第86話 始まり
岩の柱が乱立する荒野の一角。
2人の悪魔は談笑する。
「まさか、あの者共が天使だったとは......」
「あぁ、間違いねェ。あの気配はよォ」
高い岩の上、プスコフは跪く姿勢を直し、頭を下げた。
「ワタシシが気付いて、始末しておくべきでした。どのような罰も受けましょう」
この発言へザーナがどんな返答をしようが、プスコフは頬を赤らめ悦ぶのだろう。
その命を持って償う時が来ようと、ドロドロに溶けるまで悦ぶのだ。
「必要無ェさ」
岩に座り、下を見下ろすザーナ。
その姿を見た後、プスコフの首は傾げられる。
「では、ワタシシが今度こそ始末―――」
「必要無ェ」
その提案はピシャリと妨げられた。
ギロッとした視線が刺さるが、彼にとってはこの上ない至極である。
「カス共に命令は出した。腐っても憤怒級を倒した奴らだ、どォせ死なねェだろ」
尖った歯を覗かせ、ザーナは笑う。
「尋問なり拷問なりして、俺らの場所聞き出すだろうよ。そんで来たら遊んでやる」
プスコフの思案。それは疑問。
何故こんな回りくどいことをするのか。そう考えるのが自然だろう。
否。それは違う。
この男に主を疑う念などない。
(ワタシシには分かりました。貴方様は退屈をしておられる。だからこそ、天使共を使って遊戯を堪能為さるおつもりなのです)
プスコフの目から、ひと筋の涙が垂れ落ちる。
(それをワタシシは......玩具を始末しようとしてしまいました。何と言う大罪......!)
背後から聞こえる泣き声に、ザーナは少々顔をしかめていた。
▶▷▶▷▶▷
一方その頃、アルタたち。
木々より伸び、うねる枝の鞭。
それらは悪魔の体を凪払う。
「ぐぁぁぁあ!」
「魔術持ちかよ......!」
土煙が立ち込める中、飛ばされた悪魔がドサドサと落ちてくる。
そこへ走る追撃。
変形した枝が悪魔の首を落とした。
「よしっ!」
「油断してんなッ!」
小さくガッツポーズをとるペタの瞳に写った黒い拳。
しかし届くことはない。
「ぼくだって」
地面が揺れ、悪魔の足が一瞬浮いた。
直後、
「強くなったんです......!」
地面より生えた10を超えるツタの針。
足の浮いた悪魔に回避は許されず、無惨にも体の節々に突き刺さっていた。
「金髪動いてねぇぞ、ビビっちまったかぁ!?」
数体の悪魔が薄ら笑いを浮かべ駆け寄った。
魔の手が触れかけたとき、彼らの体は地に伏した。
煙の晴れた先に剣を鞘に収めるシュゼがいた。
「すっげー......相手の攻撃が全部見えるみてーだ」
走る中も剣を握り締め、己の強さにシュゼは歓喜していた。
刃は振るわれ、抗う間もなく悪魔の命が散って行く。
次から次、また次と。
「な、何だコイツ!?」
「こんなの勝てる訳―――」
気付いたときには心臓に穴が開いている。
アルタたちを取り囲む悪魔の集団が殲滅されようとしていた。
「な、何だと......我々がこんなにあっさりと......」
アルタの前に立ちはだかっていた悪魔は脚を震わせ、困惑していた。
自分たちは天使の始末を任されたのではないのか。
大陸の主たる嫉妬級から、直々に指名されたのではなかったか。
認められたのではなかったのか。
「おい」
「......ひっ!」
悪魔は駆け出していた。連れてきた仲間など目もくれず。
来た道をまっすぐ全力で走っていた。
(勝てない! ザーナ様は何をお考えなのだ! それこそ、プスコフ殿に任せればよかったはずだ!)
『赤髪、金髪、あと緑の悪魔だ。そいつらの所に行け。森の方な』
『殺しても、いいので?』
『あぁ? いいぜ? 別に』
アルタの視線上、悪魔の姿がどんどん小さくなっていく。
相手は腐っても怠惰級。
黙っていればすぐにでも見失うだろう。
しかしアルタは、
「ごぶはぁ!?」
既に憤怒にまみれていた。
閃光の如く駆けた拳が悪魔の頬を砕く。
噴き出した血と共にその体は割れる地に伏した。
「お前らに命令した嫉妬級の居場所を教えろ」
伏した体は拘束され、尋問が始まった。アルタの怒気の籠る視線が悪魔を刺す。
「こっ、この先だ......この先にいらっしゃる......はずだ」
そう言い終わった後。
殺意を知った天使は、悪魔の首を跳ねた。
宙に浮いた頭を潰した。
足下の胸を貫いた。
その場がシュワ~と音を立てる。
白い湯気が場を覆う。
殲滅は完了した。
「シュゼ、ペタ」
天使が言った。
「行くぞ」
▶▷▶▷▶▷
―アルタ―
森を抜けた先、岩の乱立する景色。
そこで感じる、大きく、濃く、おぞましい魔力。
1歩踏み出す度、肌がズキズキ痛むようだ。
「……」
誰も何も言わない。
見なくても、2人の顔が強張っていることは分かる。
純粋な天使であるシュゼでも、魔力とは別で重圧を感じているだろう。
そして聞こえた。
「来たな、死に損ない」
見上げれば、脚を組んで座るザーナと、その後ろに控えるプスコフがいた。
「来るたァ思ってたが、早かったなァ」
嘲るような視線が降り注ぐ。
「アルタさん……ぼく、やっぱり……」
ペタの震え声がよく聞こえた。
小さな声で、怒りを恐怖が飲み込んでいた。
背中を掴まれたのが分かった。
俺の背後に隠れるつもりだ。
「ーーー」
そしてそれは、ほんのひと刹那だった。
極度の緊張が渦巻く最中、確かに見えた、魔力の光。
光は俺の頭の真横を通り、背後へ着弾した。
気が付いた。
既に背中を掴まれる感覚はなかった。
代わりに、何か液体がぺとっと付いて、溶けるような音がした。
「おォ、命中だな」
「貴方様の右腕として、当然でございます」
相変わらずザーナは脚を組んで、だらんと座っていた。
ゴミでも処分したような気色だった。
「お前ら……よくもッ!」
「あァん? 数合わせって奴だよ。天使そういうの好きだろォ?」
その顔はニタニタしていた。
「昔いたんだよォ。天使ン中に、やたら数にこだわる奴」
体が震える。恐怖によるものじゃない。
怒りだ。
殺すんだ。
「悪魔は数が多くてズルいんだと! だからサシで戦ってやったら、喜んで腰抜かしてくれたぜェ」
「何が数合わせだ。3対2がそんな怖かったかぁ!?
あぁ!?」
「アルタ、落ち着け」
シュゼに手を置かれて我に返った。
「シュゼ......」
「乱れてるぞ。らしくもねー」
シュゼは剣を構えていた。
これまでに学んだことを実践して、冷静に。
怒りは沸いているだろうに。
はらわたが煮えくり返りるだろうに。
「......」
そうだ。
落ち着かないと。感情的になるな。
力の差は大きい。
技術を全て活用しなければ、こいつは殺せない。
「あー......」
奴が考えるような仕草をした後、言った。
「プスコフ、オマエは金髪と遊んでこい。俺は赤髪の方とやる」
「承知しました」
次の瞬間、視界の横をプスコフが凄まじい速度で通り過ぎた。
「シュゼ!」
「大丈夫だ! オレはコイツを倒す! お前はそっち頑張れ!」
2人が彼方へ消える中、それだけが聞こえた。
「さァてと......」
ザーナが立ち上がった。
「せっかく興味湧いたんだ、ガッカリさせんなよォ?」