第88話 偽りの
「ぜぇ......ハァ......ハァ......」
そんな力無き音が漂う。
土煙の晴れる最中、アルタが溢すものだった。
肩を大きく上下させるその様子から、消耗は目に見えていた。
しかし、目から光は消えていない。
(今、魂が......まるで覚醒したような......)
魂とは、存在の核と言っても過言ではないものだ。
アルタは肉体の壁を超え、魂の拳でザーナを直に殴った。
後にアルタが『魂醒拳』と名付けるこの事象、その負荷は計り知れない。
「げはっ......」
この一連の事象の正体は、本人の知るところではない。
徐々に晴れ行く土煙の向こうには、ザーナが立っていた。
しかし表情はやや険しさを感じさせる。
腹の外殻が割られ、青い肌が露出していた。
(コイツ、この俺の外殻を......)
笑みは消えていない。
余裕の笑みだ。
しかしそれはどうにも引きつっているように見える。
「やるじゃねェか」
アルタの魂は覚醒し、この場において魂気研磨と同等かそれ以上の効力を得た。
しかし流石は嫉妬級。
依然として実力の差は広い。
ただ1つ言うのであれば、
「いいぜ。俺の魔術を解禁してやらァ」
その余裕は微かながら、崩れ始めていた。
▶▷▶▷▶▷
―アルタ―
魔術を解禁する。
確かにそう言った。
今まで使ってなかったというのか?
驚きを隠せない、というのが本音だ。
確かに魔力はあまり動いていなかった気がする。
だがそれは、俺は魔術なしで奴に圧倒されていたことになる。
分かりきっていたことだが、恐ろしく強い。
払拭した恐怖がもう1度芽生えて来るのが分かる。
怖いのは本音だ。
だが、それ以上の殺意も本音だ。
「行くぜェ?」
奴の拳は既に目の前にあった。
だが―――
「ぐっ!」
腕から全身にかけて重い衝撃が走った。
体が後ろへ押し飛ばされる。
ズザーッと音を轟かせて、固い地面を削って止まった。
俺は今、防御できた。
反射じゃない。
見て、反応して、防御できた。
だが腕はビリビリする。
受けてこの威力か。
「ふっ、ぐんっ!」
よし、まだ動く。
そしてさっきの浮遊感。
あれが魂気の研磨なのだとしたら。
いや、何でもいい。
今は何でもいい。
とにかく今大事なのは。
「あァん?」
戦局は一方的じゃなくなった。
「テメェ......」
奴がそう呟く。
怒りをふつふつと静かに心の奥で燃やしている。
「自慢の魔術が防御されて、悔しいか?」
「チッ......いいぜ、見せてやる。はァあッ!」
突如、奴の魔力が暴れ出した。
大きな嵐のように、凄まじく吹き荒れる。
気を抜いたら、これだけで吹き飛ばされそうだ......ッ!
「っ!?」
奴がいない。
どこだ、どこに―――
「どっち見てンだ? オイ」
振り返った瞬間、目に入ったのは同時に碎け散る岩の数々だった。
本能で痛感する。
さっきより断然、さらに速くなっている。
「ふーッ......」
だがさっきの一撃のお陰で、俺の感覚は鋭敏になっている。
よく凝らせ、俺の魂。
「そこだッ!」
と思った瞬間。
「後ろだ、天使」
それを声だと認識する時には、既に殴られていた。
瓦礫の山に突っ込み、そして広がる血の味。
加えて口内の異物感。
固い何か。
歯が折れた。
「ペッ」
血と歯を吐き出した。
変わらず血の味が広がる中、全方位から聞こえた嘲るような言葉。
「やっぱマグレじゃねェか。ちょっと本気出しゃァこの通りだ」
そして次の瞬間、やはり攻撃は来なかった。
今度は左の方から声が聞こえた。
「俺はよォ、"戦い"なんか好きじゃねェんだ」
次は右から聞こえた。
「俺が好きなのは"蹂躙"だ。弱者を痛めつけて、楽しんだ後は殺す」
次は後ろ。
「何度もそうしてきた。分かるかァ?」
前。
「これが夢だ。俺の夢。何度も何度も夢を叶えて来た」
そして、真上。
「叶いもしねェ戯言ほざく天使とは違ェんだよォッ!」
「がぶはっ!」
目の前に地面があった。
踏みつけられた。
潰されるッ!
「どォした、もう立てな―――」
「うるせぇッ!」
腕を起点に、うつ伏せの状態から蹴り上げた。
手応えはない。
「器用なヤツだなァ」
奴との距離は、おおよそ大木3本分。
話を聞く中、分かったことがある。
奴の魔術は、発動直前に魔力の"線"が発生する。
要するに、予め来る方向が分かる。
自慢気に何度も披露してくれたおかげだ。
速さ速さ魔術使用前より上がったが、来る位置が分かれば対応できる。
だがそのためには、あと2回だ。
あと2回は、浮遊感を入れないといけない。
ダメージこそ受けるが、感覚は鋭くなる。
まだ魔力の線への対応は厳しい。
もっと研ぎ澄まして―――
「勘違いしてるみてェだから言うけどよォ」
あ?
「"閃"は直前じゃねェからな」
次の瞬間、魔力が周囲を覆い尽くした。
鋭くなった魔力探知がはっきりと伝えてくる。
超高密度の予測線。
「―――『魔閃速破網』」
奴の魔術だ。
▶▷▶▷▶▷
大陸の北側。
地面が削れ、岩は爆散する。
衝撃が吹き乱れる。
「どうしましたか? ほら隙ですよ、このうちに攻めないので?」
プスコフの右手に魔力が溜まっていく。
しかし、シュゼは擦り足でじりじりと詰めるのみ。
動けば撃たれるからだ。
プスコフの魔術『魔吸砲術』
魔裏界を満たす魔力を吸収し、砲撃として撃ち出す術である。
砲撃は大きくするほど、溜めの時間が伸びる。
しかしそれは”威力”の話ではない。
大きかろうと小さかろうと、岩石を容易に消滅させるほどの威力を誇る。
大規模破壊劇でもしない限り、大砲撃を使う必要はないのだ。
そのくせプスコフは、使う必要のない大砲撃を使おうとしてくる。
有無を言わさぬ小砲撃の連射であれば、事はすぐに済むはずだ。
だがしない。
半端な砲撃を半端な溜めで撃ってくる。
何故か? 簡単だ。
遊んでいるからだ。
(クソが......ッ!)
そう心の中で吐き捨てた。その間も砲撃は飛んでくる。
迫る砲撃。
シュゼは体を大きく反らせる。
(でもだいぶ読めるようになってきた。このまま行けば勝てるッ!)
撃ち終わった後の間。
シュゼは痛む脚で駆け出した。
「ほう......」
プスコフの表情は、依然として余裕を見せていた。
突き出した右手に魔力を流す。1秒あれば魔力は溜まる。
放つ2撃目。またもや回避される。
3撃目、4撃目、5撃目。
何度目かの砲撃の最中、プスコフは気が付いた。
回避に用する動作が小さくなっていくことに。
「......」
その瞬間、砲撃の周期が破られた。
およそ大した溜めも要らない砲撃が間髪入れずに放たれたのだ。
砲撃は肩口を削り取った。
肩口は急所、噴き出す血の苦痛がシュゼの顔を歪ませる。
「ふぐッ!」
さらに蹴り込まれ、シュゼの体は後方へ飛ぶ。
折れた剣を地面へ突き刺し、ズザザと音を出して止まった。
(......)
プスコフの脳裏にたった今の光景が反復していた。
この天使は自身の急所を斬りかけた。
自分の首を撫でれば、手には真っ赤な血が付着するのみ。
その血が、この天使が憤怒級たる自分を殺しかけたという事実を突きつける。
ならば、この天使は敵だ。
脅威として始末せねばならない敵だ。
「......」
しかし、同時に主の言葉も再生されていた。
『金髪のと遊べ』
ザーナは遊べと言った。ならばプスコフはその通りにするだけだ。
目の前に佇む血まみれの玩具で遊ぶだけ。
では遊ぶとはどういうことか?
ハンデを与えるのだ。
禁じ手の設定、情報の開示。何でもいい。
「よくぞワタシシの首に刃を届かせ、あまつさえ禁じ手を使わせましたねぇ」
シュゼは息切れする中、そんなことを聞いた。
「ですから、その褒美です」
プスコフは自分の首を指差して言い放つ。
「ワタシシはこの戦闘中、首を再生しません。お察しの通りここが急所ですから、あとはご自分で頑張ってくだーーー」
「それがハンデか?」
シュゼは戦闘を通じて察してた。
「テメー、格下相手にハンデつけたがるよなぁ?」
切れた口から血を垂らしながら言う。
「それがテメーの美学なんかは知んねーけどよ。あの魔術もそうだろ? でもさっきハンデ破ったよなぁ? ヘッヘッヘ......」
シュゼはニヤリと笑い、嘲るような態度をとる。
「そんなにオレが怖かったか? あぁ?」
「玩具の分際でよく喋りますね」
プスコフの右手が突き出され、一瞬の間もなく砲撃が次から次へ飛ぶ。
天使は回避と同時にぐんぐん近づいてくる。
流れ弾が地形を抉り取る。
(やはり小砲撃は避けられますね。超感覚でも備わっているのでしょうか)
シュゼは走る。
折れた剣を片手に、砲撃の軌道を肌でひしひしと感じながら。
砲撃が矢継ぎ早に飛んでくる。
周囲に風が起こるほど速く走り、やがてーーー
「ふんッ!」
剣が首を斬ーーーらなかった。
「ーーーは?」
直後。
シュゼは目を見開いていた。
分かっていたはずだと。
この悪魔にできて、自分にできないことがあると。
だからそうなる前に、倒すはずだったと。
声は上から聞こえた。
「まさか、天使相手に翼を顕現するとは思いませんでしたよ」
頭上に視線をやると、赤い空を背にしたプスコフが見下ろしていた。
余裕を見せる笑みは無く、冷酷さを隠しもしない瞳のみ。
「......わりー、アルタ」
構えた剣は、わずかに震えていた。
「まだ時間かかりそうだ」




