22話『世界の中心』
「時間になりました。シリウス・ヘングスト王子が祝辞を申し上げます。皆さま、ご清聴ください!」
舞踏会の開始時間になり、折を見てシリウス王子がホールの中央で演説をしはじめた。
皆が静まり、期待と信頼を込めた視線を王子に向けている。
どうやらこの舞踏会は大規模な治水工事が一段落したということで、その祝賀会という趣のようだった。
(流石シリウス王子です。私と年齢が近いはずなのに、あの堂に入った佇まい。主催として大貴族として、これ以上の方はいらっしゃいません)
一人の人間、いや獣人として彼の器の大きさ、その度量というものを強く感じる。
エヘンと。なぜか私自身が誇らしくなってしまった。
シリウス王子は話の区切りで一呼吸置くと、ある話を切り出す。
「この事業を進める裏で、私を影ながら支えてくれた人物がいる。今日は皆に彼女を紹介したいのだ」
(えっ、まさかこの流れは……)
この後私は先ほどのシリウス王子が言い残していった、主賓という言葉の意味を知ることになる。
「アンジェリカ、こちらに来てくれ」
壁に控えていた私に、王子がにこやかに手を伸ばし指名したのである。
再び私に周囲の注目が……いや、会場全ての獣人たちが私を見ていたのだった。
(ひえぇ……どうしてどうして……)
私は情けない声を上げて、思わず逃げ出したくなる。
獣人の波が私と王子の間に道を作っていき、気が付くとそこには貴族たちのバージンロードが出来上がっていた。
「は、はぃ……」
口から出た泡のように消えそうな返事は、きっと誰にも聞こえなかっただろう。
私は緊張に肩を震わせながら足を必死に動かしていると、いつのまにか王子の前にたどり着いていた。
途中の記憶は一切ない、口の中はカラカラで、手足は冷え切っている。
「し、シリウス王子」
「そんな青ざめた顔をするな。胸を張って誇れ」
私の顔色をうかがいながらも、少し笑うとシリウス王子は私の手を取った。
その場で周囲の貴族たちに向けてゆっくりと回転しながら話しを続けていく。
「皆に紹介しよう。彼女はアンジェリカ、この城のメイドだ。私が気に病んでいた時に、彼女に救われた。そうだな……私にとっての救いの女神といった所か」
痛いくらいの奇異の目が、私に突き刺さっていく。
私は何もできず、何も考えられず、ただ石像のようにカチコチと固まる事しかできない。
「ただのメイドをこの場で……?」
「へーかわいいじゃないか」
「シリウス様らしい、能力重視の取り立てか」
「うらやましいですわぁ」
時間にして一瞬だったのだろうが、私にはそれが無限のように感じていた。
ハヤクオワッテ、ハヤクオワッテと。
時間に取り残された私を、どこか遠くで別の私が見つめているような、そんな感覚……
「アンジェリカ、皆にお辞儀を」
シリウス王子の言葉に、ついに私の時が進んでしまう。
頭が回らないまま、口から言葉がいつのまにか零れ落ちていく。
「あ、あ、皆さま……ご紹介にあずかりましたアンジェリカと申します。どうぞお見知りおきを」
私は一歩踏み出した。
スカートの端を持ち上げ、足をクロスさせ、お辞儀をした。
いわゆる跪礼であったのだが……
しかし、いまだどこか遠くにいた私は、自分の体のバランスをうまく保てなかったようで、
「あ……れ……」
私の体がいつの間にか、傾いていく。
地面がどんどん近づき、そこで初めて私は転んでしまった事に気が付いた。
(ああ、こんな場所で皆様に注目されている所で……アンジェリカ、本当にダメな娘です)
パシリと、私の体が抱きかかえられた音が会場に響き渡る。
気が付くと眼前にはシリウス王子の苦笑があった。
い、一体何が……?
「どうやらアンジェリカはダンスが待ちきれないらしい! 細かいことは抜きにして、始めようか今宵の舞踏会を」
シリウス王子が指をならすと、それに合わせてオーケストラのワルツ演奏が始まる。
そのままいつの間にかに、私はシリウス王子の腕の中で踊り始めていたのだった。
「シリウス王子……! 私こんな……ダメですっ」
「何をいまさら喚いているのだアンジェリカ、今宵の舞踏会はもう始まってしまったのだぞ?」
余裕の笑みで王子が語り掛けてくる。
舞踏会の流れとして、最初に一番地位の高い人物同士が踊り始め、その後に周囲が続くというものが一般的だった。
私の躓きという失敗を誰もが知りながらも、それをごまかすために王子に恥をかかせてしまったのだ。
「シリウス王子……」
「言っただろう? 今宵の主賓は貴様だと、私のパーティーで、私が貴様を選んだのだ。何も問題あるまい。それよりも今は楽しめ。中々無いぞ、この私と初めに踊れる機会などな」
「はぃぃ……」
私は王子にリードされる形でただクルクルと回っている。
周囲の貴族たちも最初は少し驚いていたようだが、少しずつ踊りの波が広がっていった。
ついに私達を中心に、舞踏会が始まってしまったのだった。
「どうだ? 今ここが、世界の中心だぞ」
貴族たちが、オーケストラが、会場が、そしてこの獣人の国という場所が、今は私たちの為にだけに存在している。
そんな甘い錯覚。
「私にはとても、勿体なすぎます」
感動と緊張で言葉を詰まらせながら、私は涙ぐんでしまう。
私にこんな幸せがあっていいのでしょうか。
「まったく、ころころと表情を変えるな。可笑しくなってしまうだろう」
「王子と踊れて、私は幸せです……!」
周囲の景色が輝いて、キラキラと黄金の時間が過ぎていく。
目の前にはシリウス王子の美顔。
楽しい……! 素敵です……! だからどうか、
(どうか神様、一秒でもこの時間を長く……)
しかしあっという間に夢のような王子とのダンスが終わり、次の演奏が始まってしまう。
ここでお役御免である。
「あ、おしまい……ですね」
コホン。
隣で咳払いが聞こえ、そちらを見ると壮年のヘビの女性がすまし顔で佇んでいる。
(この方が当初の……)
私はただひんしゅくして、頭を下げるしかなかった。
「アンジェリカ、また後程だ」
そう言いながらシリウス王子は彼女とダンスの大海原へと消えていった。
寂しいような、ほっとするような、私は大役目を終えてそそくさと壁際へと退散しようとしたのだが……
(ど、どうしてこんなことに……!?)
私の中では、今日はひたすら影に徹する予定だった。
王子と一言だけ挨拶した後は、いわゆる壁の花と呼ばれる方々、誘われ待ちの女性たちと一緒に壁に小さく咲いていればよかったはず。
ただこの場をやりすごしたい、私はそれでよかったのに、誰も誘わないでほしいと、それだけが願いだったのに。
「アンジェリカ嬢、私といかがですかな?」
なんとダンディなライオンの叔父様が、私をダンスに誘ったのだった。
そうだここは舞踏会、❝なんと❞などと言うことは無いのだ。
「あの……私はただのメイドで……」
「存じておりますぞ。あなたがあの鉄の王子をどう篭絡したのか、興味がありましてな。ぜひ」
有無を言わさぬ雰囲気で、私は見知らぬ叔父様とダンスを踊る事になってしまったのだ。
王子とはまた違う、ゆったりとした雰囲気で私はリードされながらもなんとか付いて行く。
ダンスなんて子供のころに少し練習したくらいだったので、私は必死だった。
なのにそれなのに、
「私と一曲いかがかな」
「アンジェリカ、僕とどうだい?」
「踊ろうではないか、アンジェリカ」
私は次々と殿方に誘われてしまうのだった。
話を聞くと、やはり皆さま私に興味津々で、私が何者なのかを知りたかったようだ。
最初はおどおどしていた私だったが、だんだんとこの流れに慣れてくると楽しくなってくる。
(私の人生、いや獣人生でここまで他人に、しかも地位のある方に興味を持たれるというのは少し悪くないかもしれません)
いつの間にか調子に乗って浮足立った私は、皆さまのお誘いと質問に答え続け、グルグルグルグルと回り続けた。
周囲の景色は眩いほどにキラキラと輝き、私は最高の舞踏会を過ごしてく。
「うふふ、楽しいです。舞踏会ってこんなにも素敵な場所だったのですね……!」
それからいくばくかの時間が経ち、私はいつの間にか疲れてしまうのだった。
流石に、次の方は断ろうと決めた矢先、
「アンジェリカ、いいか?」
「す、すみません私、もうずっと踊りっぱなしで……シリウス王子!?」
改めてシリウス王子が私に声をかけたのであった。
「私も踊り疲れてな。アンジェリカ、一緒に休憩しないか」
「分かりました、ぜひ……!」
いままで十分に夢の世界を堪能していたが、ここにきて王子のお誘いである。
疲れの吹き飛んだ私は、二つ返事で王子に付いて行った。
「わぁ! なんて素敵なんですか」
豪華なラウンジに、軽食と酒類が並べられ、ロウソクがロマンティックに揺れている。
先ほど王子は休憩と言ったが、どうやらこれは計算済みだったようだ。
「しかし、いいのでしょうか? 王子は主催ですからあまり長く外されると……」
「気にするな、もう挨拶周りは終わらせた。どうせ奴らは人の金で踊って飲み食いしたいだけなのだ」
王子は私に向き直ると、その整った顔で真剣に私を見つめた。
私の中からじわりと緊張感があふれ出す。
「それよりも、今はお前に時間を使いたい」
「は、はい……」
先ほどから嫌なくらい鼓動が高鳴っている。
どうか落ち着いて下さい、私の心臓……
「では改めて乾杯と行こうか」
「わ、私がやります!」
私は慌てて銘もわからないが、ただ高級品であることがわかるお酒をグラスに注いだ。
トクトクと注がれるお酒と共に、私の緊張感も注がれていった。
遠くでは舞踏会のクラシックが小さく鳴り響いている。
「「……」」
私たちは無言で見つめ合った。
二人きりの空間に私は耐えられず、恥ずかしさのあまり目線を逸らしてしまう。
「何を照れているのだ主賓、顔をよく見せろ」
いつかのように私のアゴを持ち上げると、王子は目を細めた。
期待感に私の胸が、張り裂けるくらい膨らんでいく。
「改めて言おう、貴様には本当に世話になったな。助かったぞ、アンジェリカ」
「いえ、私なんて……」
恥ずかしさのあまり、私はつまらない謙遜しか言う事ができなかった。
私はもういっぱいいっぱいで、頭と心が爆発しそうだ。
「では、ウサギの主賓に乾杯」
「乾杯、です」
チンと控えめに私はグラスを傾け、濃厚なワインを飲んだ。
初めて飲んだ味わいは、この空間のようにとてもとても甘く濃く、体にしみわたっていった。
「ふぅー! それじゃあ、あの童謡を歌おうじゃないか、アンジェリカ!」
「え、あ、はい……?」
なんだかシリウス王子の様子がおかしい。
こ、これは……?
「呆けた返事をするな! ではいくぞリズムに乗れ! 1、2、3はい!」
ラララと王子が、いつもの童謡を突如ここで歌い始めたのだった。
私は戸惑いながらも追従する。
(ななな何故今歌を……?)
流石シリウス王子、私が隣で聞く分には彼の歌は完璧だった。
しかし歌い終えた瞬間、
「馬鹿な! 私はなんて愚かで、ダメなのだ!」
王子がグラスのワインを一気飲みすると、いきなり立ち上がった。
まさか……酔っていらっしゃる?
一杯しか飲んでいらっしゃらないのに……?
「愚か! おろか! ぉおかぁっ! こんな駄馬には鞭がふさわしぃのだぁ!」
呂律が回らない王子は何故か上着を脱ぎ始めると、いきなり鞭を取り出し自身に振り下ろし始めたのだ。
しかし呂律同様に、その鞭さばきはうまく行かず以前のような危険な感じではない。
いや別の意味で十分に危険なのですが! 王子の半裸ですよ!
「王子何を!? 酔っていらっしゃるのですか!?」
私はすかさず止めに入った。
以前にルクス王子が言っていたシリウス王子の弱点。
それは……酒乱、ですか……
「アンジェリカ……? アンジェリカか、おお我が救いの女神よ! どうかこの駄馬に鞭の鉄槌を!!」
大仰なセリフとともに、鞭が私に渡された。
王子は四つん這いになり、既に私に叩かれるのを待っている。
「どうしたアンジェリカ打ってこい! 私は王子なのだぞ!」
(いやいや、あなたが王子だからこんなことできないのですが!)
「あの、私は……はい……!」
どうせ泥酔しているのだから、変に断ってややこしくするよりも、形だけでも適当にこなしてやり切る方が賢明だと私は判断する。
「い、いきます」
覚悟を決め深呼吸した私は、ペチリと優しく王子の背中を叩いた。
「弱いっ! こんなものでは私の罪は裁かれぬ! アンジェリカよ! もっと強くだ!!」
ベチリ、先ほどより少しだけ強く王子の背中を叩く。
こんな場所で、こんな美しい人に私は何をやっているのだろう……
先ほどとは別の意味で、私はドキドキと変な気分になってきてしまう。
「まだまだ弱いぞ! アンジェリカ、我が女神よ! 我を救いたまえ!!」
なんなのですかこれは、なんなのですかこれは、なんなのですかこれは!
心の声に合わせて私は鞭を振り下ろした。
「む……っ、くぅ……っ、あぁ……」
王子がセクシーな声で喘ぐ。
ゴクリと、私の喉から生唾を飲み込む音が聞こえた。
これは……癖になってしまうかもしれません。
「しかしまだよわぁぁぁぁぁい!」
むむむ。
「王子、私は本気で叩いているのです。それでも王子が感じられないのは罪がないということ、もう既に罪は祓われたという事なのです」
王子に感化されテンションがおかしくなった私は、女神風の事を言ってみてごまかしたのだった。
だんだんと私も気分が乗ってきている。
さあ、次はどうくるのですか……! シリウス王子!
「そうか! では寝る!」
「ぇ……」
端的に叫んだ王子は、そのまま地面へと突っ伏すと寝息を立て始めたのだった。
その様子に私は唖然とするしかなかった。
(シリウス王子……私には計りかねる器の持ち主です……)
どっと疲れが押し寄せてくる。
ソファーに深く座り込むと、私は残りのワインを一気に煽った。
私にとって今日この日は、一生忘れられない日になったのだった。
「グゥ……」
床では、満足そうに眼鏡がズレたシリウス王子が寝息を立てている。
余談だが、後日シリウス王子はこの時の事をまったく覚えていなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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