旅人 白鳥 恵子 Lv.9 ②
遅れました!
夢の感覚は水に浮かぶようで、ふわふわして気持ちいいとよく言うけれど、今私が感じているのは左腕と背中の痛みだった。
ゴツゴツした固い床の痛みがあるけれど目を覚ますことはない。意識はいまだにぼんやりとして、沈んだり浮かんだりを繰り返す。
ふと、頬に温もりを感じた。誰かの体温だ。
そっと頬を撫でられるとくすぐったい。それはよく隆昭くんがしてくる行為でもあった。……どうやら彼は私が恥ずかしがってるのに、楽しみを見出だしていたようで。少しだけ迷惑であると同時に、彼が恥ずかしがってるのは確かに楽しいので糾弾も出来なかった。
今感じている頬の体温は、触り方的に隆昭くんではないみたいだ。彼は何て言うか、触り方がねっとりしてる。
その手は、子供のように小さく、ただただ心配してくれているみたいで、心地よい。
意識がまた沈みかける。
けれど、その意識を強制的に引き上げたのは小さな電子音だった。
『ピピ……ピピ……ピピ……』
普段かけているアラームと同じ音。
大学の時間かと慌てて目を開けるけれど、もちろんそこは見知った天井なんかではない。木漏れ日ひとつない木々の天井を見上げ、ため息を吐く。
この世界にも、学校とかあるのかな?
「おき、た……?」
青年というには幼すぎる声。
その声の主が逆さまに現れた。……うん、私が仰向けになってるから、覗き込まれてるんだよね。
「……誰?」
「クロノス、だよ?」
そっと頬を、髪を、頭を撫でられる。
ああ、さっきから触ってたのはこの子だったんだね。
そして、赤ちゃんドラゴンのクロノスは見当たらないし、クロノスは変身魔法を持ってたから、人間にもなれるのか~程度しか感じない。
ああ、クロノスって男の子だったんだね。カッコいい(と思う)名前をつけれて良かった。
『残り時間4時間29分46秒』
視界の端に意識を向けると浮かび上がった時間を見て、納得する。なるほど、丁度、寿命が半分を切ったのか。だからアラームが鳴ったみたいだけど、これ戦闘中だったら迷惑以外の何物でもないね。
「ステータス」
4時間ほど寝ていたみたいだから少しは回復してくれてると、嬉しいんだけど。
体力:139/175(209/263)
魔力:86/96(129/144)
うん、全回復とまではいかなくてもこれだけ回復すれば十分だね。良かった良かった。
「……なおった?」
「ありがとね、クロノス」
折れていた方の左腕を動かすと、普通に見えるけれどまだ少し痛む。それでも動かせないほとじゃないので痛みをこらえながらクロノスの頭を撫でる。また回復薬とか、落ちてれば良いなぁ。
「くすぐったい」
と言いつつも嬉しそうに目を細めるその仕草は何度も見たクロノスそのもので、少年体型にもなれるんだなぁと改めて思う。
「なんでクロノスはその姿になったの?」
「御主人様を移動させるの、この方がらく、だから」
上体を起こして確認すると、さっきの場所から少しズレた樹洞の中にいるみたいだった。
……というかクロノスの膝枕で寝てたのね、私。
クロノスへと向き直り座る。
おおよそ10才にもいかないだろうその容姿は控えめにいっても美少年だった。やっぱり可愛い系だ。
いつぞやのヨコシマさんの様な火の粉と見間違える紅蓮の短髪から覗く瞳はオニキスのような宝石を思わせる引き込まれそうなほど綺麗な黒色をしている。そのくせに肌は私よりも、それこそ病的なほどに白いのだ。
整った顔立ち、白い肌、綺麗な瞳に情熱的な紅蓮の髪。
……ズルいなぁ。
そのクロノスは髪に負けず劣らずの綺麗な緋色をしたローブを着ている。
「その服はどうしたの?」
「特別だって、かみさまが」
「……神様、が?」
「うん」
私たちをこの世界に拉致した神が?クロノスを特別扱い?ふざけてるの?ちょっと1、2発くらい殴らせてくれないかな。
……でもまあ、丁度良かったのかもね。クロノスと色々と話さないといけないことがあるから。
「ねえ、クロノス。私のお話聞いてくれるかな?」
「……?うん」
小さく首をかしげるクロノス。やっと落ち着いて話せることに新鮮さを感じながら、何から話そうかと頭を捻った。
「まず、ね。私は……この世界の人間じゃありません」
「……異世界人?」
決意と共に吐き出した言葉は、あっさりと返された。
「そうだけど……知ってるの?」
「お爺ちゃんが、地球って世界のお話をよくしてくれる」
なにそのお爺ちゃんすごく会いたい。
でも、私が抱えてる事情ってそれだけじゃないんだよね。と小さく息を吸ってから続ける。
「それだけだったら良いんだけどね……私はレベルアップしないと、1日もしないで死んじゃう。そういう病気なの」
正確には違うけれど。
最初こそ1時間で死んじゃう私だけど、最終的には99時間……大体4日くらい?は生きてられるんだから。
それに100レベルまで行くとこの寿命も無くなるってヨコシマさんが教えてくれてからね。出来る限り足掻いてみるつもりだけれど。
「死んじゃうの?」
「……死にたくないよ。だから、私は頑張るの」
クロノスが俯く。綺麗な紅い髪がいじわるに顔を隠したかと思うと、よちよちと這い寄ってきた。
包まれるように抱かれる。その小さな少年の腕をめいっぱいに広げて、私を抱きしめた。……すごい良い匂いするんだけど。フルーツみたいな匂いだ。
「御主人様の病気、僕が直すから」
「……え?」
「だから。死んじゃ、やだ……っ」
ぎゅっ、と力を込められるとレベルアップした能力値の影響か、少し苦しく感じる。けれど、そのクロノスの泣きそうな思いがそのまま伝わってきて、私も強く抱きしめる。
「僕はね、悪い子でした」
私の胸に顔を埋めるクロノスは、胸当てのせいでちょうどいい位置を見つけられないようだ。もぞもぞと動かれると、なんか、その……。
「僕は弱くて、泣き虫でした」
クロノスは胸を諦めたらしく、お腹へと顔を埋めた。……ああ、よく隆昭くんもお腹を触ってきたなぁ。神秘だ、なんて言うから叩くと恥ずかしそうに笑うのが日常だったのに。クロノスが隆昭くんと私の子供だとしたら、どれだけ幸せなことか。
いや、将来はクロノスが私たちの子供を守ってくれるかもしれない。
「周りの子たちはみんな強かった」
クロノスの頭を撫でる。
少し言葉が途切れ、何度か嗚咽を漏らしたクロノスが、再び言葉を紡ぐ。
「いつもお爺ちゃんが、守ってくれました。でも、そんな僕をみんなはまた笑いました」
「お爺ちゃんがどこかへ行ってしまった時、みんなが僕を虐めました」
「僕は必死になって逃げました。気づいたら、御主人様と会った部屋にいました」
クロノスはぐしぐしと目元を擦ったあとに、私の目を真っ直ぐに見た。……その目には、狂気染みた覚悟が滲んでいた。
「僕は、僕を虐めていたみんなが憎いです。殺したいです」
「……クロノ──」
「例え!……例え、御主人様に嫌われるとしても、僕はみんなを殺します。復讐、します」
クロノスの頭へと手を伸ばすと、びくりと少し震えられる。殴られるとでも思ったのかな。
「……あ」
「ねえ、クロノス」
そっと、その髪をとかす様にして梳く。クロノスは意外そうな顔をしたあと、気持ち良さそうに目を閉じた。
「私はね、復讐が良いことだとは思わない。けど、悪いことだとも思わない。
クロノスが私の病気を直して、助けてくれるっていうなら。私もクロノスを助けてあげたい。……それじゃ、ダメかな?」
クロノスはまた涙を流した。拭っても拭っても、水晶のような滴が落ち続ける。
「御主人様、助けて……っ、僕を、守って……っ!」
「うん、クロノスを死なせたりしないよ」
抱きしめる。抱きしめられる。
クロノスの力が強かったとしても、私の身体は頑丈で。私の力なんかじゃクロノスの身体を傷つけられない。
だからこそ、お互いに全てをぶつけ合う。きつくきつく抱きしめて、クロノスの頭を撫でて、髪を撫でられる。お互いに守り合うのだと誓う、誓われる。
不意に首筋に湿り気を感じた。クロノスが私の首に甘噛みしていたようで、その小さな歯の固さを薄い皮膚で感じる。
「……しんあいの、あかし」
クロノスは恥ずかしそうに顔を赤らめてそう言った。
私が微笑むと、クロノスは自身のローブを引っ張り首筋を露出させた。
「……噛んで?」
よく見るとその首筋には、星形のほくろがあった。丁度私が噛まれた所と同じ場所。
「はぷっ」
「──ぅゃあん」
なんだその可愛い声は。お姉さんなにか良くないものに目覚めちゃいそうだよ。
甘噛みというよりもキスマークをつけるといった方が近いそのやり方は、どうやらクロノスの腰を砕かせるには十分だったらしい。数分間、クロノスはぽや~っとして使い物にならなくなった。
クロノスがだらしない顔をしてぐったりしているので膝枕して休ませている。さっきとは逆の構図だ。
クロノスに聞いたところ、変身魔法は解除するのにも魔力を使うらしく、ある程度回復しない限り使えないらしい。喋ろうとしてるところで首筋舐めて喘がせるのすごく面白かったです。
「さて。敵かぁ」
クロノスに頭を浮かせてもらう。私は立ち上がってポケットから槍を取り出す。
クロノスが立とうとしているけれど、私だけでやらせて、とお願いしてそのまま休ませる。身体の感覚を確かめるように左手でくるくると槍を回す。……うん、問題はないかな。
薄暗い木の影からカサカサと草を揺らす音をさせて一匹の魔物が近づいてくる。すでに私のことを見つけているようで一直線に向かってくるそいつは……サソリ?
緑色に思う体皮だが、あれは植物だろうか?触手のような蔓を引きずっていなかったら気づくことは出来なかっただろう。でもまあ。殺すことに代わりはないし。
先手を取る。踏み込みと同時に槍を突き出す。最初に比べると踏み込みや身体の動かし方が様になってきたその攻撃を、サソリは避けられない。うーん、追撃を考えてたんだけどなぁ……とりあえず大きく距離を開ける。
刺突がない攻撃だと、ダメージを与えられない。こうなると私に取れる選択は4つ。
1.刺突がのダメージ増加に期待して戦闘続行
2.グングニル使って即死狙いで戦闘続行。ただし魔力が無くなったらこの後にも響く
3.クロノスに助けてもらう。けどクロノスいま人型なんだよね。戦えるのかなぁ?
4.逃げる。
どうしよう?
そんなことを考えながらもサソリが尾を使って放ってきた突き──赤い軌道を描くから刺突スキルかな?──を避ける。
回避も最初とは比べ物にならないと思う。時々自分でもびっくりするほど上手く動けて、その感覚を頼りに自分の動きを洗練していく感じ。……ああ、スキルアップってあの瞬間なのかな。
2発目、3発目……と蠍の刺突を避けていく。半身になったり、バックステップをしたりと様々な動きをしながら観察する。
蠍の体をぐるぐる巻きにするかのように蔓が絡みついている。しっぽにまで絡みつく必要があるのかな……?
よし、こっちも刺突スキルで反撃してみよう。それでも攻撃が通らなければそのあとまた考えるってことで。
右肩に槍を溜める。そのまま蠍が攻撃してくるのを待つ。……カウンター狙いって初めてかも、今度しっかり練習しておこう。攻撃増加スキルになるかもしれないし。
……待ちの構えに入ったからか、蠍がじりじりと、ゆっくりと距離を詰めてくる。その緊張感は、地球の試合なんかじゃ到底味わえないだろう重みがある。なんせ賭けているのがお互いの命なんだから。
私の槍と、蠍の尾。どちらにも刺突スキルの赤い螺旋が宿る。
……距離はまだある。ほぼ同じリーチ──いや、私の方が長いだろう。それを分かっているからこそ蠍は攻めあぐねている。
数ミリ単位で調整される。少しでもフライングしたら蠍のカウンターが飛んでくるだろう。落ち着け、焦るなと心で唱え続ける。
そして──刺突スキルが掻き消えた。
私の槍も、蠍の尾も、赤い螺旋エフェクトが霧散した。
これには蠍も、クロノスも驚いているみたいだ。だけど私は違う、前に踏み込む。
距離は無くなった!私の刺突スキルがなくなった穂先は、蠍の左目へと吸い込まれ、血に濡れた。
『ピギィィィィ!!!!』
断末魔。
私は槍を引き抜くと距離を開けるためバックステップ。片目が使えないからか、蠍は闇雲に尾を振り回す。……ちょっと近づきづらくなっちゃったかな。
槍を長めに持って太刀打ちで掬い上げる。それでサソリをひっくり返したあと踏みつけて固定、関節を狙って槍を突き入れる!
よし、関節ならなんとかダメージが通るみたい。ゲームの世界だと関節を狙うとか出来ないよね……今度から積極的に狙っていこう。
サソリの爪に当たりそうだったのですぐさま離れる。尾が迫ってくるけれど槍で打ち払う。
次は、右目を狙おうかな。
「刺突っ」
赤い螺旋エフェクトが再び宿る。その穂先を制御して、蠍の右目へと誘導する。後はスキルがやってくれる。
手元まで伝わる肉を引き裂く感触。ここで動きを止めたらダメだ、すぐに槍を引き抜く。蠍の顔を蹴飛ばすようにして飛び下がる。さっきまで私の居た位置を貫く尾。
速さで勝っていて、両目を潰した、8本あるうちの1本も負傷させた。問題は堅くて袋叩きにしたところでろくにダメージを与えられないことだろうか?
とりあえず、厄介なあの尾でも引き千切るか。
蠍の刺突をかわしたあと、槍を短めに持って太刀打ちで尾を叩き落とす。そのまま足で踏みつけて槍で地面と縫い合わせる。
あ、だめだ堅くて槍刺さらない。
爪でのひっかきを避けてから再び挑戦するものの……うん、やっぱり堅くて刺さらないね。おおっと、闇雲な攻撃だから避けやすいけれど、めんどくさいなぁほんとに。
刺突で関節を狙うけれど、蠍が動いたせいで僅かにそれた。甲羅に当たって弾かれる。
サソリが爪を振り回す。下がるのではなく、前へ。爪の内側へと潜り込む。左の爪、貰った!
──ガィン!ガキィン!
関節を狙った私の2連突きは、どちらも甲羅に弾かれた。慌てて回避!……危ないなぁ、胸当てをかすっちゃった。
サソリの尾を打ち払う、爪を石突で押し返す。私の突きも切り払いも、どちらも蠍の防御力で弾かれる。
八方塞がりに思うけれど、蠍は両目が抉られている。落ち着いて狙えば、柔らかいところならダメージを与えられる。目とか関節とか、小さいけれどポイントは体の各所にある。
「ふっ!」
何度目の攻撃だろう?遂に尾の根本へと攻撃することに成功した。槍を引き抜くと小さな肉片とともに血が溢れ出す。
蠍の動きが大分鈍くなった。もう限界なんだろう、尾の刺突さえも先程までのスピードとは比べ物になら無い遅さだ。避けるのではなく槍で叩き落とす。
槍をポケットに仕舞った後、尾を掴む。そして胴体に足をかけると、一気に力を入れて千切る。蟹の足から身を取り出す気分で、槍を捻りながら引き抜くとすぽんっと、抜けた。
ごめん嘘、そんなアホっぽい音しなかった。繊維を無理矢理引きちぎるぶちぶちぃって音だった。
あ、絶命したみたい。
せっかく引き抜いた尾が消えて、手元に銀貨3枚と大銅貨5枚が残る。ええっと、350ロト?
あ、あとはかったい甲羅も残ったみたいだ。黒く傷ひとつない蠍の甲羅……正確には外骨格なんだっけ?をポケットに仕舞う。
あ、アイテム6個目だ。弓捨てちゃおうかな、矢とか無いし……。ああ、でも遠距離武器か。勿体ないかなぁ。
『残り時間4時間25分54秒』
ああぁっ……!流浪切れた!
体が急に重くなってしまったけれど、なんとかクロノスのところへ帰ろうとして、視界の端を黒い線が走った。ギリギリのところで回避。
「蔓……?」
あの蠍に巻きついてた蔓が攻撃してきた。……つまり、こいつも魔物だったってこと。やばい、流浪切れてから攻撃してくるとかほんとヤバイ。
取り出したのは手斧。草を切るには槍よりも斧じゃないかなって思った。
とりあえず一振り。
ずばぁっ。と簡単に切り裂くことができて、自分でもビックリした。蔓は1回切っただけで、動かなくなった。
光の粒へと変わっていき、お金だけが残った。
「……えぇっ」
お金を拾って手斧ごとポケットに収納。あの蔓って流浪がない私でも倒せるくらいには弱いんだよね?それがあんなに堅い蠍に巻きついていたって言うのが不思議に思う。
……んー、まあいいか。倒せたし。
クロノスのところへ帰ってくると、いまだふらふらとしてるクロノスが抱きついてきた。私は抱き返して、首筋を舐める。
「ゃんっ!?」
女の子みたいに悲鳴を上げて、私の腕の中から逃げ出そうとする。……嫌われちゃったら良くないもんね、あまりしないようにしておこう。あまり、ね。
クロノスをおんぶすると、私たちはまた道なき道を進み始めた。
寄生上げはちょっとなぁ。
あとスマホの故障もなんとかしないとなぁ。。。




