第28話 楽市もどる
先頭を霧乃と夕凪が行く。
鬼の少女がその真ん中で、嬉しそうにふたりと手を繋いでいた。
楽市は、その小さな背中たちに声をかける。
「あのー、本当にこっち?」
「こっちー」
「こっちー」
霧乃と夕凪が、振り向きもせず返事をする。
返事が若干フラットなのは、もう何度も楽市に聞かれて面倒くさいのだ。
日が暮れてから、あの戦の場へ戻ることになった。
すると楽市は、驚愕の事実に直面する。
「道が……わからない……」
昼間あれほど自信まんまんで先頭を歩いていたのに、暗くなっただけで道が分からなくなるなんて、白狐として恥ずかし過ぎる。
野生の感が根腐れしている。
そんな哀れな狐に、小さな狐たちが救いの手を差し伸べた。
「きり、わかるっ」
「うーなぎも、わかるっ」
「えっ、ほんと!」
「わかるっ」
「まかせろっ」
恥も外聞もなくふたりに任せたけれど、どうも気になる事があった。
ふたりが明らかに、昼間通っていない道を通っているのだ。
楽市が恐る恐る聞くと、真っすぐ行った方が早いという。
「えーっ、大丈夫なのそれ!?」
楽市が何度目か分からない「ほんとこっち?」を言ったとき、唐突にあの場へ着いたのだった。
確かに昼より早い。
「何でわかんの?」
ストーンゴーレムに蹂躙された現場は、木々が押し倒されたため、頭上に遮るものが無い。
森の中でそこだけ星空が見えていた。
楽市は辺りを見回す。
倒された木々が、無残な姿でいたる所に転がっている。
そこには強烈な違和感があった。
「あれ?」
死骸がまるで無い。
あれほどあった獣や獣人兵たちの死骸が、綺麗になくなっていた。
「らくーち、あれ」
霧乃たちがすぐに気付き、楽市に伝える。
楽市は目を細める。
倒された木々の奥で、微かな咀嚼音が聞こえた。
向こうが楽市たちに気付き、一斉に振り返る。
闇の中に、幾つもの光る眼が見えた。
死肉を貪る獣の群れだ。
数匹が楽市たちに威嚇の声を上げる。
それに霧乃、夕凪、鬼の少女がカチンと来た。
「ふんっ」
「よしこいっ」
「ぐるるるるっ」
さらに一角の獣が前に出て、角をゆっくりとくゆらせる。
すると相手は力の差を感じ取ったのか、死肉を引きずり森の奥へ逃げてしまった。
スイッチが入ったままの、霧乃たちがうなり続ける。
その中で楽市は溜め息をつく。
「まあ、そうだよねー」
都市生活が長いと、当たり前のことで一々驚いてしまう。
「死骸は放っておいたら、腐るだけだもんね。これでいい」
とは思うものの、このまま何もしない気にはなれない。
楽市は一応、藤見の森の白狐なのだ。
楽市は倒木から、手に馴染む太さの枝を取ってみる。
「塩とか米とか、欲しいけど仕方ないよね」
ふと祟り神と化した自分がおこなう式に、効き目があるのかと考えた。
しかしこの地に来てから、何度もやっているので今更な悩みだ。
白狐としてウズウズするので、行うしかない。
楽市は小さな盛り土を作り、その前に立つ。
霧乃と夕凪が、それをじっと見ていた。
つられて鬼の少女も楽市を見る。
楽市は、榊代わりの枝を頭上にかかげた。
鬼の少女が、何事かと霧乃の裾を引っ張る。
すると霧乃が人差し指を口にあてて、静かにというポーズをした。
鬼の少女は小首を傾げたが、何となく伝わったようで静かにする。
三人の少女の前で、楽市が言葉を紡ぎ始めた。
それは正確には、言葉といえないかもしれない。
楽市の口腔から、不思議な音色が溢れだす。
人の可聴域と声帯の構造を、無視した音だ。
静かに揺れながら響き渡る。
音が、二つ四つと重ね合わされていき、八重、十六重、三十二重、六十四重。
とても一人の声音ではない。
すると楽市の口腔から、一匹の子狐が現れた。
小さな小さな、とても可愛らしい白狐だ。
ふわりと盛り土に降りて、そこを野原のように駆け巡る。
しばらく駆けていると子狐の足跡から、針の先ほどの小さな光が生まれた。
その数は、丁度この場で殺された獣たちの数だろう。
子狐は光の粒たちと飛び跳ねて転がり、盛り土の野を駆ける。
いつしか子狐は、美しい白狐となった。
そして次第に老いていき、動かなくなる。
狐は美しく成長してそこで老い、盛り土での一生を終えようとしているのだ。
子狐の頃からずっと一緒だった光の粒たちが、老狐に寄り添う。
老狐は静かに息を引き取る。
狐は充分に生きたのだ。
そしてまた一緒に過ごした、光の粒たちも……
――どうか心安らかに
光の粒たちは、老狐と一緒に盛り土へ溶け込み消えていった。
そこで楽市の言葉は終わる。
わずか二分半の出来事。
人の使う式とは大きく異なるけれど、これが国つ神に直接仕える、楽市たちの式だっ
た。
国つ神という方々は余りにも存在が広すぎて、自分の表面に生きる者たちの言葉
を、理解する方が少ない。
だからこそ、国つ神と人との間に白狐がいる。
「ふう……」
楽市が一息つくと、袖を引っ張る者がいる。
振り返ると、鬼の少女が渋い顔をしていた。
下唇を噛みしめて、目に涙を溜めている。
どうやら自分に現れた感情が、なんだか分からず困惑しているようだ。
言葉が分からずともそれでいい。
楽市は鬼の少女を撫でてやった。
「ん? 親御殿はどこへ行った?」
見ると、一角の獣がいつの間にかいない。
どこへ行ったのだろう?
しばらくすると、丸々とした鹿に似た獣を咥えて戻ってきた。
獣はすでに事切れている。
楽市は一瞬ポカンとしたが、すぐニヤリとして一角の獣へ感謝する。
「そうだよね、これはこれ、それはそれ。
今日のご飯でしょそれ? ありがとうね」
鬼の少女は、一角の獣が楽市から撫でられるのを、どこか誇らしげに見ていた。
そうなのだ。
獲物を狩って褒められるのは、良いことなのだ。
「うわっ、すごいなー!」
「これ、あじのあるやつだな!」
獲物を見て霧乃が飛びはね、夕凪が「あじっ、あじっ」と連呼している。
霧乃と夕凪が育つあいだ、何度か狩りをして食べた事があった。
ふたりの食育のためと言いたいけれど、楽市が食べたかったのだ。
基本、あやかしは食べなくても生きられる。
けれどだからと言って「食の楽しみを捨てるなど愚かなり」なのだ。
楽市は長年ガード下で、その訓戒を焼き鳥と共に噛みしめていた。
「これで、酒があればなあ……」
楽市は分かっていても、ついぼやいてしまった。




