第38話 息子
そして3人は家に着いた。
広い家である。領主の屋敷などには及ばないが、間違いなく広い部類に入る。
門をくぐり、庭を通る。
庭の半分に差し掛かったところで、ザルトは足を止めた。
「ここで待ってろ」
それだけ言い残し、ザルトは1人で歩いて行った。
「―――シュゼ、お前は何故父親が嫌いなんだ?」
ヌィンダがそう言うと、シュゼの青い目が鋭くなった。
「化天流ってクソ流派を無理やり押し付けやがるんだよ。あんなもん無くてもいい」
「......そうか。それはどんな流派なんだ?」
「後手に回る防御主体の流派」
「あー、なるほど......」
ヌィンダはシュゼの気の内を察した。
シュゼは常に先手を狙いたがる。
化天流という体に合わない流派の修行を強いるザルトを嫌い、家を飛び出して来たのだ。
「お前は男として育てられたらしいしな。それも嫌う理由か?」
「いやそれは別に」
(そうなのか......)
ヌィンダがそう考えていると、ザルトが家から出てきた。
2本の木刀を持っている。
シュゼの元まで歩き、木刀の片方を前に投げ捨てた。
「拾え、シュゼ」
「......」
シュゼは黙って拾った。
ザルトとシュゼの間に距離が置かれる。
ザルトは構えた。
剣の持ち手を後ろに上げ、腰を低く構えた。
対するシュゼの構えは緩い。
アルタやヌィンダと戦うときよりも詰めが甘い。
『お前など適当な構えでも倒せる』という気持ちが現れていた。
「では、私が開始の合図をしよう」
ヌィンダは庭の端に移動した。
「......」
「......」
2人の視線が絡み合う。
シュゼは殺気を放っている。隠す気もない。
ザルトはそんなシュゼの殺気を感じ、タイミングを推し測っていた。
「よーい......始め!」
シュン!
(......は?)
ザルトは何が起きたのか分からなかった。
自分は確かに、化天流の構えをとっていた。
相手、シュゼに対する神経を集中させ、何が起きようと見逃さずに攻撃を受け流す準備ができていた。
しかし、シュゼは消えた。
それを認識できたとき、自身の首に木刀が当たっていることも同時に認識していた。
ザルトの意識は数瞬で沈んだ。
シュゼが木刀を投げ捨てた。
その顔が逆光で暗くなる。
「ほら、化天流なんて極めなくても強くなれんだよ。分かったらもうオレに関わんな」
シュゼは乱雑に歩いて門をくぐり、この場を去った。
▶▷▶▷▶▷
―ザルト―
日が沈み切った夜、俺は自宅で目を覚ました。
「ぁん......? 俺は確か......痛っ」
ソファに眠る自分の体を起こし、首に包帯が巻かれていることに気付いた。
部屋を見回すと、椅子に誰か座っていた。
茶髪に白髪が混ざった初老の女。
シュゼの師匠を名乗るあの女が椅子で眠っていた。
「そうだった。俺はシュゼに......くそっ」
呟きながら首を押さえる。
まだ痛い。
シュゼが木刀を当てたところだ。
状況を見るに、この女が巻いたのか?
いやそれはともかく、シュゼはどこだ?
昔から通っていた店でシュゼを見つけた。
化天流をマスターしていた息子が死んだ。
ということは、化天流をマスターしていないシュゼならどこかで死んでいると思っていた。
だが生きてるなら話は違う。俺はシュゼに化天流を教えなければいけない。
ある日路地裏で子供を見つけた。
息子と同じく、剣の才能を感じた。
息子と同じく、金色の髪をしていた。
息子と同じく、青いつり目を持っていた。
そしてさらにその子供は孤児で、親がいなくて路頭に迷っていた。
奇跡だと思った。
だから拾った。
残念ながら性別は女だったが、男として育てた。
腰まで伸びていたボサボサの髪は切った。
名前も、息子と同じようにシュゼと付けた。
性格も、息子と同じようになるよう、育てた。
幸い元々根本的な部分は似ていた。
その甲斐あって、シュゼはかつての息子のようになった。
最も肝心な、化天流だけを除いて。
シュゼは化天流を覚えようとしなかった。
俺が教える度、息子から遠退いていった。
あれさえ。
あれさえ覚えてくれれば、シュゼは息子になってくれる。
完成する。
かつての息子が復活する。
だから教えなければならない。
「......」
なんとなく、もう1度部屋を見回した。
そういえばシュゼがいない。
この部屋には俺とこの女しかいない。
また出ていったのか?
なら追い掛けるか?
いや、この女を放置しておく訳にもいかない。
自宅に知らない女を1人残しておくなど、できる訳ない。
くそっ、そもそも何なんだコイツは。
シュゼの師匠だ?
違う。
シュゼの師匠は俺だ。
俺がシュゼに化天流を教える。
というか、コイツなんじゃないか?
シュゼの先手を狙う癖を促進させたのは。
そう思うと、途端に心の奥から何かが涌き出てきた。
殺意だ。
そうだ、コイツがやったに違いない。
俺の理想からシュゼを遠退かせた。
シュゼを理想の逆へ誘った。
ふと、机の上のダガーに目が留まった。
俺は吸い寄せられるようにそれを手に取った。
ダガーを鞘から抜き、銀色の刃があらわになる。
これを......コイツの......喉元に......
コツ、コツ、コツ
ダガーを、振り下ろした。
「―――早まるな」
後ろから声がした。
女は椅子から消えていた。
振り向くと、窓の外を見る女がいた。
「途中から起きていたが、お前の哀愁が漂っていた。私で良ければ、話してみないか?」
「何を......」
ダガーを振りかざして踏み出そうとしたが、できなかった。
見えない何かに阻まれてる様だった。
「私は2000年生きた長命種だ。何か助けになれるかもしれん」
ようやく気付いた。
俺は今、人を殺そうとした。
それを自覚した瞬間、体から力が抜けた。
さっき女が座っていた椅子に、俺の体が落ちた。
「分かった、話そう」
声は震えていた。
▶▷▶▷▶▷
俺は全て話した。
かつての息子に化天流を教えていたこと。
その息子が死んだこと。
シュゼを養子にとったこと。
息子と同じように育てたこと。
見た目も性格も息子と同じように育ったこと。
だが化天流だけはどうしても覚えようとしないこと。
女は相槌もせず、こちらを一瞥することもなく、窓の外を見ていた。
本当に聞いているのか疑問に思うこともあったが、言葉はスラスラ出た。
そして女はこちらを向き、言った。
「お前にとって、シュゼは何なんだ?」
「......は?」
シュゼは、俺にとって何か?
そりゃあ、息子だ。
「......息子だ」
「お前の息子は死んだ」
「......」
心の底から何か芽生えてくる。
初めは怒りかと思ったが、違う。
怒りと言うにはあまりにも力無い、脱力感に苛まれる。
これは、もの悲しさだ。
「シュゼは、俺の息子だ」
「違う」
女は俺の言葉を真っ向から否定した。
「お前が養子にとった以上、お前はシュゼの父親だし、シュゼはお前の娘だ」
俺が女を睨んでも、女はそれを気にする素振りも見せない。
いや、睨めていない。
睨むような力が顔に入らない。
「お前たちは家族だ。家族の方針に私が首を突っ込むつもりはない」
「なら―――」
「だが、死んだ息子とシュゼは別人だ」
一段と強い口調で遮られた。
俺は心臓が締め付けられた気がした。
そして黙った。
「どれだけシュゼを息子に似せようと、息子は帰ってこないし、シュゼが息子になることもない」
「......」
「それとも、シュゼが化天流を覚えたら、息子と同じ存在ができるのか? お前の息子は替えが利く存在なのか?」
替えが利く。
替えが、利く。
シュゼに化天流を覚えさせたら、息子になる。
本当にそうか?
シュゼは息子と同じような存在だ。
金髪で、青い瞳を持った、血気盛んな天使。
シュゼが化天流を覚えたらどうなる。
俺に真っ白な歯を見せながら化天流を練習してくれた息子のように、接してくれるのか?
......否。
今だって関係は最悪だ。
どうやっても、昔のあの日々は作れない。
「お前が化天流を覚えさせるまで、シュゼはお前の息子を演じてくれると思うのか?」
女の言葉の1つ1つが耳を通る。
耳を通り、脳内で何度も復唱されて染み込んで行く。
『お前の息子を演じてくれると思うのか?』
俺がどうやっても。
俺がどんなに頑張っても。
どんなに近づけても、シュゼと息子は同一にはならない。
その事実が、俺の胸にストンと落ちた。
今まで否定し続けていた、忌々しく思っていた事実は、あまりにも小さく簡単なものだった。
「......まぁお前とは違うが、私もシュゼにはその化天流を覚えて欲しいと思っている」
女の口から意外な言葉が出てきた。
呆気にとられる俺を気にすることもなく、女は続ける。
「最近、シュゼは自信過剰気味だ。攻撃の手は強いが、防御は薄い。その化天流というのを覚えてくれたらいいんだがな......」
女はこちらを向き直った。
それと同時、月明かりが女の顔を照らした。
静かな目だったが、冷たくはなかった。
強い者の目だった。
「だから私が説得してみようと思うんだ。明日か、遅くとも明後日には連れて来ようと思う。じゃあな」
「ま、待ってくれ!」
窓から飛び降りようとする女を、気づけば止めていた。
「名前を聞かせてくれ......」
口が勝手に動いたのだろうか。
そんなことを聞いた。
他にも言うべきことはあったはずなのに。
「ヌィンダだ」
女―――ヌィンダはいつの間にか飛び降りていた。