きみのいない空の下では 3
いったい、どうしてこんなことになったのか。
状況が把握できていない。
はっきりしているのは、大勢の「犠牲者」が出たことだけだ。
その中には、ティトーヴァのよく知る人物も含まれている。
「ベンジー……なぜこんな……」
呼びかけても、ベンジャミンは答えない。
答えられないのだ。
目は焦点が定まっておらず、ぼうっとしている。
こちらの声も聞こえていないようだった。
アトゥリノの兵たちも、こんな状態だと報告が入っている。
そのため、なにが起きたのか確認のしようがない。
言葉を話せる者が、誰も残っていなかったのだ。
死んでいないというだけで、これでは生きているとも言えないだろう。
ティトーヴァは、ベッドに横たわるベンジャミンの手を握る。
ずっと一緒に育ってきた友であり、大事な部下だ。
愚かな自分の味方であり続けてくれた者でもあった。
「誰にやられた? 応えてくれ、ベンジー……」
話しかけても、反応はない。
ベンジャミンの瞳は、ただ虚空を見つめている。
ティトーヴァは、自責の念にとらわれていた。
リュドサイオから連絡が入ったのは、3日前。
すぐにベンジャミンを帝都に運ばせ、着いたのが昨日のことだ。
変わり果てた姿に、ティトーヴァは、言葉を失っている。
大きなショックを受けていた。
ベンジャミン1人に任せたことを悔やんでいる。
カサンドラの捜索は、ティトーヴァの我儘に過ぎない。
周辺諸国との関係がどうなろうと、自分も行くべきだったのだ。
「陛下、ロキティス殿下が到着されました」
声をかけてきたのは、セウテル・リュドサイオ。
セウテルは、現在、ティトーヴァの騎士となっている。
ベンジャミンに捜索を一任してから、ひと月後、ティトーヴァが、帝位に就いたからだ。
叔父が死んだことで、ティトーヴァの即位に異を唱える者はいなかった。
帝国全土に、父の崩御と新たな皇帝の誕生が伝えられている。
属国も含め、民衆からも反発は起きていない。
それも、ベンジャミンが自分を帝都に残したことで成し得たのだ。
(あの時、お前が強く止めていなければ、俺はラーザに向かっていた)
カサンドラを見失い、ティトーヴァは焦っていた。
帝位を奪われてもかまわないと思うくらい、カサンドラのことばかり考えていたとの自覚はある。
父に憎まれていたとしても、皇帝の子であることに変わりはない。
だが、その生まれ持った責任を、ティトーヴァは放棄しかけていたのだ。
おそらく、ベンジャミンは、それを感じ取っていたのだろう。
それでもティトーヴァの気持ちに寄り添い、カサンドラの捜索をやめなくていいと言ってくれた。
そして、指揮を執るため、1人でラーザに向かったのだ。
(俺は、碌なことをしない)
カサンドラのことも、ベンジャミンのことも。
幸せにしたいと願った女性は過去に傷つけ続けていたし、大切な友も失った。
自分の存在が、周りを不幸にしている気がする。
だからといって、皇帝となった今、責任を投げ出すこともできない。
「サレス卿!」
ばたばたと足音がした。
医療施設のドアが開いており、ロキティスが駆けこんで来る。
ティトーヴァの横に立ち、ベンジャミンを見つめ、顔を歪めていた。
「……なぜこのような……」
「ロキティス、聞きたいことがある」
ハッとしたように、ロキティスがティトーヴァに頭を下げる。
ティトーヴァは、もはや皇太子ではない。
帝国の皇帝なのだ。
従兄弟と言えど、本来なら礼を欠くなど有り得なかった。
ただ、ベンジャミンの姿にショックを受ける気持ちはわかる。
だから、咎めなかった。
「なぜ、あの場にあれほどのアトゥリノ兵がいた?」
「ちょうどリュドサイオと合同訓練中に、サレス卿から兵の要請がございました」
「ベンジーが……そうか……」
人手が足りなかったのだろうが、人手が足りないとは、言えなかったのだ。
帝国軍もリュドサイオ軍も、動かせる状況ではなかった。
だから、ロキティスに頼んだに違いない。
ティトーヴァの記憶の端にも、合同訓練のことは残っている。
報告は来ていたが、その時は、心ここにあらずで、関心を引かれずにいた。
「1人で……なにもかもを背負わせてしまったのだな……」
「陛下……申し訳ございません。私が、ご報告すべきだったのです」
「……ベンジーに止められていたのだろ?」
「はい……サレス卿は……滞りなく即位が進められるようにと……」
ロキティスに口止めをしたのだろう。
報告をすれば、ティトーヴァの心がカサンドラの元に引き戻されてしまうから。
「なにがあったのか……アトゥリノの兵も、皆、このような有り様だと聞く」
「仰る通りにございます。しかし、まさか……サレス卿まで……僕はアトゥリノにおりましたから、指揮権を、サレス卿におあずけいたしました。そのため、状況がまったく……ですが、陛下……」
手を握ったまま、ベンジャミンの顔を、じっと見つめる。
聡明で精悍だった顔立ちは、見る影もない。
ベッドの反対側に立つ、看護員が、時々、口から流れる涎を拭いていた。
本当に、ただ「命がある」というだけなのだ。
「……わかっている」
その場に、カサンドラと従僕の姿はなかったとの報告を受けている。
すなわち、この「大惨事」を引き起こしたのは、2人だということだった。
とはいえ、カサンドラには、なんの力もない。
それは、知っている。
「あの従僕の仕業か」
「そうとしか考えられません。被害を受けたのは、アトゥリノの兵と……サレス卿のみ。カサンドラ王女様を探していた者だけが攻撃されたということになります」
「あの者には、特殊な能力があったからな」
「ラーザの技術であれば、このようなことも可能であったのかもしれません」
考えられる最も高い可能性。
それは、あの従僕が、ベンジャミンたちを攻撃して、カサンドラを連れて逃げたということだ。
戦車試合で見た「光」を、ティトーヴァは忘れていない。
加えて、監視室の情報までをも操作できる技術を、あの男は持っている。
「陛下、サレス卿から指定された場所から推察するに、2人は、防御障壁を抜けたのではないでしょうか」
「それも、ラーザの技術を持ってすれば可能かもしれんな」
「さようにございます。そもそも、あれを作ったのはラーザの女王ですから」
なにか特別な手段があったとするのは、おかしな考えではない。
むしろ、あっても不思議ではないと考えるのが妥当だと思える。
「仮に防御障壁を抜けたのであれば、やはりカサンドラ王女様のご意思ではないと考えられます。皇宮から出ることには同意されたにしろ、なにも障壁を越える必要はございません。実際、皇太后陛下は、帝都におられたではありませんか」
ロキティスの言う通りだ。
カサンドラの母は、平民に身をやつしながらも、帝都に隠れ住んでいた。
皇宮にいるのが嫌だったからといって、防御障壁まで超えることはない。
障壁の向こうが、どれほど危険かを知らない者はいないのだから。
「もとより、そのつもりでラーザを逃亡先にしたのかもしれません」
「有り得なくはない話だ」
なぜラーザだったのかに、ティトーヴァは疑問を残していた。
地下牢にあった隠し通路の出口は複数あり、帝都の裏街に出るものもある。
見つかる可能性が高かったとはいえ、あの従僕なら逃げおおすことも可能だっただろう。
あんなふうに、ひっそり移動などせず、裏街を駆け抜ければよかったのだ。
見つかっても、殺せばすむ。
あれほどの腕を持っているのだから、そのほうが簡単だったに違いない。
「陛下は、カサンドラ王女様を、いかがなさいますか?」
訊かれていることの意味は、わかる。
ティトーヴァは、じっとベンジャミンの姿を見つめた。
その手を握りしめる。
「見つけなければならん」
ベンジャミンがこんなふうになってまで、探し続けてくれたのだ。
自分が諦めてしまったら、ベンジャミンのしたことが無駄になる。
そして、仮に、あの従僕がしたことであれば、絶対に許してはおけない。
(カサンドラのいるところに、あの男もいるはずだ)
問題は、どうやって探すか、だ。
探せないとわかっていたから、障壁を抜けたのだろう。
人が人である限り、越えたくても越えられない仕組みになっている。
体が弾かれ、外には出られない。
それは、意図的ではなく「うっかり」といった要素を、取り除くためのものだ。
たとえば、子供が遊んでいて、障壁の外に出てしまったというような事態を防ぐためのものなのだ。
「陛下、僕に時間をください。2年……いえ、1年でかまいません」
「どういうことだ?」
「カサンドラ王女様を探すために、2つの最新技術が必要となります。防御障壁を越えるための技術はもちろん……」
「聖魔の力を防ぐ技術か」
「さようにございます。外に出られたとしても、聖魔の者に見つかれば、無事ではいられません」
「できるだけ急げ。そのための支援であれば、いくらでもしよう」
ベンジャミンにしてやれることは、ほとんどない。
最新の設備でも、治療は困難だと言われている。
せいぜい「敵討ち」くらいしかできることはないのだ。
そして、それとは別に、心の奥深くに、カサンドラへの恋情と無意識の罪悪感が残されている。
それが、ティトーヴァに「やり直す」ことを求めていた。