楽園
「――逃げろ!!」
ディランの叫びが、空間を裂いた。
目の前の"感染体"――かつては人間だったはずの男が、異形の姿へと変貌していく。
骨が軋む音がする。
伸びた腕が不自然な角度で曲がり、背中が引き裂かれ、そこから無数の黒い触手が生え始める。
「……なんだよ、これ」
俺は思わず息を呑んだ。
巨神とは明らかに違う。
だが、"人間"でもない。
それは、人間と巨神の"間"にある何か――"変異体"だった。
「撃て!!」
レオンの叫びとともに、銃声が響いた。
バンッ! バンッ!!
弾丸が、感染体の頭部と胴体に叩き込まれる。
だが――。
"効かない"。
感染体の体は、人間よりもはるかに柔軟で、弾丸が肉を貫通しても、すぐに傷が塞がっていく。まるで巨神の再生能力を持ったかのように。
「ちっ……!」
レオンが舌打ちし、すぐさま距離を取る。
「……カイ!!」
イオの声が響いた。
感染体の異様に伸びた腕が、俺の頭上に振り下ろされる。
「ッ!」
咄嗟に飛び退いた。
直後――。
ズガァァァン!!
床が砕けた。
衝撃で瓦礫が舞い上がり、俺は腕で顔を覆いながら後退する。
「……やべぇな」
感染体は、まるで"動きを学習する"ように、一歩ずつこちらへ向かってくる。
目は黒く染まり、その瞳の奥には――何もない。
完全に、"意思"が消えていた。
「……こいつ、生きてるのか?」
俺は思わず呟く。
だが、すぐに気づいた。
こいつは"生きている"のではない。
"動いている"だけだ。
まるで、何かに操られているかのように。
「レオン!! どうする!?」
イオが叫ぶ。
「こいつ、再生するぞ! まともに戦ってたら……」
「分かってる!」
レオンはすぐさま周囲を見渡し、感染体が立っている床を見つめた。
「……この下は?」
ディランが瞬時に理解した。
「旧地下鉄の線路だ!」
レオンが鋭く頷く。
「なら、"落とす"しかねぇ」
「落とす……?」
俺が聞き返した瞬間、レオンは素早く周囲にいる仲間たちに指示を出した。
「全員、下がれ! 爆薬を使う!!」
「爆薬!?」
「急げ!!」
俺たちは一斉に後退する。
レオンは、荷物の中から即席の爆薬を取り出した。
感染体は、それを見ても表情一つ変えない。
「……お前、何か感じねぇのか?」
レオンは呟いた。
「痛みとか……恐怖とか……"生きてる"って証拠はよ」
感染体は答えない。
ただ、ゆっくりと腕を上げる。
その瞬間――。
「伏せろ!!」
レオンが爆薬を投げつけた。
――ドォォォン!!
爆音とともに、床が崩れ落ちる。
感染体は、重力に逆らうことなく、地下鉄の線路の奥へと落ちていった。
「……ッ、やったか!?」
イオが顔を上げる。
だが――。
「いや、まだだ!」
俺はすぐに駆け寄り、穴の奥を覗き込んだ。
暗闇の奥で、感染体がゆっくりと起き上がるのが見えた。
「……カイ、あれ」
イオが震える声で言った。
感染体の体――そこから、"何かが"生えていた。
人間の形をしたものが、二つ、三つ、いや、十を超える数で、感染体の背中から這い出している。
「……人間?」
俺の声が震えた。
それらは、まるで"胎児"のようだった。
感染体の肉の中から、未成熟な人間の形をした"何か"が、苦しそうに蠢いている。
「……こいつは、"産んでいる"のか?」
レオンが低く呟いた。
違う。
"産んでいる"んじゃない。
こいつは、"作られている"。
「楽園……」
ディランの声が、静かに響いた。
「奴らは、人類を"進化"させようとしている」
「……進化?」
「そうだ」
ディランの瞳が、静かに光を帯びる。
「楽園の奴らは、"人間が巨神へと至る道"を探している」
「……冗談だろ」
俺は絶句した。
人間が、巨神へ?
そんなことが……。
「これは、"失敗作"だ」
ディランは、淡々とした声で言った。
「奴らは、巨神を生み出すために人間を"実験体"として使っている。だが、この個体は完成に至らなかった……"未熟な巨神"。それが、この感染体の正体だ」
俺は、背筋が凍るのを感じた。
「じゃあ、完成した"巨神"は……」
レオンが言いかけた瞬間――。
地下の奥から、響く音がした。
――ズズン……ズズン……。
巨大な、何かが動く音。
"何か"が、目覚めた音。
俺たちは、同時に息を呑んだ。
「……マズいぞ」
ディランが、低く言った。
「"本物の巨神"がいる」
俺たちは、即座に理解した。
ここは、単なる崩れた都市じゃない。
"楽園"の"研究所"だ。
そして、奥には――。
"完成した"巨神が、眠っている。
空気が変わった。
――ズズン……ズズン……。
どこか遠くで、何かが"動き出した"音。
それはまるで、この地下都市そのものが生き物であるかのように、低く、鈍く響いた。
「……今の、何だ?」
イオが、震える声で呟く。
「……分からない。でも……」
俺は、喉が渇くのを感じながら言った。
「"何か"が、目覚めた」
感染体がいた線路の奥――そのさらに先の闇の向こうから、異様な空気が流れ込んできていた。
「おい……ここ、マズいんじゃないか?」
レオンが鋭く辺りを見渡し、ディランに詰め寄る。
「お前、知ってたのか? ここが"楽園の施設"だったってことを」
「……正確な場所までは分からなかった。ただ、"地下都市のどこかに研究施設がある"とは聞いていた」
ディランの声は静かだった。
「だが、まさかこんな形で見つけることになるとはな……」
「ちっ……」
レオンは歯を食いしばり、すぐに状況を整理し始める。
「クソが……まんまと奴らの"巣"に入り込んじまったってわけか」
「逃げられるか?」
俺が尋ねると、レオンは険しい表情で周囲を見渡した。
「……来た道を戻るのは危険だ。感染体がまだいるかもしれねぇし、巨神が本当に目覚めるなら、地上に脱出しないとヤバい」
「……地上に出るルートは?」
「さっきのマップを見る限り、"南側の区画"にエレベーターがあるはずだ。だが……」
「だが?」
「……そこに、"何があるか"分からない」
レオンは低く言った。
それが、今の最大の問題だった。
この地下には、まだ俺たちの知らない"何か"が潜んでいる。
それが敵なのか、罠なのか――それすら分からない。
「だが、ここに留まるのはもっと危険だ」
ディランが静かに言った。
「"巨神が目覚める"ということは、"楽園の奴らも動き出す"ということだ」
その言葉に、俺たちは息を呑んだ。
確かに――。
もしここが"楽園の施設"なら、当然、奴らの拠点である可能性が高い。
「……急ぐぞ」
レオンが決断を下した。
俺たちはすぐに荷物を確認し、南側の区画へ向かうことを決めた。
だが――。
その瞬間、耳をつんざくような"声"が響いた。
「――"目覚め"の時が来た……!」
それは、地下の奥深くから響く"声"だった。
低く、そして不気味に歪んだ声。
だが、確かにそれは"人間の言葉"だった。
「誰だ……?」
イオが呟く。
だが、俺たちはすぐに理解した。
"楽園の者"が、そこにいる。
そして――その"儀式"は、すでに始まっていた。
◆
俺たちは、一気に南側の区画へと駆け抜けた。
地下広場の奥に伸びる廊下は、かつての管理施設だったようだ。壁には錆びついた案内板が残り、床には古いポスターやゴミが散乱している。
「南のエレベーターは……この先か!」
ディランが前を走りながら、壁に貼られた地図を確認する。
「すぐそこだ……!」
「なら、急げ!!」
レオンが叫んだ。
だが、その瞬間――。
ゴゴゴゴ……ッ!!
轟音。
地面が揺れ、天井からコンクリート片が落ちてくる。
「くそっ……! 何が起きてる!?」
「地下そのものが崩れ始めてる……!」
ディランが叫ぶ。
そして――俺たちは見た。
目の前の廊下の奥、エレベーターへと続く扉の向こう。
その"奥"に――。
"楽園の信者たち"がいた。
黒いローブを纏い、血のように赤い布を身にまとった者たち。
その中央には――。
"巨神の胎"があった。
人間の肉が絡み合い、異形の塊と化したそれは、"何か"を産み落とそうとしていた。
「……これが、"完成形"か……?」
俺は息を呑んだ。
その胎動は、まるで人間の鼓動のようだった。
そして、その場にいた楽園の信者が、ゆっくりと俺たちの方を振り向いた。
「……来たか」
男の目は、深い闇を宿していた。
「"異端者"よ……」
その言葉の意味を考える間もなく、男はゆっくりと手を掲げた。
「"神の誕生"を邪魔する者よ……」
「……ッ!!」
その瞬間――。
俺たちの目の前で、巨神が"生まれた"。
胎が破れ、中から"何か"が姿を現す。
人間の形をしていたものが、次第に崩れ、無数の手足を持つ怪物へと変異していく。
「くそっ……!」
レオンが銃を構えた瞬間、楽園の男が微笑んだ。
「"神の裁き"を受けるがいい……!」
次の瞬間、巨神が咆哮を上げた。
地響きが走る。
俺たちは、"神の名を冠した化け物"と対峙することになった――。
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