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私は、最先端の人間

作者: ゆか

 深い、深い海の底へ沈んでゆく感覚。ゆらゆらと揺れる水面が光を反射して輝くのが、徐々に遠くなるーー。

 そのとき。誰かがぐい、と私の手を引いた。

 一気に水面まで引き上げてしまうつもりらしく、どんどん辺りが明るくなる。

 ……まぶしい。

 白い光に包まれて目も開けられない中、ひとつの声を聞いたのを最後に、再度水中に突き落とされ、私は意識を失った。

「――よかった。『お姉ちゃん』」






 フィエラ国軍本部のとある一室。少佐専属の秘書としての業務を、今日も忙しくこなしてゆく。

「ルアーナ、もう、疲れたー」

 棚に大量の書類を、整理しながら仕舞っている私の背後で、机に突っ伏しながら面倒くさそうにつぶやいたのが、私の主、アーレント・ブランシェ少佐。青年のような声をしているけれど、三十二歳。地位のわりには、随分と若い。

「ねえ、聞いている? もう無理ー。過労死するー」

「過労でぶっ倒れた経験もないのに、適当なことを言うものじゃないわよ。あたしがこんなに元気なんだから、余裕よ」

「えー。僕の三倍は働いている君にそれを言われると、なにも言い返せないじゃないか」

 ぶつぶつ文句を言いながらも、再び業務に戻るのだから、まあ、許そう。

 いつも通りの何気ないやり取り。ふっと自然に頬が緩むのを感じながら自分の机につくと、アーレントに代わって書類に目を通し、サインをする。もちろん、彼の筆跡を真似て、だ。

「……ねえ、ルアーナ」

 静かになって一、二分が経った頃、アーレントは唐突に口を開いた。ぱっと顔を上げてみると、書類に目を落としたまま、手はせわしなく動いている。

「ん、なに?」

「前に、五年以上前の記憶が、一切ないと言っていたよね」

 おもむろにこちらを見上げたアーレントと目が合う。思いのほか真剣な眼差しに、僅かに緊張する。

「ええ、そうよ。言葉とか、常識とか、そういうものはしっかり思い出せるのに、私自身に関する記憶だけがすっぽり抜けているのよ」

「まだ、思い出せないの?」

そう訊いた彼の二つの瞳から伺えたのは、心配する心ではなかった。寂しい、悲しい、そういった感情を含んだ目をしていた。

「……なんで、あんたがそんなにつらそうなのよ?」

「んー……なんでだろうね?」

 少女がするように軽く首を傾けると、アーレントは小さく笑って答えた。

「でも、さ。身近な人が記憶喪失になったら、少なくとも悲しく感じるものじゃないかな」

「それは、まあそうかもしれないわね」

 納得して返すと、アーレントは満足そうにうなずいた。

「はー。まあ、無理に思い出そうとはせず、僕の秘書さんをしてくれればいいよ」

「……なに、こっちをじとっと見つめて」

「ルアーナなら、その意味が分かるだろうと期待しているのだけれど」

「はいはい。いつものでいいの?」

 特に抑揚もつけずに言うと、脇にペンを置いて立ち上がる。コーヒーを淹れるためだ。

「うん! さっすが、パーフェクトな秘書さんだ」

「それ、嬉しくないわよ」

 コーヒーメーカーのスイッチを入れ、マグカップを用意する。ティースプーン五杯の上白糖に、八十ミリリットルのコーヒーミルク。それに、ハチミツを一滴たらすのが、アーレントのお気に入り。そのときの疲れ具合によって、ハチミツの量を増やしてやると、さらに喜ぶ。

 基本的にブラックしか飲まないあたしにとっては、甘ったるくてカップ一杯など飲めたものではないが、彼は水のようにゴクゴク飲む。

 ドリップしている間に、書類を読み進めようと何枚か手に取ると、ふと気になる文言が目に入った。

(極秘捜査報告書……?)

 自分が依頼を出した覚えはないから、別人のものが混入したのだろう。ちらっと内容を見てみる。

「……なに、これ」

 僅かに顔をしかめてつぶやくと、アーレントが立ち上がって横に来た。

「なに、どうしたの?」

 そのままあたしの手元を覗き込んで、固まった。あたしは急いでで文字を目で追って、生まれて初めて混乱を自覚した。

「なんで……あたしの、捜査を……? しかも、これって……」

 途中過程は適当に読み飛ばしたが、結論に書かれていたのは、あたしが普通の人間ではないということ。異常な記憶力と判断力の理由としては、脳内にコンピュータがあるからだ、と。

 極秘捜査までして、ふざけた結論を出したものだ。

「……誰かのいたずらかしらね」

 紙を捨てようと、くしゃっと丸めかけた瞬間、アーレントがその手から紙を奪った。

「え? ちょっと……」

「待って。これ、なんで?」

「どうしたのよ」

「いったい……」

「ねえ――」

「どこから漏れたんだ!」

 目を見開いて叫ぶアーレントに、言葉を失って立ち尽くした。

 こんな、切羽詰まったような表情を彼が見せるなど、あり得ないと思っていた。いつも、どんなときでも余裕そうに笑って、何事に対しても冷静に対処する。そんな彼が……

「あれだけ、徹底して、隠してきたのに……」

「どうしたのよ、アーレ……」

「ねえ、ルアーナ」

 目を上げると、アーレントは私の目を真っ直ぐ見据えて言った。

「この、書類に書かれていることが、すべて本当だと言ったら、君は、どうする?」

 ……は?

「ここに書かれている――君の脳内には超小型最新コンピュータが埋め込まれていて、世界で唯一それを使いこなしている、アンドロイドという存在である――ということ。もし、本当のことだと言ったら?」

「何を言って……」

「それを作り出したのが、僕だと言ったら……?」

「ちょっと待って。どうしたのよ、急に。そんな非現実的なことを言われても、頭がおかしくなったとしか思わないわよ?」

 ドリップが完了したのを確かめ、コーヒーをカップに注ぐ。ミルクとハチミツを加えてよく混ぜると、アーレントに差し出した。

「とりあえず、飲んで落ち着いて。ハチミツ多めにしておいたから」

 もどかしそうに眉を寄せていたアーレントだったが、素直に受け取ると数口飲んで、脇のテーブルにカップをコトッと置いた。

「うん、少しは落ち着いたかな。ありがとう。……ルアーナ。驚くだろうからそれは止めないけれど、真面目な話だから、よく聞いてね」

「ええ、分かったわ」

「今から二十二年前、僕が十歳の頃の話だ。下流階級の生まれだという話は、既にしてあったよね」

 そこから成り上がって今の地位を手にしたことは、とっくに知っていた。黙って頷く。

「お金はあまりなかったけれど、毎日幸せだったよ。近所に、十一個年上の女の人がいてね、仕事をしながら、隙を見つけては僕に構ってくれた。遊んでくれる以外にも、勉強を教えてくれたり、逆に僕の考えを真剣に聞いてくれたりしてね」

「……話が見えないけど」

「うん、もう少し説明することがあるから。……僕が機械に詳しいのは、当時からだった」

 アーレントは、廃棄されたコンピュータを自力で改造し、より高性能なものにしてしまうほど、機械に詳しい。なぜ、そっちの道に進まなかったのかと、疑問に思うほどだ。

「いろいろと試作品を作っては、その女性に見せて感想を求めた。そんなことを繰り返していくうちに、彼女の方からこんな提案を出したんだ。『脳の神経回路とコンピュータの回路を、繋げることができたら、便利じゃない?』って」

「それって……」

「もう察したかな。まあ、そのとき僕は率直に面白いと思って、どうしたらいいか考え始めた。そんなある日だよ。僕の住んでいる地域が、戦場と化した。僕は女の人と一緒に逃げた。でも、逃げた先が悪かったようでね、女性の方が、瀕死の重症を負ったんだ。……すぐに病院へ行って、命だけは助かった。けれど、寝たきりさ。町の病院のベッドで眠る彼女を見つめながら、どうしたら彼女は再び目を覚ますかと、それはもう悩んだよ。そして、思い出したんだ。脳の神経回路にコンピュータの電子回路を繋げる提案を」

 あまりに飛躍した内容に、混乱しそうになりつつも、黙って続きを待った。

「コンピュータは機械だから、外部からの操作も可能だ。つまり、うまく繋げることさえできれば、彼女を覚醒させられる……! それからは毎日、研究をした。彼女に助けられたっていう人が、周りにたくさんいてね、僕の研究を後押ししてくれたんだ」

「……でも、十歳でしょう?」

「年は関係ないさ。僕は、あそこらへんでは誰よりものを知っていたし、機械に強かった。そのことをみんな認めていたんだよ」

 難しい話に頭痛を覚えた。こめかみを押さえながら、続きを促した。

「そう。……それで?」

「何年も、何年もかかって、ようやく五年前の冬、完成したんだよ。……彼女が目を覚まし、自分の意思で動き始めた。何もかもが元通りだと喜んだ。けれど、彼女は、大事なものを失っていた」

 そこで一旦言葉を切ると、アーレントは小さく息をついた。そして、再び口を開く。

「記憶だよ」

「記憶……?」

 無意識につぶやくと、アーレントは大きく頷いた。

「そう、記憶。目を覚まして開口一番『なに、ここ。それに、あなたは誰?』と聞かれたときの衝撃は、言葉では言い表せないよ。でもね、記憶を復元する技術はなかった。というより、彼女が思い出す以外にないのかな。だって、彼女の記憶をデータ化していたわけではない。カメラを頭に取り付けて生活していたわけでもない。だから……彼女には、自由に生きてもらおうと、新しい人生をここから始めてもらおうと、決めたんだ」

「だから?」

「んー、まあ、過去に縛られて、僕は彼女を覚醒させたわけだけれど、記憶を失くした彼女にとっては、過去なんてものはなんの意味もなさないからね。昔に縛られたままの僕のことは気にせず、彼女らしく生きてくれればいいかな、って。僕のことは知らない彼女で、生きてほしいって」

「……一つ、質問。あなたは、この軍に属しながらも研究を進めていたってこと?」

「ふふ、よく気づいたね。僕がこの軍に入隊したのは、十九歳のとき。そこから十三年は、君の言うとおりのことをしていたよ」

 並みの努力ではないと感心すると同時に、自分の鼓動が緊張で高まるのを感じていた。この流れで予測ができているとはいえ、それにしても……。

「だからね、三ヶ月前に新しい秘書だと言って君が来たときは、びっくりしたよ。運命なんだなあって。……ねえ、『お姉ちゃん』?」

 お姉、ちゃん……。そんな風に呼ばれたことはないはずなのに、なぜか懐かしい響き。聞いたことのないはずの少年の笑い声とともに、何度も頭の中で繰り返すこの言葉は、妙なほど心地よかった。

「……もう、一度」

「ん? なに、ルアーナ」

「もう一度、呼んで。さっきみたいに」

 一瞬、驚いたように瞳を揺らしたアーレントは、すぐに優しい微笑みを浮かべると、先ほどよりも丁寧に、呼びかける。

「……『お姉ちゃん』」

その瞬間、また、あの景色が、見えた。……水面だ。

「……思い、出した……全部……」

 息だけでそう言うと、アーレントの顔を見た。心底嬉しそうに笑う、アーレント。遠い昔の記憶の中にいた、とても賢い男の子の屈託ない笑顔と、見事に重なった。






 水中に再び落とされ、眩しかった光はみるみるうちに遠くなる。

 視界はすべて闇に支配され、何も見えなくなった。音もなかった。温度もなかった。何にも、なかった。

 ……ゆっくりと目を開く。

 ぼんやりとした、人工の明かりがあった。どうやら深く眠っていたらしい。

 手をついて慎重に起き上がる。すると、視野の右端で、何かが動いた。

 ――ん、あれ? 起きたんだね!

 こちらに駆け寄るそれは、見たこともない人間。……見たこと? そう考え、自分以外の人間を、自分が知らないことに気づいた。

「なに、ここ。それに、あなたは誰?」


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