5話『動物の国とカバの宰相』
20人からの兵士一団が、雨でぬかるんだ街道を馬で進んでいる。
あの後私たちは動物の国、その王城へ向かって凱旋していたのだった。
「盗賊討伐?」
私は自分の恥ずかしさを隠すように質問をした。
雨上がりで湿度が高く蒸し暑いのだが、私の体が熱いのはそれだけが理由ではない。
「ああそうだ。逃げた首領を追いかけて打ち取ったはいいが、受けた矢傷で動けなくなってしまったんだ」
今現在、ジークリット王子と私は二人乗りで乗馬している。
私が前に乗り、その後ろに王子が乗る形で密着していたのだ。
(この人と、王子様と私はキスを……)
背中に彼のたくましい体が触れている上に、耳元で囁かれる声に私はもうどうにかなってしまいそうだ。
人間の頃であれば耳まで真っ赤だったろうが、幸い私の耳はもふもふの毛に覆われていて、その様子は後ろから判別できなかった。
「まったく、ご勘弁頂きたいですぞ王子。あなたを死なせたとあれば私達は極刑でした」
「……すまなかったな、焦ってしまったようだ」
周りの兵士たちにどやされる王子だが、和気あいあいという雰囲気ではなく一定の緊張感と距離を感じる。
若干、叱責というようなニュアンスを感じた。
王子といっても絶対的な立場ではないのだろうか。
「まぁ皆さんそんなに邪険になさらないで? 私、なんだか怖くなってしまいますわ」
「いやはやアンジェリカ嬢、あなたのおかげで本当に助かりましたぞ」
私の言葉を受けて、兵士たちの空気が少し和らぐ。
この時、ジークリット王子の口元が緩んだことに私は気が付かなかった。
(まったく、こいつには助けられてばかりだな)
「……あの坂を越えれば、そろそろ城下町が見えてくる」
石造りの門を越え、私達は動物の国、その城下町にやってきた。
通りには私達を喝さいで迎える人々で溢れかえっていた。
「ジークリット王子が帰られたぞ!」
「盗賊退治ご苦労様です!」
「キャー! ジーク様!」
「僕大きくなったら兵士になります!」
「あのウサギ女誰よ!?」
もちろん皆一様に獣人である。
イヌ、ネコ、トリ、爬虫類、様々な動物的特徴を持つ獣人たちが集まっていた。
「なんだか私安心しました、獣人といっても普通の人々と変わらない営みを送っているのですね」
「俺達にとってはツルツルの人間達の方が珍しいのだがな」
王子が苦笑したように告げた。
「まぁ、そうですよね。無礼な発言をお許しください」
「いや、構わない」
(こいつが人間の国からやってきたというのはどうやら本当のようだな、故に俺たちに対する反応も差別なく全て同じという訳か)
私達はそのまま獣人の国の王城へと向かう。
水路の上に架けられた跳ね橋を抜けると、そこは豪華な庭園だった。
白と黄色の花が咲き乱れ、シンメトリーになった庭の中央には噴水が虹を作っている。
その奥には王城と呼ぶにふさわしい、白いレンガで作られた優美で大きなお城が構えていた。
「なんて美しいのでしょう……」
私は夢物語で見たような、その幻想的な雰囲気にすっかり感じ入ってしまった。
一度馬小屋へ向かった後に兵士の皆さんと別れ、その後ジークリット王子に連れられて二人で入城する。
(なんだか実感が湧きません)
美しい意匠が入った正面扉を抜けると、やはり内装も例に洩れず豪奢であった。
豪華なシャンデリア、赤いじゅうたん、金の装飾が入った高級な調度品、どれもこれもが一級品。
そしてたくさんの使用人たち。
その皆々が私たちに向かって首を垂れている。
(絵本の中に出てくるような王城、素敵です! けれど……)
そこを私は破れたボロボロの麻の服で歩いていたのだ。
今更ながら場違いに気が付き、私は急に恥ずかしくなってしまう。
「あの、ジークリット様。私……こんな格好で、みすぼらしくて……」
「――は、傷に響く。あまり俺を笑わせないでくれ、お前は俺の命を救ったんだ。誰にもお前を馬鹿にはさせないさ」
ドキリと。
その言葉に私は心臓が破裂するかと思った、大真面目にそんな事を言われてしまったら私は、私は……
気持ちの濁流にのみ込まれ、私はただ縮こまり王子に付いて行くしかなかった。
(もう何がなんだか……この後私はどうなるのでしょう)
吹き抜けのホールから階段を上がり、その先にある広間に入場した。
そこは王の間と呼べるような広い空間で、直立した獣人の兵士たちがずらりと整列している。
奥には空の王座と、なんと頭から血を流しているカバの獣人が佇んでいた。
「ジークリット・シュティーア、ただいま帰城した」
「おお、ジークリット王子! 行方不明になったと聞いて心配しましたぞ! 大事な御身、どうかご自愛くださいませ」
カバの獣人はハンカチであふれ出る頭の血を拭いている。
私は、皆がその事に無反応で驚いてしまう。
(あの方……頭から血を……? でも皆さん平然としてらっしゃる……?)
「皆には心配かけたな、でもこの通り俺は生きている。この娘によってな」
突如話題の中心に呼ばれた私は心の準備ができておらず、挨拶もままならないまま思っていた疑問を口にしてしまった。
「あの、頭から血が……大丈夫でしょうか?」
「――っぷ」
横でジークリット王子が吹き出した。
(ああ、やっぱり! この国では普通の事なのでしたか……!)
私はぎゅっと縮こまり、高級そうなカーペットを見つめながら赤面するしかなかった。
「どうやら報告にあったように人間の国からやってきた、というのは本当のようですな」
カバの獣人は呆れたかのように私を見た。
やれやれと言った様子で、王座の横にあった椅子にどっしりと腰かける。
「こういう奴だ。どうだ、面白いだろう?」
王子はからかうように私を見た。
ジークリット王子、いじわるです……
「はぁ~……なんだかどっと疲れましたぞ。私はこの国の宰相、ヒッポリーニと申します。これは血ではなく汗なのです。カバの獣人は赤い汗を流すのですよ」
疲れたように目をつぶりながら、ヒッポリーニ宰相は私に説明をした。
「それは大変なご無礼を……本当にどうお詫びを申し上げたらいいのか……」
私は跪き、平服するしかなかった。
冷や汗が私の背中をつたっていき、顔が青ざめていくのを感じる。
そんな私をみてジークリット王子は子供のように笑っていた。
(本当に楽しい奴だな、こいつは……顔を赤くしたり青くしたり、こんなに笑ったのは久しぶりかもしれない)
「……いいでしょう、人間の国で暮らしていたという事を考えれば無理もありません。むしろこちらがお礼を言いたい立場なのですよ」
そこから先は、小屋での流れを確認することになる。
聞いていた話の通り、盗賊討伐に王子自らが出兵して、という話であった。
「なんとも奇異な運命ですな、それではどうでしょう? 行く当てがないのであればこの城で働いてみては?」
「私が、このお城で?」
その言葉に私は驚き、思わず聞き返してしまった。
ここ2、3日驚くことばかりでこれ以上はないと思っていたが、まさかまさかである。
「今この城は次王選抜の真っ最中でしてな、詳しい話は後程。とにかく何かと人手が足らんのですよ」
「そんな私は……大したものでは……」
「だからこそですよ。聞いた話によるとあなたも元貴族令嬢なのでしょう?」
「はい、一応は……」
「最低限の作法、そして家事ができる。面倒な派閥にも所属していない。あなたは行く当てがなく、王子の命を救っていただいた礼もしなくてはならない」
私はまるで物語のような展開に胸が高まっていく。
まさか、こんな素敵なお城で私が働くなんて……!
こんなことがあっていいのでしょうか……
「聞いていますかな? とにかくそれでいかがですかな?」
「は、はい! 私でよければ是非! なんでもします!」
有頂天になった私は満面の笑みで答えた。
既に頭の中では、天国のような美しい花畑を走り回っている所だ。
「決まりだな、たまには顔を見に来てやる」
王子がニヤリと横目で私を見た。
ジークリット王子は兵士相手に見せた固い表情の他に、こういった茶目っ気もあるようだ。
(ジークリット王子……なんて素敵なんですか……!)
王子の二面性に、私は興奮してしまう。
そして胸の高鳴りは、それだけではない。
(ここから新しい生活が、始まるのですね!)
とんとん拍子で今、私の新生活が幕を開けた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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