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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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回顧の暗闇 2

 どうして、こんなことになったのか、わけがわからない。

 カサンドラは、冷たい石畳の上に膝をつかされている。

 見上げた先にいるのは、ヴァルキアス帝国の皇帝だ。

 冷淡な眼差しで、カサンドラを見下ろしていた。

 

 眩しい金色の髪と銀色の瞳は、初めて会った頃と変わらない。

 

 カサンドラが、皇宮を訪れたのは、5年前のことになる。

 まだ16歳だった。

 それまでは、平民として暮らしていたのだ。

 作法や礼儀などなにも知らず、皇宮での生活が始まった。

 

 カサンドラが産まれる前、前皇帝と母は恋仲にあったらしい。

 その前皇帝が隠れ住んでいた母を見つけ、皇后として皇宮に迎え入れたのだ。

 それに伴い、カサンドラはデルーニャという国の国王の養女となり、立場だけは王女となった。

 

 ヴァルキアスの王女として迎え入れられなかったのには理由がある。

 カサンドラは、当時、皇太子だった現皇帝の婚約者となる皇命を受けたのだ。

 その後の2年、つらいことも多々あったが、なんとか皇宮暮らしを続けてきた。

 そして、母が死んだ翌年、前皇帝も後を追うようにして、他界している。

 カサンドラが19歳になる、少し前のことだった。

 

 すぐに、皇太子が皇帝として即位。

 行事などは喪が明けてから行われたが、その中のひとつに婚姻も含まれていた。

 皇太子は、婚約中、カサンドラに無関心を貫いている。

 皇命により押し付けられた婚約を、快く思っていないのは感じていた。

 

 だから、帝位についた途端、前皇帝の皇命を撤回し、婚約を解消するのではと、危惧していた。

 カサンドラには、(すが)るべき相手が皇太子しかいなかったのだ。

 いつかは無関心でなくなる日が来るかもしれないと期待もしていた。

 

 なぜなら、彼だけがカサンドラに「なにも問題はないか」「困ってはいないか」と声をかけてくれたからだ。

 儀礼的なものに過ぎなかったとしても、頼るべき相手も相談する人もいなかったカサンドラにとっての、唯一の救いだった。

 

 従僕であるフィッツからは「いつでも婚約は解消できる」と言われていた。

 婚約解消のための書類を、皇太子が用意していたからだ。

 だが、彼から婚約の解消を申し渡されるまでは、諦めがつけられそうになかった。

 そのため、カサンドラは、フィッツに「その必要はない」と答えている。

 

 結局、危惧していたことは起きず、皇太子は、カサンドラとの婚約を継続、喪があけた年に、2人は婚姻した。

 カサンドラは、皇后となったのだ。

 

 それに、婚姻後は、彼の態度にも変化があった。

 少しずつではあったが、歩み寄ってくれていたように思う。

 そっけない口調は相変わらずでも、カサンドラを尊重してくれた。

 パーティや公務にも同伴し、その時々で、気遣ってくれもした。

 

「陛下! 私は、陛下を裏切ったことなどございません!」

 

 カサンドラは、必死で叫ぶ。

 彼との関係が、こんなことで崩れるはずがないと信じていた。

 事実、これは「冤罪」なのだ。

 彼以外の男性と、関係を持ったことなどない。

 

「白々しいにもほどがありますね。証拠が、これだけ揃っていますのに」

 

 彼の隣に立つ女性、ディオンヌ・アトゥリノ。

 アトゥリノの王女であり、彼の従姉妹でもある。

 彼と似た金色の髪と青い瞳の、美しい女性だった。

 彼女は、彼に好意をいだいている。

 そのため、カサンドラは、ずいぶんと虐められたのだ。

 

 彼が従姉妹を大事にしていたため、虐げられている実情を打ち明けてはいない。

 誰にも言えず、黙って耐えていた。

 2年以上も、ずっと。

 

 そのことを周りも知っていたはずだが、助けてくれた者はいない。

 ただ1人、フィッツだけは、せっせと面倒をみてくれていたけれど。

 

 母に打ち明ければ、問題は解決していただろう。

 けれど、カサンドラは、それもできずにいた。

 母が、やっと辿り着いた幸せを台無しにしたくなかったからだ。

 自分のために苦労をし続けていた母には幸せでいてほしかった。

 

 前皇帝の崩御前、自分の出自について、カサンドラは聞かされている。

 母の語らなかった事実だ。

 それを知って、なお、母の愛情が身に染みた。

 カサンドラには、母にぞんざいに扱われた記憶がない。

 

 だから、と言うべきか、前皇帝の語った話にショックを受けたものの、息子である彼を憎む気持ちにはなれなかった。

 望まれない娘であったとしても、確かにカサンドラは母に愛されていたから。

 

「陛下、信じてください! 私が陛下を裏切るなど有り得ません!」

 

 現皇帝、ティトーヴァ・ヴァルキア。

 

 カサンドラの夫でもある男性だ。

 自分がどういう性格であるか、彼は知っている。

 無関心を貫かれていた時でさえ、カサンドラは、彼に恋をしていたのだ。

 

「私の心を、ご存知でしょう、陛下!」

 

 カサンドラの言葉に、彼の表情が、わずかに変化した。

 信じてほしいと、目でも訴えかける。

 冷たい石畳に(ひざまず)かされ、罪人扱いをされていても、カサンドラには頼れる相手が彼しかいなかった。

 

 そう信じ込んでいたのだ。

 

 夕べ、捕らえられていた地下牢に、フィッツが現れている。

 逃げるようにと説得された。

 実際に、フィッツはカサンドラを連れ出そうとしたのだ。

 けれど、カサンドラは、応じていない。

 逆に、声を上げ、警備を呼んでいる。

 

 自分のことは、彼が助けてくれると思っていた。

 そして、どうしても信じてもらわなければならない理由があったのだ。

 カサンドラが警備兵を呼び集めることになってしまい、結果として、フィッツも捕らえられている。

 

 もし自分が処刑されることになったら、フィッツも斬首に処されるだろう。

 だが、そんなことにはならない。

 

(だって……彼だって知っているもの……私は裏切ってなんかいない……きっと信じてくれるはずだわ)

 

 カサンドラは、あまりにも純粋に過ぎた。

 一途に、彼のことを信じ過ぎたのだ。

 

「お兄様、騙されてはいけませんわ。相手の男が白状していますし、ちょうど……彼女が、そういう不適切な関係を結んでいた頃、お兄様は、皇宮にはいらっしゃらなかったでしょう?」

「そのような男性は、知りません! 陛下がいらっしゃらなかったのは、たったの3日ではありませんか!」

「3日もあれば十分ではなくて? いえ、ひと晩でも関係は持てますもの」

 

 ディオンヌの言う「白状した男」が、誰なのかさえ知らない。

 誤解を招いたかもしれないと、思い当たる節すらなかった。

 カサンドラは、彼がいない間、皇后宮に籠っていたのだ。

 男性どころか、女性とも謁見はしていない。

 

 彼のいない皇宮は、カサンドラにとっては危険な場所となる。

 知っていて出歩いたり、人を招いたりするはずがなかった。

 しかも、本当に、たった3日のことだ。

 

「それに、彼女は……あのフェリシア・ヴェスキルの娘ですから。そうでしょう、お兄様? あのかたの娘を信じられますか?」

 

 ぴくっと、彼の眉が吊り上がる。

 瞳に冷淡さが戻っていた。

 彼にとって、カサンドラの母は、仇も同然なのだ。

 彼の母を自死に追い込んだと思っている。

 

 が、事実は違う。

 

 前皇帝から、母になにがあったのか、彼の母ネルウィスタがなにをしたのかを、カサンドラは聞かされたのだ。

 死の間際の話であり、嘘とは思えなかった。

 当時、悩みに悩んだ末、これもまたカサンドラは、彼に話さずにいる。

 

 どういうことをしたにしろ、彼にとっては母親だ。

 すでに他界しているということもあった。

 今さら事実がどうであったかを話して、彼を傷つける必要はないと思ったのだ。

 とはいえ、それも裏目に出ている。

 

 この状況で自らの母を庇い、彼の母のしたことを話しても、信じてもらえるはずがなかった。

 罪を逃れるため、彼の母を貶めようとしていると思われるに決まっている。

 

「カサンドラ」

 

 低い声に、体が震えた。

 もうなにを言っても信じてもらえそうにないと感じる。

 

「お前はもう俺の妻ではない。皇后の身分は剥奪した上で、斬首刑とする」

「そんな……陛下! 陛下もご存知のはずです! 私には……っ……」

「どうだかな。それも、もう信じられん」

 

 彼は、冷たくカサンドラを切り捨てた。

 絶望に、全身が冷たくなる。

 

「姫様! お逃げください!」

「フィッツ……」

「姫様、早く!」

 

 どこからかフィッツが飛び込んできた。

 カサンドラに駆け寄り、縄を解こうとする。

 

 けれど。

 

「無理よ……フィッツ……ごめんなさい……私は……もう……」

 

 立ち上がれなかった。

 どうしても信じてほしいことがあったが、それは叶わなかったのだ。

 ある意味では、その瞬間、カサンドラの心は死んだと言える。

 生きる気力を失っていた。

 

「姫様……っ……」

 

 無理にカサンドラを立たせようとしたフィッツの口から、血があふれる。

 警戒していたのか、周りからフィッツに銃弾が浴びせられていた。

 目の前が真っ赤に染まっていく。

 

 カサンドラは涙を流しながら、お腹に手をあてた。

 そこには、間違いなく彼との子が宿っていたのだ。


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