19話『シリウス・ヘングスト』
「はっはっはっ」
私は息を切らしながら階段を上る。
例の使われなくなった塔に私は最近、毎日通っていた。
一人で休憩するのにちょうどいいというものあったが、なによりも――シリウス王子。
(今日はいらっしゃるでしょうか?)
彼に会えるかもしれない。
その一点を待ちわびて、私はここに通っている。
たまに会える王子との時間は、私にとってかけがえのない楽しみとなっていたのだ。
ララララ。
屋上からいつもの美声が聞こえ始めると、私の心がまるで譜面の音符のように弾み始めた。
「シリウス王子、今日はいらっしゃる……!」
バルコニーに出ると気持ちのいい風が、私の髪や耳を撫でる。
そこには想像通りシリウス王子が、歌の練習をしていた。
私はゆっくりと、味わうように感じるように目をつぶり、邪魔にならないように後ろに控えた。
(いつもの素敵な歌声……あら……?)
なんだか今日はいつもと違うような……
いえ、これは。
王子の歌はじょじょに震え声に変わり、そして沈黙する。
「クソ……!」
シリウス王子はその場に膝をついた。
そして――
バシッ! バシッ!
なんと取り出した鞭を自らの背中に叩きつけ始めたのだ。
痛みに顔をしかめ、それでもなお自身に加虐し続けている。
「グ……ァ……!」
(シ、シリウス王子、一体何を……!?)
王子の突然の自傷に驚き、私はそのまま声を失ってしまう。
自分に厳しい方だとは思っていましたが、まさかここまで……
頭が、体が何も、分からない。
「ああ……っ! 俺は……! 私は……!」
痛みに耐えかねた王子は震える手で鞭を取り落とし、そのまま体をクの字に曲げ額を石畳にぶつけた。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
ゴチリ。
鈍い音が周囲に響き渡った。
「シリウス王子! お止めください!!」
やっと私は我に返って、覆いかぶさるように王子に抱き着いた。
王子の体から、怒りと悲しみによって上昇した体温が伝わってくる。
「「はぁはぁはぁ」」
二人の息遣いが周囲にこだまする。
王子の破けたブラウスの下からジワリとにじんだ血の匂いが漂ってきた。
「シリウス王子、大丈夫。大丈夫ですからどうか落ち着いて下さい」
私が声をかけ続けると、王子の恐慌状態が薄れていく。
彼の紫の瞳に明かりがゆっくりと灯っていき、
「アンジェリカ……か……」
王子はその場にへたり込み、弱々しい瞳で私を見た。
いつもの毅然とした王子とはまったく違う姿に、私はどうしようもなく切なくなる。
「よかった王子……一体どうしたのですか……?」
本当は今すぐにでも救急箱をとってきたかったが、こんな王子を一人にするわけにはいかない。
幸いにも、王子のケガは大した事がなさそうだ。
「いや……ああ。そうだな、私はそうか。私は歌が下手だ」
王子は混乱しながらも、高速で自己精察している。
こんな状態でも、頭のいい彼は自分を分析できてしまうようだ。
私はそれがなんというか、すごく悲しくて、すごく惨めに感じてしまった。
(こんな状態になっても、シリウス王子はシリウス王子なのですね)
胸が締め付けられる。
自傷するくらい、強い想いを込めて歌っていらっしゃったんだわ。
だからあんなに、私に、心に響いたんだ……。
「シリウス王子……王子にとって、歌とはなんなのですか……?」
私はゆっくりと、しかし覚悟を持って、王子の深い所に触れた。
「私にとっての……歌とは、か。私が私であるための、私がシリウス・ヘングストであるためのモノ……そして私の存在意義だ」
それから王子は、とつとつと自分について語り始めた。
両親はこの国で歌の権威でもあり、幼少の頃から厳しい教育を受けてきた事。
必死にこなしている内に、いつのまにか国で一番の評価を受けていた事。
それを維持するため、いつも歌の練習を欠かさないでいた事。
王たるために、張り詰めて政務をこなしている事。
最近はうまく歌えていない事。
「シリウス王子にとっての歌とは、王子その物なんですね……」
「ああ、そうだ。私から歌を取ったら、ただの貴族の嫡男でしかない。歌とは私なのだ」
シリウス王子は表情を落としながらも、いつもの冷静さを取り戻したようだ。
しかし聞き及んだ彼のその半生は暗く厳しく、そしてこれからもそれは変わらないのだろうという事も分かってしまった。
(こんなのってないですよ……)
思わず私は目を伏せて、下唇を噛み締めた。
「今日はすまなかったな、私とした事が取り乱してしまったようだ」
そう言ってシリウス王子は不器用な笑顔を浮かべる。
初めて見た王子の笑顔の裏には、貴族としての責務、自分への叱責が強く強くにじんで見えた。
それを感じた私の心は、もう止められない。
「元気を……」
「なんだ……?」
「私が王子を元気づけます!!」
勢い良く私は立ち上がった。
王子は一人で自分を抱え込んで、こんなになってもまだシリウス・ヘングストとしてあろうとしている。
それを少しでも分かってあげたくて、癒してあげたくて、
「私が今から歌を歌いますので、どうぞ王子は聞いていてください!」
王子が驚いたように、ポカンと口を開けて私を見上げている。
しかしそんな事では私の炎を消す事はできない。
こう見えても、私は歌には自信がある方なのですよ。
「ララララ」
私は歌い始める。故郷でよく歌われていた童謡だ。
全身全霊の想いを込めて、シリウス王子に私の気持ちを届けたくて。
歌は楽しい! 歌は楽しいのです!
皆を、そして自分を楽しませるためにあるんですよ!
「歌は呪いなんかじゃありません! こんなにも楽しいんですよ!」
歌い終えた私は、満面の笑みで王子を引き立たせた。
どうでしょうか? 私の想いは伝わったでしょうか……?
「アンジェリカ……」
「はい!」
真剣な顔をしたシリウス王子が私を見つめた。
そしてゆっくりと口を開くと、
「貴様、歌が下手だな」
「えっ」
予想外の答えに、私はチクリと胸を痛めた。
自分ではけっこう上手だと思っていたのですが……
「テンポが微妙にずれていてイライラする。それに声量が足りていないぞ、最後までちゃんと息を吐け」
「あ、あのすみません……」
「いや、そうではないな」
王子はうつむいて再び眼鏡を整えると、今度こそ本当のシリウス・ヘングストの顔で満面の笑みを浮かべた。
眩しいくらいの暖かさが灯った瞳が、私に向けられている。
「私のために歌ってくれてありがとう、童謡か……久しく聞いてなかったな。ただただ歌う頃が大好きだった子供の頃を思い出したよ」
ポッと、私の心に花が咲き乱れる。
私の顔には血が上り、この瞬間に卒倒するかと思った。
純情な、シリウス王子の真心とその笑顔が私の心を貫いたのだ。
(ああ! シリウス王子! シリウス王子……! あなたはそんな顔で私を、どうするおつもりなのですか……!)
「先ほどの歌、私に教えてくれないか。私も歌ってみたいのだ、楽しい歌を……な」
「は、はい! ですけれど、まずは傷の手当てを……!」
シリウス王子が柔らかに笑う。
「ああ、そうだな。誰にも見られたくない。ここで頼めるか?」
「分かりました! すぐに救急箱を取ってきますね!」
言い終わると同時に、私はウキウキで階段を駆け下りていった。
ああ、シリウス王子! シリウス・ヘングスト様! 大好きです!
そんなアンジェリカの背中を見守りながら、シリウス王子は胸に手を当て感じ入っていた。
(冷え切った心に暖かさが灯ったかのようだ、これはおそらく尊い感情……か)
その口元は、鉄の男シリウス・ヘングストには似つかわしくない笑みを浮かべて。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ポイントをモチベーションに頑張って書いていております。
よろしければ、下のブックマーク登録と★での応援をよろしくお願いします。
頂けると励みになります!




