3.偶然にもほどがある?!
窓から宿を出て、ひっそり走った。
東へ向かって全力失踪で十数分。
扉の向こうで待っていた青年は、そろそろわたしたちがいなくなったことに気付いただろうか?
気付いたとしても、これだけ離れれば追っても追いつけないだろうけど。
もう街の外れに着く。
あたりはほとんど木ばかりで、森の中と言ってもよかった。
「はあっ、はっ」
「キル、大丈夫?」
走るスピードをゆるめたセレンシアト様がそう声をかけてくれる。
わたしも魔族の端くれだからこんなスピードで走るのも容易いけど、荷物が重いせいで流石に息が乱れた。
いくら森林浴で体によさそうな成分を浴びてても、全力で走ったらその分疲れる。
セレンシアト様の背中を追いながら走るのはいつものことだけど、心配されることなんて滅多にないからそう言ってもらえてちょっと嬉しかった。
「だ、大丈夫です」
「じゃあ続けて走るね」
えー。
荷物持ってくれてもいいんですよ?
なんて、さっきは空気を読まないセレンシアト様が好きだと思ったばかりだと言うのに、私の考えはいい加減だ。
って言うか、セレンシアト様が荷物を持ってくれると言っても持たせるつもりなんかないけど。
はい、疲れて思考も乱れがちなんです。早く着いて・・・。
「って、セレンシアト様。どこまで走ればいいんですかね?」
「えー? 他の宿でしょ?」
「も、もう、街外れですよ。このまま行くと街の外に出ちゃいますって。」
「まじでー?」
「途中に宿があれば、どの宿でもよかったんですけどね・・・。」
裏路地を進んで人気のない道ばかり通ってきたせいか、正規の街道はかなり遠い。
街道沿いに宿屋も武器屋も市場も並んでいるわけだから、途中で宿屋を見かけないのは考えてみれば当たり前なんだけど。
それを言おうかどうか迷っていると、セレンシアト様がわたしの肩を叩いて右前方を指差した。
「ね~、あそこに民家があるよ。頼んだら泊めてくれるかな?」
ちゃんとした宿屋に泊まるより、民家にでも泊めてもらったほうが身を隠すにはいいかもしれない。
「そうですね、頼んでみましょうか」
走るのをやめて、私の呼吸が普通に戻るのを待ってから民家に近づいた。
質素なつくり・・・とは言っても、一般的な庶民の家のようだった。
木造りの、一人か二人で住んでいるような小さな家だ。
こんな森の中に住んでいるのだから木こりか狩人だろうと思い、それなら少しお金を渡せば泊めてもらえるかな、と私は短絡していた。
先を行くセレンシアト様が扉を叩くと、すぐに中から返事が聞こえた。
驚いたことに、若い女性の声だった。
「はーい。どなた?」
「怪しい者ではありませ~ん」
その返事はどうでしょう、セレンシアト様。
誰かと訊くわりにはすぐに扉が空いた。
出てきたのは、髪の短い快活そうな女性だ。
私たちの外見より少し年上に見えるけど、肌もキレイで不美人ではなかった。
セレンシアト様のストライクゾーンはとてつもなく広いから、私は女性を見ると、ついそわそわしてしまう。
「だれ? 強盗さん?」
「いいえー。」
「さっきねー、強盗があったらしいわぁ。」
「あははー、物騒ですねぇ。」
「ねぇー、危ないわよねぇ。」
危ないと言いながら、どこか暢気な彼女のしゃべり方は、セレンシアト様のユルイそれととノリが一緒だった。
こんな森の中に女一人で住んでいるというのも、不用心と言うか・・・どうも、呆けてるのかもしれない。
「それで、今夜一晩泊めてもらえないかと思うんですけど・・・」
「そうそう、まだ聞いてなかったわね。あなたはどなた? 強盗さんじゃないのよね。」
「どっちかって言うと、魔王かな。」
「セレンシアト様!」
わたしは思わず声を荒げたけど、女性は目を丸くして、それから大笑いした。
「あはははっ、面白いのね!」
「魔王って言っても、元・魔王なんだけどね~」
「えー、もう引退しちゃったんだ?」
「そうそう~」
冗談だと思ってもらえてよかった・・・けど、ひやひやするからやめてもらえませんか、セレンシアト様。
心の中で悲鳴をあげている私をお構いなしに話が進んでいく。
「私はヴィーク。こっちのお嬢さんは?」
「あ、キルギヴァです」
「いいわ、狭い家だけど、2人くらいならなんとかなるでしょ。」
ヴィークはそう言って、どうぞ、と家の中に招き入れてくれた。
確実に400歳は年下なのにお嬢さん呼ばわりされたことを置いておくとして、今夜の宿が確保できたことに私は胸を撫で下ろし、丁寧にお礼を言った。
「ヴィークさん、一人で住んでるんですか?」
「ヴィークでいいわよ。向こうの部屋に弟がいるわ」
そのとき、ヴィークが指し示した方向から人影が現れて・・・・私は絶句した。
「あっ・・・・」
「ヴィーク? 誰が来たん・・・」
男の声も、そこで途切れた。
セレンシアト様も「あっ」と小さく声をあげたきり、黙ってしまっている。
なんで、ここに、いるの?
見覚えのある長身、腰の剣、紛れも無く、さっきの青年だ。
「ま・・・」
ガタタッと音を立てて青年が床にはいつくばった。
「まさか先だって家族に挨拶に来てくださってるとは!」
青年は床に膝を着き、最敬礼の姿勢をとった。
「逃げられたなどと思ったオレを許してください!」
か・・・完全に逃げたつもりでいたんだけどね。ごめんなさいね。
セレンシアト様もよほど驚いたらしく、弾丸のように感謝の言葉を述べ立てる青年に、「うん」と「あぁ」しか返してない。
「それでは、弟子にしてくれるんですね」
逃げたことに対して腹を立ててでもしてくれていれば、まだ煽りようもあったけど・・・。
不本意ながら、セレンシアト様が頷いたことに、わたしは邪魔をすることもできなかった。