その1
その電話に出たのは本当に偶然の産物だった。普段だったら、自宅の電話機のディスプレイに表示される見たこともない番地の電話番号など気味悪がって無視していただろう。
だが、本当にその時は深く考えもせず、いきおいでその電話に出てしまった。
そして、その第一声を受話器越しに僕は聞くことになった。
「こちら世界のどこか。もしもし、通じてる?」
もちろん、こちらは面くらった。
聞いたことのない声だった。少しキーの高い声で、よく通る声質だった。
そして、こちらが面くらっているうちに受話器の向こうにいる向こうはさらに声をつないで、こう言った。
「はじめまして。こちら世界のどこか。つれづれなるままにイタズラ電話中。もしもし?」
その声を聞いて電話を切らなかったのは、本当に気まぐれ以外のなんでもなかった。
時刻は日曜の午後で、少し日も傾いてきたという三時半過ぎ。気分よくもう何度目かになる文庫本を読んでいたというのも、その偶然には都合がよかった。何故ならば、暇ではあるが、気分が悪いということもなかったからだ。
「聞こえてる。一体なんなんだ」
「すごい。こんなイタズラ電話に反応してくれたのは、アナタが初めてだ。こちらの名前は…、田中太郎」
「明らかに偽名だね」
「その通り。本名を簡単に名乗るには物騒な世の中だからね」
「そりゃそうだ。それで、これは一体なんなんだ」
「この曜日のこの時間帯は暇でね。そして、ついさっき暇つぶしにある行為を思いついたんだ」
「それが今現在の状況に関係があるのは、うすうす感じるけど一体なんなんだい?」
「ボトルメッセージみたいなものさ」
「ボトルメッセージ?」
それを聞いて、僕はビン詰めにされた手紙を思い浮かべた。それにメッセージを込めて海に流すのだ。はかない偶然に身をゆだねるちっぽけな願いが込められた空き瓶。
「想像の通りだと思うけど、それの海ではなく電話回線版ってこと」
「つまり…」
「暇だから話相手になってもらえない?」
つまりは、こうして僕は本当に様々な偶然と偶然のコラボレーションにより、田中太郎(偽名)という正体の知らない話相手を得ることになった。