第88話 楽市だっこして走る
「どういうことです?」
「分かりません。急にチヒロラが南へ移動しました。
それは間違いありません。
チヒロラには迷子防止として、私の指を持たせているのです」
「ゆ、ゆび?」
「すこし失礼します」
シノはそう言ってハンモックを降り、巨樹からゆっくりと離れていった。
森を見上げながら歩く。
シノは木々のわずかな隙間を見つけると、そこに向けて千里眼を発動させた。
シノの視点が木々の間をすり抜けて、地上を見下ろす。
そして視線をいっきに南へ飛躍させた。
しかし見えるのは森ばかりで、チヒロラの姿はない。
シノの薬指が、ここからまだ南だと伝えてくる。
「千里眼の効果範囲の外だと?」
千里眼は「千里」と名を冠してはいるけれど、実際は「五十キロ」ほどしか見渡せない。
そこからさらに見通すためには、パートナーの協力が必要となる。
シノとキキュールの関係がそうだ。
あらかじめ様々な魔法契約をかわし、お互いの足りない距離を補い合って、初めて「長距離千里眼」が可能となるのだった。
シノは日にちを数える。
キキュールとの千里眼はまだ三日先だ。
向こうに協力を仰ぐことはできない。
あらかじめ日付と時刻を合わせておかないと、こちらが一方的に千里眼を発動しても、向こうは気付いてくれないのだ。
シノが千里眼をきり腕組をする。
「……」
そこへ楽市が声をかけた。
「いきましょう南へ」
「ラクイチ殿……」
「いきなり南へ飛ぶだなんて、おかしいでしょ。
ダークエルフの瞬間移動じゃあるまいし。
でも起きたんですよね?」
楽市はシノを見つめた。
唐突な話だけれど、楽市はシノの言葉を疑いはしない。
シノも楽市を見つめてうなずく。
「その通りです」
「なら迷っている暇なんてないでしょ?
チヒロラがいるということは、霧乃たちもいるはず。
あの子たちは、ハッキリ言ってあたしより頼りになります。
何があってもしぶとく抵抗するでしょう。
その間に、あたしたちは着かなくちゃっ」
「分かりました」
「じゃ、行きましょうっ」
そう言って楽市はシノをお姫様だっこした。
「なっ、ラクイチ殿!?」
「だってしょうがないでしょう? あたしには居場所が分からない。
シノさんは早く動けない」
「た、確かにっ」
シノが慌てて付け加える。
「途中までですっ、途中までお願いしますっ。
あるていど瘴気が薄くなれば、私の体は動きます。
そうすれば転移魔法がつかえますっ」
「シノさん使えるんですか!?」
「使えますっ」
「凄いですねっ、じゃあしっかり掴まって下さいよっ」
「はいっ」
楽市が身を固くするシノを、お姫様だっこしながら走り出す。
青い空に白い雲がながれる。
走りに走りつづけて、楽市が山頂で息たえだえに転がっていた。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ……あと、どれくらいですか?」
シノは手を軽くタテに振ったり、ヨコに振ったりして試している。
どうやら転移魔法を発動するのに、振りの速さが関係するらしい。
まだ速さが足りない。
「ふむ……あと三つほど、山を越えていただけますか?」
「はあっ、はあっ、はあっ……」




