第77話 これではまる裸
遅い朝。
エルダーリッチのお師さまは、低レベルの意識が浮上して、自分が寝かされていることに気付く。
「むむっ、着いたのか?」
お師さまは霧乃たちに何度か落とされてしまい、その先の記憶がないのだ。
ゆっくりと体を起こしてみる。
きしり。
上体を支える手に、ツタの感触が伝わる。
「ん、これは寝床かな?」
お師さまが辺りを見回すと、そこは巨大な樹の根本だった。
木の根の形状が独特で、タコ足のようにくねり所どころ宙に浮いている部分がある。
「ヤクトハルスの巨樹か……」
よく見ると木の根には、ブランコやハンモックが吊り下げられている。
少し離れたところに、石の竃もあった。
中央の幹には網棚が取り付けてあり、そこに木製のコップが五つ。
「ふむ、話に聞いていた通りだな。やはり着いていたか。となると……」
お師さまはゆっくりと、視線をかたわらにうつした。
そこには木の根に寄りかかり、気持ちよさそうに眠る獣娘の姿があった。
獣娘は手足をだらりと投げ出して、アゴが上を向いている。
そのせいで口が全開だ。
かわいい顔が台無しである。
腹の上には、作りかけの草カゴが乗っていた。
「何という無防備な……」
まず第一印象がそれだった。
チヒロラが野営でこんな姿をさらしていたら、小言をいうレベルである。
そういえば周りに、チヒロラや霧乃たちの姿がない。
どこかに出掛けているのだろうか?
「ふむ……」
もういちど獣娘を見る。
「状況からしてこの娘が、らくーち殿……という事なのだろうが……」
この獣娘が本当にらくーち殿なのだろうか?
まるで緊張感がない。
ダークエルフを蹴散らしたという豪の者感が、これっぽっちもない。
お師さまはゆっくりと立ち上がり、亀のような歩きで近づいていった。
「ふむふむ……」
お師さまは娘が寝ているのを良いことに、少し調べて見ることにした。
まずは軽くトラップ探査の魔法をかける。
「ん、魔法障壁をいっさい講じていないだと?
これではまる裸だぞ!?」
お師さまは、獣娘のことが少し心配になってしまう。
これでは悪い輩に、色々とイタズラされてしまうではないか。
そう思いつつ、自分がさらに探りを入れていく。
「それでは遠慮なく」
まずは属性を見る探査魔法。
「属性探査」
これで獣娘の属性が、何なのか知ることができる。
恐らく闇属性だろうから、お師さまには彼女の体が黒く見えるはずだ。
しかし何も起こらなかった。
「おや、かかっていないのか? 面白い。私の知らぬ障壁があるらしい」
こうなると魔法を嗜むものとして、やる気が出てしまうのだ。
これはどうかね、あれはどうかねと、探査魔法をいろいろ試してみた。
しかし何も起こらない。
「何と、どれもかからないのか。ふーむ……」
そう言って不思議がるお師さまの足元が、ふと陰った。
辺りがだんだんと薄暗くなり始める。
「ん? 夕暮れには早すぎるだろう。
遅いとはいえまだ朝のはずだ」
お師さまは訝しみながら辺りを見回す。
すると自分が、とんでもない勘違いをしている事に気づいた。
魔法の結果として、視覚へ返ってくる情報が森全体からきているのだ。
初めにかけた、属性探査の答えが今やってくる。
目の前にそびえ立つ、ヤクトハルスの巨樹が次第に黒ずんでいった。
それだけではない。
周りに生い茂る木々の全てが黒くなっていく。
これは魔法をかけた対象が、余りにも大きい場合に起こる「遅延現象」だった。
目の前の獣娘にかけたのだから、通常なら視覚情報として獣娘が黒くなるはずだ。
それなのに森全体が黒く見えると言うことは――
「これではまるで腹の中ではないか。
この森そのものが彼女……」
そうつぶやいたとき、全身に視線を感じ骨の身がふるえた。
「森全体が……私を見ているだと!?」
お師さまは、目の前の獣娘に語りかける。
「まさか私を試したのですか?
無防備に寝ていると見せかけて、私が何をするか試したのですか?」
アンデッドなのに震えが止まらない。
立っていられずひざまずく。
アンデッドは今、死の神を前にしているのだ。
好奇心旺盛なエルダーリッチが震える前で、楽市が静かに目を開いた。