卒業する君へ
以前に活動報告に掲載した掌編です。
「直ちゃんのほうが、よっぽど、“奈織”ちゃんって感じだよ」
電車の窓にうつるわたしの顔は、口がとがっていて、すねているとすぐにわかる。もう何年もおなじことをわたしは言っている。それに応える相手の女の子も、何年もおなじ答えを返す。
「そうかな、そんなことないよ」
「そうだよ」
意味もなく、少し伸びた前髪をひっぱって、わたしは身体をくるりと反転させた。その調子で、肩からかけていた通学鞄がドアに当たって、ゴンッと鈍く鳴った。
「こんなの、要らなかったのに」
鞄に入れた体育シューズのことを思い出して、いやな気分が戻ってきた。要らないって言ってるのに、大会で戦って勝った記念だからって後輩がむりやり押しつけてきた。
部室の隅にこっそり置いてたの、ばれてたみたいだ。勝手に処分してくれることを期待してたけど、世の中そんなに甘くなかったみたいだ。
「大学に行ってもつかえるじゃない」
さっきからほとんど窓の景色から目を離さずにいた直ちゃんが、今度は吊り広告に目が移ったのか、上を見ながらそう微笑んだ。
直ちゃん、かわいいな。と、わたしは自分の靴先に視線を落とした。
佐々山 直ちゃんは、学校内で一、二位を争うくらいの美少女だ。栗色の髪は、雑誌のカットモデルみたいにくりんと巻いてあって、全体的な雰囲気も、髪形によく合っていると思う。
制服指定の、落ち着いたピンク色と茶色のチェックのリボンも、色の白い直ちゃんのためにこの世に生まれたといえるくらいだ。
対するわたしは、“奈織”って漢字がわたしに喧嘩売ってんじゃないかと思うほど、この名前が似合ってないと思う。
運動部に入ってたおかげで、肩も足もなんかがっしりしてるし、背もそこそこあるし、髪は黒に、今は伸びてきてるけど、それまではショートの域を超えたショートだったし。
だからわたしは、制服のリボンなんて数えるほどしかつけたことがない。似合わないしさ。まあ、そんなリボンとも今日で、というかあと数十分でお別れだけど。
「大学に行ってまで運動部ぅ? やだやだ」
わたしは鞄を抱えて、いやいやと頭をふった。
直ちゃんは、いつからそんなわたしの様子を見ていたのか、わたしの目をじっと見上げて言った。それは、つぶやくようにも聞こえたし、直ちゃんにもわたしにも言い聞かせているようにも聞こえた。
「奈織ちゃんは、奈織ちゃんだよ」
そう言って、直ちゃんは、また顔を窓に向けた。停車した電車の窓には、三月にしては強い日差しが当たっている。直ちゃんは下を見ていた。窓の向こうに見えるファーストフード店から、高校生らしき男の子の集団が出てくるのを、わたしも直ちゃんと一緒に見ていた。
「奈織ちゃんがさ」
「うん?」
「奈織ちゃんが、鼻の頭にどろつけて、わたしのピン探してきてくれたでしょ」
「うん、そんなことも昔あったね」
「そのときは奈織ちゃん、肩くらいまで髪があって。わたしさあ、あのピン、奈織ちゃんにあげようと思って買ってたものだったんだ」
「えっ!?」
「深緑色の、あのピン。でも、渡すまでずっと持ってたら、渡したくなくなっちゃって。どうしようか悩んで歩いてるうちに、なくしちゃったんだよね。でもね、なくしたことに気づいて泣いてたら、奈織ちゃんが来てくれて。探して見つけてくれたんだよ。奈織ちゃん、そのときなんて言ったか、覚えてる? “直ちゃんのためのピンだね、だってこんなにきれいでかわいいんだもん”って。わたしはさあ、そのとき、ショックだったんだ。なんて素直なひとなんだろうって思ってさ。わたしには、結局このピンは似合わないって言われてるみたいで」
ゆっくりと動き出した電車の窓を、直ちゃんはいつからか見ていなかった。
直ちゃんは、まっすぐにわたしを見た。
「わたし、名前負けしてるなって思ったんだよ」
素直じゃないなって。
そう言って、困ったように笑った。それはなんだか、いつもの直ちゃんの雰囲気とはちがった。なんか、背中に一本の線がすっと通っているように見えた。
「直ちゃん……」
「卒業したら、“なおなおコンビ”は、おさらばだよ」
「直ちゃん、なんか、スッキリしてない?」
「うん、そうだよ。だって、おもいっきり、なおちゃんになれるんだよ?」
「えっ? どっちの、なお?」
「ふふ。どっちも、だよ」
電車の揺れに合わせて、体育シューズの入った鞄が揺れた。
ビルとビルの隙間から差し込む日差しに、ふと目を細めた。
窓にうつったわたしの顔は、もうすねてはいなかった。