアクションはない。

俺はスキルを発動させ、彼の素振りを見る。


   上達してる

   もう少し肩の力を抜くといい


俺はジェスチャーで肩の力を抜け、とアドバイスする。彼は嫌そうな顔をしながらも、きちんと言われたことを直し、素振りを続ける。

ちなみに彼もルルの従魔だ。

名付け親もルルなんだが……ギョロ目ちゃんって呼ぶと怒る。だから俺はギョロ目ちゃんって呼ぶことにしている。

くく、弄り甲斐のある鬼だこと。



   すまん、遅れた


キッチンに着くと、すでに一人のメイドさんが料理を始めていた。

声をかけると、こちらに向き直り、ぺこりと頭を下げる。


   昨日もお楽しみでしたね


そして第一声がソレだ。

黒に思える藍色の髪、茶色に近い栗色の目をした12歳前後の少女。

クラシックタイプのメイド服を身に纏い、なだらかというには貧相な胸元に赤色の大きなリボンをつけている。

ジト目で見上げてくる少女の頭をグリグリと撫でてやる。


   女の髪は命より大事なのですよ!?


そう拗ねる彼女は、人間ではない。

家事妖精ブラウニーという種族で、またしてもルルの従魔だ。


名前はグラディウス。


本人がその名前以外を頑として受け入れず、ルルが根負けする形で名付けることとなった。

俺たちは『ラディ』と愛称で呼ぶことで、少しでもその不自然さを解消しようとしてはいるものの……。

……まあ、名付けの経緯からわかる通り。変人だ。


   今日の予定は?


   8時より依頼探しとなっております


手を洗いながら予定を聞く。

この家事妖精が基本的なスケジューリングを担当しているので、ルルに聞くよりも手っ取り早い。

自家製の豆腐を切りながら、味噌を溶いている彼女に激励の言葉を送る。


   そうか、頑張ってこいよ


   なぜ私に戦闘をさせるのですか──!

   なぜ旦那様が家事をなさるのですか──!?


またいつもの発作が始まった。

何が彼女の逆鱗に触れたのかは、まったく、これっぽっちも、ぜーんぜん心当たりがない。

剣術スキルを用いてトントントン、と全ての材料を的確に切り分ける。

その見事な手際が褒められることはない。ぶつけられる言葉は全て称賛ではなく文句や罵倒の類いだ。

家事をさせてもらえない家事妖精の言葉は右から左に受け流す。

朝ご飯は質素が基本なので、下ごしらえはもうほとんど残っていない。魚は焼いている最中のようだしな。


   あとは任せた!


いまだにプリプリ怒っている家事妖精へと声をかけると、俺は逃げるように家庭菜園へと向かった。

まあ、依頼の最中に食べる弁当作りでもしてれば発作は収まるだろう。



俺が貯めに貯めたお金で買ったこの家には、学校のグラウンドかと錯覚するほどの大きさの中庭が存在する。

しかしそんなに大きくても、もて余してしまうし、最初こそもて余した。

何か有効利用できないかと考え、考えた末に、余分なスペースで家庭菜園を始めることにした。

中庭の片隅を耕し、ポツンとミニトマトの苗を植えた。

ミニトマトだけでは寂しいと、ピーマンや茄子といったものも育てたくなり、畑を拡張した。

あれも育てたい。

これも育てたい。

俺はどんどんと畑の拡張を続けた。

場所が余っているからと拡張を続け、気づいたときには、中庭の8割が家庭菜園になっていた。

もはや中庭ではなく、畑と呼んでもいいかもしれない。


   やり過ぎた……


そうは言ったものの。

自然豊かな緑色に交じって、赤や紫の実がなっているのが見ていると、不思議と後悔の気持ちはなかった。

最適な肥料の量を探り出したり、水の量の調節。日光の当たる具合から隣に植えてはならない作物の種類……データを重視する俺としては農業はとてもやり甲斐があり、打てば響く面白いものであった。

だからこそこうなってしまったのかもしれないな。


全ての花に声をかけるべく、カゴを片手にジョウロを持って、中庭を行ったり来たり。

無駄に歩くほど良い、時間などたっぷりあるんだと自分に言い聞かせられるから。

水を適量かけ、お礼を言いながらその実を収穫していく。




  ご飯にしますよー


夢中で作業していたら、ラディに呼ばれてしまった。

時間切れのようだ。

残りの水やりをささっと終わらせてしまう。今日も全てを愛でることはできなかったが、それはそれでいい。

また明日やってみよう、今度は反対側から回る感じで。


   すまんな、ほとんど任せちゃって



   いえいえ、これでこその家事妖精ですから


ラディがうすっぺらい胸をポンと叩いた。

最初こそ「凹むからやめとけ」ってからかったものの……マジ泣きされ、家の女性全員を敵に回してしまった。

あの一件以降、一度もラディの胸の話題に触れたことはない。

ちなみにラディの胸に触れたことは一度もない。


   おはよ~……


   おはようございます、ご主人様


居間にふらふらとした足取りで現れたのは、ルルだ。まだ半ば夢の世界にいるらしく、危うげな足取りだ。

後ろに控えるアイリスも危うげなルルを見つめ、いつでも支えられるように身構えていた。


ん? どうやら二人とも、俺が用意した服を着てくれたみたいだ。イメージ通りとても似合っている。

見た目が可愛らしいルルと、美人で綺麗なアイリス。

二人は素材が良い上に、違うベクトルの女性らしさをしている。

どちらも似合うように、それでいて二人が並んだときにお互いの魅力を引き立てるように。

彼女たちをコーディネートするのも、日々の楽しみというものだ。その服を脱がせるのも楽しいがな。


   おはよう、ルル

   おはよ、マナブ……


ふらり、と倒れ込んだルルを抱き止める。背中に腕を回され、抱きしめられるが……こいつまだ寝る気だな?

具合が悪いわけでは、無さそうだ。一応おでこに手を当ててみるが、熱もあるわけではなかった。

椅子に座らせてやると、カクンカクンと船をこいでいる。

アイリスも、ラディも、微笑ましいものを見る顔をしている。女性らしくなってきたとはいえ、どちらかというと可愛らしいルルは、この家のアイドル的存在だ。


さて、まだこの場に現れていない従魔かぞくのことを探るべく、聴力を強化してみる。

……風呂場から微かに水音がする。

ギョロ目ちゃんが汗を流している最中らしい、彼が来るまでは、寝かせておいてあげようじゃないか。



   スマナイ、オクレタ


水も滴るいい鬼が現れた。

と、いっても全裸な訳ではない、半裸だ。スウェットのようなズボンを履き、首からタオルをかけている。

この家で俺のよりも風呂を愛している鬼が食卓に着いたところで、アイリスがルルを揺すって起こした。

やっと家族5人と1匹での団欒……朝ごはんの時間だ。




   じゃあ、いってきます


ルルが、いつもの戦闘服の裾を押さえながらぺこりと頭を下げた。彼女お気に入りの帽子の上から髪型が崩れないようにそっと撫でる。

ルルを目一杯愛でてから、家族たちの戦闘服を見回す。どこか変なところがあれば指摘してやろう。


長弓を背負い、若草色のコートを身に纏うアイリス。


全体的に黒く染まったメイド服を着たラディ。


六角棒を肩に担ぎ、文字通り『鬼に金棒』といった様子のギョロ目ちゃん。


動くのが面倒なのか、ギョロ目ちゃんの頭の上で丸くなっているにゃん太。


そして従魔使いのルル。


5人パーティだ。でかい図体で正面からギョロ目ちゃんがなぐりかかり、敏捷を活かした撹乱と遊撃をラディが努める。

一歩引いた位置からアイリスが狙撃で、にゃん太が魔術で戦闘を有利になるようにコントロールする。

そして4人に囲まれるようにしてルルがバフを掛け、司令塔として全体を見通す。

バランスのとれた、いいパーティだ。俺が盾役として入ればもっと安定するんだろう。

だが、俺はこいつらを置いて、成長しすぎた。

俺とルルとにゃん太の3人でパーティを組んでいた日が懐かしい。



もう、気づいているかもしれない。

ルルと出会ったのは、この世界に来た時にいた森。あのグレムリンに殺されかけている時に、ルルに助けられた。

あの時、ほとんど見えなくなっている視覚で、俺はこの世界の戦いの、高みを見た。

俺もこんな風に戦ってみたいって、そう思えるほどの戦闘を見て、なし崩し的に彼女とパーティを組んで。


   マナブ?



   え、ああ、今日も頑張ってこいよ


少しぼーっとしていたようだ。最近どうも調子が悪い。

それを隠すように笑顔を浮かべ、家族たちに手を振った。



家に一人になったからといって手を止めることはない。

掃除に洗濯、皿洗いも薪割りも。色々とやることはたまっているのだから。

急須に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。吉川家自家製の茶葉だ。

どうやらお湯に味が移りにくいらしく、長い時間浸けていなければいけなくなったのは幸か不幸か。

味は美味いんだけどな、と呟きながら、桶を持って庭へと移動する。

洗濯だ。


俺の服と、ルルの服と、アイリスの服と、ラディの服と、ギョロ目ちゃんの服と。

あ、にゃん太の奴。また洗濯物の中に石ころを混ぜやがって。

ヤスリまでかけて綺麗に磨いてやった石ころを手に取る。どうやら遊びすぎて汚れたから洗ってほしいらしい。


特に汚れの酷いもの──俺のパンツとか──を洗剤を混ぜた水に浸けておく。こうして数分もすれば、汚れが落ちやすくなる。

その間ににゃん太依頼の石ころを磨いてやる。

水をかけ、指の腹で擦る。傷をつけてはいけないから、優しく。

そうして綺麗に洗ったらタオルで水気を拭いて、日光の下に置いておく。洗濯物を取り込むときと一緒に回収すればいいだろう。


さて、みんなの服を洗っていく。

基本的には洗剤混じりの水を桶一杯に張り、その中を泳がせるようにして服を通す。

汚れている場所があったら、服を傷めないように気を付けて、もみ洗いする。

そこまでしたら軽く絞り、真水の張った桶へと入れる。


下着どころか裸も見ているルルたちが自分の服を洗われることに何も言わないのはわかるが、ラディが何も言ってこないのは女としてどうなんだろう?

いや、あいつのクマさんパンツを見てもなんとも思わないんだが。ブラジャーを見ても、もうつける年頃なんだなぁ、くらいにしか思わないんだが。


にしてもブラジャーがこの世界にもあるとはなぁ。それには少しだけ驚いた。

ビキニアーマーがあった時点で存在してもおかしくないんだろうが、どこの世界でも女性の悩みは美貌ということか……。



さて、余計なことを考えていたら洗い終わった。

これから脱水なわけだが……昔の脱水機を思い出して、自作してみた。ローラーで服を挟み、手回しで潰すように絞る。

宝石などの装飾がされていたら使えない代物だし、完全に脱水できるわけではない。しかしこれを使うだけでびちゃびちゃからしっとりレベルまで脱水できるのはすばらしい。

いや、昔の発明家はすごいよ。真似させてもらいましたありがとう。


さて、洗濯物終わり!

物干し竿のような棒に洗濯物をかけ天日干し。洗濯ばさみはなかったけれど似たようなものはすでにあったのでそれも使っている。


   仕事の後のお茶が美味い……


居間に戻ると、お茶を啜る。

無音……いや、畑の植物たちが風に揺すられる音が僅かに聞こえる……。

平和だ。

平和だが、まだ仕事は残っている。主夫の戦いは長い。


朝の皿洗いをして、昼飯の下ごしらえでも……と考えていたらキッチンにお弁当箱が置いてあった。

ラディにして珍しく忘れ物か? と思って弁当箱の上にあった紙切れを見てみる。


   今日もお疲れさまです、旦那様

   家事妖精らしくお弁当を作りましたので、

   休憩中にでもお食べください


不覚にもうるっときてしまった。この手紙は永久保存するべくアイテムボックスに仕舞う。

お弁当の中身は気になる。気になるが……これは昼までのお楽しみだ!


皿洗いをちゃちゃっと済ませる。

泡で手を滑らせるアクシデントもあったが、強化された敏捷を活かして皿をキャッチした。


風呂掃除を済ませる。

そのまま湯船に浸かりたくなるが、みんなが依頼を受けてるのに一人だけ風呂なんてズルはいけない。

強い自制心で風呂から出て、倉庫の片付けへと向かう。


一人で掃除するには広い家は、毎日違う箇所を掃除するローテーション方式で回している。

しかしみんなの寝室だけは別だ。俺とルルとアイリスの寝室、ラディの寝室、ギョロ目の寝室だけは毎日掃除をし、その他に2箇所だけ掃除をする。

掃除している間に昼を回ったのでお弁当は食べた。コンビニ弁当顔負けの彩り、栄養バランス。

何よりもラディの愛情こもった手料理が、俺に力を与えてくれるようだった。


それが終われば薪割りだ。

コタツなんてものは存在しないため、暖炉を使用している。そのため毎日薪を使う。

昨日使った分を今日割る。今日使った分は明日割る。毎日毎日、なくなった分だけを補充する。

材料の丸太がなくなる場合もある。その場合は少し遠出して、森から木を切る。持ち運びはアイテムボックスを使えば楽チンな物だ。

きちんと切ったあとには苗を植えるのが地球温暖化対策だ。ここは地球ではないけれど。




剣を両手で握る。

目を閉じ、心の目で世界を視る。

家庭菜園に浸食され、小さくなった中庭に敵はいない。だが俺はそこから思考を加速させる。

仮想空間の中に、一番死闘を繰り広げた魔王の姿を想起する。


魔王の得物は、俺と同じく一振りの剣。


切っ先だけを触れさせる。それが訓練開始の合図。

魔王の袈裟斬り。俺は相手の剣筋をなぞるように剣を振るい、最小限の軌道を調節してやる。それだけで相手の攻撃を無力化する。

ここで本来ならば蹴りが飛んできただろう。同時に魔法も飛んできているだろう。

しかし目の前の幻影は剣でのみ斬りかかってきてくれた。


流す。流す。流す。

払いを、突きを、切り下ろしを。


魔王が切りかかり、俺はただ受け流す。

そういう訓練ではない。幻影とはいえ魔王が強すぎるのだ、防戦一方になってしまい……終いには首をとられた。

仰向けに倒れる。しかし首に触れてみると血が出ているわけではない。


   ふう、もう一回


アイテムボックスから盾を取り出す。

盾と剣を構え、気合い十分に打ち鳴らすと……魔王も剣と剣を打ち鳴らした。

相手は二刀になった。武器が木製でなければ、あの決戦と同じ構図な訳だ。


   負けられねえ


初撃は、魔王の投擲だった。まったく同じ攻め方に苦笑いしながらも、上体を反らして回避。

背後からの五連撃。目で追えない速度を、勘と経験のみで受け止める。盾で三つ、剣で二つ。防ぎきった後にできた一拍の余裕で、相手の足を切り払う。

宙返りされ回避され、お返しとばかりに十連撃。その全てを盾のみで防いでみせる。俺はあのとき蹴りを放ったが、今回は切り上げにしておいた。

体術は使わない。それがこの訓練の縛り。


切り上げた剣は剣の腹で受け止められた。いや、受け止めたと言うよりも自分の剣を足場にしていた魔王を打ち上げる力にされてしまった。

ピュッと高く飛んだ魔王を追って空を見上げたら、俺の詰み。背後から伸ばされた腕に首をかっ切られる。


   ……もう一回


次に取り出したのは木製のハンマー。魔王はムチを構えた。

力と搦め手。苦手な部類を相手にしないといけないわけだが、泣き言は言ってられない。

まずは挨拶とばかりに横凪ぎに振るう。木製のため得物が軽く、相当な速度が出ているはずだが、魔王はハンマーと同じ速度で走った。

そのまま背後へ回り込まれそうだったので、無理矢理に勢いを殺して停止。逆回転へと移る。

右腕狙いのムチを、ハンマーで無理矢理に弾き飛ばす。が即座に左腕を狙われ、バックステップ。

……いや、今のは当たった気がする。とりあえず当たってないとしてそのまま続けよう。

遠心力を大いに活かすために柄を長く持ってスイング。斜めから叩きつけるような一撃。地面に着く直前で跳ね上げるように軌道を変えさせる。

その全てが魔王を捉えることはなかった。振るう度に俺が追い詰められ、またしても魔王が勝利を収めた。


   なんで俺、勝てたんだろうなぁ……


大の字に寝そべりながら、空を見上げた。

その答えを知るであろう魔王は、すでに俺の経験値になって消えてしまった。




シャドーを追え、軽く汗を拭うと、愛しの妻を迎えにいくためにギルドへと足を向けた。

人が多くなるにつれて、自然と視線が気になりだした。俺の方を見てはこそこそと噂話をする程度だったのが、徐々に称賛の声になっていった。

まるで、英雄の凱旋だ。

冒険者ギルドに入ってからもその声が無くなることはない。

勇者だなんだと騒がれて、青臭い連中が弟子にしてくれと頼み込んできて……。


全てがめんどくなって俺は逃げ出した。

ギルドマスターの部屋へと駆け込むと、呆れ顔をしたギルドマスターとその秘書がいた。

ここに逃げ込んできたのも、数えきれないほどだった。




   む、帰ってきたみたいだぞ?


ギルドマスターが自ら振ってきていた話題を切った。唐突に主語の抜けた言葉を呟いた。

しかしそこそこに付き合いの長い俺にはきちんと意味が伝わっている。家族たちが依頼を終え、達成報告をしているところらしい。

俺は残っていたお茶を飲み干す。


   そいじゃ、またなギルマスさん



   先程の話、よく考えておいてくれ

   戦いに疲れきった、

   武器を持つことも怖れる英雄さん


先ほど話された、魔王復活の話。そしてその討伐隊へのスカウトの話。

うやむやにしていたつもりだが、最後にそう言われてしまっては……次に会ったときにでも返事をせざるをえないだろう。

会いに来なければいいんだろうが、時期が迫れば向こうから会いに来る。

なんとか、逃げる方法を考えておこう。


俺は肩越しに目線を送ることで応える。

ギルドマスターの部屋から出ていくと、再びギルドがざわめき始めた。


   え、マナブっ?



   お疲れさま、ルル、アイリス


受付嬢との話が終わったところらしいルルに声をかける。

とてとて歩いてきたルルの頭を撫でながら、家族たちを見回すが、特に負傷した様子はない。

うっすらと疲労の色が滲み、それを塗りつぶすように達成感が漏れている。


   みんなも、お疲れさま


ギョロ目ちゃんがぷいっとそっぽを向き、嬉しそうな顔を隠した。にゃん太は小さく泣き、ギョロ目の頭の上で丸くなっている。ラディはというと、列に並べば撫でてもらえると思っているのか、ルルの後ろに並んでいる。

仕方ないので撫でてやった。その後ろにアイリスも並ぼうとしたが、先手を打つことにした。


   報告も終わったんだろ?

   帰ろうぜ



   うんっ


悲しげなアイリスを見てられなくなって、つい撫でてしまった帰り道。

家族たちの武勇伝を聞き歩く。

今日できたこと。

明日したいこと。

一歩ずつ、ゆっくりと歩んでいく。

……もう、焦る必要などどこにもないのだから。




   マナブ様、お呼びでしょうか


夕飯前、俺はアイリスを呼んだ。

ラディがキッチンでわたわたと飯を作っているのが見え、おそらくこの距離では声も聞こえないことを予測する。

ルルとにゃん太は風呂に行っていて居間にはいない。

ギョロ目ちゃんは熱心に素振りを続けている。


上手いこと、俺とアイリスだけの空間ができた。


   今日、魔王復活の話を聞いた


アイリスの肩が、ビクッと震えた。その震えは徐々に大きくなり、アイリスは自分の肩を抱くようにして踞ってしまう。

俺は彼女の肩に手を置きながら、そっと問いかける。


   お前は、ついてくるか?



   わ、わた……わたくしは……


残酷な質問だった。

魔王に故郷を焼かれ、たった一人の捕虜となり、魔王に身も心も弄ばれていた彼女にとっては。

俺は彼女に、トラウマと向き合うのかを聞いている。


もちろん向き合うというのなら全力で支援をする。ルルやその従魔たちも事情は知っているのだから、全員で支えるつもりだ。

逆に。

もしもアイリスが逃げることを選んだとしても、俺たちは支えるだろう。俺一人で魔王を倒し、何事もなかったかのように日常を続ける。

いつか決定的な終わりを迎え、その先の未来を選びとるまで。


   奥様……ルル、様も……?



   それはお前次第だ、アイリス

   どんな答えを選んだとしても、

   俺たちはお前を守る

   俺はお前を愛する


だから選んでくれ。

過去に立ち向かうか、幸せに逃げるのかを。

彼女は涙を浮かべながらも、小さい声ながらに、選んだ。

俺はアイリスを抱き寄せ、ずっと背中を撫でてやった。






   アイリスも、おいで……



   よろしいのですか、奥様


薄手の寝間着、所謂ネグリジェを身に纏ったルルが、妖艶なしぐさでアイリスをベッドの上へ導いた。

疑問の声で問いかけながらも、アイリスはすでにベッドの上へと上がっていた。

俺に似たのか、ルルはお決まりの会話を好む。これもその一種だ。


   私だけだと死んじゃうわ

   マナブはレベルが高くて、

   体力も無尽蔵だから


左から寄りかかってくるルルは、頬を赤く染め、俺の左腕を抱き寄せた。

右にも温もりを感じる。アイリスは、俺の右腕を抱き寄せた。

いつもの、夫婦の営み。

しかし、今日はしないと決めていた。


   ルル、今日は、

   少し話をしてもいいか?


きょとん、と呆けた顔をしたあと、すぐに優しい笑顔を浮かべてくれた。

アイリスにも顔を向けると、そっと頷かれた。


三人並んで『川』の字だ。

昔、両脇を両親に挟まれて、両親とこうやって手を繋いで寝ていた日があった。

あの日から、もう何年経ったのだろうか。

……両親は、生きているのだろうか。


   ──たまに、怖くなる


ぽつりと口から出た言葉は、自分でも意外なほどに弱々しく、子供の泣き言の方がよっぽどましに思えるほどだった。

しかし、ルルも、アイリスも、俺を笑わなかった。


   俺はまだ闘争の中にいるんじゃないのか

   実は生き急いで、

   また死にかけてるんじゃないかって


天井へと、その先へと手を伸ばす。

その手は何もつかめない。俺は……おれは、いったい何を求めていたんだろう。

何を、していたんだろうか。


   心も体もボロボロのまま

   それでも前に、前にって

   歩くのをやめちゃいけない

   止まったら死んでしまう



   今この瞬間も、

   死に際の幻覚なんじゃないかって

   楽園を夢見てるだけだって



   そう考えてしまう


あの日、魔王を名乗る男を殺した日。レベル99へと至った日。

俺は感動で泣き、歩くことさえ億劫なボロボロの体を引きずって、ルルの元へと帰った日。

あの日からずっと恐れていた。この夢が覚めてしまうことを。また魔物と戦わないといけなくなること。

恐れていた。怖いんだ。

怖くて怖くて、不安を拭うために毎日鍛練を欠かしたことはない。これ以上の高みへ至ることはできないと頭が理解していても、心は受け入れていなかった。


   それってさ


ルルが、ふと、何か気がついたようで口を開いた。


   死に際に一緒にいたい女性が私ってこと?


   ……嗚呼、そうかもな



   そう……なのかもな……


ルルがニヤニヤとした顔で、俺にくっついてくる。

そのすべらかな肌と体温が、急に遠ざかってしまう気がして、その腰へと腕を回した。


   マナブは……いつも死にかけてた……

   戦いを恐れていたのに、一番戦いに向き合ってた

   痛いのを怖がるのに私を庇って風穴開けたこと

   回復薬もなくなったのに、敵を倒し続けたこと


   わたくしを助けてくださった時も


アイリスが、我慢できなくなったのか口を開いた。少し冷たく感じる、アイリスの低い体温を感じる。

豊満な胸のうちに抱き寄せられると、その鼓動の音が聞こえた。


   奴隷の私よりもボロボロでしたよね……


労るような優しい手が、俺の手に触れた。

数度、触れては離れ……どちらからともなく指を絡ませ、手を繋いだ。


   私ね、決めたんだ

   自分を守れるだけじゃダメなんだって

   この人も守ってあげようって


ルルは、神に祈るかのように目を閉じた。

そのまま、じぃっと動かない。彼女が死んでしまったのではないかと思い、手を繋ぐと、にこりと微笑まれた。

……嗚呼、ほんとうに、ルルには助けられてばかりだ。


心の強さにステータスなんて存在しないのだろう。レベルなんて存在しないのだろう。

俺は弱く、ルルは強い。きっとアイリスも強いのだろう。


   ルル……ルルベーニャ……



   ……もしさ、俺が死んじゃったらどうする?


弱いから、そんな甘えた質問をしてしまうんだ。

弱くて惨めで甘くてダメダメな俺を、ルルは優しく慰めてくれる。その優しさが、俺の心を腐らせていく。


   えー……そうだなぁ……



   …………うん、私はね、きっと

   たくさん、たーくさん泣くと思う

   そしてたくさん泣いたら、

   あなたを探して旅に出るの


長い思考の後に出した彼女の答えは、正直予想外だった。けれど、その声は。その未来は、彼女らしかった。


   死んでる、のに?



   もしかしたら生きてるかもしれないじゃん!

   私は世界の隅々まであなたを探しにいくよ


   そうしてるうちにきっと

   優しいあなたは生まれ変わるの

   私を探して会いに来てくれるはずだから

   見つかるまでずっと、ずぅーっと探すの



   なん、なんだ、それ…………


涙が溢れる。

めちゃくちゃな、そして優しすぎる理論だ。


   生まれ変わって、か……


   生まれ変わっても

   来世でも、その先の未来でも……



   また、私を選んでくれますか……?



その言葉は、俺のプロポーズの言葉と類似していた。

あの時の彼女と、今の俺と。

返事はまったく一緒だった。


   ああ、もちろん(ええ、もちろん)



   何度生まれ変わっても

   何百回生まれ直しても



   俺は君を探す

   何度だって好きだって言う


   ん……うれし……


アイリスは何か言いたげな顔をしていたが、それでも何も言わずにいた。

それでも少しだけ、俺を抱きしめる力が強まった。

絡めた指をなぞることで、「忘れてないぞ」って想いを伝える。


ルルは、すやすやと寝息をたて始めた。

安心しきって、幸せですと声を大に叫んでいるような錯覚さえ覚えさせる寝顔だ。






俺は……怒濤のレベル上げの末に、この結末を手に入れた。


歴史に名を残すような英雄が、

2階建ての普通の家で、

たった2人の妻を手に入れ、

ひっそりと過ごす。


身の丈に合わないってか?

だが俺は、たとえ誰になんと言われようとも、この日常を求めるだろう。


常に正しいと思う道を選んできた。後悔や挫折はあったが、やり直したいとは思わない。


過去に戻ったとしても。同じことをして、同じように過ごし、まったく同じ人生を歩むんだろう。


嗚呼、これが俺の生き様だ──

学君のこと『チュートリアル』って呼ぶのやめろォ!

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