第29話 家族殺しの天使
かつて、1人の天使がいた。
彼は子供であった。
朝起きると家族と朝食をとり、1日が始まっていた。
生まれ育った村で生きていた。
彼は人生が楽しかった。
父親が仕事に出向く間、母親の手伝い、遊んだりしていた。
母親は優しかった。
彼に嬉しいことがあったときも、彼が怪我をしたときも、微笑みと暖かい言葉を投げ掛けてくれた。
父親は厳しかった。
しかし全ては優しさの下の行動だった。
彼もそれは理解していた。
彼は父親を尊敬し、父親に認められることを目標にしていた。
しかしその女は突然現れた。
女は家に入ってきた。
女は村の者ではなかった。
虚ろな目。薄汚れた布を纒い、ボサボサの髪は恐ろしさすら感じた。
母親は女に近づいた。
優しく暖かい笑みを浮かべら、女に話し掛けた。
しかし女は何も言わなかった。
生気の無い目が母親を貫いていた。
父親も母親も、そして彼もまた気づいていなかった。
女がナイフを持っていたことを。
女はナイフを刺した。
そこに迷いは無かった。虚ろな目が見開かれることも無く、血に染まった腕が停止することも無く、何度も何度も刺した。
父親も彼も、あまりに突然のことにしばらく呆然としていた。
しかし父親は我に返った。
ナイフから垂れ落ちた血の音を聞いたからだ。
父親は女に掴み掛かろうとした。
しかし女は父親の手をくぐり抜け、その赤いナイフを刺した。
父親の胸に穴が空いた。
女は虚ろな目を彼に向けた。
殺戮を身に宿し、濃密でべっとりした殺気が放たれていた。
彼は何もできなかった。
後退りも、逃げることも、叫ぶことも、怒ることも、泣くことも、できなかった。
気づけば彼の胸にナイフが突き立てられていた。
胸が熱くなった。無論恋ではない。
彼を見下ろし、息もつかず声も発さず立つ女の前で、床に広がる血溜まりに頭を浸けていた。
そして女は嵐のように去った。
彼は激痛に苦しみながら体を起こした。
胸にナイフは刺さったままだった。
張り裂けそうな体を動かし、父親と母親に触れた。
両親の体は、二度と動かなかった。
彼の力は抜けた。
膝から崩れ落ち、両親の体の上に転がった。
彼の意識は遠のいていった。
視界が暗くなって行く中、両親の体の冷たさが強く感じられた。
そして意識が消える寸前、声が聞こえた。
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彼は生き延びた。
創造神の気まぐれによって助けられた。
創られた薬により、命を救われた。
創造神は事の顛末を話してくれた。
傲慢級の悪魔と思わしき気配を確認しに来たら、彼と父親と母親を見つけたとのことだった。
しかし彼にとってそれはどうでもよいことだった。
創造神は父親と母親は間に合わなかったことを伝えた。
自分が見つけたときにはこと切れていたとのことだった。
創造神の言葉に、彼の目から涙が溢れ出した。
創造神は埋葬を手伝ってくれた。
庭に穴を掘り、両親の体を運び、穴に丁寧に体を入れ、土をかけた。
その作業中、彼の手は何度も止まった。
溢れ出したのは涙だけではなかった。
女への憎しみが沸き続けた。
彼の目に、復讐が灯った。
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そして彼は修行した。
血のにじむ努力だった。
岩山に籠り、外との関わりも遮断し、ひたすら鍛えた。
挫折したこともあった。
だがその度に自分を奮い起たせた。
あの女の目。
殺しを何とも思わなかった目。
穴だらけになった両親。
それを思い出せば、折れた心を修復するのは容易であった。
そんな果てしなく長い修行の日々を送った。
彼の体は成長し、少年のものから大人の男のものとなった。
彼は長命種だった。おかげで彼の強さはかつて無いものとなり、神官天使をも凌ぐものになった。
そして彼は岩山を出た。
岩山は鉱山になっていたようだった。
しかし彼の存在により、岩山の奥は立ち入り禁止となり、無人であった。
彼は羽を出した。飛ぶためだ。
彼は飛んだ。
天世界の中央に在する、天世五魂神の神殿。
凄まじいスピードで向かい、神殿に直接降り立った。
メイドたちは彼を怪しんだが、創造神の神官天使、ガズラは彼を知っており、通した。
創造神は彼を覚えていなかったが、ガズラの話を聞き、思い出した。
人世界に続く水晶の使用を許可した。
そして彼は数多の人世界を行き来し、
376番世界、あの女のいる世界へ降り立った。
彼は女を見つけた。
彼は女を殺した。女はあの時とは変わっていた。
家族を持ち、幸せを味わっていた。
彼はそれを許さなかった。
自分の家族を奪っておきながら、女は家族と共に生活を送っている。
彼は女の家族もろとも殺した。
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彼は天世界に戻った。
彼は自分の住む小屋に戻った。
自分が長い長い時を修行したこの場所に、腰を下ろした。
腰を下ろしてから考えた。
復讐に意味はあったのかと。
復讐はあまりにもあっさりと終わった。
女には、あの時の圧倒的な恐怖は無かった。
ただ1つ、1人の母親の姿があった。
彼は悩んだ。
自分の復讐は正しかったのかと。
家族の平和な生活に踏み入り、殺した。
あの時の、全てを奪われた地獄を女に味あわせるため、女の家族も殺した。
それでは、かつての女と変わらないのではないか。
平和な家族を捻り潰し、命を奪った。
その考えが脳をよぎってから、彼は自分を追い詰めた。
修行を積んでいた時代にも感じたことの無い苦痛を感じた。
かつて恨んだ女の姿と自分の姿が重なった。
その時、長らく流すことの無かった、
女に家族を奪われた時すら流れなかった
涙が頬を伝った。




