ニューゲーム2
獅子を目の前にしたような威圧感を覚えた。
鷹のように鋭い眼差し、一回りどころか二回り以上こちらを上回る身長は2mを優に超えている、鱗に覆われた皮膚はいかなる鎧を上回る強度を持っていそうだ。
シグルドは目の前の、存在の威圧感に言葉を一瞬、失った。
ドラゴニュート。
竜の顔を持った人型の亜人。
目の前にいるドラゴニュートの亜人の名前は、ランスロット・ヴァーミリオン。
円卓騎士を束ねる団長格の騎士であり、ネバーワールドの中の設定において、シグルドが最も信頼した騎士の1人だ。
ドラゴニュートが一歩、シグルドの前に進み出る。
威圧感が2割増した。
その巨体から似合わぬ敏捷な動きで、シグルドの前に片膝を付いた。
「よくぞ、お戻りに! 我が主よ……」
肩を震わせるランスロットの姿。声は低いが、よく通る声だった。
威圧感から立ち直ったシグルドは、鷹揚に頷きながら言った。
「うむ……。ランスロットよ」
モニターの前では、ランスロットが鬼のような強さで敵軍を蹂躙する様を見ながら、悦に入っているのを思い出す。
こいつ、円卓騎士の中でもかなり強いんだよな……。
何をするにせよ、こいつらから話しを聞くか。そう思ったが、先ほどから空腹感を覚えていた。腹が減って、考えがまとまらない。
「ランスロットも合流した所で、状況を確認したい。だが、その前に腹が減った。食い物あるか?」
我ながら直接的すぎる物言いだな、と思いながらも本当に空腹感を覚えていたのだ。
シグルドの言葉に、ランスロットはすぐさま立ち上がる。
「我らの食事も準備を始めようとした所です。しばしお待ちを、すぐに用意致します」
ふと、周りにトリスタンらしき姿が見えない。
「トリスタンはいないのか?」
シグルドの問いにランスロットが答える。
「スレイプニールの調教で、手が離せぬ状況との事です。3日後には合流できます」
何でスレイプニールの調教? と思うものの、取り合えず今は腹が減った。
そうか、とだけ応えるとランスロットはシグルドに向かって一礼し、そのままブリュンヒルド、エスター、ユリウスに目配せする。3人はランスロットに向けて軽く頷くと、各々に散らばった。
自分も何か手伝ったほうがいいか、と思ったが。
「シグルド様はこちらでお待ちを」
ランスロットに、チェアデッキを示された。
「お、おう」
かなりしっかりとした作りのチェアデッキに座ると、ランスロットはシグルドに一礼してその場を離れた。
思わず辺りを見渡す。
湖畔にある場所だった。
小1時間ほどあれば一周できそうな、それほど大きい湖では無い。湖の向こうには、先ほど歩いていた森が見えた。すぐ近くに大小、2軒のログハウスが建っている。ランスロット達が建てたものだろうか。
ふと見ると、各々が食事の準備をしている。まるでキャンプの準備をしているようだ。武器は身に着けているが、流石に防具は外している。
ランスロットが大きい中華包丁で、物凄い速さで野菜を切っていた。大きい中華包丁も、ランスロットの手かかるとペティナイフに見える。自分の作業をこなしながらも、ブリュンヒルド、エスター、ユリウスの作業を見ながら時折、指示を出していた。
ユリウスは水汲みや、机を組み立てる力作業をしていた。
エスターは鍋を見ながら、時折、火の調節をしていた。
ブリュンヒルデはランスロットの隣で魚を捌いていた。
ブリュンヒルデとランスロットがある物を身に着けているものを見て、シグルドは内心で呟く。
(エプロン、この世界でもあるのか……。それと、フードパラメータもやっぱりあるのか?)
ネバーワールドの世界でも疲労度や空腹度というパラメータは存在する。どちらのパラメータもマックスになっても、死亡する訳ではないが、マックスに近いほどあらゆる能力が低下してしまう。例外として、アンデッドになればこちらの制約から解き放たれる。ただしアンデッドになれば、光や炎属性の攻撃に弱くなる属性ペナルティが課せられるが。
目を閉じる。
何故、円卓騎士の彼らがいるのか?
疑問が頭に浮かぶ。
と、脳裏にある言葉が脳裏をよぎる。
『最高レベル順に並べたリストより、上位5名を選出しました』
「!」
思い出す。
今日、目覚めるまでに夢の内容を。いや、あれは夢だったのだろうか。だが、もうそれはどうでもいい。
「……様」
何か、あの夢はひどく重要なヒントが隠されているような気がする。
「シグルド様」
優しく肩を揺り動かされる。
目を開くと、ブリュンヒルドが心配そうな目でこちらを見下ろす。
「お休みの所、申し訳ありません。食事の用意ができました。ご気分が優れないようでしたら、このままお休みになられますか?」
ハンカチでシグルドの額を、押し当てる。
頭に手を触れると、汗をかいていた。
「いや、大丈夫だ」
軽く手を上げて、ブリュンヒルドを押しのけて立ち上がる。
「野外で食うのか?」
シグルドの視線が、湖の辺近くにテーブル台が置かれ、その上に料理が山のように並べられている先を向く。
「天気も良いですし、視界が開けていますので、何かあればすぐに分かります。お嫌であれば、中に運びますが」
ブリュンヒルドはログハウスのほうを見た。
「いや、別に構わん」
シグルドは料理が山のように並べられている先に向かって歩く。その先にはすでに、ランスロットらがいた。ユリウスが、熟練のウェーターの如く手馴れた仕草で、料理を持った皿を運びながら、配置していた。
シグルドを確認すると、笑みを浮かべて椅子を後ろに引いて、優雅な仕草で薦めた。
「どうぞこちらへ、ご主人様」
苦笑しつつシグルドはユリウスが薦める椅子に座った。
「我らもご相伴させても、よろしいですかな?」
ランスロットが右手に、瓶を持っていた。
「無論だ」
シグルドは頷くと、ランスロットを除く面々がそれぞれ椅子に座る。
ふとテーブルを見て思う。
(ラウンドテーブルじゃないのか)
テーブルは木製の、長方形のテーブルだ。円卓騎士というくらいだから、円卓に拘ると思ったが。
テーブルの上の食事から、香ばしい匂いが漂ってきて、唾が出てくる。魚もあれば、肉もある。野菜と果物らしきものを綺麗に盛り付けている。
ネバーワールドの中では料理スキルというものが存在する。その名の通り、料理スキルがあれば食材があれば料理できるのだが、このスキルが地味に役立つのだ。料理スキルが高い程、空腹度のパラメータの回復度が高く、尚且つ空腹度の上昇率が緩やかになるのだ。
そのため、シグルドは円卓騎士の面々の料理スキルは最大値まで上げていた。
(期待できそうだな)
「シグルド様」
ランスロットが瓶を差し出してくる。
「ああ」
シグルドは反射的に、空のグラスを手に取ると、ランスロットは瓶を傾けて、並々と注いだ。ランスロットは瓶を持ったまま自分の席に座り、手酌で自分のグラスに注ぐ。他の面々も各々手酌で自分のグラスに注ぐ。
「では、シグルド様のご帰還に乾杯」
ランスロットの言葉と共に、グラスを上げる。シグルドもグラスを上げるが、ゲームの中でのキャラクターと一緒に飯を食べるという光景に、どうにも現実味を感じなかった。だが、彼らの用意した食事は空腹という調味料を差し引いても、驚く程に美味かった。
もっとも食事だけに専念せず、食事をしつつも状況を確認する。
円卓騎士らから、アースガルドの事について聞かされた時、シグルドは衝撃を受ける。
シグルドが光の王アーサーの後を次いで、アースガルドの王となり、混乱する世界を統治してしばらくの後だった。
シグルドが忽然と姿を消した。
国中が騒然とする中、ランスロットを含む円卓騎士は動揺する一団を鎮めつつ、シグルドが姿を再び姿を現すのを待っていた。
空座となった玉座の前で、主の帰還を待っていた。
だが、時は1年、2年と経ち、50年余りが過ぎた時に、円卓騎士は決断する。王の帰還は何時になるか分からない。だが、必ず帰還して下さる筈。
悠久の時を経とうと、王の帰還を迎え入れるように準備を進める。
シグルドの直轄地であるアースガルド王国の全軍を、全てを記録する事ができると言われるアカシックレコードに凍結させる。凍結されている間は、何も感じない。時は止まり、朽ち果てる事無く、そこで死んだように待ち続ける。
人、武器防具、施設、財宝。アースガルド王国の全てを。その中には当然、円卓騎士も含まれた。一方で、世界の全ての国や民までもは、凍結しなかった。アースガルドに従属していた国家やその軍は、アカシックレコードへの凍結対象には含まなかった。
アカシックレコードへの凍結を解く事ができるのは、シグルドのみ。
彼らは待ち続けた。
そんな中、円卓騎士の5人が、アカシックレコードの凍結から解かれる。
その5人がランスロット、ブリュンヒルド、エスター、ユリウス、トリスタンである。
5人は、シグルドが目覚めた場所の、あのレダの神殿跡でアカシックレコードの凍結から目覚めた。5人は、自分らをアカシックレコードの凍結を解いたのが、シグルドである事に確信し、シグルドを探したが、一向に見つからなかった。
円卓騎士の纏め役でもある、ランスロットは焦らなかった。最初に凍結から解かれたのが、ランスロット。最後に解かれたのがブリュンヒルド。この解かれた日には6日間のずれがあった。
であれば、必ずやシグルドは現れる。ランスロットはそう信じ、シグルドが現れるまでに情報収集を図る。
情報収集を集めた結果、分かった事。
アースガルド王国がアカシックレコードに凍結してから、世界は800年経っていた。
円卓騎士の知る国々の多くは滅亡し、全く新しい国が誕生し、独自の文化圏を形成していた。ただし、鋳造技術や錬金術、魔法技術については大きく後退しているようだった。
情報収集しながら、シグルドの帰還を待ち続けて1ヶ月。
ようやくシグルドが現れ、今日に至る。
「そうか……」
話しを聞き終えたシグルドは嘆息した。
いつ現れるとも知れない自分を待ち続けた、彼ら。
普通では図れぬ価値観。
自らの時を止めても、待ち続けた。
兄と自分が作り出した彼らにとっては、兄と自分しかいないのだ。
ならば応えよう。
王というロールプレイを演じた、紛い物の自分でも必要とするのでならば。
必要とされなくなるまで、演じてみせよう。
「800年の時を経てもなお、シグルドを王と慕うというか」
知らずに声が出た。
独り言であったが、円卓騎士にとっては、問いかけに聞こえたのだろうか。
騎士達は、一同に立ち上がる。
円卓騎士のまとめ役であり、ドラゴニュートのランスロットが強い決意を滲ませる。
「我ら一同」
アーサーが存命の時より自分の右腕的存在として、シグルドを支えてきたブリュンヒルデが玲瓏な眼差しに敬意と、別のものが入り混じった感情を滲ませつつ言った。
「命尽き果てるまで」
アーサーの実子であり、自分の甥たるユリウス。幼き時より、シグルドが育て、今や騎士の最高峰たる円卓騎士の1人になったユリウスは尊敬の眼差しを持って答える。
「シグルド様に」
常にクールな表情である褐色の肌を持つ美貌のエルフ、エスターは表情を変えず、ただ瞳には忠誠を誓う決意の光があった。
「剣を捧げます」
「この場に居らぬ、トリスタンを含め、今なおアカシックレコードで眠り続ける我らの同胞も同じ気持ちですぞ」
ランスロットが頭を垂れながら言った。
狂信的とも言える忠誠。もし現代に生きる茂彦という価値観であれば、異常に見えただろう。
だが、この世界で今を生きるシグルドにとっては――
「……お前達の忠誠嬉しく思うぞ」
破顔する。
かつて、兄と共に作り上げたキャラクター達。兄の死後に、自分が作り出したキャラクターもある。その彼らが自分と同じように喋り、そして自分に対して想像していた通りの忠誠を向けてくる。
空腹状態から脱した事もあるのだろう、シグルドの心に広がっていた不安という名の靄が取り払われて行く。
シグルドは手振りで、一同に着席するように促す。
既にテーブルの上にあった山のようにあった食事はあらかた、片付いていた。もっぱら胃袋におさめていたのはシグルド、ランスロットであったが。元々、小柄な体格に比例して小食な方であったが、この場ではどうも大食漢になったようだ。体調と食事があまりにも美味かったせいなのか、あるいはこの世界に来て胃袋の大きさが変わってしまったのか。
「今後の方針について話そうと思うが、それについてはトリスタンと合流してからにしよう。で、そのトリスタンだが、スレイプニールの調教をしていると言っていたな?」
ランスロットがシグルドの問いに答える。
「この地に降り立った我らですが、装備はあれど、軍馬が無い状態でした。そこで軍馬の調達にトリスタンが、北方の山に生息する野生のスレイプニールの捕獲と調教を行っております」
ネバーワールドでは、騎乗できるスキルがあれば馬に限らず、騎乗可能な動物に乗る事ができる。動物に騎乗する事で、移動速度が上がり、戦闘能力のパラメータ上昇に繋がる事がある。スレイプニールは、モンスターの一種であるがビーストテイマーのスキルを持った者が捕獲して調教する事で、従順な存在となる。ネバーワールドの中ではスレイプニールは騎乗可能な生き物の中では、中の上に位置する存在だった。
「確か先ほど、3日後に合流できると言っていたな。調教具合は問題ないのか」
ブリュンヒルドが一瞬、トリスタンがいるであろう北方の山に視線を向けつつ、口を開く。
「調教については、明日には終了するとの事です。ただ、こちらに到達するまでに2日程かかります」
「ふむ……すまん、机の上を片付けてくれ。地図を広げたい」
シグルドは椅子から立ち上がり、インフィニティバッグから地図を取り出す。その間に、ランスロットらが空いた食器などを机からどけて、スペースを作った。空いたスペースにシグルドは地図を広げた。
地図はアレグンド大陸の南部地帯の周辺一帯を記したものである。一同がテーブルの上に広がる地図に視線を落とす。
「まず、現在我らがいる場所はこのレダの神殿だ。が、このレダの神殿については存在していないのだな?」
シグルドの確認に、女エルフのエスターが答える。
「はい。どうやら数100年前の戦で、焼き払われたようです」
ふと、この中のメンバーで一番、『偵察――スカウト』のレベルが高いのがエスターである事を思い出す。
広げられた地図には、交通路や都市の名前が詳しく記されている。
「この800年前である地図では、都市や地理の情報の信憑性が乏しい事になるな……。実際に目で確認できているのはどれくらいだ?」
エスターを見ながら聞くと、「失礼します」と断りを入れて自分のインフィティバッグから、スクロールを取り出す。スクロールをシグルドの地図の横に広げると、中身はおそらくエスターの手書きだろう、地図が書かれていた。細かく経度などの数字が書かれている。
「周辺400キロ一帯を確認しました。こちらの地図にあった、集落や都市はいくつか消えており、東に広がる平野は森と化していました」
「ふむ。で、トリスタンがスレイプニールを調教しているのはどの辺りだ?」
エスターの細長い指が北に地域に広がる、山岳地帯の一角を指した。
「ここより、60キロ程離れた場所です」
トリスタンが調教している場所の更に北方に、「オルグ都市」と書かれているのが目に入った。
「む、このオルグと書かれているのは何だ? かつての地図ではオヴェイロンがあった場所だな」
シグルドは自ら出した地図と、エスターが自前で記載したスクロールを見比べる。
オヴェイロンはアレグンド大陸の南部大陸では、最大の要塞都市だった。
「オヴェイロンの跡地に、このオルグという名の都市を作っています。この周辺では1番大きい、人口都市です」
「このオルグには行った事があるのか」
エスターは頭を振る。
「いえ、召喚獣の目を使って外から見ただけです。この近くの村に住む人間から、オルグ都市については、この一帯で一番発展している都市と聞き及んでいます」
召喚獣――精霊魔術で使役できる存在だ。エスターはスカウト系のスキルを持つと同時に、精霊魔術にも秀でていた。
シグルドはランスロットを見る。
「トリスタンと合流後に、このオルグ都市に向かう。この地で、地理や情勢の情報を集めたいと思うのだが、どうだ? 人の多い場所なら情報もよく集まる」
ランスロットは同意するように首肯した。
「そうですな。我らもシグルド様が現れるまで、この地を中心に多少の情報を集めましたが、心もとない限り。賛成です」
他の面々を見ると、同意するように頷いた。
「で、このトリスタンがスレイプニールを調教している地からは、直接オルグに向かうルートはないのか?」
シグルドはエスターの記載した地図のスクロールにある、オルグと書かれた一点を指で突いた。エスターは一瞬、考え込むように視線を落とし、シグルドの目を見ながら答えた。
「あります。日数で言えば、4日、いえスレイプニールの足があれば2日で着くかと。ですが、1点問題があります」
エスターの言葉にシグルドは続きを促すように、顎をしゃくる。
「山賊です。この北方の山脈からオルグに繋がる地に、山賊が居座っています」
山賊。
その言葉にシグルドが思い浮かべたのは、昔に流行った世紀末を舞台にした拳法マンガに出てくる悪人顔をしたオッサンだ。
ネバーワールドでも山賊はいた。低レベルの弱い山賊もいれば、高レベルの山賊もいた。
「この山脈からオルグに向かおうとすると、山賊と鉢合わせする可能性があるという事か」
シグルドは考え込むように右手で顎をさする。答えが返って来る事をあまり期待せず聞いた。
「その山賊の規模とかは分からんよな?」
シグルドの予想に反して、エスターはあっさりと、分かりますと答える。
「山賊はジフ山賊団と、この辺り一帯で悪名を轟かせているようです。数の構成員は40名前後です。以前に廃棄された砦を拠点としています。装備、錬度においては……」
言葉を捜すようにエスターは一瞬、考え、言った。
「我らアースガルドの基準に果て当てはめれば、見習い騎士にも劣ります。名無しのゴブリンと同程度といったところでしょう」
名無しのゴブリンとは、低位のゴブリンの総称だ。レベルが高いゴブリンともなると、アークゴブリンやキングゴブリンと呼ぶようになる。
「ほう、そこまで掴んでいるか。よくやった」
シグルドの感心した口調に、エスターは表情を変えず僅かに下を向く。尖った耳が若干、赤いのは気のせいか。
「よし。トリスタンとの合流だが、こちらからトリスタンのいる地に向かおう。トリスタンとの合流後に、オルグ都市に向かうとしよう。今後の方針については先ほど言ったように、トリスタンと合流後に話す」
異論は無いか、一同を見渡すシグルド。
「で、あれば合流地点は、こちらがよいかと」
エスターが地図で指差す場所は、トリスタンが要る場所より、オルグへ向かう場所に近い場所だった」
「オルグへ向かうのであれば、この地点でトリスタンと合流すれば近くなります」
「トリスタンと行き違いにはならないか?」
「『ログ――遠話』で確認すれば大丈夫かと。トリスタンもこの辺り一帯の地理には明るくなっています」
シグルドはエスターの答えに頷き、ランスロットを見る。
「準備が出来次第、出発しよと思うのだが、どうだ?」
「はっ! 今からであれば、翌日の昼過ぎにはトリスタンと合流できますな。早速、ここを引き払う作業に移ります」
ランスロットが命令の受諾を受けた事を示すように、右腕で左肩を当てる敬礼をした。他の円卓騎士も同様に敬礼する。
「エスター、合流地点の変更連絡をトリスタンに取るのだ。ユリウスは辺りに仕掛けてあるトラップを解除。ブリュンヒルドはここの片付けを」
ランスロットは一同にテキパキと指示を飛ばす様を横目に、シグルドは自分が取り出した地図をインフィニティバッグにしまい、トリスタンがいるであろう方向を見やる。
雄大な山々の光景が広がっていた。
(山登りか……小学生のハイキング以来だな。登りきれるのか?)
インドア派だった自分に、山登りできる体力に自信がなかった。
シグルドの体力面の不安は杞憂に終わった。
ネバーワールドでの限界レベルまで鍛え上げたシグルドのパラメータは、反映されていた。
シグルドを含む一行は、エスターを先頭にして急勾配の山の斜面を、登っていた。最後尾はブリュンヒルドが歩いている。エスターとブリュンヒルドに挟まれるようにして、シグルド、ランスロット、ユリウスの順になって進んでいた。
ランスロットとユリウスは、背負い袋を担いでいた。普通の背負い袋ではなく、インフィティバッグの一種だ。インフィティバッグは、魔法空間によって広げられおり、見た目の体積より収納できるとはいえ、無限に入る訳ではない。ただし、インフィニティバッグも大きいサイズになればなるほど収納できる、スペースも大きくなる。ランスロットとユリウスが担いでいるのも、収納スペースが大きいタイプのインフィニティバッグだ。
そのインフィニティバッグを担ぐという力作業を、ランスロットとユリウスが行っているのは一行の中で筋力が優れているからだ。筋力という点では、シグルドも2人にそれ程劣っているとは思わないが、荷物を担がせてはくれなかった。
山道を歩きながらも、シグルドはランスロットらに知り得る事を聞こうと質問していた。
言語については自分たちが話す、『ジャスパー語』は少なくともこの地方では主流では無く、『ライスリ語』が主流であること。
ネバーワールドでは、地方により言語が違うという設定があり、その地方で旅をするのに主流の言語を取得しないとかなり不便を強いられるような仕組みになっていた。先ほどのジャスパー語とライスリ語は、ネバーワールドの設定上にあった言語の名前だ。シグルドを含め、円卓騎士は主要の言語を取得していたので、言葉には不自由しない事を知る。
通貨についても同様で、アースガルドが広めた広域通貨は既に今の世界では無くなっていた。ただしアースガルドの硬貨については、純金としての価値があり、通貨を得る事が可能だった。実際、ユリウスが集落の村で立ち寄った交易商人との間で、アースガルド硬貨で、この地域一帯に流通している通貨を得る事ができた。ただ、この時はかなり買い叩かれた感があったらしい。シグルドを含め、一行は各自相当量のアースガルド硬貨を持っているので、当面は金策には困らない事が確認できた。また、アカシックレコード内に眠るアースガルドの宝庫には膨大な量の通貨が残っている。
(言葉の壁も無さそうだし、金も当面は大丈夫、か。とはいえ、金やアイテムも膨大にあるとはいえ、有限である事に変わりない。生産できる体制を作らないといかんな)
根が貧乏性なシグルドとしては、減り続ける懐事情というのは精神上に悪い。内心でそんなことを呟いている時、前を歩くエスターが振り返る。
「そろそろ、合流地点です。……トリスタンは既に来ているようですね」
エスターが前方に視線を向ける。その視線の先を見るがトリスタンらしき人影は見えない。目は悪くない筈だが、エルフの視力には適わない。エスターの言う通り、しばらく歩くと人が見えた。いや、人ではなく狼人間だ。
狼人間――ウルフリングだ。
ウルフリングの周りには、8本足を持つ見事な体格をした馬が8頭いた。
このウルフリングの名前はトリスタン・ウルズバーグ。円卓騎士の1人である。
トリスタンは、シグルドの元に駆け寄ると片膝をつき、恭しく頭を垂れる。
「『ログ――遠話』にてシグルド様、ご帰還の事を聞き及ンでおりましたが、ご尊顔を拝し嬉しゅうございます」
「おう、久しいな」
シグルドは鷹揚に頷き、目の前で片膝をつく灰色のウルフリングを見る。
トリスタンはアースガルドでも、数少ないシグルドが作り上げたキャラクターの1人だ。ビーストテイマーのスキルを保有するが、ウルフリング特有の敏捷性と瞬発力を生かした戦闘能力も極めて高い。森や山岳地帯でのゲリラ戦では、ランスロットをも凌ぐ能力を持つ。
トリスタンは立ち上がり、8頭のスレイプニールをお披露目するように軽く手を広げる。
「シグルド様を乗せるには多少役不足ですが、それなりのレベルには仕上げておるンです」
今まで、馬を間近くで見る事が無かった。8本足の馬――スレイプニールは、迫力があり鋼のように研ぎ澄まされたスポーツカーようだ。
円卓騎士を見やり、トリスタンはぞんざいな口調で言った。
「お前らには丁度いいンだろうな、レベルにはなっている」
トリスタンのぞんざいな口調にも、慣れているのか一同に怒りや不快な感情の色は無い。
ランスロットは感心したように、何度か頷く。
「良くぞこの短時間で8頭も、野生のスレイプニールを捕獲して調教できたものだ。やはり、騎士には馬が無いとしまらん」
トリスタンはそれでも、若干の渋面を作る。
「人手と時間があれば、もう少しいいレベルに仕上げれたンだがな」
8頭のスレイプニールでも一際大きな黒い、スレイプニールをトリスタンは指差し、ランスロットを振り返る。
「あいつは、旦那専用だ。旦那の愛馬には負けるが、旦那の巨体も十分に支えれるンだろ」
トリスタンは先ほどのランスロットの態度とは全く異なる恭しい仕草で、シグルドの前に1頭のスレイプニールを連れてくる。
「シグルド様にはこいつを。中々いい馬なンですぜ」
目の前に連れ出されたスレイプニールは、8頭いるスレイプニールの中でも見た目が一際美しい純白の白馬だった。
イケメンならまだしもフツメンの自分が、こんな白馬に乗るのは気恥ずかしい。
それに、他に気になっているスレイプニールがあった。
「いや、俺はあいつがいいのだが……駄目か?」
シグルドは茶色と黒の縞ぶち模様の、見た目が一番地味で小柄なスレイプニールを指差す。見た目は地味だが、一番体が絞り込まれていた。見た目は地味だが、実は凄いンです、というのがシグルドの心の琴線に触れたのだ。
シグルドの言葉にトリスタンはニヤリと笑い、言葉に感嘆の響きを乗せる。
「流石ですな。そいつには自分が乗ろうと思っていたンですが、シグルド様ご指名であれば、勿論構いませン」
じゃあ、こいつはどうするか、とトリスタンが純白のスレイプニールの乗り手を考える仕草を見たシグルドは言った。
「その白いやつは、ブリュンヒルドがいいだろう。お前には1番良く映える」
シグルドの言葉にブリュンヒルドは、一瞬だけ驚きの表情を作り、頭を下げる。
「ありがとうございます」
トリスタンはそんなブリュンヒルデを面白そうな目で見やり、次いでエスターとユリウスにぞんざいな仕草で顎をしゃくる。一方、エスターは面白くなさそうな表情でブリュンヒルドと純白のスレイプニールを見ていたが、すぐに表情を消した。
「お前ら好きなのを選びな。俺様は残ったやつで我慢してやるンだな」
それぞれユリウス、エスター、トリスタンが各自で騎乗するスレイプニールを選び出す。残りの2頭については、荷物を運ぶ荷馬として使う事にする。
「さて、トリスタンとも合流できた事なので今後の基本方針について話したいと思う」
シグルドの言葉に円卓騎士の面々の表情が、締まる。
「我らがいない800年という時間の中でこの世界は激変した。我らの知る多くの国々は無くなり、知る事の無い国々が生まれている。アースガルドという我らの国は、既にこの世界では忘却の彼方に消えているようだ」
シグルドは一息つき、円卓騎士の面々を見渡す。彼らはシグルドの言葉を一言も聞き漏らすまいと、真剣な目を向けてくる。
「それでも我のする事に変わりは無い」
一瞬、目を閉じる。
そうだ、自分のすべき事は決まっている。
「アースガルドを再びこの地へと導く。我らの国を再び打ち立てるのだ」
自分の行いは、既にこの世界に生きる者達にとって大きな脅威として映るだろう。当然だ。そうだ、自分は今いる世界に生きる者達から生活圏を奪おうとするのだ。
「アースガルドを再興するのが当面の目標になるが、課題となるのが拠点の確保だ。拠点が無ければ、アイテムの生産やアカシックレコードに眠る同胞らを呼び戻す事ができぬ」
ネバーワールドでも国を作るには、拠点が必要になる。シグルドとしてこの世界に来た今の自分には、それが必要であることを悟っていた。
シグルドは続ける。
「直近の課題として拠点の確保になる訳だが、拠点の候補地を洗い出す必要がある。また勢力状況についても確認する必要がある。勢力状況等の情報を集める為に、この辺りで一番人口の多いオルグ都市に向かう」
オルグ都市がある方向に視線を向ける。
「情報を集める段階ではあるが、今いる6人だけでは早々に国が再興できる訳も無い。国の再興に当たっては名声があれば助けになる。手始めに、この辺り一帯で悪名を鳴らしているジフ山賊団と名乗る、賊を倒して名声を得る第1歩とする」
国を再興するなどという事など、現実世界ではさっぱり思いつかないが、ネバーワールドの中でも何度もプレイして、成し遂げてきた。
最初は冒険者、もしくは傭兵として名声と金を貯める。その後は仕官して騎士、もしくは領主となる。そこでも同様に名声と力を貯め、上層部からの信頼を得るのだ。信頼を得て、足元の基盤を磐石にした上で、裏切って国として独立するか、もしくは他国からの侵略に乗じて独立するか。方法は色々あるが、だいたいそんな感じだ。いきなり単身で、国として独立できるほどネバーワールドは甘くない。
シグルドは円卓騎士の面々から異論や質問が出ない事を確認すると頷く。
「短期目標は名声と各地の勢力情報を得て、王国独立の足がかりを掴む。中期目標として、拠点を確保して力を付ける。長期目標として我らアースガルド王国の再興だ」
国を興す。
夢物語に聞こえるが、シグルドには確たる自信があった。そんなシグルドを見る円卓騎士の面々も、不信感といったもの負の感情は一切無く、それが当然であるような表情だった。
「王国再興後の運営については、追々計画していくとしよう。……まずは我らの足となる馬の装備を整えなくては」
鞍が取り付けられていないスレイプニール群を見る。シグルドが裸馬状態のスレイプニールに視線を向けているのを見た、トリスタンがランスロットに顔を向けながら口を開く。
「ランスロットの旦那。こいつら用の、鞍の調達を頼んでた分、どうしたンだい?」
「いや、準備しておらぬ」
ランスロットに文句をいいかけるトリスタンを、シグルドが手を上げて制する。
「鞍と言わず、戦場用の馬具はここにある」
シグルドは腰に吊るしてあるワンドを右手で握り、呪文を唱える。
『アカシックレコード・コネクト――アカシック空間接続』
呪文を介し、アカシックレコード内に眠る、圧縮されているアースガルドの財宝に接触。そこから、8頭分の馬具を探し出し、『解凍』して取り出す。ワンドの先の空間から馬具が飛び出てくる。
何も知らぬ者が見れば、その光景は無から馬具を生み出すように見えるだろう。その光景を見たトリスタンは驚きよりも、納得の表情をする。シグルドが行った行為を理解していた表情だ。
「なるほどン。そこいらの粗製な馬具を使うよりも、アースガルド製のほうがいいですな」
アカシックレコードから取り出した馬具は、乗る為に必要な鞍や鐙等だけでは無く、攻撃を防ぐ馬用の防具も含まれていた。
「この通り、アカシックレコードに眠るアースガルドの財宝や武器庫には、いつでも接続できる。数は数え切れぬ程、揃っており当面は装備について心配はいらん。しかし、こいつクラスの装備になると替えがきかん」
シグルドは左手の腰に吊るす、魔剣グラムの鞘を軽く叩く。
ネバーワールドの中では、武器防具について耐久値が設けられている。但し耐久値が減っても、鍛えなおす事で耐久値は回復する。この耐久値については、あらゆる武具防具に課せられており、シグルドの持つ魔剣グラムのような神造宝具クラスの武器であっても例外では無い。
ただ、当然ながら神造宝具であっても鍛えなおす事で、耐久値は回復するが、神造宝具クラスの武具防具を鍛えなおすには、高い鍛冶能力と高価な触媒と希少金属を要する。何より今のシグルドに最もハードルの高い難点があった。それは神造宝具クラスを鍛えなおせる場所が、設備が整った拠点でないとできないのだ。
「拠点が無い現在、神造宝具クラスを鍛えなおす手段が無い。けち臭いが、各自の神造宝具については、予備の武具で凌いで、極力温存するようにせよ」
武具の最高峰といえる神造宝具は数少ないが、円卓騎士には各自に神造宝具クラスの武具を1つ以上与えていた。
「予備の武具についてもアースガルドの武器庫から取り寄せよう。が、武器庫から取り寄せるのが自分だけだと不便だな……ランスロット」
シグルドはランスロットに声をかける。
「お前に、武器庫番人の権限を承認する」
ランスロットは一瞬驚きに目を見開くが、恭しく頭を下げる。
「はっ!」
シグルドはランスロットに右手を向ける。その右手から小さな光の玉が生まれる。
『武器庫番人の権限承認』
「拝命します」
ランスロットの言葉と共に、シグルドの右手から生まれた光の玉はランスロットの体内にそのまま吸収された。
「必要な装備については、ランスロットに伝えろ」
一同が了解の返事をする。
それからランスロットが一同の予備の武具をアースガルドの武器庫から取り出し、装備する。主武装たる神造宝具については、各自のインフィニティバッグに収納する。
8頭全てのスレイプニールに馬具を取り付けた。6頭は騎乗用で2頭は荷馬として使用する。足元、顔、横腹を覆うようにミスリル製の防具と馬具を身に纏ったスレイプニールは、正に軍馬としての精悍さを増していた。
スレイプニールの姿を見てトリスタンは、若干残念そうな表情で呟く。
「ミスリル製の防具だと、少々心元ない気がするンだが、仕方ないな。スレイプニールじゃ、軽量のミスリル製じゃないと、機動力が落ちるからな」
トリスタンの呟きを聞いたユリウスは、笑みを浮かべながら挑発気味に言った。
「そこは腕でカバーしないのか」
「当然だろうが。俺様が心配してるのは、お前のようなヘボな乗り手の事を気にかけてやってるンだよ。前みたい落馬しても助けてやらンぞ」
トリスタンの返しに、ユリウスは苦笑する。
「前の落馬って……何時の話しだ。昔話が板についてきたら、歳を取ってきた証拠だ」
トリスタンは鼻で笑う。
「けっ! おざくンじゃないぜ。歳ならお前も800歳取っただろうが」
違いない、と2人は笑い合った。
シグルドはアースガルドの武器庫から取り出した、アダマント製の長剣の感触を確かめ、左手の腰元に差した。魔剣グラムはインフィニティバッグにしまう。
「よし、準備出来たか」
一同が返事をするのを見て、シグルドは己が騎乗するスレイプニールに近づく。そのスレイプニールを間近に見た瞬間に思ったのは。
でかい。
リアルの世界では馬はテレビで見たくらいで、乗った事など当然ない。しかし、シグルドの持つ騎乗スキルは最高ランクだ。スレイプニールであれば求められる騎乗スキルは中の下と言ったところだ。シグルドであれば、問題ないはずだ。
(ままよっ!)
ひらりっ、とスレイプニールに取り付けられた鞍に飛び乗る。
(うはっ! 高いな)
円卓騎士ら見ている前で、無様な態度を見せられない。内心の動揺を押し殺す。
シグルドを乗せたスレイプニールは少し嫌がるように、体を揺らし、首を振った。
「ブルルッ!!」
それは明らかにシグルドを馬上から振り落とそうとする動きだった。シグルドは意識する事無く、鐙に足を乗せてバランスを取りつつ、手綱な引き制御する。しばらく嫌々をするように、落ち着かない動きをするが、落ち着いて対処すると動きは収まった。
他のスレイプニールを見ると、シグルドが騎乗するスレイプニールのように嫌がっておらず、円卓騎士が騎乗しても大人しくしている。
(内心で動揺したせいか。馬は臆病で、騎手が動揺するとすぐに分かるというからな。すまんな)
ばつの悪い思いを抱きつつ、大人しくなったスレイプニールの首を撫でてやる。そんなシグルドを見て、感嘆したようにトリスタンが言った。
「流石、シグルド様、あっさりと落ち着かせますな。そいつは1番、足が速いが、気性も1番激しいンです」
追従めいた事を言われた事がないので、内心では照れつつも、大した事は無いとばかりに、表情を変えずに鼻を鳴らしたのみ。
「出発だ」
エスターを先頭にして一行はオルグ都市へと、向かう山道を進んだ。急勾配の山道も、8本足を持つスレイプニールは苦ともせずに歩く。
シグルド・ヴァン・リーヴァ。
かつてこの世界で、全大陸を束ねた王の名前は歴史の忘却の彼方へと消え去っていた。
伝承や神話では一部の記録が残っているものの、その名前が出てくる事は無い。
ただ、その一部残っている記録では、光の神王の弟、魔竜ティアマトを使役する魔神、神王殺し、などと残っていた。それ故に、伝承や神話をモチーフにした物語では、かの者は負の存在として描かれる事が多かった。
歴史の忘却の彼方で忘れ去られた名前が、再び全大陸に渡り響くには、今だ時間を必要としていた。