地下都市
俺たちは、歩き続けていた。
旧地下都市を目指し、崩れた地上をひたすら進む。
終わった世界の中で、それでも進むしかなかった。
朝日が昇る頃には、背中にじわりと汗が滲み、喉が渇いてきた。陽射しは鋭く、空はどこまでも広がっているというのに、吹く風は乾いていて、生気がなかった。
生存者たちは、沈黙のまま歩いている。誰も無駄に口を開こうとはしなかった。
それは、疲労のせいでもあるが、それ以上に"緊張"のせいだった。
"灰翼"たちが、俺たちと共にいるからだ。
俺たちの隊列のすぐ後ろ、数人の"灰翼"の戦士が静かに歩いている。ディランを筆頭に、無表情のまま沈黙を保ち、ただじっと前を見つめていた。
人間と異形。
互いに、相手のことを警戒していた。
レオンが時折、視線を向ける。すぐに目を逸らす者もいれば、露骨に"灰翼"たちを睨みつける者もいる。彼らはかつて人間だった――だが、今は違う。彼らの爪は異様に長く、皮膚の色も薄く変異し、まるで異種の生物のようだった。
「……カイ」
隣で歩いていたイオが、小さな声で呟く。
「うん?」
「……みんな、怖がってる」
俺は彼女の横顔を見た。
イオは下を向いたまま、小さく拳を握りしめている。
「"灰翼"のこと?」
「……そう。ディランたちのことも……」
イオは言葉を切り、少しの間沈黙した。
「私のことも、怖がってる」
胸が、ひどくざわついた。
「そんなこと――」
「分かるんだよ。視線で」
イオは寂しそうに笑った。
「"私も、いつかああなるんじゃないか"って、思われてる」
俺は言葉に詰まった。
確かに、イオは変異しつつある。完全に"灰翼"になったわけじゃないが、彼女の中に流れるものは、もはや"普通の人間"とは違う。
"いつか、イオが完全に変異してしまったら?"
そう考えた瞬間、背筋が冷たくなった。
「……私は、変わりたくない」
イオの声は、震えていた。
「でも、もし変わってしまったら……カイは、どうする?」
俺は――答えられなかった。
考えたことがなかったわけじゃない。でも、考えたくなかった。
「……何も変わらないよ」
それだけが、俺の出せる答えだった。
イオは何も言わず、ただ前を向いたまま、歩き続けた。
その沈黙が、どこまでも重かった。
その日の夕方、俺たちは一時的に休息を取ることにした。
街の廃墟の中、崩れかけた建物の影に身を寄せる。
焚き火は立てない。煙が立てば、巨神に見つかる可能性がある。代わりに、水筒の水を少しずつ飲み、持っていた食料を分け合った。
俺は、乾いたパンの欠片を口に運びながら、レオンを見た。
「レオン」
「なんだ」
「みんなの様子、どうだ?」
レオンは眉を寄せた。
「……良くはないな」
当然だった。
生存者たちは疲弊しているだけじゃない。"灰翼"たちとの同行が、精神的な負担になっている。
「こっちの戦士たちも、警戒を解いていない。まあ、当然だ。元は人間だったとはいえ、"何になるか分からない奴ら"と一緒にいるんだからな」
レオンの言葉には、棘があった。
「……お前も、そう思ってるのか?」
レオンは俺の問いに、少し黙った。
「……俺は、"選択を間違えたくない"だけだ」
その言葉の裏に、強い意思が込められていた。
「俺たちが"人間"でいるために、どこまで譲れるのか……それを考えてる」
「人間でいるために?」
「そうだ」
レオンは、焚き火の代わりに置かれた小さなランタンを見つめながら言った。
「俺たちは、生き延びるために戦ってる。でも、生き延びるために"人間であること"を捨てるなら、それはもう"生き残る"とは言えないんじゃないかって思うんだ」
俺は息を呑んだ。
レオンは――彼なりに、ずっと考えていたのだ。
俺たちはどこまで"人間"でいられるのか。
"人間として生きる"とは、何なのか。
「……カイ、お前はどう思う?」
レオンは真っ直ぐ俺を見た。
俺は答えを出せないまま、ランタンの小さな光を見つめた。
そして、その時だった。
遠くから、かすかに音がした。
"何か"が、動いている。
地面の奥から、微かに響く振動。
「……来るか?」
レオンが小さく呟く。
「いや……違う」
ディランが立ち上がった。
「これは……地面の下からだ」
次の瞬間。
地面が、崩れた。
俺たちは咄嗟に跳び退る。
崩れ落ちた地面の下から――暗い闇が、口を開いていた。
"地下都市"への入り口だった。
空気が変わった。
扉の向こうから流れ出すのは、地下特有の冷たく湿った空気――それだけではない。そこには、時間が止まった場所にしか存在しない静寂があった。
俺たちは一歩ずつ、慎重に暗闇の奥へと踏み込んだ。
「ライトを使え」
レオンの指示で、全員が懐中電灯を構える。
光が闇を切り裂き、古びた通路を照らした。
壁はコンクリートで覆われ、錆びついた配管が天井を這っている。ところどころひび割れた地面には水たまりができ、無造作に転がる瓦礫の上を、俺たちの足音だけが響いた。
「……ここ、本当に"生きてる"のか?」
イオが不安げに呟いた。
この地下都市には、まだ生存者がいる可能性がある――それが俺たちの希望だった。だが、今のところ、その気配はまるでなかった。
「どう思う、ディラン?」
レオンが問いかける。
ディランはじっと通路の奥を見つめたまま、低く言った。
「……何かが"いる"」
俺は、全身の毛が逆立つのを感じた。
「巨神か?」
「違う」
ディランはすぐに否定した。
「巨神なら、もっと明確な気配があるはずだ。だが、ここにいる何かは……もっと"曖昧"なものだ」
曖昧――。
それは、俺たちにとって最も厄介なものだった。
敵なのか、味方なのか、それとも……。
「進むしかない」
レオンが言った。
俺たちは頷き、ゆっくりと歩き出した。
◆
数分ほど進むと、やがて視界が開けた。
通路の先に広がっていたのは、巨大な地下広場だった。
天井は高く、かつてここが駅のような構造をしていたことが分かる。だが、今では壁のあちこちが崩れ、プラットフォームには廃車となった列車が横倒しになっていた。
「ここが……地下都市?」
イオが呆然と呟いた。
まるで、過去の都市がそのまま埋葬されたような光景だった。
「見ろ」
ディランが指差した。
俺たちは、次の瞬間、息を呑んだ。
そこにあったのは――。
"人間の亡骸"。
壁際に並ぶように、無数の遺体があった。
白骨化したもの、まだ肉の残るもの――いずれも、その姿は痛ましいほどに無造作だった。
「……ここで、何があったんだ?」
俺は低く呟いた。
「分からない……でも、これだけの数の遺体があるということは、ここに"閉じ込められた"のかもしれない」
ディランの声は静かだった。
「……つまり、ここに生存者はいない?」
イオが震えた声で言う。
その言葉に、誰も即答できなかった。
だが――その時だった。
カツン……カツン……。
足音。
遠くの闇の奥から、小さな音が響いた。
全員が一斉に武器を構える。
「誰かいるのか!?」
レオンが叫ぶ。
だが、返事はない。
それでも、足音は確かに近づいていた。
光を向けた。
すると――。
そこには、ひとりの"人間"が立っていた。
「……生存者?」
イオが呟く。
男だった。
痩せこけた体、破れた衣服。髪は乱れ、顔は泥と血で汚れていた。
だが、その目――。
光を失ったその目は、俺たちを"認識"しているようには見えなかった。
「おい……大丈夫か?」
俺が一歩前に出る。
すると――。
男は、ゆっくりと口を開けた。
「……………あ、ぁ……」
かすれた声。
まるで、何かを"思い出そうとしている"かのような、掠れた呻き。
だが、次の瞬間――。
バキィッ!!
男の体が、不自然に折れ曲がった。
俺たちは息を呑んだ。
男の背中が、裂ける。
血ではなく、黒い粘液があふれ出す。
「――逃げろ!!」
ディランが叫ぶ。
だが、遅かった。
男の体が"変異"していく。
骨が伸び、腕が異常な長さに変形し、指先が鋭利な刃物のように伸びる。
目は完全に黒く染まり、口は耳まで裂け――。
それはもう、人間ではなかった。
「……巨神か!?」
レオンが叫ぶ。
「違う!!」
ディランが即答する。
「これは……"感染体"だ!!」
俺たちは、一斉に後退した。
「感染体!?」
「巨神の影響で変異した人間だ!!」
ディランの声が、焦りを帯びる。
「こいつらは……"楽園"の実験体だ!!」
楽園――。
俺たちの敵。
巨神を崇拝し、人類の滅びを受け入れようとする狂信的な集団。
「くそっ、奴らは"人間を巨神に変えようとしている"ってのかよ!!」
レオンが毒づく。
だが、思考を巡らせる時間はなかった。
感染体が動いた。
その瞬間――。
俺たちは、新たな"戦場"へと引きずり込まれた。
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