第98話 キキュールの夜戦
「ひひいっ……ひっ」
楽市たちがその場を離れたあと、アンデッドの人海にポツンとテントが張られていた。
三方に細い棒を刺し、それを中央で束ねて三角錐となる小さなテントだ。
表面は酷く汚れていて強い草の匂いがする。
その中には怯えて縮こまるクローサと、やつれてはいるが、ぐっすり眠るパーナとヤークトがいた。
周りのゾンビやスケルトンが、テントの端に足を取られて転ぶ。
よろけては幕に手をつく。
そのたびにクローサの肩が跳ねて、小さな悲鳴が漏れていた。
「この中にいれば襲われることはない。
ふふふ……この私が生者を助ける日がくるとは。
すべてはタタリガミの腹の中か……」
去りぎわに、派手なローブのエルダーリッチがそう呟いていた。
しかしクローサには、とてもこのテントで防げるとは思えない。
だってぼろいんだもの。
ガサッ
「ひっ」
グルルルル……
「ふひいっ」
クローサの長い一日が始まる。
*
首輪を付けられた二体の四足獣スケルトンは、幽鬼から送られる負のエナジーを貪り、角つきに襲いかかる。
今のがしゃたちは過剰摂取状態から抜けだし、自前の蓄えた魔力で動いている。
トリクミが長期化すれば、使った分だけ幽鬼から補充される四足獣のほうが有利だろう。
四足獣は長期化をもくろみ、ヒット&アウェイの戦法に切りかえた。
角つきもそれが分かっているので、天空からつながる四足獣のリードをかぎ爪で切断する。
けれどバラバラに飛び散るものの、リードはすぐに復活し、四足獣の首に巻きつくのだった。
四足獣スケルトンの息の合った攻撃が、はかばーナンバーワンをじわじわと追い詰める。
*
――いったい私は何をしているのか?
もうなんども同じ自問を続ける。
キキュールは、北ブロックの瓦礫の中を歩いていた。
多くの建物が、突然襲ってきた巨大アンデッドに蹂躙され、瓦礫の山と化していた。
先ほどまで煌々と照っていた日差しは、ベイルフ上空を覆った黒いなにかに遮られ、まるで夜のようだ。
街にはもう、侵入したアンデッドたちの脅威がほとんど無かった。
はじめは獣人を襲っていたのだけれど、皮肉なことに「巨大アンデッド」が侵入したことで瘴気濃度が上がり、下級アンデッドのほとんどが砂になってしまう。
崩壊を逃れたとしても、一歩も動けない置物と化していた。
その中を歩く。
キキュール自身はどうかと言うと、かなり調子が良かった。
キキュールは外見こそ麗しき獣娘だが、中身はエルダーリッチなのである。
「この程度ならば、文字通り体に良いな……」
そう思いつつ、シノからは――瘴気は距離が大切――と、千里眼で散々聞かされているので気は抜かない。
キキュールは遠くで聞こえる鐘の音に目を細めた。
瓦礫あふれる道沿いには、多くの一般獣人が横たわっている。
死んではいないが、皆かなり呼吸が浅い。
つまりは死にかけだ。
キキュールはランダムに死にかけを選び、探査魔法の一つ「体力残高」を発動させ、見つめた。
「死にかけてはいるが、体力が減ったり増えたり小康状態をたもっているな。
ふん、獣人種特有のしぶとさは、本当にあきれる」
キキュールは毒づきながら歩き、また次のチェック者をランダムに決める。
――いったい私は何をしているのか?
その自問の答えは、気になるからである。
気になるからチェックを繰り返す。
「別になんにん死のうが構わない。
けれどいつ死ぬのか気になるので、一応調べてみようか」
あと一度だけ、もう一度だけ、ついでだからあと一人だけ。
そうつぶやきながら、キキュールはチェックを繰り返していた。
「ん……」
ランダムの対象に選んだ、幼い双子の兄弟が本当に死にかけている。
いつも店先で挨拶をしてくる顔なじみだ。
腹から大量に出血をしていた。
キキュールは双子に近付き、膝をつく。
「キ……キキュールさん……」
そばでぐったりしている母親が、キキュールに気が付いた。
「すこし失礼します」
キキュールはそう言うと、自分の羽織るローブのフードから三本のポーションを取り出す。
そのうち二本を、子供たちに振りかけた。
子供たちの腹の傷が、みるみるふさがり始める。
母親はそれを見て驚いた。
「そんな高価なものを……私にはお金が……」
「いいんです。どうせこの有様じゃ薬屋は廃業ですから。
お母さんにはこれを……」
三本目は別のポーションだ。
「これは……」
「コールカインと言います。軍からの横流し品です。
一時的にですが、体が動くようになります。
その間に、ふたりを連れて北地区の地下へ。
入り口は知っていますか?」
「キ……キュールさん……う……」
母親は目に涙を溜めながら、キキュールの手に触れる。
「?」
母親はキキュールの手の冷たさに、少し驚いたようだ。
キキュールは慌てて立ち上がる。
「失礼します」
そう言ってその場を足早に去った。
「勝手に手を取るなど……」
許可も得ず、勝手に触れるなど何を考えているのか。
「これだから獣人種は……」
キキュールはそう毒づいて、瓦礫の街を歩いた。
――いったいなぜ、獣人たちを助けてまわるのか?
また自問だ。
先ほどの双子だけではない。
キキュールはもう何度も、フードから二種類のポーションを取り出し手渡していた。
――いったいなぜ、そのような事をするのか?
キキュールは声に出して答える。
「店が駄目になって、大量の在庫を抱えたからさ」
否。
心のどこかで、本当にそうなのかと否定する。
「コールカインの実証性を、この目で見たかったからさ」
否。
心のどこかで、噓をつくなと否定する。
「心だと!?」
キキュールは自分で使った言葉に腹を立ててしまう。
「ああ何だと言うのだっ。私はこの街に居すぎたのか!?」
――アンデッドが生者を助けるなど、なんと滑稽なことかっ
「これではシノに笑われてしまうな……」
キキュールは自嘲的な作りものの笑みを浮かべる。
もそり……
「ん?」
キキュールの正面に見える瓦礫のウラに、何かがうごめいている。
自分の内面に囚われていたキキュールは、気付くのに遅れたらしい。
それがもそりと動き、顔をのぞかせる。
「な!?」
それはキキュールが見たこともないアンデッドだった。
太い幹ほどもある胴をくねらせて、瓦礫の山をはい登ってくる。
それはゆっくりと進み、のんびりとキキュールのかたわらを通り過ぎていった。
その間キキュールは動けない。
そのアンデッドが、わずかだが強い瘴気を出していたからだ。
「な……何だ、今のアンデッドは!?」
キキュールは知らない。
それが、がしゃ同士のトリクミで、切り裂かれたリードのカケラだと。
頭のない幽鬼のカケラは、本能のみで動く。
謎のアンデッドのはい進む先は、キキュールが今きた道。
その先には双子と母親がいた。
「まさかコールカインで、無理やり引きだされた生命力に反応しているのか!?」
キキュールの無いはずの肺が、呼吸を求めてあえいだ。




