第53話 魔裏界
丘の上に着いて最初に目に入ったのは、洞窟だった。
大きい。
入り口は俺の背丈の3倍はある。
「良かった。やっぱり天使だったんだ」
そして、その入り口の前に1人男がいた。
さっき手を振っていた人だ。
「君たち、気分とかは大丈夫かい?」
「はい、まぁ。ところで、あなたは?」
「いや、そんなことよりも、早く奥に行こう。説明は追々する」
彼に連れられ、俺とシュゼは洞窟の奥へ歩き出した。
▶▷▶▷▶▷
洞窟の奥は行き止まりだった。
ように見えたが、よく見ると穴があった。
しゃがまないと通れないような穴だ。
そして、石の後ろに続く穴を、彼の後ろをついて行く形でくぐる。
くぐった先にあったのは、集落だった。
岩に囲まれた集落。
この集落の説明は聞いた。
ここは、悪魔から身を潜めるために天使が集まった集落。
30人弱の天使がいるそうだ。
そして、そもそも"ここ"は何なのか。
ここは『魔裏界』という世界らしい。
天世界の裏側。
悪魔の住まう世界だ。
怠惰級だってわんさかいる。
そんな魔裏界で、彼らは細々と生きているそうだ。
では、そもそも何故こんな世界に彼らは来てしまったのか。
ざっくり言うと、誘拐だ。
大体460年ほど前に、多くの天使が一斉に行方不明になった事件があったらしい。
その当時、魔裏界に連れてこられた天使が今ここに住む彼らの先祖なのだ。
そこから何十年も掛け、先祖たちは世代を越えて働いた。
そしてついに、先祖たちは課せられた仕事を終えた。
労働を終えたとき、生き残っていたのは、連れてこられたときの1/10にも満たない人数のみ。
先祖たちは用済みだと殺されると思っていた。
が、違った。
ここら一帯を支配する嫉妬級の悪魔が、その場の気分で解放したのだ。
『放っとけば死ぬ』とでも思っていたのだろう。
その後この洞窟を見つけ、ひっそり生き永らえているのだそうだ。
「―――じゃあ、お前らは天世界のことを何も知らねーのか」
ずっと黙っていたシュゼがようやく口を開いた。
そうだ。
彼らの先祖が誘拐され、そのまま帰らず、いや、帰れずにここで生きてきた。
つまり、彼らは生まれたときからこの洞窟にいる。
天世界を見たことはない。
「あぁ、そうだね。でも、時々ガルファム様がお話しくださるんだ、天世界のこと。だから幾分マシさ」
「ガルファムさま?」
「彼はこの集落の長だよ。長命種だから、誘拐事件のときから生きてるんだ」
「そうなんですか」
歩きながら、周囲を見回してみる。
大人の目は、どこか悲しげだ。
悲壮感というか、何というか。
笑顔も暗い。
子供たちは無邪気にも笑っていた。
岩の形などを活かして遊んでる。
「......あの子達も、ここで生まれた身さ。天世界のことは、おとぎ話として聞かせている」
そのおとぎ話が現実であり、その現実に手が届かないことも、いつか知るのだろう。
そのまま、集落の1番奥に着いた。
「ここだよ。ガルファム様の家だ」
この集落の中でも、ひと際大きなドアがあった。
彼は1つ深呼吸をし、ノックした。
「入れ」
中から低い声がした。
▶▷▶▷▶▷
中では、1人の男が数人の女に囲まれながら、あぐらで鎮座していた。
男の印象、ひと言で言うと、屈強。
服に隠れていてもハッキリ分かるほど、筋肉がある。
短く切った白髪。
その下には、彫り深い威厳ある顔があった。
「何だ、そいつらは?」
ガルファムは、俺たちを見て言った。
「はい。見張りについていましたら、この者共を見つけました。2人とも、天使です」
「確証はあるのか?」
「森の一部が光り、光が治まると、そこに彼らが倒れていました。恐らく、天魔界鏡を割ってしまったのだと考えます」
「ふむ......」
ガルファムは女たちに目配せした。
女たちは合図を受け取ると、そそくさと部屋を去っていった。
「そいつらに、どこまで話してある?」
「ここが魔裏界という場所であること、我々の先祖が誘拐事件の被害者であること。この2つが主なものです」
「そうか......」
ガルファムは悩むようなポーズをとり、目をつむった。
そしてひと言。
「分かった、あとは任せろ。お前は去れ」
「はい」
男は言われた通り、入ってきたドアから去った。
▶▷▶▷▶▷
「自己紹介が遅れた。俺はガルファム。この集落の長を務める者だ」
「は、はい。俺はアルタです」
「シュゼだ」
何だろう。
体が少し震えている気がする。
ガルファムの鋭い眼光が俺を貫いているからか。
正直、威厳や威圧感だけなら、生命神よりある気がする。
「そうか、ではお前らに問おう。......何をしたい?」
「それは、どういう......」
「この魔裏界で何をしたい?」
ガルファムは続ける。
「あいつから聞いただろうが、ここ魔裏界は悪魔に溢れている。1年ほど前にも、嫉妬級の悪魔共がこの上を飛び去っていった」
1年前......
神殿が襲撃に遭ったという年だ。
そういえば、その襲撃者は嫉妬級だと言う。
天魔界鏡を割れば、天世界と魔裏界を渡れる。
そしてあの時、神殿は嫉妬級の脅威は去ったと言った。
だが『倒した』とか『殺した』とかは言っていない。
......まさか。
と思ったとき、シュゼが口を開いた。
「復讐したい」
「ほう?」
「1年前、天世界に嫉妬級の悪魔が来たんだ」
唖然とする俺など眼中に無いように、シュゼは続ける。
「多分、同じやつだろ。せっかく来れたんなら......そいつ、ぶっ殺してやりたい」
シュゼの目は真剣そのものだ。
嘘偽りない、本気の目。
復讐、か。
当然、ヌィンダのことだろう。
その気持ちは分かる。
俺だって、ヌィンダを殺した悪魔は憎い。
だが、それだけだ。
憎いが、殺したい、復讐したいとは感じない。
復讐というものから、距離を置こうとしている。
だからと言って、シュゼの復讐を止めるつもりはないが......協力は、もしかしたら出来ないかもしれない。
「そうか......いい心だ。お前は?」
ガルファムの目が俺に向いた。
俺は、ここで何をしたいか。
......。
............。
......そんなもの無い。
帰りたい、天世界に。
ミーヴの待つ、あの場所に。
あの家に。
「ありません。帰りたい、ただそれだけです」
「ふむ......」
ガルファムはまた黙った。
黙り、ため息を1つついた。
そして呟いた。
「そんなやつが前もいた」
▶▷▶▷▶▷
「そいつは、ガキのくせして飛ぶことができた。俺ですらできないのにな。だが、それが傲りに繋がった。
そいつは忠告も聞かず出ていった」
外では子どもたちが遊んでいる。
足が岩を蹴る音が不規則に聞こえてくる。
「思えば、奴も天魔界鏡を割ってここへ来たのだったな......」
ガキのくせして飛ぶことができる......
そういえば、ミーヴをいじめていたあのクソガキ。
あいつも飛ぶことができていた。
まさか、あいつか?
天世界は広い。
もしかしたらあいつ以外の奴かもしれないが、少なくとも俺の知る範囲なら、神官天使以外で飛べるやつはあいつしかいない。
......そうか。
あいつに才能があったのか。
「―――何が言いてんだよ」
シュゼが食って掛かった。
シュゼが復讐したいと言ったのは、その後帰るつもりで言ったのだろう。
だが、ガルファムは魔裏界で一生を過ごすつもりで言ったのだ。
前提が違った。
シュゼがわずかに殺気を漏らしている。
しかしガルファムは微動だにせず、あぐらの姿勢を崩そうとしない。
「ふん。どうせ帰ることはできないということだ」
素っ気ない言葉が、部屋に満ちた。