第30話 少年
「―――俺はお前たちを殺したことを後悔している。お前の父、お前自身。殺す必要の無いお前たちを殺したことを悔やみ続けた」
―――奴の話は長い。
もうどれほど経っているのだろう。
この場所は岩陰に隠れていて、日が当たらない。
薄暗い空はより暗く曇っていた。
奴の言葉は淡々としていた。
1文字1文字に沈み込むような重さがあった。
「本当に......すまなかった......」
奴の言葉の意味が、しばらく分からなかった。
謝罪だろうか。
俺と、俺の父さんへの謝罪。
母さんへの謝罪は無い。
「本当に......本......に......」
母さんへの謝罪は無い。
そのせいだろうか。
俺の体は動いた。
溜まり続けた力が一気に放出され、轟音を立てて奴の目の前に迫った。
「......」
俺は拳を固めた。
拳にはかつてない力が籠り、魂気が全て集中し、
全力の拳が完成した。
......。
............。
..................。
しかし奴を殴ることはできなかった。
奴の顔の目の前で止まってしまった。
奴は動かなかった。
俺の攻撃に反応しなかった。
反応できなかった。
奴は無音だった。
呼吸音も、鼓動音の1つも聞こえなかった。
奴は死んでいた。
▶▷▶▷▶▷
奴が死んでから時間が経った。
俺は座っていた。
冷たい灰色の地面に座っていた。
何もしていなかった。
ただ座っていた。
目の前には奴の死体がある。
憎たらしい顔がピクリと動くこともなく空を見上げている。
「......」
言葉が出てこない。
頭の中で色んな思考が沸き出てくる。
沸き出た考えはどこか遠くに飛んでいき、また同じような考えが沸き出てくる。
涙は出ない。力も出ない。
出るのはため息だけだ。
「はぁ......」
どうしてこんなにも気持ちが晴れない。
奴に復讐できなかったから?
俺が殺す前に死んだから?
修行に意味が無くなったから?
母さんへの謝罪だけ無かったから?
......違う。
俺がコイツより劣ったからだ。
コイツは俺と同じような境遇に遭った。
普通に生きていて、突然やって来た殺戮に家族を奪われた。
それからはどうだろう。
コイツはひたすら修行したと言った。
外との繋がりも全て絶ち切ったと言った。
挫折を味わっても、その度に心を持ち直したと言った。
平坦で重い言葉で言っていた。
対する俺はどうだった。
コイツのように、血の滲む修行したか?
外との関わりを絶ってでも強さを追い求めたか?
挫折を味わい、立ち直ったか?
否。俺は相応の努力などしていなかった。
そもそも、俺はコイツに勝てたか?
当然無理だ。俺はまだコイツより弱い。
そのくせ、冷静に考えることもせずに追った。
コイツが俺たちを殺したことを後悔していなかったらどうだった?
コイツが完全に非情だったら、残酷だったらどうだった?
当然、もう1度殺されただろう。
俺が今生きてるのはコイツのおかげだ。
コイツのおかげで俺の命が繋がっている。
家族の仇のおかげで生きている。
屈辱か、羞恥か、苛立ちか、呆れか。
とても言葉で言い表せない感覚に襲われた。
「―――あ、見つけた! アルタ!」
声がした。ミーヴのだ。
後ろから2人分の足音が近付いてくる。
ミーヴとシュゼが来たのが分かった。
「アルタ、大丈―――アルタ?」
ミーヴが俺の前にしゃがんだ。
「どうしたんだ? アルタ」
シュゼはまだ後ろに立っている。
2人とも不思議そうに俺を見つめてる。
次に奴の死体を見た。
俺と奴を往復して見ていた。
2人とも、しばらく黙っていた。
何か言っていた気がしたが、分からなかった。
「アルタ、立てる? 一緒に帰ろ?」
それだけは聞こえた。
▶▷▶▷▶▷
寒かった。
歩く道の感覚は無機質だった。
歩いているのが自分の意思じゃないようだった。
ミーヴは黙っていた。
シュゼも黙っていた。
俺を見て、何かあったことを察してくれていた様子だった。
廃鉱まで来た。
相変わらず誰もいない。
闇に包まれたトロッコたちが俺を見つめてるように感じた。
ルデンと共に潜った穴を、3人でまた潜った。
鉱山も静かだった。
昼間に聞いた岩を掘る音は欠片もない。
線路の横を歩く。
躓いたら2人とも手を差しのべてくれた。
寒かったから、その手は冷たかった。
鉱山の入り口にはルデンがいた。
ずっと待っていてくれたらしい。
ルデンはサトゥーアまで着いてきてくれた。
その間、全員黙っていた。
サトゥーアに着いた頃にはもう夜だった。
▶▷▶▷▶▷
小屋まで帰って来た。
シュゼはいない。
ギルドに依頼の報酬を貰いに行った。
ヌィンダもいない。
多分またカジノだ。どうせ減らしてくる。
「アルタ、大丈夫? 気分は悪くない?」
2人きりの小屋に隣に座ったミーヴの声が響く。
「あぁ......」
何か答えようとしても、そんは曖昧な答えしか出てこない。
「......無理にとは言わないから、さ。何があったのか、教えてくれる?」
ミーヴの声は気遣いと優しさに溢れていた。
俺の心を包み込んでくれた。
「俺は......」
「うん」
それから俺は全て話した。
俺がアイツに殺されたところから、この半年のことを全て。
話し始めれば、あとは簡単だった。
▶▷▶▷▶▷
全部話し終わった。
正直言って、ちゃんと話せてはなかったと思う。
所々で話が飛んだりもしたし、分かりずらかったはずだ。
でも、ミーヴは俺の話をじっくり聞いてくれた。
時々コクリと頷いて、話が止まっても催促することは無かった。
話し終わったとき、胸の内が少し晴れた気がした。
「......そっか」
ミーヴはしばらく黙っていた。
隣を見ると、悲しそうな顔をしていた。
「その......お父さんとお母さんは......残念、だったね......」
「あぁ......」
ミーヴが手を握ってくれた。
まだ冷たいけど、温もりを取り戻してきている。
「私はお父さんもお母さんも生きてるから、
アルタの気持ちは分からない」
「......」
そりゃそうだ。
分かって貰おうとも思わない。
ミーヴがこんな気持ちを分かる必要は無い。
バルシーもナリアも、元気だ。
しばらく会ってないけど、根拠も無いけど、あの村で元気に暮らしてると思う。
「でも......ね......えっと......」
その先はしばらく聞けなかった。
ミーヴは喉元まで出た言葉がすぐに引っ込んでいたようだった。
「......今から言うこと、気に食わなかったら、すぐに止めてね」
ミーヴはそう前置きして話し始めた。
「私はアルタと出会えて嬉しいの」
ミーヴはいつにも増して真面目な表情でぽつぽつと言った。
「アルタがどこかに籠って修行してたら、私はずっとあの村で心を閉じたまま生きてた」
「......」
「アルタと会えなかったら、ずっと羽が無いことを恥じてた。自分を隠し続けてた」
ミーヴの言葉はそこで途切れた。
横を見ると、ミーヴの頬を伝う涙が、ろうそくの火で光っていた。
輝く涙は俺を惹き付けた。
目が離せなかった。
そして、ミーヴは俺に抱きついて来た。
「ミーヴ......?」
「今のアルタがいるから、今の私がいるの。私はアルタに感謝してるの」
ミーヴは絞り出すように言ってくれた。
必死さが伝わってきた。
俺を励まそうとしてくれている必死さが。
「......ミーヴ」
俺もミーヴを抱き締めた。
目が熱くなった。
「うっ......ひっく......」
俺の目から涙が垂れた。
呼吸も荒くなるのを感じた。
ミーヴの体は温かかった。
心臓の鼓動音が聞こえた。
トクッ、トクッ、と小さく、はっきり。
その音はだんだん早くなっていった。
そしてミーヴは顔を上げた。
顔は赤かった。
涙は目から頬に、頬から顎に伝わり、落ちた。
ミーヴは俺の目を見て言った。
「私は......アルタが好きです......」
理解するのに時間が掛かった。
好き、と言ったか? 俺を?
しかしミーヴは俺が理解する前に続けた。
「転生なんて、してほしくないです。天世界で一緒に暮らしたいです」
少し早口だった。
今はミーヴの心臓の鼓動音は聞こえない。
でも多分、さっきより早く鳴っている気がする。
「付き合って頂けますか?」
ミーヴはその緑色の目を離さなず言った。
まっすぐ、真剣な目で俺を見ていた。
顔はますます赤くなっていたけど、視線は絶対にずれなかった。
可憐な、恋する少女の顔が、そこにあった。
俺は復讐に走りきれていなかった。
全て捨ててまで強さを求めたりしなかった。
でもそれで。
そのおかげで、ミーヴは己を隠さないきっかけができた。
そもそも、なんで転生したかったんだっけ。
確か、理不尽に殺された父さんと母さんの代わりに、俺だけでもと思ってのことだ。
でもそんな必要無い。
俺が俺として生きている内に、関わりができた。
俺を消して、来世に託すことなんて無い。
俺の心臓が脈打っているのを感じる。
顔も熱くなる。
自分の涙を拭き、改めてミーヴと向き合った。
俺が見つめ、俺を見つめるミーヴは可愛かった。
青い髪に緑のメッシュ。
凛とした目は動かず、口は少し力が入って絞まっている。
いつまでも待たせちゃ悪いな。
「よろしくお願いします」
ミーヴは目を見開き、閉じ、開けた。
嬉しそうだった。
俺の涙はもう止まっていた。
俺は復讐はできなかった。
復讐のためにするべきことができなかった。
していなかった。
これについて思うところはあるし、今後とも忘れちゃいけないと思う。
でも、そのおかげで色んな人と出会えた。
するべき努力をしなかったこと。
それがミーヴたちとの出会いに繋がった。
今はそう考えておこう。
~転生できない少年は天世界で生きてみる~