第15話 かわいい寝顔
「あっちいけー!」
夕凪は尻尾をぱんぱんに膨らませて、体を大きく見せようとした。
絶対に引き下がらない。
夕凪の強い意志が、金の瞳を輝かせる。
「また出てきたぞ、こんどは獣人かよ」
ダークエルフの言葉には、警戒しつつも嘲りの色がにじんだ。
そこには獣人種ごときが、精霊種に逆らうことの滑稽さを笑う気持ちがあった。
ダークエルフは、夕凪など構わず一緒に殺そうとする。
しかしそのとき、両者の間をふさぐように青白い炎が吹き荒れた。
「うぐうっ……」
ダークエルフたちは、顔を腕でかばい後ずさる。
大出力の狐火より立ち上がるのは、怒り狂う白狐、楽市だった。
美しい顔をゆがませて、ダークエルフをにらみ付ける。
「許さぬぞお前たちっ、何ゆえこの様な真似をする!」
楽市の叫びに応える者はいない。
ただ身構え、呪文を唱え始めるだけだ。
是非は無し。
その姿に、楽市の中で何かが弾けた。
問いただしても、応えぬ卑怯者ども。
あの日、藤見の森で起こった光景と重なる凶事。
そのとき楽市は、その場に居なかったので知るよしもない。
しかし楽市の怒りを触媒とし、地の底より呼び覚まされるものがあった。
楽市の中で、楽市でない者の怒りが膨らんでいく。
その怒りは藤見の境内で、砕かれた三十二体の怒りだった。
楽市はめまいを起して、一瞬意識を失う。
「んんっ?」
すぐに起きて頭を振り、再度ダークエルフをにらもうとして、楽市はそびえる巨大な影に気付く。
それは黒い肌に、金の流線が走っていた。
楽市の小袖とよく似たガラだ。
それは一見蛇のようでもあり、しかし全くの別物だった。
それは――
「国つ神さま!?」
楽市は思わず声を張り上げた。
見間違えようがない、その姿は確かに国つ神だった。
頭と尻尾を、隠してうねるその姿。
ただ違うのは、輝く金の姿ではないということ。
それともう一つ、随分と小さかった。
楽市からすれば充分に大きい。
けれどあの日あの夜の、視界に入りきらない大きさとは、比べられぬほど小さかった。
「ちっさ……」
いやいや、国つ神さまほどの御方ならば、きっと大きさも自由自在なのだ。
楽市はそう考える。
その国つ神が激しくくねり、近くにいた巨大なストーンゴーレムに絡みついた。
万力の如き力で締め上げる。
そのまま軽石を持つような気安さで抱えて、ぽーんと空へ投げてしまった。
大きく放り投げられたストーンゴーレムは、空高く上がり、踵を返して落ちてくる。
ずっどーん。
離れた所で地響きと共に、ストーンゴーレムの落ちる音がした。
ストーンゴーレムは落下速度と自重により、自身を強く地面に押し付けて粉々となる。
ダークエルフたちは、今起きたことが信じられなくて固まってしまった。
女の召喚したと思われる巨大獣が、ストーンゴーレムを粉々にしたのだ。
巨大な粉塵が立ち登り、パラパラと小石が降ってくる。
一体、あの獣女は何者か!?
誰もがそう思い、もう一度女を見る。
すると謎の女も目を見開き、離れた所で巻き上がる粉塵を、ポカンと眺めていた。
巨大獣と粉塵を交互に見て、口をあんぐりと開けている。
驚いているように見えるが、自分で召喚したのだから気のせいだろう。
ダークエルフたちは、とにかく退却することにした。
「獣人兵はどうするっ」
「余計なものは、捨てて行けっ」
リーダーらしき者の指示で、負傷したダークエルフを引きずり、次々と転移魔法でその場を去っていった。
その間、楽市はポカンとしたままだ。
しかし頭は回転させている。
なぜ国つ神さまが、自分たちを助けたのか?
国つ神さまがこの様なことに、自ら動くことなど有り得ない。
いや、ひょっとすると……あの色、あの大きさ……
ひょっとして中身は、楽市の仲間たちなのではないか?
あの夜のことは、何も分からない。
それでも状況を理解しようと、必死に頭を働かせる。
あれは姿こそ変わり果てたが、仲間のだれか……いや兄ではないのか?
そんな結論を勝手に思い描き、無意識に国つ神へ駆け寄ろうとした。
しかし、ピンと背を引くものがある。
そのため一歩も踏み出せない。
楽市は何事かと振り向き、自分の目に映るものが信じられず卒倒しかける。
自分の尻尾が大きく膨らみ、地面に突き刺さっていた。
その色は純白ではなく、小袖と同じ黒地に金の流線が走っていた。
――あれ?
いや、目の前にいる国つ神と、とても良く似ていた。
――いやいやいや
楽市は試しに、腰の根元に力を入れて尻尾を振ってみる。
すると、目の前の国つ神が暴れた。
――いやいやいや、それはない
ぐうぜんだと思い、もう一度力を入れる。
目の前の国つ神が大きく跳ねた。
「あ……」
国つ神と思われていたものは、全くもって自分の尻尾だった。
地面に突き刺さり、離れた所から顔をのぞかせる自分の尻尾だった。
「なんで? どうしたらこうなんの!?」
楽市はとにかく元に戻そうと、尻尾を引っ張るがびくともしない。
泣きそうになりながら藻掻いていると、国つ神――じぶんのしっぽ――が解けるように消えていった。
地面に刺さる尻尾も抜けてくれて、色合いも元に戻ってくれる。
楽市じまんの、白銀の尻尾だ。
「「らくーちっ、すごーい!」」
霧乃と夕凪がベタ褒めしてくれる。
理由は分からないけれど、うちの楽市が凄い事をしたと喜んでいた。
「いや……これはね……」
自分も分かってないのに、とにかく説明しようとした楽市が、かたわらで眠る少女に気付く。
少女には額に美しい角が生えていた。
「これは……」
――白狐ではない
楽市はそう言おうとして、言葉を飲み込む。
霧乃と夕凪が、とても喜んでいるからだ。
ふたりは少女のそばに寄り添い、交互に髪をなでていた。
「よかったなぁ……」
霧乃が涙ぐみながら、笑っている。
「こいつすげー、かっこいいなっ」
夕凪は、角をみてベタ褒めしていた。
楽市もかがみ込み、そのほほに触れる。
鬼の少女は、その治癒力ですっかり甦り、傷一つ無い綺麗な顔をしていた。
銀の髪に白い肌。
瞳は閉じて分からないけれど、おそらく金だろう。
この娘は白狐ではないが、確実に仲間たちの面影を受け継いでいた。
「かわいい寝顔だ……」
楽市がそう言うと霧乃が笑ってうなずき、夕凪が「ちがう、かっこいいかお」と言って、変な拘りを見せてくる。
楽市はそのやり取りを楽しみ、そして愛した。
こうしたふたりとのやり取りが、心に空いた穴を癒してくれる。
「さて……」
楽市は耳をパタパタと動かしながら、立ち上がる。
楽市がにらむその先で、あちこちから呻き声が聞こえた。