山田、なんだこりゃ
俺の上司である平田課長が、その始末書を淡々と読み上げていた。
丹精込めて書き上げた最高傑作の始末書であり、もしやウェットに富みながらも鋭い一文を放つ文章センスが認められ、社内表彰でもするために俺を呼び出したのかと思ったが、もちろん違った。
「なぁ、山田。こりゃなんだ?」
ドスの効いた声に身体がビクッと身体が跳ねる。チラリと平田課長に目をやれば、まるで般若の如き表情を浮かべていた。額に青筋を立て、目ん玉をギラつかせているあたり、どうにも怒り浸透なご様子だった。
「は、はぁ。始末書、ですが。それが?」
「始末書、ですが。じゃねーよ。このアホ! 誰が会社に対する不平不満を書けって言った!」
俺の声真似をして、その後で急に怒り出す平田課長。まったく忙しそうである。
「そう言われましてもねぇ。俺だって頑張って書いたんですよ? 一生懸命書いたんですよ?丹精込めて書いたんですよ? それを頭ごなしに否定されるのはちょっと……」
「じゃあなにか? まずはこの始末書を書いたことを褒めろってか?」
「まあ、そりゃ貴重な仕事時間を割いて書いてますし。そのおかげで製造ライン止まりましたし、やれやれ、始末書なんか書かなきゃもっと早く仕事が終わるのになー」
「おめぇがミスしたから始末書書いてんだろうが! つーか、なにライン止めてまで始末書書いてんだ! 休憩時間にでも書けボケ!」
と、まさかの労働基準法を公然と無視する発言。こりゃ労基にチクらねぇといけねぇな。
思わず作業服のスマホに手が伸びかけるが、そこで平田課長が大きくため息をついた。『ため息つくと幸せが逃げちゃうぞっ☆』とおちょくっても良かったが、さすがにこれ以上やったら殴られそうなのでやめる。
「とにかく、始末書の件はもういい。俺が適当に書いて上にあげておく」
と、まさかの始末書の代筆を申し出てくれた課長。センキュー、課長。
「それから、これから始末書は俺が書く。お前は二度と始末書に触れるな」
と、まさかの永続的な代筆まで申し出てくれる平田課長。
まぁ、実際。ここらで『こいつに始末書書かせたらとんでもねぇことになる』と分からせる目的もあってあんなものを書いたわけだが、ここまで上手くいくとは思わなかった。よし、これで始末書を気にせずにミスしまくれるな。センキュー、課長。
そんなわけで内心るんるん気分でいると、平田課長が再び大きなため息をついた。
「まあ、始末書の件はいい。ただな、山田。不良品を出してもらっちゃ困る」
「はぁ」
「とくに、箱詰めされてから不良品が見つかるのは困る。それはクレームに繋がる」
「へぇ」
「そしてそれは、客からの信用を失うということだ。それが会社にとってどれだけの損失になるか、経営者目線に立って考えてみれば分かるだろう?」
「なるほどですね〜」
などと言いつつ俺は適当に相槌を打つ。
あーあ、めんどくせぇモードに入ったよこれ。つーかなんで管理職って下っ端に経営者目線を持たせようとするん?
そんなことを思っていると、それを見透かしたかのように平田課長がギロりと睨んでくる。なので至極真面目な顔をしてみせた。
「分かりました。とにかく、不良品を出すなってことですよね? 俺、頑張ります!」
「あのよ、それ聞くの49回目なんだよ。そんな奴の言葉を信用できると思ってんのか?」
「ああっ!? なんてこと言うんすか! 頑張ろうとしてる部下を信じられないと!? もういい! そんな上司の話なんて聞いてられねぇ! 俺は仕事に戻らせてもらうぜ!」
俺は勢いそのままに立ち去ろうとする。が、「うぐっ」とつんのめりになってコケそうになる。すかさず後ろを見てみれば、鬼の形相をした平田課長が俺の襟首を鷲掴みにしていた。
「おい、まだ話は終わってねぇぞ山田」
「うっす」
ちっ。勢いに任せて説教をうやむやにする作戦は上手くいかなかったか。ならばと別の方法を試みようしたとき、平田部長がデスクをコンコンと叩いた。
「とにかく、今度から気をつけろ。それから、これをみんなに見せて情報共有しとけ。いいな?」
と言って平田部長はデスクの上にあったそれを手渡してきた。
受け取ってみれば、それはプラスチックでできた透明な物体。5センチほどの長さで、筒状。それが斜めに切られており、まるで日本刀で竹を斜めにぶった斬ったような形をしている。
さて、これはなんであるかと言えば、まあ『伝票立て』である。
我が社が製造している商品の一つであり、同時に俺が49度目の不良品を叩き出した商品でありある。
「ったく。いったいどうすりゃこんな不良品が出んだよ」
平田課長が文句を垂れてくるので、改めてその伝票立てを見てみれば、まあ確かに酷い。
バリが残ってるわヒビが入ってるわ、おまけにベッコベコに凹んでるわで不良品としては100点満点の出来栄えだった。
「たっ、たしかに。こりゃ酷い。酷すぎる。いったい、どうしてこんなものが検品をすり抜けけられるんだ?」
「人ごとみてぇに言ってんじゃねぇ! オメェが検品の責任者だろ! ぶっ殺すぞ!」
ついに我慢の限界が来たのだろう。課長はマジギレ3秒前みたいな顔をしていた。さすがにこれ以上はデスクフロアファイトに発展しかねないので大人しくすることにしておく。
そんなわけでしげしげとその不良品を眺めていると、ふいに課長が「なぁ」と声をかけてきた。
「はぁ、なんすか?」と鬱陶しそうに返事をしようとして、おや? と首を傾げてしまう。
なぜだか知らないが、平田課長がちょっとばかし神妙な面持ちをしている。おまけに、先ほどの呼び声はいつもより柔和だった。
「あのよ、始末書の件なんだがな。内容はクソだが、言ってることは正しい」
「はぁ……」
言ってる意味がわからず、首を傾げる。
「非正規がどうたら、って書いてろ」
たしかに、「非正規の俺に社員と同じ仕事をやらせんなボケカス」みたいなことを書いた気がする。
「そのことを俺も考えていなかったわけじゃない。臨時社員のお前に、正社員と同じ仕事をさせるのはどうかとは思っていた。そこでだ、山田」
平田課長はじっと俺を見つめた。
「お前、正社員になる気はないか?」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった。しかしその言葉が信じられず、平田課長に確認の意味を込めた視線を送ってしまう。
「お前もここに来て長いだろ。それに、正社員になれば給料も上がるしボーナスも出る。そうすりゃ、お前にも責任感が生まれて、もっとまともに仕事をすると思ってな」
けっして冗談などではない真剣な面持ちに、俺は言葉を失った。
いや、だって。だってだぞ? 俺はいま、非正規で、34歳。そろそろ転職が怪しくなってきた歳だし、会社としてもこれといった実益がない奴を雇いはしたくないだろう。にも関わらず、課長は俺を正社員として雇い入れると申し出た。このゴミクズ無能な働き者な俺を。いつもバチクソに怒ってストレスの原因にしかなっていないであろう、この俺を。
「か、課長。まさか、あなた……」
課長の心のようなものに触れた俺は、ハッとなって顔を上げた。すると、平田課長は照れくさそうに笑う。
「ふん。勘違いするなよ山田。俺はただ、ちゃんと仕事をする奴が欲しい。そう思ってお前を正社員にしようとしてるだけだ」
「か、課長……」
いつの間にか、俺の眼は潤んでいた。
なんてこった。俺は、なんて大馬鹿野郎だったんだろうか。
非正規だからとテキトーに仕事をこなし、ミスをすれば周りに罪をなすくりつけ、機械をぶっ壊したことを黙っておいて後々大問題にするような俺を課長はちゃんと見ていてくれたんだ。
「うぅっ……」
とっさに俯いてしまう。思わず、口から嗚咽が漏れた。
そんな俺を見て思うところがあったのだろうか、課長は優しく肩に手を置いてきた。そこにはもう、さっきのような険悪なムードはなかった。ただ、上司と部下の温かい交流があるだけだった。
「課長……課長……俺、おれ……」
「言わなくていい。お前が頑張ってたのはよく知ってる。上には俺から言っておくから、なにも心配するな。さあ、今日から一緒に頑張ろう!」
「あの……あの、おれ、おれ」
「なんだ? なにか言いたいことがあるのか?」
「あの、おれ。おれ。おれおれおれおれ」
「おいおい、どうしたんだよ山田」
平田課長は優しく肩を揺すって、促してくる。まるで「言いたいことがあるならいってごらん? 待ってあげるから」と言っているようだった。
なので俺はゆっくりと顔を上げ、そして言ってやった。
「おれ……非正規のままがいいです」
「……あ?」
その瞬間、周囲の空気が固まった。
同じフロアにいた社員たちは理解が追いつかないという顔を浮かべ、聞き耳を立てていたであろう隣のフロアの社員たちはこちらを二度見した。そして、とうの課長すらも笑顔を貼り付けたまま固まっていた。
「……は?」
「だから……おれ、おれ。非正規のままがいいです。正社員に、正社員なんかになりたくありまぜん゛!」
俺が涙声で叫べば、課長はさらに「え、え?」と混乱を極めているようだった。
「え? 社員だぞ? なりたくねぇのか?」
「はい゛!」
「あ? じゃあ臨時社員のままがいいってか?」
「はい゛!」
「おい、じゃあその涙はなん---」
「これは! 課長が僕を気にかけてくれたことに感動してるんですぅ! ううっ! 目をかけてぐれであ゛り゛か゛と゛う゛!」
俺は涙声で礼を述べた。が、どうにもそのあたりで平田課長は事態を理解し始めたらしい。朗らかだった顔がだんだんと消え、般若を超えて夜叉みたいな顔になってしまった。
「おっ、おい山田ぁ! ふざけてんのかお前! 俺はなぁ、俺はお前みたいなのゴミクズを雇い入れた責任を感じて、お前を一人前にしてやろうと思ってたんだよ! それを台無しにしやがって! それによく考えてみろ!」
平田課長が俺の胸ぐらを掴めば、さすがに同じフロアにいた社員たちが止めに入ってきた。が、それでも平田課長は止まらない。
「お前、自分がいくつだと思ってんだ! 34だぞ、34! その歳の人間がお前っ、10万そこらの給料で生活できるわけねぇだろ! お前、親の脛かじってんだろ! いい加減自立して親御さん安心させてやれよ! だから正社員になれ! いや! ならないとお前はまずい! 正社員になれオラ!」
「ううっ! 絶対に……絶対に嫌だ! 正社員になるのだけは……」
その瞬間、俺はバッと身を翻して駆け出した。
「正社員だけは、絶対に嫌だあああああああああああああああ!!」
絶叫と共に俺はフロアを駆け抜けていった。後ろから平田課長の怒号が聞こえてきたが、関係なかった。呆れは果てた顔の社員や、侮蔑の目を向けてくる女社員の視線を一身に受けて俺は会社を飛び出した。




