第13話 あやかしの子、めざめる
ある朝。
それはふと思い立って、身を起してみた。
そこで初めて、自分に体があるのだと知る。
ネバついた寝床から、頭を持ち上げる。
額には小さな角が生えていた。
頭に繋がる体には手足も生えており、体が動くままに立ってみる。
目も鼻もまだそろっていない。
ぷにぷにした半透明のそれは、黒く焦げた大岩の上に、四つ足で立っているのだった。
大岩は大昔からそこにあり、でんとした一本岩である。
自然とそこにあるわけではない。
誰かが何かの意図で、そこに立てたのだ。
けれど余りにも大昔なので、今は誰もその由来を知らない。
そんな岩のてっぺんに、それが生まれたのだった。
生まれたものは仕方がない。
そのままじっとしているわけにも行かないので、それは岩から降りてみた。
降りるといっても、落ちただけである。
体は丈夫なようで、痛くもかゆくもない。
ただ落ちたことにビックリして、大の字のまま固まってしまった。
そのまま前に広がる、空を感じる。
寝転がる背に、地面を感じ森を感じる。
全てを皮膚から感じ取った。
あやかしの赤子は、視覚や聴覚、嗅覚が入り混じる、未分化の感覚を楽しむのだった。
しばらくくそうしていると、地面へ鼻をこすり付けるように嗅ぎ回る獣が近づいてくる。
額には大きな角が、一本突き出ており立派だ。
体格も良い。
獣は大の字になっている赤子に気付くと、赤子の腹へ鼻を押しつけて豪快にかいだ。
ブホーーッ。
それがくすぐったくて、赤子は思い切り手足を突っぱねる。
すると手に獣の毛並みが触れるものだから、気持ちが良かった。
すっかり気に入ってしまう。
それからはいつも獣の背に、しがみ付くようになっていた。
獣は別段気にしていない様子で、赤子を背に付けたまま日々うろつき回る。
あやかしの赤子は言葉を交わさなくても、獣から色々なことを学び育っていった。
赤子はいつしか立派な角を持つ、美しい鬼の少女となる。
額から突き出す角は白く滑らかで、ショートで揺れる銀髪と相まって美しい。
瞳は金。
鬼らしく気の強そうな顔立ちをしている。
身に着けているものは、袖なしの黒いワンピースで下は素足だ。
二本足で歩くのを覚えると、親代わりの獣と視線が近くなり、自分が強くなった気がした。
「はっはっはー」
獣と一緒に、狩りへ出かけて学ぶ日々。
狩りの途中でよく出会う、骨や腐った肉は動きが鈍く、少女でも簡単に捕らえられた。
しかし食べる所が全然無い。
獣はそれらに、見向きもしなかった。
少女は一度捕らえて見せに行ったら、ちっとも褒められなかったのを覚えている。
陽が沈み腹を満たして眠くなると、出会った頃と同じように、獣の背で少女は眠った。
この生活がいつまでも続く。
少女はそう思っていた。
しかし少女の安寧は、突如として破られる。
穏やかな森の日々など無かったかのように、得体のしれない轟音が響き渡り、少女の世界を一変させる。
鳥が驚き、一斉に飛び立つのが見えた。
立て続けに響く破壊音。
少女は好奇心に駆られて、音のする方へ向かおうとする。
獣がそれを止めようとして、体を押しつけるが、少女は構わず走っていった。
飛ぶように、森を駆け抜ける。
木々を抜け、その先にあるもの。
それは少女の理解を超えていた。
「????」
とっさに身を隠して、木陰からのぞき見る。
「うー……」
少女の目の前を、木々よりも大きな岩山がはいずっていく。
岩山ははいずる先にある木々を、全てなぎ倒していった。
「ふ……ふああ……」
よく見れば岩山は、石垣のように幾つもの大石を、組み上げた構造をしていた。
全体を見れば短い手足が付いており、獣のような姿をしている。
それがはいずり、木々を軽々となぎ倒し、腹の下ですり潰していく。
あまりにも唐突な光景に、少女はただ啞然とするばかりだった。
「ふあ……はああ!?」
まだ言葉を持たない少女は、どう考えて良いのか分からなくて、頭が真っ白になる。
視界に入るものは、はいずる岩山だけではなかった。
岩山の陰から、小さな褐色の獣がわらわらと現れる。
頭部にのみ生えた毛は、銀で少女に近い。
耳が特徴的で、細長く尖っていた。
少女に似て、手足のすらりとした獣たちだ。
俗に「ダークエルフ」と呼ばれる種族だけれど、少女は知るよしもなかった。
身にまとう物は、ピッタリとした皮鎧である。
少女に違いなど分からないが、ほかにも種族がいるようだ。
それらの獣は手に持つ杖や、色鮮やかなリングから、しきりに光を放っている。
獣たちが叫ぶと光が走り、慌てふためき逃げ惑う森の獣や、骨たちを貫いていった。
獣や骨たちは、次々と派手に裂けて絶命していく。
少女は、思わず身を乗り出してしまう。
向こうから、少女を指差す者がいる。
見つかった。
少女がそう気付いたとき、不可視の衝撃波が、隠れていた木ごと少女を吹き飛ばした。
少女は身を乗り出していた分、衝撃波をまともに受けてしまい、内臓がひしゃげる。
――ひゅう
肺が圧し潰され、口から勝手に息が漏れた。
内臓が激しく出血し、今まで味わった事のない苦しみが少女を襲う。
「く……かっ」
叫びたくても、息ができなかった。
そのまま大きく後方に飛ばされ、木々に体を強く打ち付けて止まる。
まだ意識はあった。
目や耳から大量の体液を流しながら、立とうとする。
――死ぬ
言葉など分からなくても、体で得る確かな感触。
苦痛と恐怖で何もできず、そのまま死ぬ。
か弱き獲物ならばそうだ。
けれど少女は鬼なのであった。
生まれてすぐ、獣と共にあちこちと回る生活は、少なからず少女の性質を変化さ
せていた。
鬼としての本性が眠り、獣として少女は育った。
だが死の感触と共に目覚めるのは、鬼としての憤怒。
死を前にして、少女の魂が叫ぶ。
――ふざけるなっ、不意打ちでの死など、自分の間抜けさが許せないっ。
声は出せなくても、鬼の少女は全身全霊で吠える。
*
「だめー!」
「あーっ、だめー!」
「どうしたのっ、霧乃、夕凪!?」
突然、怯えて叫びだすふたりに楽市は戸惑う。
今までこんなことなど無かった。
声をかけてもふたりは返事をせず、せわしなくケモノ耳を動かし続ける。
「ああー!」
「あーっ、にげてー!」
ふたりは楽市を無視してキョロキョロしていたけれど、夕凪が何かの方向を特定したようだった。
「きりっ、こっちー!」
ある方向を強く指差し、霧乃に叫ぶ。
霧乃はそれを確認すると、楽市へ振り返り袖を強く引いた。
「らくーちーっ、こっちー!」
夕凪は、楽市を待たず走り出している。
楽市には、何も感じられなかった。
普段からふたりは、楽市より感覚が鋭いとは思っていた。
しかしこれは、感が鋭いといったレベルを超えている。
霧乃と夕凪は、楽市の全く分からぬものを捉えていた。
「何かあったのね!」
霧乃は目に涙をためてうなずく。
「あー、だめー……」
霧乃は楽市には分からぬ誰かに、声をかけているのだ。