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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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今さらだったとしてもなお 3

 ようやく出口に辿り着いた。

 久しぶりに地上に出ている。

 季節と時刻を合わせ、体調を整えておいて正解だ。

 昼過ぎの夏の陽射しは、かなり厳しい。

 

 だが、フィッツは、カサンドラをかかえたまま、走る。

 休憩を取らせてあげたいのはやまやまだが、時間がなかった。

 アトゥリノの兵は、まだ見えていない。

 その間に、駆け抜ける必要がある。

 

 あと5百メートル。

 

 フィッツの体力には、問題ない。

 追っ手を振り切ったら、ぞんぶんに休ませてあげようと思う。

 念のため、周りに視聴覚情報用の装置を投げておいた。

 同時に、戦車試合で使った動力源を無力化する装置も発動できるようにする。

 アトゥリノの兵に追いつかれるとは思えないが、備えは必要なのだ。

 

 思ったフィッツに、視聴覚情報が「なにか」を伝えて来る。

 判然とはしない微かな音だ。

 直観が「嫌な予感」を伝えて来る。

 

 あと百メートル。

 

 フィッツは、カサンドラの体を抱えこみ、速度を上げた。

 直観を無視したことを悔やんだことがあったからだ。 

 全身が、警鐘を鳴らしている。

 あと少しだ。

 

 目の前に、2人での未来が。

 

 ぱん。

 

 一瞬、なにが起きたのか、わからなかった。

 急に、足がもつれたような感覚がある。

 

 ぱん、ばん、ばん。

 

 続けざまに、小さな音を聴覚が拾っていた。

 360度の視界はあるが、拾い切れていない。

 装置の影響範囲から外れているのだろう。

 フィッツの眼に、相手の姿はなかった。

 それでも、わかる。

 

 ああ。

 

 心の中で、溜め息をついた。

 そうか、とも思う。

 

 予測していた中の、最悪の事態。

 

 ザザッと、フィッツの体が地面に転がった。

 すぐに反転して、カサンドラの体を、自分の体の下に置く。

 肘をつき、上半身だけ起こして、彼女を庇っていた。

 

「な、なに……? どしたの、フィッツ」

 

 カサンドラの瞳が揺れている。

 不安そうな彼女を、じっと見つめた。

 状況を、ちゃんと説明しておかなければならない。

 これからどうなるか、これからどうするかも話しておく必要がある。

 

「足を撃たれました」

「撃たれた?!」

「超遠距離狙撃銃です」

「う、撃たれたって……」

「あの銃は精度が高い分、威力はありません」

「で、でも、う、撃たれ……」

 

 足と、大雑把に言ったが、両足の太腿と膝、合計4ヶ所。

 完全に、動きを封じられていた。

 相手も、それを狙ったに違いない。

 存在を気取られることよりも、足を止めることを優先している。

 

「体を貫通するほどの威力はないのですよ」

 

 実際、弾は各箇所にめり込んだままになっていた。

 それが、逆に邪魔なのだ。

 貫通していたほうが、マシだと言える。

 これでは、這うこともままならない。

 

「それにあの銃は1度に十発しか装填できませんし、相当な熱量になるので、次に撃てるようになるまで、1時間はかかります」

「じゃ、じゃあ、その間に、に、逃げ、逃げられる?」

「そうですね」

 

 フィッツの返事に、カサンドラがわずかにホッとした様子を見せた。

 フィッツは、その顔を見つめながら、計算をしている。

 

(今ので4発。彼なら、まだ撃ってくるだろうな)

 

 超遠距離狙撃銃は、扱いの難しい銃だ。

 精度が高いとはいえ、照準は合わさなければならない。

 おそらく、自分と相手との距離は1キロ以上ある。

 目視であれば、フィッツの姿は1ミリ程度にしか捉えられない距離だった。

 もちろんスコープはついているだろうが、並みの腕では当てられはしない。

 

 ベンジャミン・サレス。

 

 こんなことができるのは、彼しかいないと思う。

 フィッツの考えうる最悪の事態とは、ベンジャミンに見つかることだったのだ。

 

 余計な話をしたことを後悔した。

 あれから、ベンジャミンは、フィッツ攻略の策を考え抜いたに違いない。

 戦車試合の映像も見返したはずだ。

 

(超遠距離に切り替えてくるとは……武器にこだわるなという言葉を実践したか)

 

 ベンジャミンの得意とするのは、中長距離、もしくは短距離銃だった。

 けれど、それでは、あの「光」に対抗できないと判断している。

 フィッツの操る装置が影響を及ぼせる範囲は、5百メートル圏内。

 そして、発動先を指定しなければならない。

 1キロも離れられては、効果は発揮できなかった。

 

 ぱすっぱすっ。

 

 これで6発。

 脊髄を狙われたが、これは問題ない。

 首から腰まで背骨は硬く守られている。

 威力のない銃弾では傷がつくことはなかった。

 とはいえ、当然、皮膚は裂け、弾が体内に潜り込んでいる。

 

「フィッツ……逃げよ……早く……」

 

 フィッツも逃げることを考えていた。

 生き残りたいと、切実に思っている。

 

 カサンドラと新しい場所でやり直すのだ。

 

 ここを抜ければ、キスだってしてもらえる。

 彼女との距離も関係も、これまでとは変わっていくのだろう。

 当面、穏やかな日々をおくるのは難しいかもしれない。

 だとしても、一緒にはいられる。

 

(彼は私ではなく姫様を狙っている。だが、なぜだ? 皇太子の意向ではない……むしろ、皇太子に隠れて行動しているようだな)

 

 でなければ、とっくにフィッツを殺していた。

 フィッツを殺したあと、堂々と姿を現し、カサンドラを殺しに来ていた。

 けれど、アトゥリノの兵に自らの姿を(さら)したくないので、そうはできずにいる。

 のちに、カサンドラを殺したことが、皇太子に露見するのを恐れているのだ。

 

 フィッツを殺せば遺体が邪魔になり、狙撃しづらくもなる。

 それならば、動きの封じられたフィッツを見捨て、カサンドラが逃げようと立ち上がるのを待ったほうがいいと判断しているに違いない。

 ベンジャミンは、カサンドラを「よく知らない」から。

 

(彼は勘違いをしているな。きっと苛々していることだろう)

 

 フィッツという守護者が「役立たず」になったら、カサンドラは逃げる。

 そう踏んでいたはずだ。

 なのに、カサンドラは逃げようとしない。

 苛立ちから、無駄撃ちしてくることを願った。

 

 そして、フィッツは、彼女が「逃げない」ことを知っている。

 

 彼女は、フィッツを「置き去り」にはしないのだ。

 一緒にいることを選んでくれている。

 生きるも、死ぬも。

 

「姫様、よく聞いてください。いいですか? あと50メートル。走れますね?」

「は、走れる、と思うけど……フィッツは?」

 

 彼女は、まるで小さな子供のようだ。

 両手でフィッツの胸を掴んでいる。

 夜中に、外に放り出されたみたいに、怯えていた。

 

 ぱすっぱすっ。

 

 これで8発。

 残りは2発。

 

 ああ、と思う。

 

 フィッツは片手で体を支え、反対の手でカサンドラの頬にふれた。

 言っておくことが、ある。

 話しておきたいことが、あった。

 

「次の弾が私に当たったら、ゆっくり30数えてから逃げてください。そうすればアトゥリノの兵が来て、彼の射線を切ってくれます。あと50メートルですから、囲まれる前に逃げられるでしょう」

「嫌だよ……逃げたりしないっ! 置き去りにしないって言ったよね?! 1人でなんか絶対に逃げないから!!」

「逃げてください。これは、ティニカとして言っているのではありません。私が、姫様に生きていてほしいのです」

 

 ぱたぱたと、カサンドラの瞳から涙がこぼれている。

 1度も見たことのない泣き顔だった。

 その泣き顔に、胸が痛んだ。

 

 一緒にいたかった、と思う。

 

 彼女自身、命に無頓着だったが、フィッツとて自らの命を自分のものだとはしていなかった。

 なのに、ここに至って、命に執着している。

 

 彼女を独り遺したくはない。

 自分独りで逝きたくはない。

 

 それでも、やっぱり彼女には生きていてほしい、と思う。

 

 ティニカとしてヴェスキルを守るのではなかった。

 フィッツとして彼女を守りたかった。

 自分のために泣いてくれる女性を守りたいのだ。

 

「姫様は、私にたくさんの感情をくれました」

 

 ティニカという意味では、多くの間違いをした。

 揺らぐことの無かった「最善」を放棄した時から、常に危険をはらんでいたと、知っている。

 だが、今のこの感情が「なくていいもの」だとは思えない。

 

「フィッツ……やだ……」

「知っていましたか? 姫様が笑うと、私も笑っているのです」

「なんで、そんな話……やだよ……そういうのは……逃げてから……」

 

 ゆっくりと頬を撫でる。

 手にふれる涙までもが暖かった。

 彼女は、いつもいつも暖かいのだ。

 

「初めて知りました」

 

 残りの弾は2発。

 最後の1発は、必ずカサンドラを仕留めるために残す。

 となれば、自分に使える弾は、あと1発。

 

「毎日が楽しくて、嬉しくて……こんな日がずっと続けばいいと思える」

「続けられる……続けようよ……」

 

 続けたかった。

 一緒に生きていきたかったのだ、本当に。

 

「これが、幸せというものなのですね」

 

 繰り返し、彼女の頬を撫でる。

 これが最後の感触になるのを、フィッツは知っていた。

 フィッツは、自分がティニカの鎖をすべて断ち切ったことに気づく。

 彼女の瞳を見つめて、言う。

 

「大好きですよ、キャス」


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