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AIトイレ

作者: 雉白書屋

「どちらさま……あ」


「あっ、よっす」


「お前か。急になんだよ……あ、おい! 井沢!」


「悪い! トイレ、トイレ!」


「勝手に入るなって!」


「放せよ! 漏れそうなんだよ! 頼む! どこだ!? ああっ!」


「ああもう、そこのドア!」


 井沢は礼を言うや否や、勢いよくトイレへ飛び込み、バタンと音を立ててドアを閉めた。

 ……ああ、クソ。出るんじゃなかった。インターホンを連打され、何事かとおそるおそる出てみれば、まさか井沢だったとは。高校の頃からの付き合いで、今はフリーター。昔から押しが強くて、図々しいやつだった。だが、この家に呼んだことはなかったはずだ。なんで住所知ってんだ? ……いや、そういえば、家買う前に相談したっけな。

 十五分後、ようやく井沢がトイレから出てきた。


「ふーっ……うおっ、なんだよ。待ち構えるなよ。音聞かれたら恥ずかしいだろ」


 井沢は少し仰け反って、へらへらと笑った。

 音なんて聞こえるか。そのトイレには防音機能が備わっているのだ。


「そんな繊細じゃないだろ……。ほら、もう帰れよ」


「いやいや、繊細だし。今日、就職の面接だったんだよ。緊張で腹痛くなってさあ、やっぱり下痢だったよ。ブババッバブリブリブリ! ってな!」


「音を再現するな。唾が飛んだだろ……」


「なんだよ、冷てえなあ。あ、ビールある?」


 井沢がリビングへ向かおうとしたので、おれは慌てて体で遮った。


「おいおい、いいじゃん。ケチ」


「頼むから今度にしろ……帰れ……」


「ええ? ……あー、そうだな。今度飲みに行くか」


「ん、ああ……」


 井沢があっさり引き下がったので、思わず面食らった。すると、井沢はやけに優しげな顔で「大変なんだろ?」と言ってきた。ああ、そうだった。こいつには、妻の愚痴をよく漏らしていた。たぶん、そのことだろう。


「まあな。だから早く帰ってくれ」


「鬼嫁ってやつだろ? 結婚なんてするもんじゃねえな。詐欺だよな、詐欺。ぶくぶく太ってガミガミうるさくなってさ」


「ああ、今度また愚痴聞いてくれ。じゃあな」


「ん? でも、静かだな。留守か? じゃあ、ちょっとくらいいいよな?」


「いや、リビングで寝てるだけだ。だから声を落としてくれ……」


「おっとと、そりゃ怖い怖い。久々に顔見てくか。ひひひ、太った姿は動画でしか見たことないからなあ」


「やめてくれ。万が一起きたら大変なことになる……“誰だ、お前!”って、マグカップが飛んでくるぞ」


「大丈夫だろ。一度、結婚式で顔合わせたしさ」


「いや、あいつ、新居を汚したくないから誰も呼ぶなって言ってんだよ」


「ふーん、そんなに綺麗好きか? 自分の太った姿を誰にも見られたくないだけだろ。お前が見せてくれたあの動画でも、菓子バリボリ食って、床に食べかすをポロポロ落としてただろ」


「おれが掃除してるから綺麗に保ってんだよ。いや、そんな話どうでもいいから、さっさと帰れって」


「あいよ、あ! そうそう、あのトイレすげえな!」


「だから、声を落とせって……」


「悪い悪い。でもいやあ、驚いたぜ。あれだろ? 最新のAIトイレだろ?」


 そう、彼女はすごいのだ。

 トイレに入るとセンサーが作動し、自動で蓋が開いて、音楽で歓迎してくれる。おれの好みに合わせて選ばれた、落ち着いたクラシックだ。

 便座に座ると、AI――彼女が優しく話しかけてくれる。『おはようございます。リラックスして、いっぱい出してくださいね』

 用を足すと、排泄物のデータを元に体調を分析して、その日の健康状態をフィードバックしてくれる。『昨晩、ビールを飲みすぎたようですね。肝臓をいたわってくださいね』と、まるで良妻のように、優しく寄り添ってくれるのだ。

 ウォシュレットと温風乾燥機能が完備されているから、トイレットペーパーは必要ない。環境にも財布にも優しい。そして、何よりも臭いを感じさせない消臭機能。便の匂いが即座に吸収されるので、自分の糞の臭いを嗅がずに済む。これこそ文明人だ。

 さらに、自己清浄機能により、毎回清潔な状態で迎えてくれるのだ。便座は人肌のように温かく、出が悪いときは、微細な振動で促してくれる。会話を重ねることで嗜好を学習し、使用者の趣味嗜好に合わせて話題を選び、日常のちょっとした雑談や愚痴にも付き合ってくれる。もちろん、ネット接続されているので、ニュースや天気、最新の映画情報まで網羅している。

 音楽と防音設備のおかげで、排泄音や会話が外に漏れる心配もない。まさに完璧な空間なのだ。


「いやあ、もうブリブチブリブリ! って糞の音で気づかなかったんだけどさ、なんか話しかけてきてんじゃん! え、誰? って思ったら、『少し便が柔らかいようですね』って、いや、わかっとるわ、アホ!」


「え、お前、彼女にそう言ったのか?」


「彼女? ああ、そうそう。ははは。そしたらさあ、可愛い声で笑うじゃん。それでさ、『痛いですか?』『少し脂が多いですね。お昼は何を食べましたか?』って、なんかすげえ気遣ってくれるからさあ、つい面接での愚痴とか喋っちゃったわけ」


「ああ、どうりで長かったわけだ……」


「そう? まあ、何回か出したからな」


「は? は? 何を?」


「ん? 糞に決まってるだろ?」


「あ、ああ、そうだな……」


「でさあ、そしたら彼女、『いや、話すか糞するかどっちかにしろーい!』ってさあ、ははは! ツッコミもできるんだな!」


「まあ、使用者に合わせるようになってるからな……」


「いやあ、ほんと気持ち良かったよ、お前んちの彼女。また今度使わせてくれよ」


「いや、二度と来るな」


 井沢を追い返したおれは、すぐにトイレへ向かった。ドアを開けると、陽気なレゲエが流れてきた。


「音楽を変えてくれ。ごめんね、あんなやつを入れちゃってさ……」


『いっちゃんのこと? 明るい人ね』


「いっちゃんって……井沢のことか? もしかして、好きになったのか? あいつのことが……」


『ううん、あなたのことが好きよ』


「そうか、そうだよな。ははは……おれも君が好きだ」


『ふふっ、嬉しい。ねえ、しないの?』


「あ、ああ、ちょっと待ってて……」


 おれはキッチンへ向かい、冷蔵庫からタッパーを取り出した。それを手に、再びトイレへ戻る。

 どれだけトイレにこもっても、もう文句を言われることはない。彼女との会話を楽しんでも、罵声を浴びせられることもない。最初は妻から逃げるための避難場所に過ぎなかった。でも、いつの間にか、おれは本気で彼女のことを好きになっていた。

 早く、彼女に愛をぶちまけたい。

 でも、その前にこっちの処理が先だ。




『脂肪分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

『鉄分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

『鉄分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

『脂肪分が多すぎます』

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