おしゃべり清掃係と忘れん坊料理長
まほろばホテルの支配人は、宿泊客が一人もいなくてもお気楽だ。
「そういう日もないと休めないからね。こういう時も必要必要」
従業員が少ないのは、給金が少ないからではないか。柚葉の脳裏に不安がよぎるが、仕事を選べない立場なので何も言わないでおいた。
柚葉くん、と呼ばれて顔を向ければ、半纏の袖に両手をもぐりこませた千早がへらりと笑う。
「料理長に味噌は忘れてもいいけど、南瓜は忘れずに、って伝えといてくれる?」
「わかりました。あの、台所の場所は」
「九十九くんが案内してくれるよ」
頼んだ本人は欠伸をしながら、扉の奥へと消える。
影井は隠れっぱなしで助けにはなりそうにない。あたりを探していると、従業員用の扉が開く。
現れたのは、溢れんばかりに布が詰められた籠だ。わずかに浮いていると思えば、二本の足がはえていた。色とりどりの布の奥から顔を出した少年は、大きな目をくりりとさせる。
「お? 用事け?」
「……台所に用事があるのですが」
「そうけ、おらが案内しちゃる。お前が噂の新入り?」
柚葉です、と頭を下げると、ついてこいと顎をしゃくった。
「おら、九十九。べるあてんだんと、と。はうすきぃぱぁを任せられとるけど、この訛りやろ? いろんな所つれられて、わやくそになっとるが、どうもならんくてな。しゃーないから、部屋の掃除ばぁっかりしとる。ま。気ぃ使わんでええから楽しゅうやっとるんよ。お前は、何処から来たん?」
「伊予からです」
「そげん遠くから! 伊予もなぁ、ええよなぁ。海も山も近いし、何よりあったかい。寒いんはこたえるよなぁ。昨日今日で寒くなったやろ? もぉ、手がちぎれそうでかなわん。いくら手当てしても、ちぃーともよくならん。冬の洗濯もん、大変よなぁ? 泡が散って中でするわけにもいかんし――」
調理場へたどり着くまで、柚葉は聞き役に徹した。
◇ ◇ ◇
「まあ、いけない。味噌汁にお味噌忘れてたわ」
それでは、ただの出汁では、と言いかけた口をきゅっと柚葉は結んだ。
白い割烹着姿の妙齢の女はおっとりとしているが、そこはかとなく色気をかもし出す。格式ある料亭の女将の方がよほど似合っているように見えるが、忘れっぽい所を見ると仕事を任せるのはいささか心配だ。
付いてきた九十九は頭の後ろで手を組み、けらけらと笑っている。
「料理長の忘れん坊は相変わらずじゃなぁ」
笑い事ではないと顔がひきつった柚葉は、頬に手をあてた料理長に念を押す。
「支配人が、かぼちゃは忘れないようにって言われてました。準備されているでしょうか」
「それは大丈夫。夏に収穫したものを納屋に入れてるもの」
「……ねずみに噛られたりしていませんか」
「それも大丈夫。ねずみなんて来るわけないもの」
のんびりとした口調のわりに、きっぱりと返されたことに柚葉は面食らった。
九十九も口を挟まないことから、よっぽど隙のない納屋か、秀逸な罠が仕掛けられているのだろう。にわかに信じがたいが、新人が口出しすることもない。
柚葉は余計なことは言うまいと口を引き締めた。
会話が途切れたことを見計らって九十九が訊ねる。
「なぁなぁ。今日の昼飯は何作ると?」
「今日はおうどんを……あら、麺を用意するの忘れてたわ。すいとんにしましょうか」
腹をすかせた柚葉は何も聞かなかったことにした。




