プロローグ1
努力や熱血が嫌いな怠け者の主人公です。
主人公グループ最強モノのストーリーですので、最強モノが嫌いな方はご注意ください。
「うひゃ、懐かしい」
茂彦は押入れの奥から出てきた数十冊とある大学ノートを手に取った。
大学ノートは年数が経っているせいか、黄色に変色していた。表紙には「アースガルド戦記」とあり、その後に続いて日付が記載していた。
――アースガルド戦記
北欧神話に出てくる地名であるが、北欧神話とは全く関係がない。これは茂彦が作ったフィクション、空想の世界での戦記だ。
「いや、違うか」
茂彦はほろ苦さを覚えながら呟く。
正確には茂彦が作った空想の世界ではなく、茂彦の兄である有朋が最初に作り、その上で色々と茂彦が追加していったものだ。
「と、確かまだあったかな……?」
茂彦は更に押入れの奥を探すと、A4サイズ大のプラスチックケースに入ったゲームソフトのパッケージを探し出す。
「そうだ、これこれ」
ゲームソフトのパッケージの題名は「ネバーワールド」とあった。
ネバーワールド。
10年以上前に発売されたパソコンゲームだ。オフラインのRPGゲームだが当時は他のRPGゲームとは一線を画した仕様で話題を呼び、全世界で100万本売れたゲームソフトだ。他と違う仕様を一言で説明すれば――自由さ。
プレイヤーの数だけ世界と物語がある――。
この謳い文句通りネバーワールドは自由に世界や物語を作る事ができる。地図の作成から国の文明度、登場する種族も変更でき、更には全く新しい種族や武具や道具を作り出す事ができる。ゲームクリア条件も魔王を倒すという王道のストーリーもプレイできるが、農民として農業を極めるという事もできる。もしくは傭兵として名声を高めるか、騎士あるいは将軍として王に忠誠を捧げるか、忠誠を捧げられる王として全世界を統治するのも可能だ。
この圧倒的に自由度が高いネバーワールドの中で茂彦は、アースガルドという王国の王弟という立場から領土を拡張し統治するというロールプレイをしてきた。
茂彦は表紙のサブタイトルに「キャラクター」と書かれた、大学ノートを開く。その中に「シグルド」という名前のキャラクターに関する設定があった。
シグルド・ヴァン・リーブァ。
このシグルドが茂彦のロールプレイする自分自身として作り出した、キャラクターだ。
アースガルドの主要キャラクターの多くは兄である有朋がほとんど作り出したが、茂彦もこの自分の分身であるシグルドを始め、いくつかキャラクターを作っていた。
どんなキャラクターを作ったかなと思い、ノートのページを開こうとしたが、はっと我に返る。
そもそも過去の思い出に浸る為に、押入れの荷物を整理していた訳では無い。
そう、過去を振り切る為に始めた荷物整理だ。
ここは茂彦が1人暮らしで住む賃貸マンションの一室。それほど広くないワンルームマンションなので、ほとんど使わない荷物は押入れに入れているが、収納スペースにはあまり余裕は無い。何より、部屋の空間だけでは無く、今の茂彦の心の余裕という名のスペースも余ってはいないのだ。
茂彦は力なく傍らにおいてあるダンボールの中に視線を落とす。ごみ袋の中にはいくつか物があるが、視線が止まったのは写真立てに入った一枚の写真。写真には1組の男女が山を背景にして腕を組んで、楽しそうに笑っていた。
誰が見ても、カップルに見えるだろう。事実、カップルだった。写真に写る男女のほうの男は言うまでも無く、茂彦だ。右下の日付には、今から1年前の日時が印刷されている。写真に写っているように1年前までは交際していた。
この写真に写っている日付から1カ月後に、交際相手の女が転職してからギクシャクし始める。当時はおかしいと思う事は無かった。
逢える回数が減ったり、メールの返信が遅れる事も新しい職場が忙しいという彼女の言葉を信じていた。だが、写真の日付から2ヵ月後に破局。
破局後は呆然とする日々が多かった。仕事や何かに集中している時は大丈夫だが、それ以外ではどうしても交際相手の女の事や、どうして別れてしまうことになったのか? そればかりを考えていた。
この状態が10ヶ月程続き、流石にこれはまずいと思った。どうあろうと彼女が戻ってこないという現実を受け入れないと、前には進まないと気づかないと悟る。その手始めとして彼女との思い入れの品を捨てる為に荷物を整理していた時に、昔の思い出「アースガルド戦記」を見つけたのだった。
破局の原因?
端的に記すなら、彼女が新しい職場の先輩相手に浮気して、そのまま浮気相手と付き合い始めたのだ。
彼女の浮気相手の男が自分よりもルックスが良く、背も高く、年俸が高い事がより自身の劣等感を意識させられる。自分の年齢を考えればそろそろ結婚も考えてよい年頃だ。
そう、本気で彼女との結婚を考えていたのだ。もし今の自分が非正規社員、俗にいう派遣社員でなれば当に彼女にプロポーズしていた。正規社員になるように色々な資格取得の勉強をしている時に彼女は、あの男と……!
「はっ! いかん、いかん」
欝な気分になりかけ、慌てて頭をふり彼女との思い出の品を、燃えるゴミと燃えないゴミに分別して別々のゴミ袋に入れていく。
「これで終わりか」
未練を振り切るように、ゴミ袋の袋口をこれ以上無いというくらいに強い力で結ぶ。ゴミ袋はそのまま玄関に持っていき置く。ゴミ収集の日が来れば、すぐに捨てるようにするためだ。
一息ついた茂彦は押入れから出していた「アースガルド戦記」を記している大学ノートに目を落とす。
「これも過去の思い出、か……」
彼女との思い出の品は捨てる決心をしたが、これについては捨てる気にはなれなかった。少年期特有の妄想、中2病に塗れた自己満足する為の、思いつきを書き殴っただけのノート。だが、これは茂彦の兄であり、今は亡き有朋との思い出でもあった。
有朋は茂彦と4つ年の離れた実兄だ。
茂彦にとっての兄は、とにかく面白い話を作り、それを話してくれるのが巧かった。ちょっとしたきっかけや材料があればそこから話を膨らませ、壮大な物語を創出して聞かせてくれた。つまらないマンガやゲームの物語も有朋にかかれば話を展開させ、息もつかせぬドラマチックな物語を原作以上の面白さで作り出してくれた。
当時の茂彦にとって、兄が聞かせてくれる物語はいかなハリウッド映画やアニメ、小説、マンガよりも面白く、ワクワクさせてくれた。その兄がかつて、のめり込んだのが、ネバーワールドだ。
自在に世界観を変えてそれをプレイできる事に、兄の創作意欲が見事にマッチしたのだろう。そんな兄がのめり込んだネバーワールドに当然、茂彦もはまった。有朋の聞かせてくれる物語とリンクしたネバーワールドを、兄と共にロールプレイすることは少年期の頃の茂彦にとって、今考えれば黄金のような時間だった。
その黄金のように楽しく貴重な時間は唐突に終わる。
有朋が死んだ事で。
死因は病死だった。ある日突然、有朋は気分が悪いと言い、母と共に病院に行った時に即日、入院となった。
入院中、有朋は茂彦に早くネバーワールドの続きをやりたいと溢していた。それは茂彦も同じ気持ちだった。有朋が入院中に勝手にネバーワールドをやることが悪いと思い、控えていたので、早く有朋が退院して一緒にネバーワールドをプレイしたいと強く思っていた。
だが、思いとは裏腹に退院することはできなかった。日に日に顔色が悪くなる有朋。入院中であっても有朋は茂彦に、ネバーワールドに関する物語を聞かせてくれた。茂彦は有朋が聞かせてくれた物語をノートに取る。
入院から3ヵ月後に、有朋は死んだ。
有朋の葬式の日は不思議と涙が出なかった。ただ、悲しいというよりも呆然としていた。頭では兄が死んだ事は理解していたが、それでもいつものように明日には楽しげに新たな物語を聞かせてくれるのではないか――
有朋の死後はネバーワールドを1人でする気にはなれずにそのまま置いていた。
だが、有朋の死後に立て続けに現実世界で辛い出来事が置きて、ネバーワールドを1人でするようになる。
両親の離婚、学校での苛め。
ネバーワールドでは茂彦の分身たるシグルドがいるように、兄である有朋の分身も存在する。有朋の分身であるキャラクター名は、アーサー・ペンドラゴン。
アーサー王の名前をそのまま使っているが、本物のアーサー王という設定でなくあくまで架空のキャラクターという設定だ。
茂彦は辛い現実世界を忘れるかのように、ネバーワールドに没頭する。ネバーワールドの中では有朋の分身たるアーサーは生きていて、自分の分身たるシグルドと共に冒険し、アースガルド王国を繁栄に導いて行く。ネバーワールドの中にいるシグルドは強かった。戦技、魔術、錬金術、軍の統率力に秀で、兄であり神王であるアーサーから信頼厚く、アースガルド最高峰の騎士である円卓騎士からも一目置かれる存在――
学校で苛められ、理不尽な暴力を振るわれても卑屈な笑いを浮かべて抵抗しないような弱い人物では、決して無い。
「ある種、こいつに逃げていのかな……」
しんみりと、手垢にまみれた大学ノートとネバーワールドのパッケージソフトを見ながら呟く。だが、このネバーワールドで兄の残してくれた設定でロールプレイしていたからこそ、辛いリアルな世界を忘れてしがみつく事ができた。辛い現実も、この夢のようなネバーワールドでのロールプレイがあるからこそ、耐える事ができた。学校での苛めを受けている事を相談できる親も離婚して大変な時期だったので、相談できず1人で抱える事しかできなかった。何より、最も気軽に相談できる相手はもういないのだから。
そういえば、と言いながら茂彦は押入れの奥を更に探しだす。
「確かⅡまで出ていたよな」
茂彦が取り出したのはワバーワールドⅡのパッケージソフトだ。ネバーワールドⅡが出た時は、発売日に並んで買ったものだ。勿論、コンバート機能を使って有朋の作った設定データをネバーワールドⅠからネバーワールドⅡに引き継いでロールプレイした。
ネバーワールドⅡも反響が大きく相当数の数が売れていた。ファンの間ではネバーワールドⅢ発売の期待が大きかった。ネバーワールドⅢの発売の噂は幾度か流れたが全て噂に終わった。
「でも、確か出てるんだったよなネバーワールドⅢ」
どれだったかな、茂彦はそう呟きつつテーブルの下に置いているコンピュータ雑誌を広げてページめくる。目当てのページを見つけて視線を落とす。
広告ページに大きく「ネバーワールドⅢ 発売中!」と印字されていた。
そう、ネバーワールドⅡが発売してから8年ぶりに次回作が出たのだ。茂彦は1週間前にたまたまこのページを見て、ネバーワールドⅢの発売を知ったのだが、その時は特に何も思わなかった。
中学、高校、学生時代には、はまりこんだネバーワールドだったが社会人になってからは、とんとやらなくなった。
「やってみるか……」
だが、こうして昔の記録を見た時、再びやってみようかと思う。丁度、というか大型連休を控えて時間はたっぷりとある。一緒に遊ぶ友達はおろか彼女もいない今、連休を過ごす予定もなくむしろ、時間を持て余す。
時刻が気になり、テーブルの上の時計を見ると夕方を指していた。
晩飯の準備もある。
「買いに行くついでに、外で食べるか」
独りごちると早速、寝巻きの格好から、外にでる服に着替える。財布をズボンのポケットに押し込んで、そのまま出かけようとするが、ふと「アースガルド戦記」が記された大学ノートを見て、戻る。
部屋の隅に置いてあるナップサップを持ち、数十冊ある大学ノート全てをナップサップに入れる。
玄関で靴を履き、ドアを開ける。
出かける挨拶をした。
「行って来る」
返事は無い。
当然だ。今の自分は実家を出て、マンションでの1人暮らしをしている。1年前までは、彼女が週末に来ていたが、今はもう来ていない。これからも来る事は無い。
ため息を吐き、下を向く自分に、気づき慌てて上を向いた時――
「ああ、行って来い」
声が聴こえた気がした。
ここ最近、渇望していた彼女の声ではない、この声は。
「兄さん……?」
テーブルの傍らに兄、有朋がいた――訳が無かった。単に、テーブル近くのカーテンが風で揺れただけだった。
茂彦は頭を振る。
「疲れてるのか」
カーテンが揺れただけで兄がいると思うとは。あるいは、このアースガルド戦記を見て感傷的な気持ちになったせいかもしれない。
「と、窓を閉めるのを忘れていたな」
靴を脱いで、窓を閉める。
窓を閉めながらも、窓を閉めたと思ったけどな、と呟きつつ再び靴を履く。
「今度こそ行って来る」
返事は――当然、無い。
茂彦はナップサップを肩に背負い、ドアに鍵を閉める。
無人となったその部屋で、風に吹かれたようにカーテンが一度揺れた。
茂彦がこの部屋に戻る事は無かった。
主人公は寝取られの、ペナルティ属性が付与された!
今日の主人公の運勢は最悪です。 ラッキーアイテムはタクシーだ!