18話『オペラの王子様』
曇り空の下で、少し冷たい風が私を撫でていく。
ここは城内でもはしに位置する、今は使われていない古い見張り塔の上だ。
周囲は閑散としており、木や鳥しか見えない。
「ふぅー」
今日の私は少しブルーだった。
メイドさん達の中で風邪が流行っており、代打として私はここ数日で働き詰めだった。
休憩時間になんとなく一人になりたくて、こんな場所までやってきてしまったのだ。
(仕事は大変な時もありますけど、楽しい生活ですよ。今はただ少し疲れているだけなのです)
私は目をつぶり、自分に言い聞かせる。
円形バルコニーの手すりに、両手を下敷きにして顔をもたれかけ、私はぼぉっと眼下のゆれる木々を見ていた。
「ララララ」
突如、風を切り分けて男性のテノールが聞こえてくる。
塔を挟んだ反対側のバルコニーで誰かがオペラを歌い始めたようだった。
(こんな所で、誰かに会うなんて)
私の驚きはその美声によって一瞬にしてかき消された。
耳から体に、そして心に歌が響き渡っていく。
不思議なのだが、私の中にあったモヤモヤが薄れていくのが分かった。
(素敵な歌声です……)
どうやらそのオペラは、物語に出てくる王子の悲哀を歌ったものだった。
歌が進むにつれ、私はどんどんと感情移入していく。
まじめすぎる王子が、皆の為に頑張るがすれ違って周りとうまく行かない。
最後には姫と別れる事になってしまったが王子はそれでも強く生きていく、といった内容だった。
「すばらしいです……! 感動しました……!」
いつの間にか私は歌声に引き寄せられ、その男性の近くまで歩み寄っていた。
パチパチパチ。
心を強く動かされ、自然と感涙、そして拍手がこみ上げている。
これが国一番の美声……!
「誰だ?」
ポニーテールが揺れ、背の高い男性が振り向く。
そこには、眼鏡の奥から鋭い視線が私を睨んでいた。
4人目の王候補、シリウス・ヘングスト王子である。
「あの、お邪魔をしてしまって、申し訳ありません……」
王子の声のトーンは低く、不機嫌そうな雰囲気を感じ取り、私は歌の練習を邪魔してしまったのだと気が付いた。
今更ながらに委縮してしまう。
そんな私の心情に追い打ちをかけるように、ツカツカと王子が歩み寄ってくる。
「あ……」
私に影が落ちた。
厳しい雰囲気で王子が私を見下ろしている。
シリウス王子の身長は私の頭一つ分以上に大きい。
彼は王子たちの中でも、最も背が高い人物であった。
「貴様、見ない顔だな」
シリウス王子が訝いぶかしむように私の顔をじっと見つめる。
この後どんな事になってしまうのか、私は心身共に縮こまってしまう。
「あの、申し訳ございませ……」
「顔をよく見せろ」
命令口調で王子は私のアゴに手を当てると、そのまま顔を持ち上げた。
いわゆるアゴクイというやつだ。
「な、なにを……」
(この後どんな罰を受けるのでしょうか……痛いのだけは嫌ですよ)
「ふむ……」
王子は私の顔を右に左に、調べるように傾けながらじっと見つめている。
なんだか変な雰囲気に、私は怒られているわけではない事に気が付き始めた。
それよりも、端正な顔でまじまじで見られているという状況に恥ずかしくなってきてしまう。
(こ、これはどういった……? それよりもお顔が近いです……)
私の体温が少しずつ上昇していく。
先ほどまでは肌寒かったが、今では徐々に汗ばんできてしまった。
「貴様、名前は? 最近新しく入った女中だな?」
「は、はい。私の名前はアンジェリカといいます。最近ヒッポリーニ宰相のご厚意で働き始めたばかりなのです」
緊張の中、私は戸惑いながらも答えた。
なぜシリウス王子は私にこんな質問を……?
「そうか……覚えたぞ、それでここで何をしていたのだ?」
王子は固い表情を少しだけ緩めて、中指と人差し指で挟むように左右からメガネを押えた。
その動作に一種のフェティシズムを感じてしまい、私の心は思わずときめいてしまう。
(ああ、なんてかっこいいんでしょう! いえ、いえ! 今は……)
「ここなら誰もいないと思って休憩していました。そうしたら素敵な歌声が聞こえてきて、あの私、感動してしまって……」
さきほどシリウス王子は私の事を覚えたと仰った。
わざわざ私の事を? まさか嫌な奴リストにでも登録されてしまったのだろうか。
王子の無表情とキビキビとした雰囲気が私をどんどんと追い込んでいく。
ま、まずいです。
「私の歌で感動だと……そうか……」
シリウス王子はここにきて少し感情を見せた。
これは戸惑いの感情――
「あ、あのお邪魔してしまったようなので、私はここで……」
私が立ち去ろうとすると、後ろから肩を掴まれる。
ひぇっ! ごめんなさい、ごめんなさい!
「待てアンジェリカ。まだ時間はあるか?」
「ぇぁ……はい……」
「私の歌をどう思ったか、詳しく聞かせろ」
そこからは、根掘り葉掘りとさきほどの歌について尋ねられた。
いまいち会話がかみ合わず、私の言葉が正しく伝わっていたかは定かではない。
「なるほど、そうか」
私はだんだんと、シリウス王子の事が分かってきた。
彼はとても頭の回転が速いのだが、人に何かを説明するのが少し苦手なようだ。
自分の言いたい事に対して主語がなかったり、質問の理由を説明しないために、その雰囲気も相まって固くて気難しい印象になってしまっていたのだ。
「だが、まだこれでは足りないのだ……」
(これでは、まるでオペラの中の王子そのものですね……)
私は少し面白くなってきていた。
この態度は王子にとっての普通であって、別段怒ったり不機嫌なわけではない状態なのだ。
そう理解すると、なんだか余裕が出てきた。
興味がムクムクと音を立て、私は思っていた疑問を口にしてしまう。
「シリウス王子、先ほど私を覚えたと仰いましたが、何故私の名前をお尋ねになったのでしょうか?」
「ああ、私は城に勤めている者は全て顔と名前を憶えているのだ」
「え……!? 全員をですか?」
私は思わず驚いてしまう。
今の城では数百人以上が働いているのだ。
それを……全員……
「為政者として当然の務めだ。国民全員とはいかないが、せめて顔を合わせる者達くらいはな」
「そうだったのですか……」
予想外の返答に私は驚きながらも、私は彼に尊敬の気持ちを覚えた。
私だったらせいぜい十数人程度しか覚えられる気がしない。
人の上に立つものとして、想像以上のご苦労をしているということに私は打ちのめされてしまう。
「私はもう少しここで歌の練習をしていく。時間を取らせたなアンジェリカ」
「いえ……シリウス王子はいつもここで練習されているのですか?」
「そうだ、ここは声の通りもいいし、誰の迷惑にならないのだ」
王子は目をつぶり、自分に言い聞かせるように呟いた。
少し強い風が吹き、王子のポニーテールが私の心のように揺れ動いた。
「そうなのですね。王子は政務で忙しいと伺っております。その中でも練習を怠らないなんてすごいです」
「幼少の頃から続けていることだからな。私なんぞ、まだまだだよ」
歌について話す王子の瞳には、責務の感情が灯っていた。
でもなんだかそれが、とても窮屈そうだと私には思える。
あんなに素晴らしい歌なのに。
「私は素敵だと思います、王子の歌。また聞きに来てもいいですか?」
「……? 構わんが」
自然と、その言葉を口から出た。
さっき聞いた王子の歌声は本当に心を打つものだったし、そこから王子の性格を知る事で、私は既にシリウス王子に魅了されてしまっていた。
「はい! それでは失礼します」
頭を下げた私は元気よく階段を下りていく。
上った時と比べてその足取りは軽く、心はもっと軽かった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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