間話 嫉妬級
魔裏界は6人の悪魔、嫉妬級が支配している。
統治するも良し、放っておくも良し。
それぞれがそれぞれの支配域を持ち、好きなように過ごしていた。
しかしそんな彼らにも今日、驚嘆が走る。
ここは滝の下だ。
川の水が流れ落ち、下の岩肌を打ち濡らす。
あまりにうるさい音は、悪魔を誰も近づかせず、彼の鍛錬に磨きをかけてくれる。
「......む、彼奴の魔力が消えた?」
坐禅を組み、魔力を練る嫉妬級は、そう呟いた。
顔中にシワが渡る老齢の悪魔だ。
名を、オクトブ。
「彼奴とて嫉妬級、そう容易く倒せるものではないが......」
閉じた目を開き、赤い空を見上げる。
禍々しさ以外は少しも感じ取れないその空には、どこか死の気配がした。
かつてない程に大きな死の気配だ。
「......まぁ、構わんか。儂には関係ない」
足を組み直し、再び目を閉じた。
もう誰も近づかない。
▶▷▶▷▶▷
この建物には憤怒級が集まっていた。
他の大陸と違い文明が発達しているらしく、建物は城と呼ぶに相応しい豪勢なものだった。
触れずとも硬いと分かる、黒いレンガの壁が建っている。
その上には赤い鋭い屋根が乗っていた。
立ち入れば、中を埋めつくす空気に押しつぶされるだろう。
しかしそんな城の中だが、確かに温もりを感じさせる。
それもこれも、城の最上階、その中央の椅子に座る彼女が要因だ。
「どうかしら、ガノ? あなたのために、大勢の憤怒級を集めたわ。喜んでくれるかしら?」
血のように真っ赤なソファの上では、女はくつろいでいた。
赤い髪と紫色の肌、そして額から生えるツノが特徴的な悪魔、クォーリンである。
そしてその膝の上には、小柄な子供の悪魔、ガノが乗せられていた。
前髪が目を隠し、言動に見合わぬ、底知れない恐ろしさを纏っている。
「みんな大きい......僕、怖いよぅ......クォ姉」
ガノはクォーリンにしがみつく。
小柄な体を縮こませ、かすかに震えていた。
「あの、クォーリン様。我々はなぜーーー」
呆然と立ち尽くす憤怒級の1人が問おうとした途端、鮮血が舞う。
生臭い血が床に飛び散った。
見れば、クォーリンが指を立てていた。
冷ややかな目を向けたまま、その指をクイッと振る。
次の瞬間、集められた憤怒級は、何が起きたのかも分からず、全員血の海へと姿を変えた。
「......精々、私の役に立つ死に方をなさい、あなた達」
クォーリンは目の前に広がる血の海の、ポツポツと浮かぶ色石を見て呟いた。
誰か聞く者がいれば、その者の脳天を冷気が突き抜けたでだろう。
「わぁ......! 綺麗......」
ガノは先程までとは打って変わり、目を輝かせて色石に手を伸ばしていた。
「そんなに焦らなくても、私が取ってあげるわよ」
直後、転がる色石が空中へ浮かび、全てガノの手のひらの上に優しくゆっくりと落ちた。
大小様々な、黒の色石。
黒曜石のような輝きを見せるそれらは、ガノの心を踊らせた。
「ありがとう、クォ姉!」
この惨状は何事か?
ガノいわく、憤怒級の色石が欲しいとのことだった。
だが臆病な彼は、自身より体の大きい憤怒級に色石を寄越せと、要するに死ねと言うのが怖かった。
だから、最も仲の良いクォーリンに頼った。
クォーリンは出来の悪い憤怒級の配下を集め、全員処刑し、色石をガノへ渡したのだった。
「ふふっ、喜んでくれて嬉しいわ」
クォーリンは下側に見えるガノの頭を撫でていた。
するとそのとき、脳裏にビビッと感覚が走った。
「......ザーナ、死んだわね。魔力が空気に溶けていく」
窓の外に目を向け、遥か遠くを見つめる。
その目はやはり氷のように冷たかった。
「ーーーだから言ったじゃない。虫が湧くって」
「クォ姉、何か言った?」
ガノのクリっとした目が髪の奥に見えた。
クォーリンは言う。
暖かく、優しさに溢れる声で。
「いいえ。なにも」
▶▷▶▷▶▷
ここは魔裏界における最大の大陸。
他の大陸とは異なり、ここには君臨する主が2人いる。
1人は、美しい緑髪を腰まで伸ばし、穏やかな面を下げる男。
もう1人は、桃色の髪と猫耳を持ち、右の眼球の抉れた少女だ。
彼らが支配するこの地にて、怠惰級は、村なり何なり勝手に造り、勝手に生きていた。
憤怒級は、互いに争ったり、怠惰級を狩ったりして適当に生きていた。
全て、この大陸の主が言ったからだ。
好きにしてろ、と。
「ーーーで、ディンセル。なーんでボクのこと呼んだの? 」
少女の悪魔、アイリアが問いながら見上げる。
目の前には階段が広がり、上り切ったその先には、大きな機械のようなものが置いてあった。
大きな水晶が立ち並び、無数の管らしきものが交差する物体。
それらを構築するもの全てが禍々しく、見る者の息を忘れさせる。
訪れた者がアイリアでなければ、戦慄を覚えただろう。
「お前に知らせがある。どうせ暇だろう、聞いていけ」
「暇じゃないよ。ボク今からザーナに会いにいくとこだったのに」
アイリアは目を細め、不満をあらわにする。
だが何故会いにいくのか?
何をしに会いにいくのか?、
それは、手に嵌められた緑色の爪を見れば、答えの想像は容易だろう。
「そのことについてだ。ついさっき、奴は死んだ」
「ふーん。あ、ホントだ。アイツの魔力、感じないや」
アイリアの表情は、ザーナの死が屁でもないことを物語っていた。
適当に箱を被せたネズミが、知らぬ間に窒息死していたようなものだ。
「てゆーか、ディンセル。それなに?」
アイリアが指を差す方向。
ディンセルの背後に、その大きな機械があった。
「我らが主の蘇る棺だ」
振り返ったディンセルの目は澄んでいた。
事も無げに言い退るディンセルが、アイリアにはひたすら不気味に思えた。
「......あっそ。ボクもう帰っていいね?」
アイリアはそう言った途端、返答も聞かずに翼を出して飛び去った。
たった1人、ディンセルだけがこの場に残り、あたりの空気が冷たさを増す。
「嫉妬級が欠けたか......」
懐から水晶を取り出し、ディンセルは呟く。
水晶は、かつて天世界の神殿から奪った、人世界と繋がる水晶である。
「まぁ問題ないだろう。4人いれば足りる」
人世界と繋がる青い水晶は、ゆっくりと懐へ戻される。
悠々と歩くディンセルの背後、機械ーーー棺が彼を見ていた。
魔裏界。
争いの世界。
死の世界。
今日も誰かがどこかで死ぬ。




