第12話 霧乃夕凪、ぜったい噛む
「うーん……」
楽市はちらりと崖をのぞき込み、ふたりに声をかける。
「霧乃、夕凪、ここから降りるよっ」
「あはっ」
「おーっ」
三人は狐火となり、ふわりと降りていった。
着地と同時に変化を解く。
砂漠に踏み込むと、草履が鼻緒まで沈んだ。
霧乃と夕凪は、素足がくるぶしまで沈み込み、その歩きにくさを面白がっている。
そのまま砂漠を駆ける恋人のように、鬼ごっこを始めた。
「うーなぎーっ、まってーっ」
しかし風から漂う気配に気付き、さっと顔色を変える。
慌てて楽市にしがみ付いた。
「どうしたのっ、霧乃、夕凪！？」
「うー……」
「なー……」
こういう時は楽市よりも、断然ふたりの方が鋭い。
楽市も、ふたりが感じたものを捉えようと集中する。
すると砂丘とは明らかに違う、膨らみがあることに気付いた。
じっと見つめていると、幾つもの膨らみがゆっくりと盛り上がり、さらさらと崩れていく。
流れる砂の間から、髑髏の顔が現れた。
楽市と全く姿が違っても、これもまた「あやかし」の類である。
その数は、十や二十ではきかず、次々と砂中からはいずり出てきた。
「なに！？ ここは古戦場か何かなの！？」
周りに気を取られていると、足元が大きく盛り上がった。
たまらず楽市は、ふたりを抱えて飛び降りる。
真下から砂塵を巻き上げて、現れるのは巨大な頭蓋骨。
そこから脛骨、上腕骨、胸骨と続いて、見上げるほどの上半身が現れた。
下半身は砂の中だ。
「がしゃ髑髏！？」
巨大な髑髏は一体だけではなく、あちこちで姿を見せた。
楽市たちを取り囲むのは、犬ほどのものから、がしゃ髑髏クラスまで、大小様々な髑髏たちだった。
形も様々で、明らかに人でない髑髏も混じってる。
昼間の陽光と、砂漠の強烈な照り返しで分かりにくいけれど、半透明な幽鬼の類も数多くうごめいていた。
突然の襲撃である。
楽市は、迂闊に近づいた自分の甘さを悔やんだ。
それがなぜだとか、卑怯だとかそう思う前に狩られて死んでいく。
それが自然の摂理なのだから。
楽市はそれを知っていたはずだ。
けれどヒノモトでの無為な生活が、野にあるべき者の感覚を腐らせていた。
楽市は自分の迂闊さを悔み、それと同時に心を決める。
せめてこの身に変えても、霧乃と夕凪を逃がす。
楽市は全身の毛を逆立たせた。
自分の持てる妖力を、この地で初めて殺傷の域にまで高めた。
薄々感じていたことだけれど、この地は白狐にとって頗る相性が良い。
兄や仲間を見ても分かる。
楽市の肌が、焼けるほどに火照った。
体内で渦巻く狐火の温度が、急上昇する。
ヒノモトでは考えられない量の妖気が、楽市の中で練られていく。
食いしばる牙の隙間から、うなるように怒気を吐く。
「狩られる側も、ただでは喰われぬぞ！」
その時、楽市のこめかみから一筋の汗が流れた。
汗は頬を伝い、顎先から砂に落ちる。
楽市自身、気付きもしないけれど、その一滴にも妖力が宿っていた。
たかが一滴である。
だがそこから不可視の波紋が広がり、髑髏たちに襲いかかった。
楽市の近く。
がしゃ髑髏を含めた数十体が、音もなく崩れ去り砂と化す。
さらさらと流れるそれは、他の砂と見分けが付かなかった。
楽市は自分でしておきながら、何が起きたのか理解できず、ポカンとしている。
踏み込もうとした瞬間に、肩透かしを喰らった感じだ。
夕凪が、不思議そうな声を出す。
「なにこれー？」
汗の範囲外だった髑髏たちが、大口を開けてゆっくりと踵を返していく。
全ての髑髏と幽鬼が、楽市に背を向けて逃げていった。
けれどその動きが、なぜかとても緩慢で蝸牛みたい。
慌てている気持ちとの、ギャップが酷かった。
楽市がそれをあっけに取られて見ていると、両脇に立つ獣娘の目が光った。
「あああああ！」
「ふぁあああ！」
「え、ちょっと霧乃、夕凪！？」
逃げるものイコール狩りである。
霧乃と夕凪は、まだまだ生まれたばかりの獣なのだった。
最初の踏み込みで、大量の砂を巻き散らし、逃げる髑髏へと飛びかかる。
「だめだって！」
楽市はすんでの所で、ふたりの尻尾を掴んだ。
掴まれたふたりは、空中でガチンと大きな音を立てる。
それは上顎と下顎が閉じる音だった。
霧乃と夕凪は、なぜ止めたのかと不満げだ。
「らくーちー！？」
「なーんーでーっ、なーんーでー！」
「こいつら……」
ハンターとしては頼もしい限りだけれど、時と場所を考えて欲しい。
「おっと」
しかし怒るのは後だ。
楽市はふたりを両脇に抱えて、髑髏たちの前に回り込む。
「ちょっと待って何が起きたのっ、全然分かんないんだけどっ」
髑髏たちは、楽市のことを無視して慌てふためく。
開けっ放しの口からは、無音の悲鳴が出ているのだろう。
しかしその動きの全てが鈍い。
なにやら新興の創作舞踏を見せられているようで、楽市は困惑する。
どうやら、喋るほどの知能は無いらしい。
コミュニケーションが取れず、お手上げである。
逃げる髑髏たちは遅く、歩く楽市の方が早い。
楽市は髑髏たちのダンスを抜けながら、霧乃と夕凪に念を押した。
「こらっ、絶対に噛みついちゃダメだからね！」
「あー」
「うー」
霧乃と夕凪は面白がって、髑髏を追いかける。
回り込んで髑髏たちを真似し、変な踊りをしていた。
あまりに奇妙な光景に、ふたりがどうしても興奮してしまうのだ。
楽市が掴んでも、暴れるものだから――
「絶対、噛むなよ！」
「あ」
「う」
ここが、楽市とふたりの妥協点だった。
見上げるほど大きな髑髏や、足で踏みそうなほど小さい髑髏など、大小さまざまといた。
楽市はそんな髑髏の林を抜けながら、改めて思う。
「ここ本当に、ヒノモトじゃないんだなぁ……」
