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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

諦めなくていい未来を

作者: 影都 千虎

「ねえ、篠峰(しのみね)は呪いって信じてる?」


 体温を奪う一月の風に晒された手に息を吐きかけながら、彩宮(あやみや)刻斗(ときと)はほんのり笑みを浮かべつつ、いつもと変わらぬ調子で言った。

 ああ、まただ。

 またこの表情だ。

 一瞬でも目を離せば雪のように溶けて消えてしまいそうな儚い表情(かお)。穏やかで、一見全てを肯定してくれそうな優しい笑顔だが、本当は何もかもを諦めきったものだと俺は知っている。

 呪い。

 明日の天気でも聞くようにさらりと彩宮の口から出た言葉。彩宮は自分が何かに呪われた存在だと信じて疑わない。

 生まれてきたこと。今生きていること。これまでの出来事。これからの出来事。それら全てが呪われていて、そして何より自分自身を呪っている。


 俺が初めて彩宮刻斗という男の存在を知ったのは、大学の構内で偶然すれ違ったからだ。

 男女問わず人に囲まれた彩宮の最初の印象は『やたらと顔のいい派手な男』だった。事実、彩宮は大学内でも顔の良さで有名だったし、どこにいても目立っていた。彩宮の知らないところでファンクラブが出来上がっていた、なんて噂も耳にしたことがある。

俺はそれまでオーラとかいう目に見えないものを信じてはいなかったが、彩宮を見た瞬間信じざるを得なくなった。他の人間とは纏っている空気や存在感がどこか違う。なるほど、これがオーラというやつか、と彩宮を眺めて一人で納得したものだ。

 ともあれ。

 顔のいい、纏うオーラの違う、俺のような平々凡々とした人間が関わることは無いであろう存在。それが彩宮刻斗という男だった。

 そのはずだった。

 人生とは何が起こるか分からないもので、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降る日、ずぶ濡れで道端に佇んでいた彩宮に俺は遭遇してしまった。『遭遇』という表現がお似合いだったと思う。

 濡れて冷え切った身体は氷のように冷たくなっていたし、青白い肌はまるで幽霊のようだった。いつか見かけた、輝くようなオーラなど見る影もなく、一切の色彩を失っていたそれは生きている人間かどうかも怪しい出で立ちで、街灯のない薄暗い路地だったことも相まって遭遇した瞬間に思わず悲鳴を上げそうになったのはいい思い出だ。正直なところ、それが彩宮であると認識するにはそれなりの時間を要したと思う。

 このまま放置すれば恐らく死んでしまうであろう彩宮を見過ごすわけにもいかず、俺は少しも口を開こうとしない、その場から動こうともしない彩宮の手を無理やり引いて家に連れ帰って、とりあえず風呂に放り込んで身体を温めさせた。

 ほぼ死人のようだった彩宮が口を開いたのは、風呂から上げて髪を乾かして白湯を飲ませたしばらく後のことだったと思う。

 それが何かのきっかけになったのだろう。気づけば俺と彩宮は顔を合わせば他愛無いやり取りを交わし、時折こうして外をぶらつく仲になっていった。


「ふふ、ごめんね。また篠峰を困らせちゃった。なんでもないよ」


 俺の顔を見て何を思ったのか、彩宮は眉を下げてふわりと笑う。随分と痛々しい笑顔だ。

 まるで、「無理をしています」と悲鳴をあげていそうな、そんな。


「……なんでもないなんてことはないだろ」

「なんでもないよ。本当に」


 そんなことよりも、と彩宮は逃げるように視線を逸らす。そして偶々視界に入ったコンビニを指して「何か見てく?」なんて尋ねてくる。下手くそな誤魔化し方だ。

 こういう時の彩宮を見ていると無性に腹が立つ。

 どうしてかは分からない。否、理由なんかとっくに分かっているが、そうだとまだ俺が認めたくないだけ。表に出したくないだけ。そんなものを自覚したところで、どうすることもできないから。

 だから俺は、彩宮の下手くそな誤魔化しに付き合ってコンビニの中へと入ってやることにした。

 コンビニに行くと、彩宮は決まってスイーツコーナーに向かう。彩宮が甘いものに目が無いのはそれなりに知れた話で、スイーツ男子だとか甘いものが好きなところが可愛いだとかいって一部の女子ウケが良い。

 甘いものに目をやると、それまでくすんでいた瞳が輝きを取り戻す。どれを食べようか、どれも捨てがたいと何往復か並べられた商品を目で追い、やがて動きを止める。ああ、多分、これは。


「俺の家で食ってくか?」

「え?」

「食いたいんだろう? 寄ってけよ。なんなら奢ってやる」


 彩宮の口から諦めの言葉が出る前に先回りして、近くにあったカゴを一つ手に取って彩宮に差し出す。食べたいものをここに入れろ、と。こうでもしないと彩宮は諦めることを諦めてくれない。


「何々? 優しいね。急にどうした?」

「俺はいつだって優しいんだよ」

「あははは」


 なんだその笑いは、と軽くどついてみれば彩宮はおどけながら「じゃあホールケーキでも買ってもらおうかな」なんて言う。ああ、いつものようにじゃれ合う元気はあるらしい。なんて、俺は一体何を確認しているのやら。

 それに、ホールケーキなんて口では言いながら、彩宮が手に取ったのは商品棚の中で一番安価なプリンだ。確かに彩宮はプリンも好きだし、そのプリンが美味しいことも知っているが、今それを選んだ理由は純粋に食べたいからなどという理由ではなく、俺に遠慮したからである。

 こういうところだ。

 彩宮はいつもこうだ。

 何かに強制でもされているのか、自分の感情を抑え込み何もかもを諦めようとする。求めてもいいのだと選択肢を与えても、その中から最低を選び取る。本当はそうではないのに。そうしてはいけないのだと勝手に自分に呪いをかけて、勝手に自重して、勝手に抱え込む。こういった些細なことも、もっと重大なことも、何もかも全部。

 そういうところに腹が立つ。

 俺はそんな彩宮ほどお利口さんではないし、我慢ができるわけでもない。どちらかと言えば我儘な質だ。だから、ここは俺の我儘を行使してやろう。


「え、ちょっと、篠峰?」

「なんだ?」

「そんなに食べるの?」

「食いたいものだけ食って、余ったら彩宮が持って帰ってくれ」


 彩宮が視線で追っていたものを片っ端からカゴに突っ込んで、ついでにポテトチップスも一袋カゴに入れる。甘いものばかりじゃ飽きるだろうからな。

 戸惑いながらも俺を制止しようとする彩宮を振り切ると、俺はさっさとレジに向かって会計を済ませた。こうしてしまえば文句も言えまい。あとは大人しく食ってもらうだけだ。食ってもらわないと俺も困るしな。

 ここまでくれば、変なところで諦めの悪い彩宮も諦めて甘えるようになる。

 俺の家に着くと、彩宮は目をキラキラさせながらレジ袋の中から一つずつ買ったものを取り出して、どれを食べようか、どれから食べようかとしばらく悩んでいた。そうそう、そういう顔をしていたらいい。


 どうして彩宮がそうなのか、あの日、どうして今にも死にそうな顔であんなところに突っ立っていたのか、その理由を俺は断片的に聞いている。だからこそ、余計に腹が立って仕方なかった。

 幸せそうにザッハトルテを口に運ぶ彩宮を見て思う。

 その触れたら崩れてしまいそうな華奢な身体で、今までどんな痛みに耐えてきたのか分からない。俺にはそれがどんな苦しみを伴うものなのか、想像すらつかない。誰もが思い描く平凡な幸せな未来を何もかも全て諦めてしまうようになるまで、何を経験し何を思ったのかなんて俺には知る由もない。

 知らないから思えるのだろう。

 もっと早くに出会えていれば、そこにいたのが俺だったなら。彩宮にそんな思いをさせることはなかった。何もかもを諦めさせることはなかった。

 何の根拠もない、過剰な自信が行き場のない怒りとなって俺の脳裏を過る。

 まさか自分がこうなるとは思いもよらなかった。彩宮に遭遇してからというもの、随分と変わったものだ。彩宮だからこそ影響を受けて、変わったのだろうが。だがまあ、こんな変化も悪くない。

 とはいえ、自分でも意外だったのは、俺がこんなにも誰かに対して激しい感情を抱けるという事実だ。実際、彩宮のあの痛々しい笑顔を見るたびに、余計なことなんて考えられなくなってしまうよう、取り繕ったものを全てぶち壊してしまえるよう、ぐちゃぐちゃになるまで抱き崩してしまいたいとすら思っている自分がいるのだ。

 こうして、些細なことで時折見せる幸せそうな表情(かお)を見て、早く俺のものになってしまえばいいのにと思うのだ。


「…………え?」

「え?」


 不意に、彩宮と目が合った。

 ザッハトルテを食べようとしていた手が中途半端な位置で止まり、口を半開きにしたまま驚きを隠せない瞳が俺を見つめている。その顔は、見る見るうちに赤みを帯びていった。

 あ、しくじった。

 何を口走ったのか分からない。多分、頭の中にあった言葉が知らぬ間に口から出ていたのだろう。どこから口に出したのか、どこから彩宮が聞いたのかは分からない。こんなところで、こんな形で聞かせたくはなかったのに。

後悔と焦りが嫌な汗となってぶわっと噴き出たのがよく分かった。最悪だ。


「あ、彩宮、今のは──」


 どうにか弁明しなくては。少なくとも今だけを乗り切る言い訳を考えなくては。

 焦るばかりでポンコツな脳は何もいい言葉をひねり出してなどくれないが、せっかちな身体は勝手に動き出していて、立ち上がり彩宮を逃さまいと傍まで寄っていた。

 彩宮の綺麗な瞳に俺が映り込んでいるのが見える。

 ああ、こうやって彩宮の視界に俺だけ映っていたらいいのにな。

 って、そうではない。そうではなくって。


「あ、え、えっと……」


 彩宮は耳どころか首まで真っ赤にして、パクパクと口を動かしながら小さく呻いていた。

 人間とは不思議なもので、自分よりも感情が高ぶっている人をみると何故か冷静になる。焦りでパニックに陥っていた脳が次第に思考を取り戻していく。

 俺のトンデモ発言を聞いても尚、彩宮は俺から逃げようとしない。こうして距離を詰めた俺に対して嫌がるそぶりも見せない。それどころか……嬉しそう?

 これは、もしかして。

 もしかして、もしかすると、こればっかりは流石に駄目だろうと諦めていたが、諦めなくてもいいのか? そう、勘違いしてしまってもいいのか?

 そんな勘違いが許されるのなら、もうしばらく待っていよう。

 だから、俺が我慢できる内に早くこっちに来てくれないか。

 なあ、彩宮?

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