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第9話 楽市、ひとことだけしゃべる
自分の踏みつける、下草の名が分からない。
辺りに生える木々も、虫の息や鳥の声も分からない。
草木の隙間から見え隠れする、獣たちも分からない。
何もかもが、見たことのないものばかりだった。
違うものは、土の匂いや星の位置だけではなかったわけだ。
楽市は、自分で呆れてしまう。
森に精通する白狐としては、屈辱的な事柄だった。
だけど楽しくもあった。
一から調べるなんて気が遠くなるけれど、そういう事が楽市は嫌いじゃない。
季節が変わり始める。
この所、陽射しの強い日が続いていた。
もう随分と昔のようだけれど、ガード下で飲んでいたころが夏だったので、もう一度夏がきた気がして損した気分になる。
嵐の日より崩壊した斜面は、いまだ草むらのまま。
うっそうと茂るそぶりが無い。
森林化は早すぎるとしても、背の高い草木が視界を遮るといったことが無い。
相変わらず、見晴らしの良い草むらだった。
一体どういうわけなのだろう?
分からないけれど、それで良い。
出来ればこのままであって欲しいと、楽市は思う。
「ここは、忘れたくないなあ」