第67話 小さな薬草店
日暮れ前。
ベイルフに住む獣娘のキキュールは、早々に店じまいをした。
「ふーむ」
キキュールは、ベイルフの北ブロックで小さな薬草店を営んでいる。
まだ陽が沈む前だけれど、今日はもう営業終了だ。
「このご時勢、どうせ誰も来ないだろう」
普通なら通りを魔法のランタンが煌々と照らして、街の賑わいはこれからという所。
けれど今のベイルフにそんな余力は無い。
都市の周りはしっかりと城壁があって軍の警備が完璧だとしても、今のベイルフでは、日が暮れてから出歩く者などいなくなってしまった。
だから店じまいする。
さて、キキュールは壁にかけてある、魔法の砂時計をチラリと見た。
まだ夜というには早い時刻だ。
「ふむ」
キキュールは、今宵が半月に一度の「千里眼の日」であることを何度もチェックした。
けれどそれはまだ数時間も後のこと。
キキュールは鏡に向かい、自分の姿をじっと見つめた。
艶やかな黒髪が腰まで流れて、形の良い獣耳が二つ付いている。
尻尾も黒。
瞳の色はエメラルドグリーンだ。
「今日の輝きも、問題なし」
魅力の高い瞳だと、自分で思う。
つんとあごを上げ、自分のラインをまじまじと見る。
形の良い胸、くびれた腰からのラインも豊かなものだと判断する。
まあ全てが、イミテーションなのだけれども……
実際の彼女は、全身白骨のアンデッドなのであった。
俗に「エルダーリッチ」と呼ばれる種族である。
世間では、アンデッドといえば忌み嫌われる存在。
さらにいえば駆除対象なので、こうして姿を変えて生者の中に潜伏している。
長年こういった生活が続くので、もう変装した獣人姿の方が、体に馴染んでしまっていた。
キキュールは昼間使用する「笑顔」を、鏡に向かってしてみる。
長年にわたり磨いてきた技術なので、獣人たちやダークエルフのする笑顔と遜色ないはずだ。
「ふむふむ」
死者として虚ろな心をもつキキュールは、「生者たちが、苦も無く内面から発する感情」の模倣に余念がない。
たまに模倣を忘れて、店で無表情に接客してしまう事もあるけれど、
そんな時は「スンとしたキキュールもまた良いっ!」などと、客の男どもが喜ぶので不思議だった。
美人の形態維持は得である。
キキュールが、価値が高いと思われる黒髪をブラシでくしけずると、繊維がそろい髪の艶やかさが増していく。
別に今夜の千里眼の相手に対して、髪をとかす必要もない。
しかし日頃の習慣として、ついやってしまうので問題はない。
髪をとかすと、日頃のルーティンワークで化粧直しもやり始めてしまう。
服装はどうしようか?
これも変える必要などないのだが、ついでだ。
暗闇に映える赤にしよう。
これで視認性がアップする。
キキュールはもう一度、姿見の前でチェックする。
「ふむ、完璧ではないだろうか」
チラリと砂時計を見る。
まだ時間があると思っていたけれど、もうすぐ約束の時間が迫っていた。
思いのほかディティールのブラッシュアップに、時間を割いていたようだ。
キキュールは梯子をかけ、屋根うら部屋に登っていく。
屋根うらは板張りの何もない空間である。
ただ隅に小さなワードローブが、一つだけ置いてあった。
キキュールはそこから一枚の白いシーツを取り出し、板張りの床にしく。
天井には一か所だけ四角く切り取られた天窓があり、シーツをその真下にくるよう微調整する。
敷き終わると、その真ん中で体育座りをして天窓を見つめた。
さて丁度ころ合いだろう。
キキュールは魔力で天窓を開き、数種類の結界魔法を体内に構築した後、千里眼魔法を発動させた。
*
千里眼での通信はとても単純なものだ。
予定時刻にお互いが相手を「千里眼」で見るだけである。
もちろん事前にふたりで細やかな魔法的契約をかわし、お互いがどこに居ようとも、繋がるようにしておくのがデフォルトだ。
とても便利な魔法だが、幾つか欠点もある。
千里眼の視点は俯瞰のみで、透視魔法ではないから、簡単な遮蔽物ですぐ見えなくなってしまう。
森の中に逃げ込まれると分からなくなるし、霧など出たら何もかも見えなくなる。
また簡単な魔法で、阻害することもできる。
一長一短の激しい魔法だった。
「また粉だらけじゃないか、シノ」
キキュールが相手に声をかけながら、天窓に向かってせわしなく両手を動かし始めた。
ハンドサインである。
千里眼は音声がないので、会話は全てハンドサインで行うのだった。
とは言っても、キキュールはついつい内容を声に出してしまう。
その方がやりやすいし、メリットもある。
ハンドサインだけでは、微妙なニュアンスまで伝わらないのだ。
それを補うために、口の動きと表情が大切になってくる。
キキュールはハンドサインを行いながら、天窓に向かって話しかけた。
「へえ、大きくなったじゃないか、チヒロラ。
前と比べて、随分と形がかわるものだな。
シノよ、チヒロラに伝えてくれ。
こんどキキュールさんが、即死魔法を教えてあげるとな」
最初にたわいもない話をして、のちに本題へ入る。
半月に一度の情報交換だ。
「ふむ、黒き萌える輝きねえ。
二度も近場で浴びたのか?
シノ、おまえ大丈夫なのか!?」
シノのハンドサインは、とてもゆっくりだ。
それは高濃度な瘴気のための、デバフらしい。
「そんなに危ないなら、戻ってくればいいじゃないか。
……なに? まだまだ行けるだと?
おまえはまたそんな事を言って、私を困惑させる」
シノは大昔から、計画性のあるような無いような行動ばかりする。
そういう性格のベクトルは、おそらくシノが風化するまで変わらないだろう。
「ふむ、こちらもな、面白いことになってきたぞ。
アンデッドコロニーがな、二重の輪のようになっている。
アンデッドの特性が故に、そうなるとは予測していたが、本当になってみると実に不思議なものだよ、シノ」
キキュールの言うアンデッドの特性とは、アンデッドが集まると、そこから更に強いアンデッドが、生まれると言うものだ。
「近々、昔シノの言っていた現象が起こるかもしれないな」
それを聞いた千里眼の向こうのシノは興奮したようで、ゆっくりながらも身振り手振りが大きくなった。
その内容は、みたい、すごい、みたい、すごい、である。
「なら帰ってこい」
キキュールがそう伝えると、またシノは「いや、まだ行けるから」と首をふる。
「分かった、じゃあ勝手にしろ。もう時間だ切るぞ」
千里眼での会話はあまり長くできない。
シノのいる高濃度の場所へ千里眼を繋げると、キキュールの体内へそれが流れてくるからだ。
少しづつ慣らしたシノと違い、いきなり浴びるキキュールには負担が大きかった。
体内に構築した魔法陣で軽減できるものの、長くて通信は十分だろう。
だんだん体が動かなくなってきた。
ここら辺で、通信を切らなくてはならない。
「ではまたな、シノ」
キキュールは最後のハンドサインと共に、「笑顔」を付け加えてやる。
会話を切ったキキュールは、アンデッドながらも体がだるく感じた。
感情で表せば「不快」である。
ただ不快な理由はもう一つあった。
今回もまたアイツは、何も言わなかった。
キキュールのディティールの細やかさに、言及しなかったのだ。
美しいだの綺麗だの、一度も言ったことがない。
なぜ店の客の男どものように、キキュールを喜ばせようとしないのか?
全く不快である。
もし生前のキキュールが不満の言葉として述べるならば、乙女心が傷ついたと表す案件だ。
「これだからアンデッドは……」
キキュールはシーツの上に横たわり、天窓から星を眺めた。
「アイツは、随分と奥の方までいったんだな。
私の体がうまく動かないぞ。やるじゃないか」
キキュールは寝ころびながら思う。
明日は臨時休業にしようと――