なんの肉です?
平民街に夜のとばりが降りれば、そこからは冒険者の時間となる。
酒場には冒険者が集まり、1日の苦労を労って酒を酌み交わす。あるいは仲間と共に飯を喰らい、明日に向けて英気を養う。楽しげな音楽が奏でられ、吟遊詩人は英雄の唄を高らかに歌い上げる。
そんな光景が街の至る所で繰り広げられ、それはここ、『飛ばない大鷲亭』も例外ではなかった。
冒険者たちで賑わう店内から視線を戻せば、目の前にいるのはあの女。
なにやらテーブルの上の料理をまじまじと見つめていたが、ふいに顔を上げた。
「あの、これはなんでしょうか?」
言ってアリスが指差したのは、
「パンだが?」
「こんなにカチカチで黒いのが?」
「そんなにカチカチで黒いのが」
アリスは「はぇ〜」と感嘆の声を漏らす。それからすぐに、隣にあったスープを指差した。
「では、これは?」
「そりゃ、豆のスープだな」
「こんなにうっすい色のこれが?」
「そんなにうっすい色のそれが」
アリスは再び「ほぇ〜」と声を漏らした。そして最後に肉料理を指差すと、
「では、まさかこれがメインディッシュに該当するものでしょうか。この、鼻の曲がりそうな悪臭を放つものが」
「その鼻が曲がりそうなのがメインディッシュだ」
「なんの肉です?」
「聞くな」
「なるほどです」
と言って、まさかその肉から食い始めてしまった。即座にえづき始めるが、涙を堪えてまで飲み込んだようだった。えらい。
ちなみではあるが、この世界において平民は黒パンしか食べられないなんてことはない。
平民であっても白パンは買えるし、野菜たっぷりのスープも楽しめるし、腐った匂いのする肉は普通に捨てる。ではなぜアリスがそんな酷い飯を食っているのかといえば、それは奢る側の人間が金を持ってなさすぎるためである。
アリスはオエオエ言いながらその臭い飯を食らっていたが、しばらくの後に平らげる。
が、俺はそんな豚のエサなど食う気になれず、半分ほど残してエールをちびちびやっていた。
すると、アリスがこっちをじっと見ていることに気が付く。
「あの、お残しになるのでしたら、いただいてもよろしいですか?」
正気か。こいつ? と思いつつも豚のエサを差し出してやれば、アリスはまたオエオエ言いながら食べ始める。
「すいません。昨日からなにも食べていないものでして」
ということらしい。
しかし、良い身なりをした女が臭い飯にがっつく姿は、なかなか見ていて痛ましいものがある。しかも俺が奢ってやった飯だと思うと、なんだか悪いことをしてる気がしてくる。
そうやってよく分からない罪悪感に苛まれていると、アリスは俺がやった飯を平らげたようだった。
人心地着いたタイミングを見計らい、俺は先ほどから気になっていたことを切り出した。
「それで、アリス。お前、何者なんだ?」
一瞬、アリスに間ができた。
「あの、それは先ほど……」
「最初にお前を追ってた連中。あいつらが付けてた緑のマント。ありゃ、王の目だろ?」
その単語に、アリスの肩が揺れた気がした。
キングズ・ウォッチ、通称、『王の目』と呼ばれるその組織は、憲兵集団の上位組織にあたる。王直属の組織にして、国内の不穏分子の監視、あるいは国家の存亡を揺るがしかねない問題に対処する集団だ。
「しかもだ。その『王の目』が追ってるのが、高そうなドレスを着た貴族ときた。そりゃ正体も気になるってもんだ」
「……たしかに高そうなドレスかもしれませんが、だからと言ってわたくしが貴族だとは限らないのではないでしょうか?」
「どうだかな。服を抜きにしても、その喋り方とアクセント。そりゃ、上流階級のそれだ。それといま食ってる飯。初めて見たって感じから、普段からいい物食ってんだろ?」
ちょいちょい、と俺は空になった皿を指差す。
「だからアリス。お前はどこぞの貴族で、おまけに『王の目』に追われるほどなんかやべぇことをした貴族の女。そう思ったんだよ」
するとアリスは、スッと視線をテーブルに落とした。
なにか思案しているのか、しばらくその状態から動かないでいた。
その沈黙を埋めるようにエールを呷れば、小さなため息が聞こえてきた。チラリと見てみてみると、アリスは諦めたかのような眼をしていた。
「そうですか。どうにも、ごまかせないようですね……」
まるで、追い詰められた犯人が独白でもするかのような雰囲気を醸し出していた。そうしてアリスはゆっくりと口を開いたのだが……
「実はわたくし、家出をしておりまして」
「ふむ」
「だからあの方々たちに追われていたのです」
「ほう」
「以上です」
「あ?」」
変な声が出た。なにやら重要なことを言いそうな雰囲気だっただけに、拍子抜けしてしまう。
「いや、まてまて。お前。家出だと? 家出しただけで王の目の連中に追われてるだと?」
「おそらくですが、そうだと思います。他にこれといった理由も見当たりませんし」
さも当たり前のように言うが、さすがにおかしい。
たしかにこの世界は身分制で、貴族と平民の間には埋め用のない差が存在する。ゆえに、平民では事件として扱ってくれない事柄でも、貴族相手であれば王の目が事件として扱うこともある。しかし、だ。
「んなバカな話があるか。いくらお前が貴族だからって、王の目が家出如きで動くわけねぇだろ。そんなの、当主が解決することだ」
なにより、貴族は世間体を気にする。なれば王の目などに相談するわけがない。
「そういうものなのですか?」
「そうだよ」
「わたくし、一応、お姫様なのですが」
「そりゃそうだろ。貴族の女なんだから」
「いえ、そういう意味ではなくてですね……」
と、アリスは歯痒そうな顔をする。どうにも話が噛み合ってない部分があるらしい。
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
「えっと、それはですね。わたくしは……」
「あら、ユウちゃん。お友達?」
ふいに、声をかけられた。顔を向けてみれば、そこには一人の女性が立っていた。
優し気な目元と、微笑みを携えた口。そんな優し気な雰囲気とは裏腹に、身に纏うは紅蓮の装い。三銃士のような服装、とでも言えば理解できるだろうか。
俺は小さくため息をつくと、肩をすくめて見せた。
「別に、友達でもなんでもないよ」
「それじゃ彼女さん?」
「それも違うよ」
「じゃあまさか、お嫁さん候……」
「それも違う。ったく、いい加減にしてくれよ」
俺があしらえば、女性は「まあまあ」と嬉しそうに笑う。おおよそ、俺との会話を楽しんでいるのだろう。
「あの、すいませんユースキーさん」
そのタイミングで、いままで黙っていたアリスが声を上げた。
「こちらの方は?」
「誰って……俺の母さんだよ」
「えっ、お母様?」
唐突に立ち上がったアリス。え? え? と俺と母親を交互に見てくる。
「初めまして〜。私、ユースキーのママでーす。えっと……」
母が小首を傾げれば、アリス「あっ」と声を出した。
「申し遅れました。わたくし、アリスと申します。お母様、どうぞ、お見知り置きを」
貴族らしく、アリスはちょいとスカートの淵を持ち上げる。すると母親は、なぜか「あら?」と言ってアリスを見つめた。
「アリスさん、と言うのかしら?」
「はい。そうですが……」
「失礼だけど、どちらからいらしたの?」
「あっちのほうです」
言ってアリスが指差したのは店の壁。なにこいつ。壁から産まれたん?
しかし母はその壁の方向を見ると、顎に手を当て「う〜ん」と考え事を始めてしまう。
その様子を不思議に思っていると、ちょいちょいとアリスが俺の服を引っ張ってきた。
「なんだ?」
「いえ、お母様は冒険者なのですね」
アリスは母を指差した。紅蓮のマントを付けた三銃士のような装い。おまけに腰には細剣。そう思うのが普通だろう。が、
「いや、元冒険者だ。現役じゃない」
「え……」
思わず、と言った感じの視線をアリスは向けてくる。
「では、どうしてあのような格好を……」
「そりゃ、ここの店主だからだよ。コスプレしてんだ」
「え? はい? コスプレ? 店主?」
ますます混乱を極めてしまった様子のアリス。が、事情を知らなければそうなるだろう。
俺の母親は元冒険者である。しかも凄腕の。昔は冒険者としてブイブイ言わせていたが、そのうち同じパーティーだった父と結婚して冒険者を引退。引退後はここ、『飛ばない大鷲亭』を開業し、父が再び冒険の旅に出てしまってからもここの店主を務めている。
凄腕だった母は冒険者の間でそれはそれは有名で、そんな母が経営するこの店には当時を知る冒険者や引退した冒険者、果ては逸話として母を知る新人冒険者が訪れる。そんな彼らに喜んでもらおうと、母も母で当時の格好をしていたりするらしい。
そんな感じの話をアリスにしてやれば、
「なるほど。つまりあの格好でお客さんを方を呼び込んで、溜め込んだお金を吐き出させていると」
「人聞が悪い。サービスだよ、サービス」
とは言え、母がもらうチップの額はマジでえぐい。この前なんか1日で俺の一ヶ月分の給料を荒稼ぎしていた。そのとき俺もお小遣いもらえて嬉しかったなー。
そんなことを思っていると、考え事をしている風だった母親が「ま、いっか」と言ってこちらに向き直った。
「ところで、アリスちゃんは今日どこに泊まるか決まってるの?」
唐突に、そんなことを言い出した母親。アリスは小さく首を振った。
「いえ、決まっていませんが」
「そう。なら、今日はうちに泊まっていくといいわ。部屋も空いてるし、もちろんお金はとらないから」
「えっ! いいんですかぁ! ありがとうございま---」
「いや、待て待て待て!」
思わず立ち上がってしまう俺。母親とアリスの間に割って入る。
「待ってくれ母さん。こいつを泊めるのはまずい。こいつを泊めるのは不味いんだ!」
「あら、どうして? なにか、泊まってもらったらダメな理由でもあるの?」
「い、いや。それは……」
言えない。この女が俺の会社を吹き飛ばし、憲兵並びにキングズ・ウォッチ(王の目)に追われているやべぇ奴だなんて。なんなら俺もその一味として追われているなんて。
「だったらいいじゃない。それからユウちゃん。アリスちゃんのお世話をしてあげて。アリスちゃんも、困ったらユウちゃんに助けてもらって」
「いや、だから」
再び抗議の声を上げかけるが、母親は全く取り合ってくれる様子がない。
「そういうわけで、アリスちゃん。部屋に行くときは受付に寄ってね。鍵を渡すように言っておくから」
「はっ、はい。ありがとうございます、お母様」
「いいの、いいの。気にしないで。それじゃ、ゆっくり休んでね」
軽く頭を下げるアリスと、手をひらひらさせながら立ち去っていく母親。そしてそれを絶望的な目で見つめる俺。
ふと隣を見れば、アリスがニコニコ顔を浮かべていた。
「優しい方ですねぇ。ユースキーさんのお母様。それに、始めてのお泊まり。とても胸が高まります」
などと言い、勝手にテンションが高くなっているアリス。
そんな光景から目を逸らすようにエールを飲めば、苦味だけが口の中に広がっていった。




