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もう死んでるようなもん

「もう、座ってていいのよ、綾香(あやか)ちゃん。私がするから」

「うんうん、お義母さん。私もしないと悪いよ」

「いいのいいの。いつも子供がいて大変でしょ? たまにはゆっくりして」


 忙しなく動く母親を、甲斐甲斐しくお手伝いする綾香さん。よくある、嫁姑の関係で光景。


「それで、大輔(だいすけ)。仕事の方はどうだ? 上手くいってるのか?」

「いつもと変わらないよ。肩書きはあるけど、まだ1人で企画する立場じゃないからね」

「そうか。まあ、元気にやってるならいい」


 酒を飲みながら尋ねる父に、仕事の話をして安心させる大輔。よくある、父と息子の会話で間話。


「オラ! ゆうちゃん死ねオラ!」

「ちょっと文香ふみかお姉ちゃん! そんなに叩いたらゆう兄ちゃん死んじゃうよ!」

「へっへーんだ! もう死んでるようなもんじゃないのよ!」


 叔父であるはずの俺をバチボコに殴り、遊ぶと称して青あざつけてくる文香(ふみか)と、それを止めようとする健介(けんすけ)。よくあってたまらない、叔父と甥っ子の遊びの戯れ。

 そんな感じの親戚の付き合いが、ここ、山田家のリビングでは繰り広げられていた。


「おい、祐介(ゆうすけ)。お前もこっちに来て話そう」


 と、父親が俺を呼び立てた。

 ちぃ。甥っ子と遊んでいるからそっちには加われません作戦だったが、仕方あるまい。

 俺はいまだに蹴りを入れてくる文香を蹴散らし、健介をギロりと睨みつけてから席に向かう。

が、どうにもまだ遊び足りないらしく、文香が抗議の声を上げた。


「え〜。あたし、ゆうちゃんと遊びたい! 遊びたいったら遊びたい!」

「ダメだよ。文香お姉ちゃん。ゆうお兄ちゃんも暇じゃないんだよ」

「じゃあ健介があたしと遊んでよ! 蹴り100発ね!」

「えぇ〜、やだよぉ〜。ゆうお兄ちゃん、文香お姉ちゃんと遊んであげてよ〜」


 と、振り払ったはずの甥っ子2人が俺の足元にまとわり付いてくる。が、さすがに見かねた綾香さんが止めに入ってきた。


「こ〜らっ、2人とも。ゆうお兄ちゃんは忙しいの。2人で遊びなさい」

「そうよ。ふみちゃん、けんちゃん。ほら、2階に行って遊んでおいで」


 今度は俺の母親も加勢に加わり、2人を俺から引き剥がした。すると文香は目を輝かせて、


「え、二階行っていいの? ほら行くよ! 健介!」

「ま、待ってよ文香お姉ちゃん!」


 と、文香が健介を引きつれる形でリビングを出て、そのまま階段のあるほうへと消えていった。

 弟の自宅はタワマンなので、二階があるというのは心が踊るらしい。毎度毎度この家に来たときには、ああやって二階に行って遊んでいたはずだ。


「よ〜し! ゆうにいちゃんの部屋、引っ掻き回してやるぅ!」


 などと文香の物騒な雄叫びが聞こえてきたので「おい! なんにも突くんじゃねぇぞ!」と、声を荒げながらテーブルに向かう。


「ったく」


 俺が席に付けば、それを待っていたかのように父親がグラスから口を離した。


「それで、祐介のほうはどうなんだ?」


 まるで「こういう機会でもないと、こういう話はしないだろ?」とでも言いたげな声色だった。

 チラリと父親の隣を見れば、弟である大輔は興味があるのかないのか分からないような顔をしていた。

 俺はテーブルにあったビール缶を開け、一口飲んだ。


「別に普通だよ」


 適当に言葉を返せば、父親は「そうか」と小さく呟いた。


「それで、今はどんな仕事をしてるんだ?」

「前と変わらないよ。伝票立てを作って、不良品がないか確認して。それだけだよ」

「……そうか」


 父親はグラスを傾けてビールを飲んだ。すると父は思い出したかのように「ああ」と声を上げた。


「そう言えば、大輔は役職就きになったらしい。それで、何人も部下の方たちがいるらしい」


 聞いたよ、とは言わず「へぇ」と曖昧な返事を返した。

 聞いたもなにも、それはさっき俺が姪っ子たちと遊んでいるときに、大輔が話していた内容だ。聞こえてはいたが、聞こえてないふりをしてない内容だ。


「それから、文香は作文コンクールで金賞を取ったらしいぞ。あと、健介はサッカークラブでエースらしい。すごいなぁ」


 それも、聞いた話だ。正確には、弟の近況報告を聞いた母親が、俺にその話を伝えてくる。だからこれも、知っている話だった。


「それで、綾香さんは近々仕事に戻るらしいぞ。なんでも……」


 そうやって、父親はいましがた大輔から聞いた話を俺に語り聞かせてくる。

 なぜそんなことをするのだろうかと思ってはみるが、まあ、ある種の自慢なのだ。

 親にとって子供とはかけがえのない存在だ。そんなかけがえのない存在が活躍しているのならば、そりゃ自慢もしたくなる。おそらく父は、俺に大輔の活躍を語ることで、満たされていく自尊心に気持ちよくなっているのだろう。

 ただその逆、俺は弟との違いをまざまざと見せつけられてしまい、どんどん嫌な気持ちになっていった。

 そうして俺は適当に相槌を打っていると、ふいに父が「それで」と呟いた。

 顔を上げてみれば、父の顔は俺を向いていた。同時に、じわりと嫌な予感に襲われた。


「それで、祐介はどうするつもりなんだ?」


 ドキッとして、一瞬声に詰まる。


「ど、どうって……」

「だから、これからどうするつもりなんだ? この家にいるのか? それとも、出ていくのか?」


 やはり、こうなったか。

 このまま大輔の自慢を続けくれることを願ったが、そうはならなかった。いや、弟が家族を連れて帰ってきたのだから、分かりきった話だったはずだ。

 俺が親戚付き合いを嫌う理由、それがこれだ。

 父親は普段、俺が実家暮らしをしていることに対し、特になにも言わない。きっと内心思っていることはあるのだろうが、少なくとも面と向かって言うことはない。だが、これが親戚付き合いの場となると別だ。

 父はまるで、別人のように喋り出す。親族同士の付き合い---そこで求められる家長としての振る舞い。そんな役割じみたものが父の言動を変え、俺を責め立てる。

 だからこそ、こども部屋おじさんにとって親戚の集まりというのは地獄なのだ。

 俺が答えに窮していると、父は鼻から小さく息を漏らした。


「祐介、この家にいるならそれでもいい。けど、いつまでもこのままじゃダメだろう。お前、いまの仕事で1人で食っていけるのか?」


 思わず、父から視線を逸らした。


「それから、将来結婚するかは知らんが、そのとき独り立ちできるくらいの金はいるだろう。もし結婚しないにしても、1人で自分の面倒をみれるくらいの金はいるだろう」


 ろくに言葉を返さない俺に腹を立てたのか、父は分かりやすくため息をついた。


「なぁ、祐介。俺も母さんも……いつまでも面倒みれないんだぞ」


 水を打ったように沈黙が広がった。

 チラリと台所に目をやれば、母と綾香さんがこちらを見ていた。心配そうな表情と、気まずそうな顔をそれぞれ携えていた。居た堪れなくて、しんどかった。

 さすがに申し訳なくなり、なにか言葉を返そうとした。が、


「まぁまぁ、父さん」


 割って入る声があった。その方向を見てみれば、弟である大輔が小さく笑みを浮かべていた。


「そのくらいにしようよ。せっかく孫連れて帰ってきたんだしさ。それに、ちょっと飲み過ぎだよ」


 どうにも、大輔が助け舟を出してくれたらしい。柔和に話しかけ、父親の関心を別のほうへと逸らそうとしているのが分かった。


「いや、しかしだな……」


「そういえば、このまえ文香が自転車に乗れたんだよ。あっ、そうだ綾香。動画撮ってたよね? 父さんに見せてあげてくれない? ほら、母さんも」

 と、言葉巧みに嫁を呼び、母親をこちらに招く。そしてその動画とやらを見せれば、父の興味がそちらに移って行くのが分かった。

 その様子に、俺は小さく息を漏らした。

 さすが大輔である。昔からそうだったが、あいつは人と人との関係を取り持ったり、仲直りさせたりするのが上手いのだ。中学までは同じ学校だったが、そのとき聞こえてくる大輔の噂は良いものばかりだったはずだ。

 そうして終いには、さっきの空気はどこへやら。父は孫娘が自転車に乗る姿に喜び、母はスマホの動画をスマホで撮影し始め、綾香さんは嬉しそうな顔をしている。微笑ましい家族付き合いが、そこにはあった。

 その様子に俺も一息入れることができ、そっと胸を撫で下ろした。おそらくこれで、今日は父親から詰められることはないだろう。

 そんなわけで楽しげな団欒を眺めつつ、1人でビールをちびちびやっていたのだが、


「なあ、兄貴」


 と、大輔に呼びかけられた。


「なんだ?」

「そういや、前言ってたよな? 彼女できたって」

「……は?」


 思わず、首を傾げてしまう。


「いや、お前なに言ってんだ?」

「だから、彼女できたんだよな? 父さんと母さんに紹介したの?」

「いや、だから。なに言って---痛って!」


 直後、脛に激痛が走った。机の下で大輔に蹴られたらしい。

 思わず、抗議の声を上げかける。が、そこで割ってはいる声があった。


「そ、それは本当なのか祐介!」

「それは本当なの!? ゆうちゃん!」


 父と母であった。父と母が「びっくり仰天!」と言った感じでこちらを見ていた。

 とっさに大輔を引き寄せ、耳打ち状態に入る。


「おまっ、いったい、なんのつもりだよ」

「いいから。話を合わせろって。兄貴のためだよ」


「はぁ?」と首を傾げてしまう。が、そんな俺を意に介する様子はなく、大輔は父と母に向き直ってしまった。おまけに、


「なんだ兄貴。父さんと母さんに言ってなかったのか?」


 などと言い出したため、俺は引っ込みがつかなくなる。


「あ、あー。じ、実はそうなんだ」


 俺が認めたからだろうか、父と母は再び驚いた感じの表情を見せた。


「ゆ、祐介。それは本当なのか?」

「う、うん。言うの忘れてたんだ」

「ゆ、ゆうちゃん。それは本当なの?」

「あ、ああ。本当だよ、母さん」


 そう答えると、すると父親は「そうか」と呟き酒を煽った。母は母で、今にも泣きそうな顔になる。


「聞いたか、母さん。ついに、祐介にも彼女ができたって……」

「はい、聞きました。よかったわねぇ。ほんとに……ほんどに……よかっがだわあああああ!」


 うわあああと嗚咽を漏らし始めた母に、それを慰めるようにして肩を抱き寄せる父親。そして、その横では綾香さんがドン引きしていた。


「おい、てめぇ何がしたいんだよ」

 つい、大輔に耳打ちをしてしまう。すると大輔は小さく笑った。

「こうすれば、当分小言を言われなくて済むだろ?」

「はぁ、小言?」

「親ってのはいつまで経っても親だからな。兄貴に彼女ができたって聞けば、さっきみたいに詰められることも少なくなるってことだよ」


 そう言われ、少なからず俺は理解した。

 大輔がしたかったのは、俺に対する父親の心証の回復、といったところなのだろう。

 親というのは不思議なもので、息子に良いことがあれば自分のことのように喜ぶ。たとえそれがおっさんと呼ばれる年齢であっても、自分の息子に春が来れば喜ぶのが親というものなのだ。

 なので大輔はそんな親心を利用し、父親に詰められ危うくなった俺の立場を回復させたつもりなのだろう。


「いや、しかし。嘘をつくのは……」

「いいんだよ。それで上手く回るなら。それとも、兄貴は肩身が狭いままのほうがいいのか?」

「いや、それはそうだが……」


 思わず、押し黙ってしまう。

 大輔には、こういうところがある。人との和をもって良しとする反面、そのために平気で嘘をつく。処世術といえば聞こえがいいが、ただ唯一、俺が大輔の性格の中で苦手な部分だった。

 ただ、それを抜きにしても少し困ったことはある。というか、恐らくこれから困る。

 そんなことを思っていると、案の定、父と母が話しかけてくる。


「それでも、ゆうちゃん。その子は、いつ連れてくるの?」

「そうだな。一度、連れてくるといい。その人もいい歳だろう? 先々のことを考えるなら、一度会っておいたほうがいい」


 ほらみろ、と言わんばかりに大輔に視線をやる。すると大輔は「まかせろ」と言わんばかりに片目を細めて見せた。


「まぁまぁ2人も。ちょっと落ち付きなよ。それに、あんまり早く両親を紹介されても、彼女さんだって困っちゃうよ。ね、綾香?」

「え? あぁ、うん、そうかも、ねー……あはは」


 唐突に話を振られた綾香さんは、どっちつかずな返答をした。

 が、それが大輔の狙いだったのだろう。家族とは言え、血の繋がっていない第三者の意見は父と母を冷静にさせたらしい。


「ん……確かに、そうだな」


 と、父が呟けば、母もそれ以上なにか言ってくる素振りを見せなかった。ただ、


「それもそうね。そう言えば、その子、名前はなんて言うの?」


 その代わりに、という感じのニュアンスを含んだ聞き方をされたように思う。

 すると、一同の視線がこちらを向いた。思わず大輔を見たが、小さくウィンクを返されるだけだった。それくらいは自分でどうにかしてくれ、ということらしい。まあ、質問も質問なので流石に大輔に答えさせるのもおかしいだろう。

 なので俺は適当に女の名前を言おうとしたのが、


「どうしたの? ゆうちゃん?」


 つい、固まってしまっている俺がいた。母親が、怪訝そうな顔を向けている。

 いや、いくつか名前が出てくるのだ。だが、バレない嘘を付かなくてはと思ってしまい、出てくる名前が、本当に彼女らしい名前なのか判断ができなくなってしまった。


「どうしたんだ祐介?」


 ついに父まで口を挟んできた。おまけに、大輔も「はよ言え」と机の下で足を蹴ってくる。なので、俺は次第に焦り始め、回らない頭を無理に回し、そうして口を突いて出た名前は、


「あ、アリス、さん……」


 瞬間、空気が固まったのが分かった。

 父と母はお互いに視線を交わし合い、大輔は額を抑えた。みんながみんな相手の出方を伺うような雰囲気になっていた。

 これは不味い。そもそも、俺は毎日会社と職場の往復しかしていない。休日はいつも家にいるし、出かけることもない。そして、そんな俺のライフスタイルを両親は知っている。となれば「いったいどこで外国人の女と知り合いになるのか」と怪しむのは当然のことだろう。

 ある種の諦めの感情を抱いて、俺は両親のほうを向いた。が、


「……そうか。外国の人なのか」


 と、父はぽつりと呟いただけだった。それ以降なにも言わず、探りを入れるようなことはしない。不審に思って母の方も見てみるが、


「そうなの。外国の人とお付き合いするなんて、すごいわねぇ」


 と、なぜか関心したような顔をしている。


「2人とも、疑わないの?」


 逆に俺が聞いてしまう。すると、2人から不思議そうな顔が返ってきた。


「なにを言うんだ。そんな嘘を付いて、祐介になんの得がある?」

「そうよ。別に、疑ってなんていないわ」


 そんな言葉を聞き、俺は固まってしまう。


「それにしても、ゆうちゃんに彼女だなんて。ほんと、良かったわねぇ」


 心底、嬉しそうに言う母親。おまけに父まで、感慨深げに頷いている。


「ん、まあ良かったじゃないか。話してくれてありがとうな、祐介」


 その瞬間、心がきゅっと締め付けられた。

 嘘を言っているのに、それを疑う様子すら見せない2人。いや、きっとこの2人には、疑う、という考えすら浮かばなかったのだろう。

 それは俺がこの人たちの息子で、なんだかんだ言って俺のことを信じているからなのだろう。自分達の息子なのだから、いつかこういう日が来ると期待していたのだ。だからこそ疑いもせず、俺の言葉を信じたのだ。それはきっと、愛がなせる技なのだろう。

 気がつけば、眼柱が熱くなっていた。うつむき、鼻を啜り上げてしまう。


「祐介、どうした?」

「ゆうちゃん?」


 俺の様子に気がついたらしい。父と母は心配するような声音で尋ねてくる。だけど俺は顔をあげられず、そんな言葉を掛けられたものだから余計に気持ちをかき乱される。

 ああ、そうだ。こんなことはやめよう。

 この人たちに嘘をつくのはよくないことだ。自分の可愛さにこんなことをするのはよくないことだ。

 そもそも、さっき父親に説教をくらったのだって、俺が悪いのだ。なんだかんだと理由を並べて、こども部屋おじさんとして親に寄生してる俺が悪いのだ。ちゃんと親を安心させられない俺が悪いのだ。


「あのさ、父さん。母さん。実は---」


 が、そのときだった。


「ママぁ! たいへんでたいへんでたいへんでへんたーーーーーい!!!」


 と、ドタドタドタと階段を駆け降りてくる音がした。

 なんじゃ? と思って振り返ってみれば、リビングの入り口に文香が姿を現した。


「こらっ! いま大切なお話してるの。邪魔しないっ!」


 綾子さんが文香を叱りつける。が、文香の興奮は収まることをしらず、ドタバタと足を踏み鳴らした。


「だって、大変なんだよ! 二階に女の人が居たの! 女の人が居たんだよ!」

「またそんな嘘ついて! このお家には他に誰も居ません!」

「ホントだよ、ホントに居たの! ゆうちゃんの部屋に居たんだもん!」


 いったい、なにを言っているのだろう? とでも言いたげな表情をその場にいた全員が浮かべた。

 が、その逆。俺の頭の毛穴は一気に開いていた。ブワッと汗が吹き出し、冷たいものが背筋を流れた。

 不思議そうな顔をしている連中をよそに、俺はすぐさま文香の元に駆け寄った。


「お、おい文香。お前いまなんつった?」

「だから、二階に女の人がいたの! ゆうちゃんのお部屋にいたの! だから運んできたの! ね、健介!」


 と、文香が廊下の奥を見た。なので速攻で覗き込んでみれば、


「もうっ! ふみかお姉ちゃん! なんで僕に持って来させるんだよぉぉぉ!」


 健介がなにかを引きずっていた。引きずったままこちらに向かって歩いてきた。そしてそれに俺は見覚えしかなかった。

 その瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。


「おおおい! バカ! アホ! 健介! それを持ってくるな! 元の場所に返せ!」

 叫びながら健介の元へと走り出そうとした。が、そこで足元をぐいと重みを感じ、体勢を崩してしまう。見れば文香が俺の脚に抱きついていた。


「ダメ! 二階で寂しそうにしてたから連れてきたのに、そんなことしちゃダメ!」

「おお、バッカ! やめろ文香! 離せ! てめぇ、マジでぶっ殺すぞ!」


 無理やりにでも文香を蹴飛ばそうとする。が、そんな物騒ば言葉がまずかったのだろうか。


「お、おい。兄貴。落ち着けって! いったい、どうしたんだよ!?」


 起き上がろうとしたところを、駆けてきた大輔に掴まれた。おまけに羽交い締めまで食らってしまう。


「おい、離せ! 離せ大輔! 離せって言ってんだろ!」

「落ち着けって兄貴! なにがあったんだよ! 理由を話してくれ!」

「言えるかボケェ!」


 だって、だってアレは……。健介が持ってきたアレは……。

 大輔を振り解こうと必死に抵抗する。が、そうこうしているうちに、健介がリビングの前にやって来てしまった。そして、次の瞬間、


「ほら、健介。そっちもって。せーの!」


 という文香の掛け声と共に、甥っ子2人はそれをリビングに叩き込んだ。ビターンという音がして、それが大の字に叩きつけられた。その瞬間、綾香さんが小さな悲鳴を上げた。

 一瞬にして、その場空気が固まった。

 フローリングに横たわるそれは、大の字に寝転がり、精巧に作られた眼で空虚を見つめ、どこまでも本物に近い裸体を晒していた。


「……祐介、これは?」


 と、長い沈黙を破るようにして父がそれを指差した。

 その瞬間、俺は全てを諦め、スッと小さく息を吸ったあと、


「……アリスです」


 俺の、ダッチワイフだった。


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