ダンジョンコア 魔宮 日向 Lv.3 ①
名も知らぬ少女の亡骸が、光の粒となって消えていく。
腕の中から少しずつ質量が溢れ落ちる。死体がなくなれば、もう取り返しがつかなくなる気がして、必死に光へと手を伸ばす。
殺したかったわけじゃない。むしろ殺されたかった。
罪を犯したかったんじゃない。これ以上罪を重ねないために、止めてもらいたかったんだ。
なんで彼女を選んだのかと言えば、色々と理由はある。女だからとか、連れ出すのが容易だからとか、色々。
けれど、一番は……雰囲気だ。
ロイド、と呼ばれていた彼へ向ける笑顔が、どこかナズナに似ていた。だから彼女を選んだ。自分勝手にナズナと重ねていた。
彼女は最後の瞬間、確かに『ロイド』と、彼の名前を呼んだ。
まるで、やっと会いに行けるとでも言うかのような幸せそうな表情で、とても首を絞められて殺されたとは思えない表情で。
キスもした。もしも不能にされていなければレイプさえしていただろう。女としての尊厳を踏みにじり、想い人を殺しておきながら純潔さえ奪い取ろうとした。
それなのに。
「なんで、俺を許すんだよ……っ」
許されたのかはわからない。
だが、彼女は俺を見て、そっと撫でてくれた。
憐れむのでもなく、愛するのでもなく。そっと労ってくれた。
頭を撫でてくれる。たったそれだけの行為が、深く俺の心を傷つける。
「うぅ、ぁぁあああ!!」
腰につけたショートソードを抜く、きちんと手入れがされているのだろう。鈍く光るその刃を、自分の胸に向けて降り下ろす。
──が、刺さらない。
あと数ミリでも動かせば皮膚が裂ける。俺は血管が浮き出るほどの力で胸へと押し込むが、見えない壁に阻まれているかのように何かが俺の自殺を止める。
柄を地面に付け、自分がのしかかるようにしても、やっぱり刃は何かに受け止められる。
俺は自殺することができない。
だったら誰かに殺してもらえばいい。そんな安直な思考は、この世界でも許されはしなかったみたいだ。
「大変だったんだよ」
怒っているわけではないのだろう。ナズナが、俺の表情を伺いながら、愚痴る。
きっと、今まで以上に酷い顔をしているんだろう。ナズナの前だっていうのに、俺は取り繕うことができずにいた。
「急にウィンドウが開かなくなって、ご飯を選んでたところだったからお腹もすいちゃってね?」
「 」
ナズナの権限を剥奪した。
今ではもう権限を戻したものの、やはり一時的にでも被害はあったらしい。……つまりナズナにはあの惨状を見られはしなかったということか。
それが、救いなのか、地獄の始まりなのかは、わからないが。
言うべきなのか、少しだけ迷った。
「……ごめんな」
「ダンジョンマスターは、日向君なんだからね?」
瞳の奥、俺の沈めた感情を読み取ろうとする、ナズナの視線を、受け止める。
目をそらしてはいけない。どれだけ汚れても、どれだけ嘘をついても、どれだけ悪に手を染めても。
ナズナだけは大事にしなければいけない。ナズナだけは、外に出さなければいけない。
「ダンジョンマスターなんてやめたいよ」
「……やめることは、できないの。ごめんなさい」
「ナズナが謝ることじゃない」
自分でも、しまったと思った。
気丈に振る舞ってはいるものの、どうやら予想以上に心が折れてしまっているらしい。
まあ、それもそうか……
「マスターをやめることはできないの。でも──」
ナズナが腕を伸ばす。
まるで恋人にハグをねだるように、首へと伸ばした小さな手が、俺の首に触れた。
きゅ、きゅ……っと、僅かばかりに力が込められる。まだ苦しくはない、けれど、真綿で首を絞められているかのように、徐々に気道が締め上げられていく。
「俺が死んだら、ナズナはどうなるんだ……?」
「死ぬよ。このダンジョンが崩れて、ハウル君も、ヌリカベちゃんも。そして私も、みんな死ぬ」
ナズナの手に触れる。首を絞める手を掴むと、その力が抜けた。
少しばかり苦しかった呼吸が、楽になる。もう少し絞められていたら咳き込んでいたのだろうか。
それとも、いつのまにか死んでいたのだろうか。
見ていたわけじゃないけどね、とナズナが呟いた。
日向君が死のうとしたのは知ってるの、と目を伏せた。きっと、今さっき俺の首を絞めたのだって、俺のためなんだ。
自分勝手に死のうとした俺とは正反対だ、相手を生かすために自分を殺す。……ほんとうに、あの子に似てるんだな
「……もう少しだけ、やってみる」
「無理してない?」
無理? 当然してるさ、自殺しようとするほどにこの現実から逃げたいよ。
それでも、目の前の子が人質に取られてたら、やるしかないだろ……?
「ナズナはさ、もし外に出られたら、何がしたい?」
「二人で外にでられたら?」
未来の話をしよう。
どんな綺麗な絵空事でもいい。決して叶わぬ夢でいい。
その幸せな未来図を糧にすれば、少しは立ち直れるかもしれないから。
「 」
ナズナは、口を開いたものの躊躇ったように口を閉じた。
そのあと、言葉を選ぶように視線をさ迷わせた。
「小さくてもいいから、普通の街に暮らしてみたいの」
街に暮らす。ああ、確かにそれはここで絶対に叶えてやることができない願いだ。
「冒険者とか、魔物とか。そういう危ないことには近づかないでね、小さな街でひっそりと暮らすの。何かお店とか開いてね?」
「店、か……料理屋とかか?」
仮にも地球とは違う、異世界の街だ。
人間だけじゃなく、エルフやドワーフといった種族も存在しているんだろう。
そんな中で、知る人ぞ知る小さな店を開く。
……幸せな景色だった。
「お料理は……お金を貰えるほど上手くはないから、アクセサリー屋さんとか?」
「作ったりできるのか?」
「うぅ……や、やってみたらできるかも……?」
仮にもナズナが手先が器用で、アクセサリー作りが職人顔負けなほどできるとしよう。
「ナズナが作ったアクセサリーがさ、幸運のお守りとして広まるんだ」
「幸運のお守り? それなら冒険者の人から人気が出ちゃうね」
「でも作ってるのはナズナ一人だから、どうしても間に合わなくなってきちゃうんだろうな」
一日に作れて五個といったペースだというのに、欲しがるお客さんは20人以上やってくる。
ナズナが必死に作っても作っても間に合わなくなって、弟子を取ることにしようと話になる。
「お弟子さん、どんな人かなぁ」
「ナズナに似て、優しい子だ、きっと。ナズナの方が器用だけど、そいつは料理が上手い」
「わ、お料理教えてもらわなきゃ!」
弟子に教えてもらう師匠って関係がややこしすぎないか?
夢の中で、ナズナが楽しそうに毎日を過ごしている。
弟子と二人でアクセサリーを作って、売り子さんがお客さんと楽しげに話している。
……その夢の中に俺はいなかった。どうしてもナズナの隣に立てる自信がなかった。
「ね、日向君」
本気でアクセサリー屋を開く気はないのだろう。
俺が続きを思い描かなくなると、楽しかった未来予想は終わってしまった。
「日向君は私に気を使いすぎ」
「俺はナズナを助けるって約束した」
「だーかーらー……そんな約束なんて破っちゃっていいんだよ」
なんでそんなことを言うのか、俺には理解できなかった。
ナズナが何を思っているのか、何を望んでいるのか。俺にはさっぱり理解できない。
……今話しているのは、本音……なのか?
「私は人じゃないの。人間じゃなくなったの。ダンジョンフェアリー、貴方を支援するための物なんだよ」
「ナズナは──」
「私は物。だから私の意思なんか関係なく、好きなことをすればいいの」
それが例え、俺が死ぬとしても?
ナズナを殺すことになっても……?
そっと、ナズナの肩を押す。
対した抵抗もなく、ナズナが倒れ、その上に覆い被さる。
ナズナの首に舌を這わせる。無遠慮にその胸を揉む。膝を少し動かば、スカートが捲れていく。
……それでもナズナは抵抗しなかった。
可哀想なほど体が震えているのに。頬に涙が伝っているのに。
やめてって一言言えばいい、こんなことしないでってそう言われるだけでも、俺は……!
「嫌ならそう言えよッ」
「……嫌じゃない」
「震えてるのにさ!好きでもない男にこんなことされてるのにさッ!」
「これはね、私の罰なの」
罰──?
ナズナが、一体なんの罪を犯したって言うのだろう。こんな地下に閉じ込められて人質にされるような罪ってなんなんだよ……
「だから、日向君と一緒に死ねるなら……それでもいいかなって受け入れられるの」
ナズナは、そっと俺の頭を撫でる。
彼女と同じように、自分のことをそっちのけで俺を許すかのように、優しく──
「だって日向君、優しいから……」
「わけ、わかんねえ」
目眩がした。
ナズナを押し潰してしまわないように、横へと倒れる。
状況が、まったく理解できなかった。人の心が、まったく読み取れなかった。
自分の限界を越えて動き続けた脳が、限界を訴えるように、俺の意識は闇へと沈んだ。
「レベルアップ、おめでとう、日向君」
そんな彼女の声を最後に
前回の補足を書こうとしたらまた補足が必要な話を書いてしまった……




