第68話 酒場にて
剣士について歩いていると、
とある酒場の前で立ち止まった。
看板に目を向けると、
木製の板に大きく〈ノミナ〉と刻まれている。
長年の風雨に晒されたのか、文字の縁は少し欠けていた。
剣士は迷いなく扉を押し開け、
ズカズカと中へ入っていく。
扉が、バタンと閉まった。
……このまま帰ろうかな。
いや、流石にそれはまずいか。
覚悟を決めて、扉を押す。
途端に、
酒と肉と汗の匂いが鼻をついた。
店内には冒険者と思しき人々が所狭しと座り、
笑い声と怒鳴り声の中間のような騒音が渦巻いている。
鎧が床に無造作に置かれ、
槍が壁に立てかけられ、
剣が椅子に引っ掛かっていた。
……さっきの剣士はどこに。
「いらっしゃい! 一人?」
声をかけてきたのは、
腰にエプロンを巻いた女性だった。
……一人じゃないが、
待ち合わせでもない。
顔しか知らない。名前も知らない。
「あ、いや、その、えっと……」
どう説明するのが正解なんだ。
「おーい!こっちだこっち!」
助け舟のように声が飛ぶ。
視線を向けると、
例の剣士がテーブル席から大きく手を振っていた。
「えっと、あれと待ち合わせです。」
「はーい!用があったら呼んでね!」
女性は軽やかに去っていった。
……帰ろうとした罰が当たったようだ。
席へ向かう途中、
足元の装備を踏まないように慎重に進む。
ようやく腰を下ろすと、剣士が顎で壁を示した。
「さ、何でも注文しろ。」
黒板のような板に白文字が並んでいる。
エール 3ドーカ
赤ワイン 4ドーカ
煮込み 5ドーカ
燻製肉 4ドーカ
川魚(本日) 6ドーカ
パン 1ドーカ
「……じゃあ、燻製肉で。」
「遠慮すんな、川魚な。
おーい!ヴェラさーん!川魚二つ!エールも!」
「はーい!まいど!」
いや、なんで聞いた。
「僕はエールいいですよ。水で。」
「水はやめとけ、腹壊すぞ。」
……どういうことだ?
剣士は当然のように言った。
「水は衛生がヤバい。
エールの方が安全なんだよ。常識だろ?」
なるほど。
ヴァレンス連邦では、安全な水は貴重らしい。
「そうなんですね。ありがとうございます。」
「おう。」
酒場の喧騒が先ほどよりうるさく聞こえる。
だが、嫌な気分にはならなかった。
異文化をひとつ学んだ。
さっきまで張り詰めていた気持ちが、
ほんの少しだけ、緩んでいた。




