第92話 天世界
―アルタ―
真っ暗な視界が、少しずつ明るくなる。
あれ?
どこだ、ここ?
空が赤くない? 白い?
今、俺は倒れているのか?
でも、地面が硬くない。
柔らかい。魔力も感じない。
俺、魔裏界でザーナと戦ってーーー
「.......ぁ.....」
体が動かない。
でも、何とか見いないと......
ここはどこだ......っ。
あれ、今見えてるものって、空......じゃない。
天井?
周りも白い......壁? 瓦礫じゃない。
ここ、俺の家?
体のそこかしこに包帯が巻かれている。
ふと声がした。
「あっ」
何とか声のした方を向くと、子供が1人いた。俺に似た赤髪をポニーテールにした女の子だった。
「だ....れ......」
その子は何も言わず、慌てたようにキョロキョロして、部屋を出て行ってしまった。
もしかして、あの子がーーー
ドアの向こうから、ドンドンドンと、駆けてくる音が聞こえた。
足音がぐんぐん近づいてくる。
でも、何も怖く感じなかった。
嬉しさだけがあった。
ドアが勢いよく開けられる。
「アルタ!」
ドアの向こうから、女性が1人現れた。
息を切らしながら、目に涙を滲ませている。
「起きたんだね......アルタ......っ!」
涙を拭い、俺の隣に座る。
青髪を背中まで伸ばし、緑色のメッシュが入った人。
胸も膨らみ、腰もくびれて、もうしっかり大人の女性だな。
「ミーヴ......なんだな。俺、帰ってきたんだな」
「そうだよ。あなたの家だよ。あなたの妻だよ......うぅっ」
ミーヴの拭った涙がまた湧き出し、涙が頬に向かって垂れ落ちる。
そこで気がついた。
目にクマができているのだ。
髪と同じくらい青くて、疲れが見え透いている。
よく見れば少し、いや、かなり窶れている。
そうか。
たった1人で、子供2人を育てているんだもんな。
「子供、生まれたんだよな」
「うん、紹介するね。おいで、2人とも」
彼女が向いた方を見ると、ドアの隙間から、子供が2人覗いていた。
1度顔を見合わせ、トテトテ走ってくる。
確か名前は......
「ほら、2人とも。この人があなたたちのパパだよ」
「「......?」」
2人とも首を傾げてしまった。
まぁ、俺が父親だなんて、実感ないか。
生まれたときにはいなかった訳だし。
「アルタ。女の子の方がーーー」
「"ロペラ"、だろう? で、男の子は"フェザ"だ」
俺がそう言うと、ミーヴは「えっ」と言って驚いた。
「すごい.....どうして分かったの?」
「死にかけて、夢の中で、ミーヴが教えてくれたんだ」
それを聞くと、彼女は少し呆然とした後、微笑んだ
「そっか。ふふ」
ミーヴは笑いかけてくれるが、ロペラとフェザはそうでもない。
やっぱり顔も知らない父親に会っても何も感慨深いことは無いか。
というか、2人とも風貌はおよそ3歳くらいか?
魔裏界にいた期間って、1年もないよな。
「ミーヴ、あのさーーー」
彼女はその言葉の先を察したらしく、悲しげな顔をした。
「知ってるよ。シュゼから聞いた。魔裏界ってところにいたんでしょ? 3年前、嫉妬級と戦って、ボロボロになって帰ってきたって」
ーーーは?
「アルタ動かなくて、呼吸もしてなくって、そのまま3年、ずっとここで眠ってたの」
3年.....?
そんなに長い間、ずっと?
「月に1、2回鼓動が止まって、その度に私が魂術を掛けて、何とか持ち堪えてたけど......信じてたよ。絶対起きてくれるって」
「そうだったのか......」
そんなに眠っていたのか。
天世界に来たのが15歳だったことから計算すると俺、もう21歳なのか?
「3年間、1人で頑張ってくれていたんだな」
「うん。でも大丈夫だよ。色んな人に手伝ってもらえたし、ザルトさんには、返済を取り消してもらえたしね」
ザルト。
確か、シュゼの父親だ。
この家を買うときに金を出してくれて、その金の返済を約束した人。
取り消してくれたのか。
まぁこんな状況だし、甘えさせて貰うとしよう。
ザルトもシュゼが帰って来て嬉しかったに違いな......
「シュゼ!」
そうだ、シュゼはどうなった?
ちゃんと帰って来れたんだよな?
思わず右手で支えて身体を起こそうとした。
しかし感触がなく、起こそうとした身体がズオッと崩れた。
よく見たら、右手が無かった。
肩より先は影も形もない。
「あれ? 俺の腕は?」
思わず呟くと、ミーヴが申し訳なさそうに答えた。
「アルタが戻って来たとき、腕がその、壊死してたんだ。もちろん、私も頑張って治そうとしたんだけど、全然治らなって、やむなく切ることになったの」
「そんな......」
でもまぁ、ザーナとの戦いでは相当無理してたしな。
記憶があやふやだが、それだけは分かる。
「でも帰って来れただけで嬉しいよ。右手なんか無くたって、関係ないさ」
「よかった。でもあんまり無理しないでね」
「あぁ」
「それと、シュゼについては大丈夫だよ。今頃家で元気にしてるんじゃないかな?」
「そうか......良かったぁ」
正直なところ疑問は尽きないが、今はいい。
帰って来られた。
その事実だけあれば、とりあえずいい。
顔に射した日光が、すごく暖かかった。
▶▷▶▷▶▷
そんな状態で1週間が経った。
相変わらず行動範囲が狭い。
体が重いのだ。
右手がないからむしろ軽いはずなんだろうが、どうにもフラつく。
そんなこんなで、最初はミーヴに支えてもらっていた。
情けなかった。我が子にこんな姿を晒すことになるとは。
なんて思っていたら、ロペラの方が手伝いに来た。
俺の左手をキュッと掴んで、グッと引っ張ってくれた。
結果どうなったかは明白で、引っ張られた俺はずっこけたのだが。
ミーヴは母親らしく叱っていたが、俺は嬉しかった。
そして今日も、ロペラに手を引かれていた。
「パパ、だいじょうぶ? 歩ける?」
「大丈夫だとも。いつもありがとう」
俺がそう言うと、ロペラは白い歯をニッと見せて笑ってくれる。
たとえ天世界中を探し回っても、この子より可愛い子供なんて、いないだろう。
対してフェザの方は、あまり俺の近くに来てくれない。
近すぎず、遠すぎずのところで、隠れながら俺をじっと見ていた。
いまだに馴染めないらしい。仕方ないことだろう。
まぁあれはあれで可愛いもんだ。
俺の様子を物陰から覗いて、俺が近づくと、今度はトテトテ走って距離を取る。
そのうち慣れてくれると信じたい。
▶▷▶▷▶▷
その日の夜、俺は目を覚ました。
窓の方を見ると、月が俺を見下ろしていた。
耳を澄ますと、冷たそうな風がヒュ〜と吹く音がする。
「......ん?」
ふと、部屋の向こうからかすかに足音が聞こえた。
どうやら玄関に向かっているらしかった。
泥棒が帰るところかとも思ったが、違った。
息を殺して耳を澄ますと、2つの声がした。
「ーーー其方のーーーこんなーーすまないが」
「ーーー様ーーーさぁ」
1つは、ミーヴの声だ。
眠さをこらえたようなものだった。
もう1つの声は、男の低い声だった。
雰囲気としては、ガルファムに似ている。
が、1つ違うとすれば、ガルファムよりも年季が入っていて、威厳を感じさせられるものだということ。
1つの足音が近づいてくる。
それはミーヴの足音だと分かった。
だが近づいてくるのは彼女だけじゃない。
男もその後ろから着いて来ている。
男の纏う空気が、俺の元までひしひしと伝わってくるのだ。
一体、誰がーーー
ドアが開いた。
まず入って来たのは、神妙な面持ちのミーヴ。
パジャマのままだが、どこか鋭さを覚える。
しかし、次の瞬間には、そんなことはどうでも良くなった。
男が入って来た。
その男は、褐色の肌をしていた。
服の上から見てもその存在を主張する筋肉の鎧。
そして、暗い部屋にいてさえ、輝かしく見える、白い羽と白い服。
見ただけで高貴であることを分からされる服は、かつて世話になった、タディスも着ていたものだった。
「神官天使......様......」
口が勝手にそう言った。
男の正体は、神の右腕『神官天使』であることが一瞬で脳に刻まれた。
「あれ、アルタ。起きてたの?」
ミーヴが俺の顔を覗き込む。
その瞳に、驚愕の念を浮かべる俺の顔が映った。
そんな彼女を差し置いて、男が口を開いた。
「其方が、アルタで間違いないか」
「......はい」
咄嗟に立ちあがろうとした。
が、右手がない影響で、崩れ落ちてしまう。
「畏まるな。其方は死の世界から戻って来た。賞賛に値する」
そう言われれば、もう俺はその通りにする他なかった。
そして彼は続ける。
「俺は創造神様の神官天使、ガズラ。アルタよ、神殿へ同行願おう」




