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独白 その2

 あれは、一週間前のことだった。そう、僕は確か自分の自宅で、Shizukuにアクセスした。そのために、わざわざハイスペックの新型ゲーミング・パソコンも用意したし、最新式のバーチャル・リアリティ・ゴーグルも購入した。ヘルメット型の、すっぽりと頭からかぶるようなやつだ。頭皮には四本の電極が接するような仕組みになっている。これによって、パソコンで再生されたプログラムの映像を、直接、脳内で再生できる仕組みになっていた。要するに、仮想現実に完全に没入できる。


 天気は、少し曇りだっただろうか。記憶があいまいで、定かではない。大学の授業は、おそらくサボったのだろうか。部屋の中は、ひどくがらんとしていたはずだ。ベッド以外に、大きな家具は何もなかった。そういえば、部屋の隅においてある熱帯魚の水槽で、ネオンテトラがバラバラにうごめいていた。


 このネオンテトラは、大学に入ってつきあうようになった彼女と一緒に購入したものだ。いつだったか、熱帯魚のショップに出かけて「初心者でも飼いやすい魚を」買い求めたところ、勧められたのが、ネオンテトラだった。赤と青のコントラストが鮮やかな、小さいながらカラフルな魚だ。千数百円で、二十匹ほども買えた。最初のうち、よく水槽の中を整然と群れをなして泳ぐので、彼女がとても喜んだものだ。


 ただ、ネオンテトラはそのうち、群れで動くことをやめた。どうも、捕食者がいないようなストレスの少ない環境では、魚たちは群れで動くことをやめるらしい。


 ――それは、人間も一緒だろうと僕は思った。大学に合格した僕は、それまでの受験勉強のストレスから、一気に解放された気がした。あまりの自由さに、逆に何もする気がおきなかった。目的であったはずの大学の講義にも、さっぱり出かけることがなくなった。世間のレールから少しずつ外れはじめ、「群れ」としての行動をとらなくなった。


 ゆるやかに毎日の目的を見失った僕は、部屋にひきこもってネットばかりするようになった。人生や死について思索するうち、なぜか不老不死について興味がわき、様々な情報を読み漁った。そんな僕を見て、つきあっていた彼女は心配したが、僕は気にせずアングラサイトで、不老不死のコミュニティに参加し情報収集を続けた。


 そうして、行き着いたのが「Shizuku」だった。天才科学者が、自らの娘を実験台にして、人間の意識を封じ込めたプログラムだという。この不可思議で、かつ美しい話はなぜか、ひどく僕の興味をかきたてた。


 意識だけが電脳世界に保存された、死ぬことのない状態――。それは、はたしてどんな感覚なのだろうか。科学者の娘に、直接会ってみたいと思った。呪いが込められたプログラムだ、という伝説にも、妙な魅力があった。プログラムにログインしてみたいと、強く思った。そしてやがて、僕はネットオークション経由で、そのプログラムを入手した。


 Shizukuでの体験を完全なものにするためには、前述のとおり高機能なパソコンと、最新式のヴァーチャル・リアリティ・ゴーグルが必要だ。それらを揃えた僕は、さらにもう一つの準備をすることにした。パソコンの電源を、一定時間が経過すると自動的にオフにする仕組みだ。これは、万が一の時に現実世界に帰って来られるようにと、と考えたものだ。どれだけShizukuの呪いが強力でも、パソコンの電源さえ落としてしまえば、仮想空間は消失し、僕は正気を取り戻すことができるだろう。


 プログラムを立ち上げる際は、さすがに少し緊張した。カップラーメンで腹ごしらえをし、ペットボトルのスポーツ飲料をゆっくりと飲み終わった僕は、部屋で一人、システムの起動ボタンをクリックした。ブーン、、、という鈍い音ととも、バーチャル・リアリティ・ゴーグルをかぶった僕の目の前に、仮想現実空間がその姿を現した。


 それは、巨大な、薄暗い、図書館だった。


 天井にかすかにランプが灯っている。壁にはひとつも窓が無く、僕の呼吸する音以外に、物音は聞こえなかった。無機質でグレーの床が、どこまでも続いている。僕の両脇には、二メートルほどの高さの書架が、無限とも思えるほど続いていた。コンピュータ・プログラムだから、実際に、無限に書架を並べるよう設定してあるのかもしれない。僕はゆっくり歩きながら、本の背表紙を眺めた。仮想現実空間では、自分が「歩く」という動作をイメージするだけで、脳波を読み取って歩行することができた。


 本棚には、無数の本が並んでいた。ジャンルは、まるでばらばらだ。ある本棚は、大学受験のための参考書で、一杯だった。また別の本棚には、若者向けの、カラフルな海外旅行ガイドのような書籍が、無造作に並べられている。別の本棚は少し趣向が異なり、一面「交通事故」に関する本で埋め尽くされていた。何も規則性がないが、個人的には、なんとなく興味をひかれるような本であふれていた。


 彼女は――科学者の娘の意識は、どこにあるのだろう。それはこの空間に、実体を伴って出現するのだろうか? それとも、この空間のどこかに、漂うように、あいまいに存在しているのだろうか。何も分からない。とにかく、しばらくはこの図書館を歩き回るしかない。


 いくつかの本を手に取り、関連する情報がないか探したが、特に、手がかりは見つからなかった。このプログラムはゲームでもなければ、映像コンテンツでもない。広大な図書館空間を、一人で歩き回ることができるだけだ。ただ、書籍は一つ一つ、よくできていた。これを読んでいるだけで、無駄に時間が過ぎてしまうだろう。僕は本を丁寧に、書架にもどした。


 数十分もそこにいただろうか。あるエリアにさしかかったとき、ふと僕は、誰かに呼ばれているような、不思議な感覚を感じた。


 それは、言葉では表現しにくい状態だった。何かに引き寄せられるような気がする。あるいは、何者かのすがるような視線が、首筋に刺さる気分とでもいうのだろうか。妙な胸騒ぎにかられて、僕は気配のする方へ急ぎ足で向かった。ある本棚の前で立ち止まると、僕はその書架に手をかけた。


 ――ここに、何かがある。


 書架はスライド式になっており、横にずらすことで、奥の本棚が現れる仕組みになっていた。僕は緊張しながら、その書架を動かした。


 そこには、背表紙に大きな文字で




 「誰か」




 と書かれた書籍があった。


 その隣には




 「お願い」




 という背表紙の書籍があった。


 ゆっくりと書架を動かすと、その隣の書籍のタイトルが見えた。






 「助けて」








 だれか、おねがい、たすけて――。僕はその三冊の本の前で、立ち尽くした。明らかに、何かのメッセージが込められているような気がした。どうすればいいのか、すぐには分からなかった。何者かが、僕の助けを願っているということだろうか。僕は少し震える指先で、助けて、と書かれた本に手を伸ばした。その本を書架から抜き取った瞬間、一筋の青白い光が挿し込んだ。僕は一瞬、驚いて本を取り落しそうになった。


 書架の向こう側に、別の世界が続いているのが見えた。僕は夢中になって、その周囲の本を抜き取り、光の隙間を広げていった。一冊、また一冊と書籍を取り出すたび、薄暗い図書館内に、少しずつ青色の光が満たされていった。やがて、大人一人がそこを通り抜けられるほどの広さが確保された。僕は覚悟を決めると、そこに踏み込んだ。


 そこは、異世界のようだった。草木が生え、巨木が生い茂っている。どこか森の中のようだったが、空の大半を覆う雲は青黒く、遠くまで見通すことはできなかった。辺りはしんと静まり返り、昆虫や、リスのような小動物、それに鳥などの姿も全く見当たらない。ただ、少し歩いた向こうに、大きな湖が広がっているのが見えた。湖面はあくまでも静かで、憂鬱な空の色を映して、暗い水をたたえている。その上に、チカチカと微かに光る不思議な発光体があった。


 湖の方角に歩いて、慎重に光に近づいてみると、それは一つ一つが小さな熱帯魚――ネオンテトラだった。青と赤の魚が、暗い湖の上を、光りながら空中に浮遊している。まるで、異世界に閉じ込められたことに気づかず、ひたすら漂う、人々の魂のようにも見えた。それは、とても幻想的な光景だった。同時に、現実離れした、少し居心地の悪い情景でもあった。ぼくは雰囲気に飲まれないように、ふう、と息を吐いた。これも所詮、コンピュータが創り上げた景色に過ぎない。


 空に浮かぶ魚たちは、最新の仮想技術で創られただけあって、質感にリアリティがあった。それに、群れをなさずにバラバラに動くさまが、僕が水槽で飼っているネオンテトラに、ひどく似ていた。もしかすると、僕の記憶や思考を読み取って、それを投影しているのだろうか? だとしたら、このコンピュータ・プログラムは、とてもよくできている。


 湖には長い桟橋があり、その向こうに浮島のような場所があるのが見えた。島には、小さな小屋のようなものが建てられている。背景の中で、そこだけ妙に黒ずんだような、空間のひずみのようなものが感じられた。いかにも、何かが棲みついている気配がある。


 科学者の娘は、そこにいるのだろうか。先ほど見た、「助けて」、というメッセージは、彼女が、僕に向けて発したものだろうか。


 あるいは、違うかもしれない。僕は、ぼんやりと考えた。助けて、というメッセージの主は、過去にこのコンピュータ・プログラムにアクセスして、呪いの犠牲となった別のユーザーの声かもしれない。


 科学者の娘は、もはや思念だけの存在だ。見方によっては、幽霊ということもできる。もっといえば、「悪霊」である可能性もある。アングラサイトでは、彼女は畏怖の念をもって「ゴースト」と呼ばれていた。僕はこれから、そのゴーストに会いに行こうとしている。


 ――ゴーストに、とり憑かれるだろうか? 


 それでも、と僕は思った。


 彼女に会ってみたい。なぜなのかは分からないが、自分の精神の奥底がそれを望んでいるのを感じた。怖いもの見たさ、ということだろうか。あるいは、不老不死の秘密に迫りたい、ということなのだろうか。分の心境を、自分でも理解できないまま、僕は木製の桟橋に足を踏み入れた。湖面では光る魚たちが、物憂げに僕の背中を眺めていた。

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